A l p h e l i o n 

 特別編 「集え、クレドールの旗のもとに」

 1.  久々に凪(なぎ)の日が訪れた。  さざ波揺れる穏やかな海に、白い鳥たちが舞う。  荒ぶる北洋の厳しさを幾度となく見せつけられ、今日のようなのどかな海の 光景を忘れかけた頃、毎年、冬が終わる。  春の訪れが確実に予感されたその日、北オーリウム海を渡ってくる風もいく ぶん穏やかだった。  ここは王国北部の中心都市・ノルスハファーン――議会軍最大の軍港がある と同時に、北回り航路による遠国との貿易港としても古くから栄えてきた街だ。  切り立った断崖と奥深い入り江とが連なる海岸線。  内陸深くまで続く港湾に沿って、石壁の目立つ家々が立ち並ぶ。明るく賑や かな南部の港町、例えばコルダーユの港の風景とは異なり、質実剛健ながらも うら寂しさの漂う眺めだった。  この地方では空も重々しく曇りがちで、一年のうち半分近くが曇天か雨の日 だという。  そうした独特の環境ゆえか、ノルスハファーンは、王国で五指に入る大都市 にもかかわらず、華やかな《都会》というイメージが薄い街だ。  またノルスハファーンはあくまで港を中心に発展した都市であり、しかも付 近一帯の土地は痩せて農業には向かないため、近隣の地域には思ったより他の 町や村が見あたらない。少し郊外に出ると、荒々しい自然の姿がいっそう前面 に現れ、人間の匂いはほとんど感じられなくなる。  灰色っぽい町並みや港に停泊する議会軍の飛空艦の姿を、遠く望む岬。  目もくらむような絶壁の上に、荒れた草地が広がっている。大きな木などは 見あたらない。ヒースに似た灌木が地面にへばりついている程度だ。  他の地域に住む人々にとっては、北部地方特有の荒々しい景色として、驚嘆 に値する眺めなのかもしれない。が、この厳格な自然のたたずまいも、ノルス ハファーン一帯ではごく当たり前の景観にすぎない。  ただし周囲の景色とは異質なものがひとつ――巨大な金属物体、いや、1体 のアルマ・ヴィオが足を休めている。  俊敏な動きが自慢の狼、《リュコス》のようだ。厳密に言えば《ダイアー・ リュコス》という少し特殊な型である。火器の搭載量を増やすために通常のタ イプに比べてひと回り大きく、機体の出力も高い反面、リュコス独特の機敏な 動きが犠牲にされてしまうため、根っからのリュコス乗りの間では不人気なの だが……。重たいリュコスなどリュコスではなく、それならばいっそ《ティグ ラー》でも使う方が理に適っているのだと(*1)。  だが、いま目の前にあるダイアー・リュコスには、これを使うべき必然性が あった。というのも、この機体が魔法戦仕様に改造されているからだ。《ネビュ ラ》や《ランブリウス》の発射管、それらの制御装置など、多数のパーツを背 負わねばならない。パワーのない普通のリュコスを使っていては、動きに無理 が出てくることだろう(*2)。  しばらくして機体のハッチが開き、1人の青年が降りてきた。  荒れ野のただ中を歩いて、岬の先端の方にやって来る。道らしい道もないが、 この辺りの草は足元を邪魔するほどの丈には成長しないので、別段、困ること もない。  海風に煽られ、青年のまとったローブがはためく。ある宗派の神官を思わせ るような、頭巾付きの暗灰色の長衣だった。だが彼は神官ではなく魔道士なの だろう。彼のアルマ・ヴィオを見れば一目瞭然だ。  青年が頭巾を払いのけると、薄い鉛色の空を背景に、金の髪が広がった。  彼は杖だけを手にしてゆっくりと歩いていく。  風の香りをかぐように、時々、大きく息を吸い込み、海と空を見つめて。  厚い眼鏡の奥には、感情のほとんど無い、冷たく透徹した眼光が浮かぶ。  学者肌ながらも物悲しい雰囲気と、刺すような冷たい生真面目さとを備えた、 絵に描いたような魔法使いである。年の頃は、20代の半ばから後半ほどだろ うか。  荒削りの崖の上に覆い被さった、つつましやかな緑の原。  