Tはじめに
古典的精神医学においては、うつ病は予後良好な疾患であり、数か月の病相期ののち完全に回復するのが原則であるとされて来た。そして、うつ病相が年余にわたって続く症例は、遷延うつ病・治療抵抗性うつ病・慢性化うつ病などと呼ばれ、うつ病の中の特殊型であるととらえられて来た。29)
しかし、近年の長期follow-up 研究は、うつ病の予後がそれほど楽観できるものではないことを明らかにしている。たとえば、Angst,J.4)によれば、単極型うつ病の約20年間後の追跡調査において、完全寛解は41%に認められたにすぎず、最近生じた病相期の持続期間が1年以上におよぶものが約25%、2年以上続くものが約17%認められた。特に初回入院例の自殺率は高く、一生の間に自殺する可能性はおおむね15%にのぼると考えられた。また、Bland,R.C.7)らは、反復性のうつ病が長期経過後に症状を残遺させる可能性は、分裂病の症状残遺可能性とほとんど同じであるとしている。さらに、Lee,A.S.27) らは、両極型や分裂感情病を含んだうつ病患者を対象に、脱落例の非常に少ないfollow-up 研究を行い、約28%の患者が、うつ病のため18年間持続的に社会生活ができない状態にあるか、自殺と考えられる不自然な死亡に至っていることを見いだした。これに、50歳以前の若年における死亡、初老期痴呆、調査時点において年余にわたる重い慢性感情病状態にある症例などを加えると、実に42%が、調査時点において不幸な状態にあった。うつ病から全く回復することなく18年を過ごした症例も、生存例の15%におよんでいた。また、重い障害を残した生存例の半数以上が、治療を受けておらず、これに死亡例を加えると、臨床医の観察下にあるのは予後不良な症例のわずかO〜Oにすぎないことが明らかとなった。
このように長期予後がかなり悪いのではないかという報告に加えて、一回一回のうつ病相からの回復可能性についても、あまり楽観的に考えるべきではないとする報告もある。たとえば、 Keller,M.B.らは、prospective な調査によってうつ病の慢性化の可能性を検討している。それによれば、うつ病が回復せずに続いている可能性は、治療開始後6か月で36%、1年で26%、2年で21%であった24) 。また、いったん8週間以上回復した症例の再発について検討したところ 23)、回復後4週間で12%、12週間で25%、32週間で35%が再発していた。さらに再発例の回復可能性について調査したところ 25)、再発後1年の時点で22%の症例が、再発した病相期を慢性化させていることが見いだされた。このような所見から、うつ病が持続的に続く可能性は、30%近くあるのではないかとKellerら 23)は、主張している。また、 Weissman,M.M.ら51) も、抗うつ薬による治療によって回復した症例のうち12%が、再発して慢性化するという調査を報告している。
そして、十分に回復した患者が治療を離れて行き、慢性化した患者が治療者の前に累積していくため、慢性化したうつ病患者が日常臨床において占める割合はかなり高いものとなると考えられる。(ただし、Lee,A.S.27) らやKeller,M.B. ら 25)が指摘するように、慢性化した重症の患者が、治療拒否や自殺によって治療者の前から姿を消すことによっ て、慢性化した患者が累積する可能性は期待されるよりは低いものとなると思われる。)たとえば、阿部ら1)は順天堂大学に通院中のうつ病・躁うつ病患者の41.4%が、慢性化した状態にあるとしている。
以上のようなことからすれば、うつ病の長期化・慢性化は、決して例外的なことではない。その可能性は、20〜30%程度あり、分裂病患者が長期入院に至る可能性とほぼ同等の無視できないものと考えられる。このため、うつ病が長期化した時の対応というものは、治療者にとっては日常的な課題であると思われる。本稿では、このような場合にどのような対応を行うべきかについて、三環系抗うつ薬の投与によっても6か月以上にわたってうつ病相が持続するような症例を念頭に置いて、以下の項目に分けて検討してみたい。
T.うつ病を改善させるための工夫
T−A.診断の再検討−うつ病以外の原因によるうつ状態ではないか?
T−B.心理的・状況的要因による悪化ー狭義の遷延うつ病の可能性は? T−C.三環系抗うつ剤抵抗性うつ病−身体的治療が不十分ではないか?
