「あの?大ちゃん」
ぼくは『それ』を目の前にして、恐る恐る声を出した。
「部活動中は、部長とか先輩と呼ぶように」
6年生で幼馴染の大ちゃんは、背伸びをするようにしてそう言った。
ぼくと背丈が同じぐらいになってきたことが気に食わないのだ。
「それじゃ、部長。これは何ですか?」
「テレビで相撲ぐらい見たことが無いのか?まわしだよ、ま・わ・し」
そんなことは見れば分る。
問題は、どうしてそんなもんが柔道部にあるかということだ。
「あれ?知らなかったっけ?うちの部は相撲大会の時だけは相撲部になるってこと」
大ちゃんは笑いながら言った。
そんなこと聞いてない!
…そうか、クラスの奴らは知ってたんだな。
柔道なんて人気ありそうなのに部員がぼくと大ちゃんだけなんておかしいと思ったんだ。
ぼく達の小学校では4年生以上に部活動がある。
必ず、なにかの部に入らないといけない決まりがあるので部活動は結構盛んだ。
特にやりたいことがあったわけでもないので、幼馴染の大ちゃんに誘われるままに柔道部に入った。
大ちゃんは小さい頃から町の道場に通っていて、喧嘩も強かった。
ぼくも大ちゃんみたいに強くなりたかったから、柔道部に入ることには何の抵抗もなかった。
でも、クラスの連中は、ちょっと違った。
強くなりたいって奴はいたけど、柔道部じゃなくって剣道部に入った。
不思議だった。
そりゃあ、剣道だって強いかもしれないけど、道具を使わないと強くないじゃないか。道具を使わない柔道の方が強いに決まってるのに。
ちなみに、うちの学校に空手部は無い。
部活動の初日、ぼくは新しい柔道着を抱えてウキウキと校庭の隅に向かった。
うちの学校に更衣室ってものは無い。
大抵の部は週に1時間しか活動しないし、野球部だったサッカー部だって試合の時以外は体操服だから教室で着替えてくる。
でも柔道部はそうはいかない。
教室で着替えるにしても、ぼくは柔道着の着方を知らない。
柔道部に割り当てられた校庭の隅に辿りついたぼくは驚いた。
そこには、大ちゃんと顧問の佐藤先生しか居なかったからだ。
「ようこそ、柔道部へ」
と柔道着姿の佐藤先生が言った。
後で聞いたら柔道2段だそうだ。
「あの?他の部員の人は?」
「なんだ、田中の幼馴染だった言うから知ってるのかと思った。うちは田中と君しか部員がいないんだよ」
えーっ。
うそだあ。去年、校庭で練習してるのを何度も見たのに。
「全部、卒業しちゃってね。田中しか部員が残らなかったんだよ」
まあいいか。
野球やサッカーみたいに9人とか11人とか居ないと出来ないって訳じゃないし。
ぼくは、地面に敷かれた青いビニールシートの上で、大ちゃんに手伝って貰って、柔道着の帯を締めた。
どうも、ゴワゴワした感じがあって着心地が良いとは言い難い。
「そのうち、俺みたいにヨレヨレになってくるよ」
ぼくは、大ちゃんの古びた柔道着が羨ましかった。
部活をする時は、校庭の隅に畳を運んでくる。
これが結構重たい。
雨が降ったら、どの運動部も体育館の中をグルグルと走らされる。
こんな時に、柔道着を着たらカッコいいだろうと思うんだけど、この時は体操服だ。
ぼくは、自分が柔道部員だと、ずっと思っていた。
まさか『柔道・相撲部』だったとは!!
「なんで、柔道部が相撲なんかするのさ?」
ぼくは反論した。
「そんなこと俺がしるかよ!何年も前からそうなんだから仕方ないだろ」
大ちゃんは、俺のせいじゃないって態度で答える。
「さ、着替えるぞ」
「…うん」
ぼくは観念して、まわしを手に取る。
裸になるのは恥ずかしいけど、日本の国技だし、柔道と同じ格闘技だし…
「パンツも脱げよ」
大ちゃんが恐ろしい事を口にする。
「えっ?」
「当然だろ、トレパンの上から締めたりしたら格好悪いじゃないか」
「ここで着替えるのに?」
教室の中でならとにかく、ここは校庭の隅だ。植え込みの向こうは道路で誰に見られるか分らないっていうのに。
「他にどうするって言うんだよ。いつも着替えてるじゃないか」
そうだけど、いつもはパンツまで脱がないもん!
「練習の時ぐらい、トレパンでも…」
「だめ!練習の時からちゃんとしてないといけないの!」
そう言えば、大ちゃんは体操服だ。
「じゃあ、大ちゃん…じゃない部長が先に着替えてよ」
「それはダメ」
「どうして?」
「まわしが、ひとつしか無いんだ。先生が注文してるんだけどまだ届いてないから」
「それじゃ、これは大ちゃんの分じゃないか!!ズルイよ」
「俺は去年も一昨年も練習したから1回ぐらいいいんだよ」
「ズルイ、ズルイ、ズルイ…」
要するに大ちゃんだって、まわし姿になるのがイヤなんだ。
「やかましい!部長命令だ」
なんで、こんな時に佐藤先生は出張なんだよ。
喚き散らすぼくの声を聞き付けて、他の運動部の連中が集まってくる。
「ほら、脱いで」
大ちゃんが、ぼくの半ズボンを引き摺り下ろす。
こんなに大勢に見られてるのに。
「…自分で脱ぐよ」
ぼくは、そう言って、しゃがみ込むと片方づつ靴下を脱いでいく。
恥ずかしい…
靴下なんか、いつも平気で脱いでるのに。
それから、ゆっくりとボタンを外してワイシャツを脱いで、下着を脱ぐ。
なんだか、ストリップでもしている気分になってくる。
そして、最後の1枚に手を翔ける。
周囲から、からかいの声が飛ぶ。
ぼくの顔、いや体全体が恥ずかしさで真っ赤になっていたと思う。
パンツが足から抜け落ちた瞬間のことは、覚えていない。
頭がボーっとしちゃってた。
気が付くと大ちゃんが、まわしを股の下にくぐらせていた。
「えーと、腰の回りで一回巻いて…」
大ちゃんが思いっきり引っ張る。
「い、痛いよ」
「ここで緩くしたら脱げるんだよ…で、もう1回巻いて、右下からくぐらせる…っと、よし完成」
この頃になると、もう開き直っていた。
ぼくは、周囲を取り囲んでいる運動部の連中を相手に四股を踏んで見せたり、まわし姿のまま校庭を走ったりした。
なんだ。
堂々としてればなんてことないじゃないか。
次の日、ぼくの下駄箱にラブレターが入っていたりした。
「なあ、本当に俺が締めなきゃダメか?」
大ちゃんの困った顔を見るのは何年振りだろう。
「先生も言ったじゃないか。まだ、新しいまわしが届かないから今度は大ちゃんが練習しろって」
「そうなんだけどさ…」
回りを運動部の連中が取り囲んでいるのは、ぼくの時と同じ。
違うのは、車が突っ込んで植え込みがゴッソリ無くなってること。
大ちゃんの困った顔って、かわいいんだよね。
慣れてないんだからさ、うっかり途中で落としちゃっても許してくれるよね?
きっと、ぼくより沢山のラブレターを貰えるよ。