ラーメン屋さんと男の子5.5

(解説)


 

 直樹、直純、直哉。

 名前に『直』の字を持つ三人の男の子は三ヶ月振りに揃った。

 直樹は他の二人に比べると、とても背伸びをしていて7歳の直哉に対してだけではなく、
同じ12歳である直純に対しても『お兄ちゃん』であろうと必死になっているように思えた。

 その光景は、長い間忘れていた僕の記憶を呼び覚ましてくれた。

 絶対に忘れちゃいけない想い出なのに……

 いつの間にか日常の生活の中に埋もれていってしまっていた。



「騙されてんだよ。世の中にそんないい奴がいるワケねえだろ!」

 直樹がうちに来てからまだ1日も経っていない。

 彼は、まだ二人の兄弟以外に心を許そうとしない。

 保護された野生の山猫、拾ってきた野良猫……

 そんな空気を全身から発していた。 

 その大きな声に驚いた僕は、そっと直樹と直純がいる筈の部屋に聞き耳を立てた。

「しっかりしろよ!俺達が何をされたのか忘れたのかよ?他人なんか信用しちゃダメだって」

「でも、お兄ちゃんもおじいちゃんも……」

「お前まで手懐けられやがって。そんなんじゃ安心して直哉を任せられねえじゃねえかよ」

「僕らはここに居てもいいんだよ」

「そんなワケねえだろ!親切なフリをしてる奴が一番危ねえんだ」

 ビリッと何かが破れる音がした。

「な、直樹……絶対に許さないからな!」

「勝手にしろ!」

 人の出て来る気配に僕は思わず身を引いて隠れる。



「直哉!こんなうちなんかさっさと出て行くぞ!」

「え〜、やだよ。ボクこのうちの子供にしてもらったんだもん」

「出ていくったら出ていくんだ!」

「やだってば〜、直樹兄ちゃんも一緒に三人でここんちの子になろうよ〜」

「馬鹿なこと言ってるんじゃない!」

「引っ張らないでよ〜、そんな怒ってる直樹兄ちゃんなんか嫌いだよ〜」

「ふん、勝手にしやがれ」




 直樹はドカドカと戻ってくると、鞄を抱えて出て行ってしまった。

「おい……」

 呼び止めようとした僕を直純が制止する。

「直哉がいるから、戻ってきます」

 そう口にした顔には涙の跡があった。

 手には、破られた写真。

 ついこの間、店の前で写した写真だ。

「それ?」

「ぼくの一番大切な物だったに……直樹の奴、絶対に許してやるもんか!

 直哉も絶対に渡してなんかやらないんだ」

 正直、ちょっと驚いた。

 本気で怒っている直純を見たのは、初めてのことだったから。

「許してやれよ。写真なら焼き増ししてやるから」

 僕は直純の頭を撫でた。

「で、でも……お兄ちゃんの悪口だって言ったし……」

「そのお兄ちゃんが許してやれって言ってもか?」

「……分かった」

「よ〜し、いい子だ。高い高いしてやろうな」

「あの、小さい子じゃないんだから……」

 その現場を直哉に見られた僕は、直樹と直哉を交互に何回も高い高いする羽目になった。

 運動不足の身には、ちょっとキツかった。

 直哉は喜んでくれたが、直純は子供扱いされてちょっとスネてしまった。



「あの親父は肝心な時には居ないんだから」

 昼間、調子に乗って直哉を肩車していた親父は案の定腰をやって三日程入院させられていた。

「おじいちゃんが悪いんじゃないですよ」

「でもな、これじゃ直樹を探しに行くこともできやしない」


 直哉を夜中に連れまわすワケには行かないし、留守番をさせるのも考え物だ。

「直樹なら遅くとも朝には戻ってきます」

「さっきもそんなこと言ったな。どういうワケなんだ?」

「直樹が直哉のお兄ちゃんだからです」

 それ以上は訊けなかった。

 いや、訊かなくても分かったような気がした。

『お兄ちゃん』

 その言葉は特別な響きを持って僕の中に残った。



「馬鹿野郎!下ろせってば」

 真夜中になる少し前に眼を覚ました僕は今は直純と直哉の部屋になっている部屋で
トンでもない光景を目にした。

「お兄ちゃんの部屋で直哉を寝かせてやってもいい?」

「ああ……」

 直純は眠っている直哉をそっと抱き抱えた。

「ついでにぼくも寝かせてもらっていい?」

「ああ……しかし……」

「こいつ、こうでもしないと直哉を誘拐して逃げちゃうから」

「ちょっとやりすぎじゃあ……」

「ほどいちゃダメだよ」

「このやろ、お前も園長と同じだ!俺から何もかも奪いやがって。大事な直哉まで」

「直樹は、直哉に夢を背負わせて自分を誤魔化してるだけなんだ」

 僕らは、直哉を起さないように小声だった。

 それが場の雰囲気を更に奇妙なものにしていた。

「お兄ちゃん、僕らの体のことは知ってるでしょ?直樹もそろそろ危ない筈なんだ。
 でも僕らより症状は軽いから自分で出しても何とかなるんだ。
 下ろすだけでもダメ。床に擦りつけてやっちゃうから」