そこには、高さ数10センチから1メートル前後の、楕円形の石柱のようなも のが点々と並んでいた。砂岩を思わせるそれらの表面は風化し、あるいは苔む し、あたかも自然に地面から生えてきたかのごとき様相だ。  だがこれらの石のオブジェは、遠い昔、人の手によって作られたものである。 旧世界が崩壊した後に、現世界の文明がようやく始まった頃、いわゆる《前新 陽暦時代》の遺跡の名残だという。天体の運行を見るための場所だとも、占い や雨乞いのための儀式が行われた場所だともいわれているが、その実態は定か ではない。  魔法使いの青年は、彼に似つかわしい神秘的な石柱の群れの中を、先へ先へ と進んでいく。  潮の香りがますます濃くなる。  岬の先端部分――冷え冷えとしながらも端正な美しさをみせる北オーリウム 海を背にして、小さな石造りの碑が立っていた。  前新陽暦時代の遺構とは明らかに異なっている。真っ白に輝く石の肌から考 えて、比較的最近作られたものだと思われる。  墓碑である。  オーリウムでは、時として過剰にさえ感じられるほど、墓石を装飾する習わ しがみられる。だがこの小さな墓には、ツタと花をモチーフにした質素な彫刻 以外、特に飾り気がない。  故人の名前。そして生まれ年と、この人が逝ってしまった年と……。2つの 数字の差は、比較的わずかだった。これからという時に世を去ってしまった人 間なのだろう。  青年は野ざらしの墓標の前でひざまずくと、頭を垂れ、何事かささやいた。  彼はそのまま黙祷を続ける。  繰り返す波と風の音。  彼だけが時に取り残されているかのように、次第に時間が流れていった。  荒涼とした自然の奏でる単調なリズムによって、時の流れが徐々に遅くなり、 終いには止まってしまったかと感じられてきた頃。  背後に足音を聞き、青年は、初めて周囲に聞こえる大きさの声で言った。 「やれやれ、また貴方ですか。ゼファイアの英雄などと呼ばれているわりに、 結構お暇なようですね……。私は空の海賊などに加わるつもりはないと、何度 言えば分かってもらえるのです?」  嵐の前の海鳴りを連想させる、重々しい声が答える。 「ふん。やっと口を開いたな。俺がここに来たときから気づいていたのだろう? まったく愛想のいいヤツだ」  ゼファイアの英雄――そう、彼は現在のクレドール艦長、カルダイン・バー シュに他ならない。  若い魔道士は振り向きもせず、再び祈りを続けようとする。  カルダインは返事が返ってこないのを承知で尋ねた。 「ところでクルヴィウス。いや、今は本名のクレヴィスだったか。この墓は、 誰の……」  予想された通り、答えは無かった。  つづく ------------------------------------------------------------------------ 【注】 (*1)熱狂的なリュコス乗りたちは、少しでも機体を軽くしようとして、むしろ 内部の器官や装甲の軽量化に明け暮れているほどだ。装甲の強固さに頼るので はなく、見事な動きによって敵の攻撃を回避するのが、リュコスの真骨頂なの だから。 (*2)だが、ダイアー・リュコスをわざわざ魔法戦仕様にするのは、よほどの物 好きしかいないだろう。それならば、最初から魔法戦に特化しているアルマ・ ヴィオを使うか、せめて汎用型の《ペゾン》か《ゾーディー》あたりを改造し た方が色々と都合がよい。しかし個人のエクターの場合、予算の問題から、リュ コスを無理矢理に改造するのもあり得ることだが。またティグラーは、構造上 の問題のため、魔法戦仕様には全く向かないとされている。ティグラーの改良 型であるティグラーUからは、この問題点がクリアされることになった。ちな みにデュベールが、ティグラーUのマギウスタイプを愛機としている。
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