U.うつ病を受け入れていくための工夫
V.改善を目指すことと病を受け入れることの均衡
T.うつ病を改善させるための工夫
T−A.診断の再検討−うつ病以外の原因によるうつ状態ではないか?
うつ病が、三環系抗うつ剤の投与にもかかわらず、6か月以上の長期化に陥った場合、まずうつ病診断の再検討を行い、うつ病以外の原因によるうつ状態の可能性を考えてみる必要がある。そこで以下に、@身体的疾患、A薬物、Bうつ病以外の精神科疾患の3つに分けて考えてみる。
@身体的疾患:うつ状態を生じさせる身体的疾患は、表1に見られるように、様々である。それぞれの疾患は、精神症状以外の身体的症状を伴い、詳細な病歴聴取・身体的診 察・スクリーニング的な血液検査などによって、診断の手がかりが得られることが多い。ただ、精神症状にのみ目を向け、うつ病と言う診断にこだわっていると意外な見落としをする危険がある。また、原発性・転移性の脳腫瘍、甲状腺機能障害、副甲状腺機能亢進 症、中枢神経梅毒などでは、明確な身体的所見が把握しにくい場合があり、わずかでも疑いのある場合には、頭部CT・ホルモン検査・血清梅毒反応などを行う必要がある。 このほかに Parkinson病の初期軽症例にも注意する必要がある。 Parkinson病の初期症状としてうつ状態が現れることがあり 26)、このようなうつ状態は三環系抗うつ剤による治療への反応が悪く、抗 Parkinson薬の投与が必要とされる。
A薬物:三環系抗うつ剤に反応しないうつ状態一つに、薬物の副作用として生じたうつ状態がある。表2にあげたような種々の薬物がうつ状態の原因となり得る。このため、アルコール・覚醒剤などへの依存性の有無、高血圧・胃十二指腸疾患・めまいなどの治療を受けていないか、抗精神薬の投与をどこかで受けていないかなどのことに注意を払い、患者が現在服用している薬について、把握しておく必要がある。ことに高齢者の場合には、内科などで投薬を受けていることが多く注意を要する。
Bうつ病以外の精神科疾患:うつ状態はあらゆる精神科疾患に現れることのある非特異的症状であり、抗うつ剤に反応しない時には、分裂病・神経症などの可能性を考えてみ る。ことに不安神経症やヒステリーなどの神経症との鑑別は重要であり、神経症に診断変更になれば、薬物療法は従属的な意義しか持たなくなり、精神療法も支持的(supportive)なものからuncoveringないしは指示的(directive) なものに切り替える必要が生じる。
T−B.心理的・状況的要因による悪化ー狭義の遷延うつ病の可能性は? うつ病以外の原因によるうつ状態について検討し、その可能性はあまりないと判断した場合、次に行うべきは、心理的・状況的な要因がうつ病を悪化させ長びかせてはいないかと言う問題の検討である。すなわち、「本来は治るべき病相の回復が何らかの(外的)理由で長びいている」(広瀬 14))という意味での、狭義の遷延うつ病の可能性の検討である。ここでは、@疾病否認、A疾病利得、B状況的要因に分けて考えてみたい。
@疾病否認:うつ病を長びかせる要因としてまず取り上げるべきは、うつ病を病気と認めないで、無理をしたり治療を中断したりする、疾病否認の問題である。「気の持ちよう一つなのだから、頑張れば克服できるはずだ」と言うような意見は、しばしば家族から聞くものであるし、患者もこのような考えで行動することもまれではない 16)。その結果、十分な休養を取らないこと、不規則で不十分な服薬、治療中断、患者の独断による早すぎる職場復帰などの行動が生じ、うつ病が十分回復しないまま長びいていくこととなる。時には、抗うつ剤による症状の早期消失が、このような疾病否認をかえって強めてしまうことも指摘されており 14)、概して症状的に軽症のうつ病患者のほうがこのような疾病否認の問題を生じやすいようである 16)。
このような疾病否認に対しては、教育的な接触が必要とされる30) 。笠原 19)の小精神療法などもこの教育的かかわりの一つの手本となるものであろうし、筆者の一人坂本 41)も精神病理学的知見を利用した教育的対話のモデルをまとめたことがある。ただし、このような疾病否認の姿勢は、治療者には隠されていることがある。治療者に気づかれないように患者が服薬を自己調節していることもあり、疾病否認の強い家族が治療者の前に現れないで、患者に影響を与え続けていることもある。このため、うつ病が長びいた場合に は、隠された疾病否認がないかを検討してみる必要がある。
