ぼうけんき
第9話『しんきいってん』
2010/05/08UP
「うわああああああああっ」
アインは手にした棒っ切れを振り回すが敵には当たらない。
カサカサカカサ
自分の半分程の大きさの黒光りする台所の最凶生物。
べしっ!
上方から振り下ろされたスリッパはゴキブリには当たらずにアインだけを直撃する。
「ちっ、逃げられた。煙の殺虫剤を燃やそうかな?」
この家で台所を預かるツヴァイには衛生を管理する義務がある。
「駄目っ俺が死んじゃったらどうするんだよ」
ツヴァイは小さなアインのシャツの首の辺りを摘まんで持ち上げるとテーブルの上に置く。
「遂にゴキブリにすら負けるようになったのか。姫様に見捨てられるのも仕方無いなあ」
お城の姫様に惚れているアインはドラゴンを退治したら結婚してやるという言葉に踊らされたアインは紆余屈曲の末に秘められた特殊能力でドラゴンに化けた。
但し、後が悪かった。
反動で縮んでしまったのだ。
その上、フィスと名乗るネコ族の少年が現れ姫様の側近に納まってしまった。
結果としてアインは失恋した。
いや、元々ペット程度にしか思われていなかったのだが。
「あと3日ぐらいだから虫カゴの中でおとなしくしてろ!」
お師匠様によると15分の変身で15日ぐらい縮んでいるらしい。
「やだよ。ドーリーが棒で突っついたり、スイカの切れ端を入れたりするんだもん」
「ひょこひょこ歩いてるとまたお師匠様に踏まれるぞ」
ドタドタドタ
「ツヴァイさ〜ん、御飯まだですか〜っ」
見た目はアイン達より年上の女の子に人化した淫獣のみーちゃんが同じく人化した魔剣のヒルダと共に入ってくる。
ぷち
「みーちゃん、変な音した」
ヒルダは感情の無い声で呟いた。
ぐにゅぐにゅ、ふみふみ
最初のみーちゃんはともかくヒルダは元が重い剣だから見た目の割には体重が重いのだ。
「マスターなのに、御主人様なのに・・・きゅう」
従えている筈のアイテムにすら弄ばれるアイン。
「大丈夫、潰れてません!」
淫獣であるみーちゃんは自分に取って重要な部分をズボンの上からふにふにと触って確認する。
「どれ?」
ずるずる
ヒルダは念の為に脱がせて確認する。
「治療の呪文を掛けないと・・・ドーリーかお師匠様は?」
ツヴァイが気を失っているアインを救出する。
「エヴァさんは何処かへ出掛けた」
「ドーリーくんはカブト虫を採りに行きました。マスターの虫カゴに一緒に入れるとか言って」
お師匠様は騎士の詰め所で騎士団長と話をしていた。
「では正式にアインを除隊させるってことでよろしくお願いします」
「いいんですか?本人の了解も得ないで決めちゃって」
「あの子が騎士団に馴染めないことは確かです」
「そうですな・・・」
団長は遠い目をした。
アインは生まれながらの魅了体質で特に同性を惹きつける。
言い換えれば男に惚れられる率が異常に高いのだ。
現に騎士団内部でアインを巡っての対立があったからこそ魔法使いに預けられたのだ。
「両親の承諾も得ました」
「・・・喜んでたでしょ?」
「ええ、特にお母さんはやっと息子が家に戻って来るって大喜びでした」
むす〜っ
アインは長い尻尾をズルズルと床に引き摺りながら歩いていた。
両脇には二人の女の子。
みーちゃんはスリスリと体を擦りつけてくるし、ヒルダは無言でぎゅっと手を握っている。
それでも黒髪の少年は不機嫌だ。
こそこそ・・・
ドーリーが忍び寄る。
金髪碧眼で女の子のような優しげな姿は魔法によって隠されており今は見えない。
ぐいっ!
ふみっ!!
