BUG44号 第1版 2009.2.10

NAKAJIMA’S EYES(日本に少なくなったもの)
此の頃よく考える事がある。日本は将来どんな国になるのだろう。
そして自分は、どういう病気で何時死ぬのだろう。
母の血を引くならば、長生きするのであろう。母は今年90歳である。
父の血を引けば短命である。父は酒呑みであり、度々母や我子に暴力を奮った。しかし脳梗塞になり69歳で死んだ。そんな父も母も植物だけは大切に育てた。自宅の庭には様々な木々や花が四季折々に花を咲かせ実を結ぶ。根は心の優しいお人好しな父であったと思う。父の母は早く死に、叔母さんに育てられた。此の人は気の強い意地の悪い人だった。この叔母さんが母の義母だった。母が苛められてよく泣いていた。私もよく大きな艾(もぐさ)でお灸を据えられた。しかし時々映画や芝居に連れて行って貰った記憶がある。この祖母も85歳まで生きた、長生きの系統である。
私は小学校3年の5月まで千本三条近くに住んでいた。
此の頃の京都は隣近所の結びつきが深く、外出するにも鍵などかけず、近所に一言声をかけるだけで済んだ。自宅の二階にいると隣の小母さんが自分の庭に植えてある無花果(いちじく)の木に梯子を掛けて上り、甘く熟れた無花果の実を私の家の二階に投げ入れてくれた。
地蔵盆には町内の人総出で参加した。神泉苑や二条公園は私や近所の子の遊び場だった。贅沢な遊び場である。神泉苑の池には川海老や泥鰌(どじょう)・鮒等が沢山いた。それを獲ったりして何時迄も遊んでいた。
昔の2月は非常に寒かった。木枯らしが吹き、霰(あられ)や雪が降った。寒い中、壬生寺に狂言をよく観に行った。5月にも神泉苑の舞台で狂言が上演された。これもよく観にいった。演目は源頼光さんや渡辺綱さん等の土蜘蛛退治や大江山の鬼退治等の伝説やお伽話をモチーフに上演されていた。
堀川通りにはまだチンチン電車が走っていた。
自動車よりも電車の方が自然環境により優しい交通手段だと思う。
近頃日本に少なくなったものは、隣近所との深い結び付きや人情や自然であり、家族との深い絆そして家庭での厳しい躾(しつけ)ではないかとつくづく思う今日此の頃である。
椿の写真

1.1月7日 WORK'S新春親睦会を開催しました
2.新しいパソコンやグラフィックソフトが入りました
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