A疾病利得:もう一つのうつ病を悪化させる心理的要因として、疾病利得の成立があ る。すなわち、うつ病の長期化に伴って、患者が「病人アイデンティティ」を確立し、病人の立場を利用して周囲の人々を操作する、いわゆる二次的神経症化やヒステリー化と呼ばれる事態である。西園 32)によれば、うつ病者は「貪欲で対象にしがみつく傾向」や 「ひとりよがりで、全面的によりかかり、受け入れられようとする傾向」を持っている。この傾向は、発病以前にはメランコリー型や執着性格という形で、社会的に昇華されているが、うつ病の長期化によってこの防衛は崩れ去り、裏に隠されていた本来の傾向が露呈して神経症化・疾病利得が成立する。そして、拒否的な配偶者や、逆に過度に病人扱いする過保護な配偶者、保護・受容的な大学病院などへの長期入院、不適切な精神療法的介 入、適切な距離がとれず過保護もしくは拒絶的となる治療者などが、このような疾病利得の成立を容易とするとされている2)14) 。
この疾病利得による症状の悪化が生じている時には、薬物療法よりも精神療法が重要となる。阿部ら2)は、@薬物療法の限界の再認識、A長期入院を避けること、B変容した執着気質を病前の執着気質に再統合すること、C家族ことに配偶者への指導、D治療者が適切な距離を取ること、E極端な「うつ病アイデンティティ」を持たせないようにするこ と、などの対応を奨めている。また、西園 32)は、配偶者同席面接の重要性を強調している。このような精神療法的な接触は、なかなか難しいものではあるが、治療者・家族が適切な距離を取りつつ、患者の疾病利得の存在を言語化し、その基盤にある病前性格・生き方・価値観などについて患者自身が自覚を深めていくことが必要なのであろう。
B状況的要因:うつ病経過中に、身体疾患・喪失体験・環境の変化・葛藤状況などのそれ自体うつ病の誘因となるような出来事が生じれば、うつ病の症状は当然悪化する 47)。すなわち「弱り目にたたり目」である。また、うつ病に罹ることによって二次的にもたらされた患者の地位や生活状況の悪化も、うつ病の経過に強く影響する 29)。たとえば、周期的なうつ病のため職場であてにされなくなったり、家庭でも家族から低い評価を受けることになったりすれば、患者はそれに耐えられず、病状の回復が阻害される。
このような状況的要因による悪化の可能性のある場合には、身体疾患の精力的治療・職場や家族との話し合いによる環境調整などによって、直接的に状況的要因に介入することも必要になろう。また、うつ病のために状況的要因を乗り越えていく患者のエネルギーや適応力が減弱しているため、治療者が、状況から課せられる課題から患者を保護したり、問題を先送りする工夫をすることも必要かもしれない。
しかし、うつ病患者が、このような状況的要因に影響を受けやすいことの背景には、彼らが硬直した価値観・自己目標・仕事への要求水準などを持っていることがあると思われる 15)。市川ら 17)によれば、うつ病患者は、メランコリー型や執着性格に見られるように、高い世俗的自己目標によって、自らを支えてきた人々である。彼らの自己評価は過去において「過剰に高く」、未来において再びいっそう「過剰に高く」設定されており、状況的要因は、この高い自己評価を傷つけることによって、患者を脅かすのである。このため、高すぎも低すぎもしない適切な自己評価に基づく自己像の再編という作業も、状況的要因による悪化を軽減するためには必要となる。しかし、この作業は、患者に不本意な現実を突きつけ、患者に激しい痛みを引き起こす可能性を持つものであるため、極めて困難なものである。それゆえ、この作業を行うためには、治療者と患者の間の強い絆と、数年にわたって挫折・失望を繰り返しながら作業を続ける根気が必要とされる17) 。
T−C.三環系抗うつ剤抵抗性うつ病−身体的治療が不十分ではないか?