ずってん。
ふいに尻尾を踏まれたアインがすっ転ぶ。
治癒魔法の得意なドーリーも全ての魔法が使えるお師匠様も不在だったのでツヴァイが頑張ってくれたのだが結果として尻尾が長くなった。
キツネのような尻尾と耳を持つ姿になれるアインの尻尾は太くて大きいが引き摺る程ではない。
どうやら自然治癒力が高まった結果らしい。
そしてそれは虫のように縮んだ姿から元の大きさに戻っても続いていた。
しかも意志によって引っ込めることができないのだ。
「踏むな〜っ!!!」
アインが叫ぶ。
「だって如何にも踏んでくださいって言わんばかりなんだもん」
「・・・ドーリーの耳も引っ張って倍ぐらいの長さにしてやる」
ドーリーはウサギのような耳を出せる。
ぱたぱた。
ツヴァイがズボンらしきものを持って走って来る。
「アイン、ズボン穿かないとダメだって」
アインはズボンもパンツも穿かずに長いシャツで隠しているだけだ。
「尻尾が邪魔で穿けないのっ!」
「前後を逆にして尻尾を出せばいいだろ。その格好じゃ街を歩けないぞ」
「街を歩いたら尻尾が地面に擦れて・・・」
3人に共通して言えることだが獣化した時に生じる尻尾は最も敏感な性感帯でもあるのだ。
ちなみにツヴァイの尻尾が一番敏感らしい。
「大体、みんな酷いよ。お師匠様は踏んづけるし、ドーリーは完全に人を虫扱いするし、ツヴァイも尻尾を長くしちゃうし・・・」
険悪な空気が流れる。
「だったら実家に帰れ」
いつの間にかそこに立っていたお師匠様がキツイ口調で空気を更に険悪にした。
「でも俺がここに居るのは騎士団の命令で・・・」
お師匠様はずいっと1枚の紙を突きつける。
「騎士団はクビだそうだ」
「え〜っ!」
「え〜っ!」
「え〜っ!」
3人の少年は揃って叫ぶ。
「な、なんで?」
「姫様がアインに厭きちゃったから?」
「あまりにもアホだから?」(ドーリー酷い)
お師匠様は手招きしてヒルダを呼んだ。
「ちょっと剣に戻ってみ。で、アインちょっと素振りしてみろ」
ぽんと軽い音と薄い煙を発して女の子が剣に変化する。
ぶ〜ん・・・ぶん、ぶん・・・
明らかに剣の重さに振り回されている。
これでは動けない敵を相手にしても勝てないであろうことは一目瞭然だ。
「ツヴァイ・・・は大丈夫そうだからドーリーがやってみろ」
無言で剣を受け取る。
ぶん、ぶん、ぶん。
アインよりはずっとマシだ。
「2歳も年下で明らかにアインより細身で剣もロクに持ったこともないドーリーより剣 が使えないのはどういうわけだ?」
黒い瞳に恥辱の涙が溢れる。
「な、お前は騎士には向いてないんだ」
長い沈黙。
「・・・俺、実家に戻ります」
「アインのお母さんってどんな人かな?お父さんはお城のお役人なんだよね」
右手をみーちゃん、左手をヒルダと繋いで両手に花状態のドーリーはかなり嬉しそうだ。
「只のオバハンだよ」
背負い紐でぴょこぴょことウサ耳を揺らす金の髪の少年に括り付けられた赤ん坊が嬉しく無さそうに答える。
数刻前まであった長い尻尾は今は無い。
それを無くす為に若返りの魔法を掛けられたのだから。
「御主人様って姿を変えるの好きですね」
みーちゃんがほっぺたをぷにぷにしながら言う。
「アインさんは何に変身しても可愛い・・・マスターでなくっても大切な人です」
ヒルダが無表情なりに精一杯の笑顔をしてみせる。
「うん、アインは皆の大事な弟だから・・・おむつ濡れたらちゃんと言わなくちゃ駄目だよ」
やがて一行は小さくて古びてはいるがよく手入れされた一軒の家の前に到着した。
「えっと、シュバルトっとこの家でいいんだよね?」
ドーリーが背中の赤ん坊化したアインに訊く。
「ううっ、遂に帰って来てしまった・・・しかもこんな姿で」
玄関先での会話を聞きつけたのか中から人の歩いて来る気配がする。
ガチャ。
「アイン、お帰りなさい」
満面の笑みを浮かべながら赤ん坊になったアインに驚きもせず自らの腕の中に受け取った人物を見てアインの血縁であることを疑う人はいないだろう。
黒い瞳に黒い髪は勿論のこと顔立ちもそっくりの女性だ。
しかもちょっと美人っぽくって腰までの長い髪をしている。
「妹さん?」
そう訊ねたドーリーの金髪をぐちゃぐちゃと撫でながらアインの母は答えた。
「いえ、アインの母です」
「人間なんですか?」
みーちゃんがドーリーよりも年下にも見える女性に失礼な質問をぶつける。
「妖精の血が1/4入ってるんです。これでも主人より年上なんですよ」
玄関脇に飾られた絵姿を指で示す。
どうやらそれがアインの父親らしいのだがその絵が描かれた時点で既に初老である。
アインにはあまり似ていない貫禄のある人物だ。
「でもうちの馬鹿息子もなかなかやるわね。お嫁さんを3人も連れてくるなんて」
ナチュラルにドーリーが数に入っている。
「ぼく、男なんですけど?」
「見た目が女の子なら問題無し!」
母親の癖に恐ろしいことを言い出す。
孫が欲しくないのか?