「悪魔!お前なんか兄弟だと思った俺が馬鹿だったよ。純一」

「その名前は捨てたんだ」

「けっ、園長から貰った大切な名前だろうに」

「朝まで我慢してろ。頭が冷えたら話し合おう」

 そう言うと、直純は目を覚ましかけた直哉を抱えて早足で行ってしまった。

 縄でぐるぐる巻きにされて、欄間から吊るされている直樹と僕を残して。

 どうやら、昼間のことを相当に怒っているらしい。

 許してやれっていったのに。

 直樹の下にはビニールのゴミ袋の上に新聞紙が数日分重ねて置いてある。

 どうやら、おしっこを漏らしても大丈夫なようにという配慮らしい。

 やれやれ、本気で朝まで下ろす気は無いらしい。



「あんたもさっさと寝たらどうなんだよ」

 縛られたままで直樹は悪態をつく。

「下ろしてくれって言わないのか?」

「あんたに借りなんか作れるかよ」

「強情なんだな」

「これぐらい大したことねえんだよ。園長にはもっと酷いこともされた」

「例えば?」

「イヌみたいに鎖で繋がれて三日間水も貰えなかったりとか、何人もの男に全身を愛撫されたり」

「鞭で叩かれたりは?」

「あんた何にも知らないんだな。体にキズを付けたら商品価値が下がるんだよ」

「そんなものなのか?」

「ああ、園長は俺達を商品としちゃあ大事にしてた。でも人間じゃないんだ」

「……」

「だから縛られてるぐらいじゃ平気だぜ。おかしくなるんだって1時間も我慢すれば大丈夫なん
だ。

 吊るされたままお尻の穴にバイブを突っ込まれた時は気が狂いそうになったけどな」

「直哉も、そんな酷いことをされてたのか?」

「されるワケねえだろ!いやさせるもんか。俺は反抗的だからお仕置きされてたんだよ。
 俺がされたことに比べりゃ、直純がされてたことなんて子供騙しさ。

 だから簡単にあんたみたいな奴に騙されちまうんだよ」

「ちゃんと直純って呼んでるじゃないか」

「ちょっと間違えただけ!あんな奴、もう兄弟なんかじゃねえ」

「直哉は?」

「な、直哉は俺のたった一人の肉親だ」

「他人はそんなに信用できないのか?」

「ああ…血の繋がった母親だって男と遊ぶ金欲しさに俺と直哉を売り飛ばしやがったんだ。
 いっそ殺してくれた方がマシだったのに…保険の掛け金さえ勿体無いって言いやがってよ。
 だから他人なんか信用できるか!」

「でも直純のことは信用したんだろ」

「あいつは…あいつだけは信用できるって思ったんだ」

「なら、僕も信用してみないか?」

「やなこった。油断させといてどっかへ売り飛ばす気なんだろ」

 直樹はそれっきり黙ってしまった。

 僕は彼の前に座って彼を見詰めていた。

 直純よりは少し大きめだが12歳と言う年齢にしては少し小さな体。

 体と同じようにやや幼い顔立ち。

 確かに、直純と血の繋がった兄弟だと言われても信じてしまうだろう。

 でも、直樹の方が少しだけ大人びている気がする。

 縛られた姿は、エロチックさよりも痛々しさが感じられた。

 10分も経った頃だろうか?