診断の再検討、心理的・状況的要因による悪化の検討に続いて行われるべきは、薬物療法をはじめとした身体的治療の再検討である。三環系抗うつ剤を数種類試みても、6か月以上にわたってうつ病の改善が認められない時には、漫然とそれまでの処方を継続するのではなく、身体的治療についての意識的な検討が求められる。ここでは、@三環系・四環系抗うつ剤の投与法の再検討、Aうつ病の臨床的特徴の分析による三環系以外の身体的治療の検討、B重症ないしは生活に著しい障害を呈している症例に対するいくらかリスクのある治療の3項目に分けて、考察してみる。
@三環系・四環系抗うつ剤の投与法の再検討:まず、三環系抗うつ剤の投与量の検討が必要となる。谷向 46)によれば、抗うつ剤の血中濃度と有効性の間には、明確な相関があり、とりあえず 150mg/日程度までは投与量を増やしてみる必要がある。また、ある三環系抗うつ剤が無効な場合に、他の三環系抗うつ剤が著効を呈することもあり、筆者らの印象では3〜4種類の三環系を十分量試みる価値はあるのではないかと思われる。ただ、いたずらにすべての三環系・四環系抗うつ剤を試みても、効果はあまり期待できず、時間の浪費となることが多いように思われる。また、経口投与による三環系抗うつ剤が無効な場合には、Kielholz,P. の主張 50)にもあるように、経静脈的なclomipramineの投与も考慮すべきであろう。
また、抗うつ剤を中止することによって長期化したうつ病が回復することがあるという報告6)もあり、すべての投薬を中止してみるのも一つの方法である。さらに、三環系抗うつ剤と四環系抗うつ剤 mianserinの併用を奨める報告 34)もある。
Aうつ病の臨床的特徴の分析による三環系抗うつ剤以外の身体的治療の検討:そもそもうつ病は、厳密に規定された疾患単位ではない6)。うつ病内部にも様々な下位分類が存在し、また種々の精神科疾患や身体疾患との境界領域を考えることができる。そして、このような臨床的特徴を把握することによって、三環系抗うつ剤以外の身体的治療を用いるための手掛かりをつかむことができる。そこで、Aーaうつ病内部の下位分類、Aーb他の精神科疾患との境界領域、Aーc身体的疾患との境界領域の順に検討してみる。
Aーaうつ病内部の下位分類;まず、うつ病は、単極型と両極型に区分される。両極型躁うつ病に対する、lithium などの気分安定薬の治療・予防効果については広く認められている。そして、うつ病患者が三環系抗うつ剤に反応しない時には、両極型躁うつ病と 考えて、lithium を投与してみると有効なことも多い10)37)。 lithium以外にも、 carbamazepine 36), clonazepam 20), valproate 13)なども考慮されるべきであろう。
また、食欲亢進・睡眠過剰・四肢の脱力などの強い疲労感・他者の拒絶に対する過敏性などの特徴を持ち、非定型的自律神経症状の目立つatypical depression 44)には、三環系抗うつ剤よりもモノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)の方が有効性が高いとされており28)38)、このような症例ではsafrazine 46) の使用も考えるべきであろう。
atypical depression と同様の食欲亢進・過剰睡眠・疲労感・体重増加などの症状を伴ううつ状態が、季節的に繰り返して出現する症例がある。すなわち、毎年冬にこのようなうつが生じ、多くの場合春から夏にかけて軽躁状態となる季節性感情障害(SAD)である 39)。このSADに対しては、2500lux の高照度の光を早朝もしくは夕方に注視することによって、高い抗うつ効果が得られるという 40)。この高照度光療法は副作用の少ない治療であり、2年続いてこのようなSADと考えられる症状を認めた場合には、試みる価値があるのではないかと思われる。また、うつ病に睡眠リズムの障害を伴うような例で は、ビタミンB12の使用も考慮に値する 35)。
Aーb他の精神科疾患との境界領域;うつ病に、分裂病・てんかんなどの他の精神科疾患の特徴・症状が混入する症例は多い。たとえば、うつ病に幻覚・妄想が混入する妄想性ないしは精神病性うつ病がその一つである。この妄想性うつ病に対しては、三環系抗うつ剤の有効性は低く、抗精神病薬と抗うつ剤の併用、ことにperphenazineとamitriptyline の併用が、有効であるとされている 45)。また、sulpiride や、抗精神病薬と似た性質ももつamoxapine 5)も試みる価値がある。