いや、みーちゃんやヒルダだってアイテムなんだから子孫繁栄は望めないのだが。
「・・・母ちゃん、俺が赤ん坊になってることはどうでもいいのか」
「何を今更。耳やら尻尾やら出して街をウロウロしてる癖に」
「あああ・・・」
「それにエヴァさんから『赤ん坊にしたから10日程よろしく』って連絡があったからね。
ついでに同行の3人も一緒に面倒見てやってくれって頼まれたし」
ツヴァイは重い足取りで実家への道を歩いていた。
アインを実家に帰したのは理解できる。
育児経験の無いお師匠様や自分に赤ん坊の世話は確かに無理っぽい。
アインを赤ん坊に戻した理由も理解できる。
みーちゃんとヒルダの契約を解除する為だ。
意志を持ったアイテムとの契約は持ち主が死亡するまで解除されない。
だが、騎士団を辞めた以上ヒルダ、魔剣ヒルデガルドを持ち続けることはあまり望ましくない。
そこで一旦、アインの存在を無にしてからこの世に引き戻す方法を使った。
平たい言い方をすればアインを殺してから復活させたということだ。
本来であれば元の年齢まで一瞬にして成長する筈なのだが赤ん坊のままで止まってしまった。
どうやらお師匠様は少し不調らしい。
「良い機会だからツヴァイも10日程、実家に帰って来い」
そう言われて叩き出されてしまったのだが父親と喧嘩して飛び出したままだからバツが悪い。
「ヤバいな・・・魔力が元に戻らない・・・寿命を延ばすのもそろそろ限界か」
10日が過ぎた。
ドーリーは実の息子以上にアインの家に馴染んでいた。
「アインのお母さんって本当に自分の子と他人の子を区別しないね」
ドーリーは引っ叩かれたお尻を鏡に映して確認していた。
「あれでも預かりものだから手加減してるつもりなんだ」
2、3日前から元の姿に戻っているアインは叩かれたお尻が痛くてベッドにうつ伏せになっている。
「・・・でも小さい子供みたいに見える女の人におしおきされるのって凄く恥ずかしい
」
それがアインが実家に帰りたくない理由だった。
みーちゃんとヒルダは家の掃除をさせられていてこの場には居ない。
「魔法で横着するなって言われても魔法使いの弟子なんだから・・・」
「・・・しかも失敗しちゃったしね」
道具を動かして使役する魔法は初歩的なものだ。
だが、アインとドーリーでは系列が違う。
アインのは念力に属する魔法だがドーリーのは家の精霊を使うのだ。
それを同時に使うとどうなるか?
結果として家中の道具類が飛び回ることとなった。
みーちゃんとヒルダがやっている掃除はその後始末と言うわけだ。
「でも、俺どうなるんだろ?騎士団もクビにされちゃったし、魔法の才能だってツヴァイやドーリーに比べたらそんなにあるとは思えないし」
「アインには格闘技を仕込みます」
騎士団を辞めさせたことに抗議する為に現れた姫様にお師匠様は宣言した。
「格闘技?」
お師匠様の本業は格闘家である。
修行の途上で不老を得て魔法、特にアイテム作りの魔法も習得したのだ。
「わたしは長い時を生きて来ました。
普通の人間から見れば永遠にも思えるような時を。
だが御承知の通り、子を設けることもできず、弟子すら殆どいません。
そして不老ではあっても不死ではないわたしはあと数年で死を迎えます。
死ぬことは怖くない。
だが、やっと得られたあの3人に自分の技術を伝えてから死にたいのです」
「それでアインには格闘術を?」
「そうです。年寄りの最後の頼みだと思ってお許しください」 |