 吊るされた少年はもぞもぞと動き始めた。

 来たな。

 僕には分かった。

 孤児院でも『調教』結果だ。

 もしかすると薬物でも投与してこんな体にしてしまうのかもしれない。

「あ、あっち行ってくれよ。頼むからさ……」

「辛いのか?」

「あんたにできることなんか何もねえんだよ。頼むからあっち行っててくれよ」

 直樹の息遣いが次第に荒くなってくる。

 とても正視できない。

 僕は彼の、股座に手を伸ばした。

「さ、触るなよ……もう遅いんだ」

「遅い?」

「ほどいてくれてる間におかしくなっちまうよ。ヘンな期待があるとダメなんだ。
 本当におかしくなっちまった奴もいた」

「じゃあ、どうすれば?」

「が…我慢するか……すぐに出すか……」

 縄を切ればいいんだろうが、時間が掛かり過ぎる。

 直純の言葉を思い出した僕は、自分の身体を床の代わりにすることにした。

 縄越しでさえ、少年の股間が熱くなっているのが分かる。

 ぐいぐいと押しつけられるそれは僕自身も欲情させようとする。

 だが、それは許されないことだ。

 そんなことをしたら直樹の心は永遠に閉ざされてしまうに違いないのだ。

 数分後、直純の用意しておいてくれたビニールと新聞紙が役に立った。
 


 僕はグッタリとしている直樹の縄を解いてやった。

「体を触られるのがイヤなんだろ。洗面器にお湯を入れてきたから」

 それを数枚のタオルと共に床に置く。

「あと直純のだけどパンツとパジャマ。サイズは大丈夫だよな?」

「……なんで親切なんだよ!他人の癖に」

「他人じゃなくって、兄弟だからだよ」

 僕は直純にも話していないことを話し始めた。

 どうして自分の名前が『雄二』なのかという話を。


 まだ物心も名前も付いていない僕を無責任な本当の両親が親父に押し付けた頃、
親父には奥さんと本当の子供が居た。

 10歳も年上の兄は『雄一』という名だった。

 兄さんは僕を本当の兄弟のように愛してくれた。

 近所で、貰われっ子って苛められいる僕をいつも助けてくれた。

 そう、いつだって助けてくれたんだ。

「あいつら、お兄ちゃんやお父ちゃんまで馬鹿にしたんだ!」

「許してやれよ」

「でも……」

「お兄ちゃんが許してやれって頼んでも?」

「……許す」

「よしよし、いい子だ。高い高いしてやるからな」

「いいよ、もう幼稚園じゃないんだし」

 血の繋がりなんか全く無い、いきなり転がり込んできた弟なのに。

 そして、僕を庇って交通事故で死んだんだ。

 18歳、まだ人生これからって時に。

 母は何も言わなかった。

 貰われっ子の僕が死ねば良かったと悩んだ筈なのに。

 その一年後に母も死んだ。

 最後の言葉は

「息子なんだから、お父さんをよろしくね」

 だった。
 
「それで?」

 直樹は冷静だった。

「それだけ。ただのおっさんの想い出話」

 僕達は、しばらくの間無言だった。

 そして、僕が促すと、二人で数時間前まで兄弟が眠っていた布団に横たわった。

「…襲うなよ」

「兄弟を襲うほど落ちぶれてない」

「どうだか」

「なあ、直樹。親子や兄弟って血の繋がりじゃなくってどれだけ相手のことを
 考えるかだと思わないか?」

「女を口説くようなこというなよ」

 肉体的に疲れていた直樹と精神的に疲れていた僕は、数分で眠りに落ちた。



「あ〜、いいなあ。一緒に寝てる〜ズル〜イ」

 直哉の甲高い声で起された。

「ボクも一緒に寝る〜」

 直哉は強引に僕と直樹の間に割って入る。

「直純兄ちゃんも一緒に寝ようよ」

 見ると直純も立っていた。

 気のせいか勝手に直樹を下ろしたことを怒っているようだ。

「寝るの〜」

 と駄々をこねる末の弟に

「もう、朝だからな」

 と三人の兄は同時に言った。

 結局、その夜に四人同じ布団で寝るということで納得させた。



 そして慌しい1日が終わって夜。

「おーい、直樹、それから直純も」

 僕は二人を呼んだ。

「なんだよ」

「なーに?」

「二人共、風呂入って抜いとけよ。寝てる布団の中で出されたくないからな。

 直哉のもなんとかしといてやれよ」

 二人は顔を真っ赤にして抗議する。

「直樹、知ってるんだぞ、夕べ明け方にテッシュを処分しにトイレに行ったろ?

 俺の名前を呟きながらゴソゴソしてたことも」

「汚ねえ!起きてやがったんだな」

「お兄様を甘く見ないこと。で、直純」

「はい?」

「お前も一昨日の夜中に布団の中でゴソゴソしてたな?」

「……なんで知ってるの?」

「それりゃあ、お兄ちゃんだから、分かったら三人で風呂に入って来い。寝るのはそれから」

「は〜い、でもお兄ちゃんもその間に抜いておいてよね」

 普通、兄弟じゃこんな会話はしないよなあ。

 僕は苦笑していた。

 でも、うちはこれが普通なんだ。

 僕はたった三ヶ月まで親父と二人暮しだったことなどすっかり遠い過去に追いやっていた。

 公園で直純と直哉を見付けた夜のこと、そして直樹が店に来た時のこと……

 あっ、しまった。

 親父の見舞いに行くのをすっかり忘れてた。
 

 
 その頃、古い常連達が交わしていた会話を僕はかなり後になってから知った。

「おい、ラーメン屋がまた子供を引き取ったんだってな」

「あそこも凄いよなあ。20年前だっけ、今の若旦那を引き取ったのって」

「25年前じゃなかったかな?30年前が、死んだ兄貴の方だったから」


 TOPへ戻る