また、うつ病に脳波異常をともない、てんかんとの境界領域と考えられる症例もある。猪瀬ら 18)は、臨床的には内因性うつ病と診断されるが、棘波・棘除波結合などのてんかん性の脳波異常を伴う一群のあることを報告している。これらの脳波異常を伴ううつ病 は、症状的には制止・不機嫌などをともない、経過とともに病相期が長くなり、病像が固定していく傾向がある。治療的には、抗うつ剤・抗けいれん薬の効果はあまりなく、 haloperidol とcarbamazepine の併用が有効であるという。また、熊谷ら 22)は、従来の慣用的基準では発作性脳波異常と判定されない「不規則なβ波」をともない、抗うつ剤による治療に反応しない不機嫌さの目立つうつ病に対して、valproate などの抗けいれん薬を用いることによって著明な改善がもたらされることを報告している。
また、月経周期と関連して精神症状を反復する周期性精神病という臨床的単位が認められている 21)。その多くは、分裂病の色彩を加味した錯乱を伴う躁うつ病様状態を呈し、思春期の女性に多く、無排卵月経などに見られる脳下垂体・間脳系の機能障害が基本にあるとされている。治療的には、bromocriptine・clomipheneなどによる排卵誘発3)や、女性ホルモン補充療法、乾燥甲状腺末 21)、lithium ・carbamazepineの投与などが行われる。抗うつ剤が無効なうつ病の中に、月経周期に一致して症状が変化する症例もあり 31)、このような場合には、内分泌学的な検討を行い、月経周期に関連した精神病としての治療も考慮する。また、bromocriptine にはamitriptyrine と同等の抗うつ作用があるとの報告もあり 48)、高プロラクチン血症を伴ったり、月経周期に関連して症状に変化のある症例では、明確な内分泌学的異常のない症例でも試みる価値があるように思われる。
この他、不安神経症とうつ病の境界にある症例は多い。不安神経症の慢性状態は抑うつ状態を伴うし、不安発作が内因性うつ病の前駆症状として生じることもある。このような症例が三環系抗うつ剤によって改善しない場合には、不安発作を抑制する作用が強く、抗うつ作用もある 11)とされているalprazolamを、3〜10mgという高用量で試みるのも一つの方法であろう。
Aーc身体的疾患との境界領域;うつ病と関連する身体的疾患としてまず挙げられるのは、甲状腺機能低下症である。山口53) によれば、病相期が長期化したうつ病のO以上 に、TRHtestなどで視床下部ー下垂体ー甲状腺系の機能障害を認め、この機能障害のため、潜在的な甲状腺機能低下症が生じ、うつ病が回復しなくなっている可能性があるという。このように考え、乾燥甲状腺末を抗うつ剤に併用したところ、三環系抗うつ剤に反応しないうつ病患者の56%に有効性が認められた。この所見からすれば、抗うつ剤に反応しないうつ病患者において、甲状腺機能が正常下限にあれば、乾燥甲状腺末100mg /日程度の併用を試みる価値はあるであろう。
また、うつ病と Parkinson病の境界領域というものも考えることができる。このため、抗うつ剤に反応しない高齢者のうつ病において、軽度の振戦・筋強剛・akathisia 的症 状・仮面様顔貌などが認められる場合には、抗 Parkinson薬の使用は試みられる価値があると思われる。ことに、amantadineは、抗うつ作用があるという報告 49)もあり、このような症例に良いのではないかと思われる。
また、うつ病と脳動脈硬化症ないしは脳血管性痴呆との境界領域というものも存在す る。高齢者のうつ状態が、抗うつ剤に反応しない時に、脳動脈硬化症の所見があれば、いわゆる脳代謝賦活剤や脳循環改善剤の使用も検討されるべきであろう。これらの薬物のうち元来抗うつ剤として開発されたindeloxazineには、高齢者のうつ状態に特異な効果があるとの報告 33)もある。
B重症ないしは生活に著しい障害を呈している症例に対するいくらかリスクのある治 療:三環系抗うつ剤の使用法の再検討と臨床的特徴の把握による治療を行っても回復がもたらされないような症例に対しては、モノアミン酸化酵素阻害剤(MAOI)・電気けいれん療法(ECT)・metylphenidate・MAOIと三環系抗うつ剤の併用療法などのいくらかリスクのある治療が考慮される必要がある。これらの治療は、我が国ではそのリスクのためほとんど行われていないのではないかと思われる。しかし、MacEwan,G.W.らの報告では、抗うつ剤に反応しなかった患者の約50%が、MAOIかECTによって完全寛解に至ったとされており、自殺の可能性のある重症例や年余にわたって著しい生活の障害の認められる症例においては、これらの治療も試みられるべきではないかと思われる。その際には、これらの治療のリスクを患者に十分説明し、合意を得ることと、適応の慎重な選択が求められるのは当然のことである。
まず、MAOIが、atypical depression に対して有効性が高いとされていることは、すでに言及した。またMAOIの作用機序は三環系抗うつ剤と異なっており、三環系抗うつ剤に反応しないうつ病に対して試みる価値がある 46)。ただ、MAOI服用中に、発酵食品やレバー・ワインなどのモノアミン多く含んだ食品を大量に摂取すると高血圧発作を生じる可能性がある。また、MAOI服用中に三環系抗うつ剤ことにimipramineを服用すると、高体温・筋緊張亢進状態となり、死に至ることもあるとされている 43)。このような問題があるため、MAOIは、食事制限や薬物服用制限などを守れる患者にしか用いることができない。また、我が国で用いることのできるsafrazine にはまれとされるが、肝障害を生じる可能性があり、そのチェックが必要である。また、safrazine は、起立性低血圧・ふらつきがしばしば生じるので、これに対する注意も必要で、転倒などがあれば、中止しなければならない。
ECTは、うつ病に対してもっとも有効性の高い治療であるとされる。Davis,J.M.9)がこれまでの諸研究のDataを整理したところによれば、うつ病に対するECTの有効率は 86%であるのにに対して、三環系抗うつ剤の有効率は67%であったという。また、ECTは即効的なため、自殺が切迫しているような症例には極めて有用であり、さらに他の治療が無効な症例にも有効性が高い8)。ただ、治療後数週間、軽度の記銘力障害が生じるこ と、および我が国で行われている静脈麻酔のみによる方法では、ごくまれに脱臼・骨折が生じるという問題がある。また、薬物療法に比べて手間がかかり、外来では行いにくく、維持療法が行えない。また、社会的な偏見の問題もある。このような問題はあるものの、自殺の可能性の高い症例などの重症例や、様々の薬物を用いても全く改善のない症例などでは、ECTも重要な治療法ではないかと思われる 52)。
ECTにもMAOIにも反応しない症例に対して、三環系抗うつ剤とMAOIを併用する方法が有効であるという報告 43)がある。また、谷向 46)は、この方法により「他医により慢性遷延例といわれた 100例以上を治癒させてきた」と言う。この方法を用いるにあたっては、三環系とMAOIを同時に、もしくは三環系にMAOIを追加する形で用い、絶対MAOI投与中に三環系を追加しないように注意する必要がある。また、この併用中には、「中毒性精神運動反応toxic psychokinetic reaction」と呼ばれる興奮状態が起きることがあるという 43)。また、高血圧・高体温・筋緊張亢進・肝障害などへの注意が必要であり、入院などによるきめ細かい管理が必要となると思われる。
この他、metylphenidateを用いる方法もある。metylphenidateの抗うつ効果はあまり強いものではないとされ、覚醒剤の一種であるためその依存性形成の危険の問題がある。しかし、依存性形成はうつ病患者に投与した場合には、ほとんどないともされており 42)、様々の薬物が無効で、さらにECTやMAOI・三環系併用療法を行うために入院することが好ましくないような症例には、一つの選択肢となることもあろう。
U長期化したうつ病を受け入るための工夫
これまでの考察で、長期化したうつ病に改善をもたらすために、A.診断の再検討、B.心理・状況的要因の検討、C.身体的治療の検討に分けて、治療上の工夫について考えてき た。そして、治療者の診断の誤り・身体的治療の不十分さや、患者の心理的状況的問題などのために、本来回復すべきうつ病が長びいているのではないかという立場に立って、検討を進めてきた。
しかし、「うつ病は本来回復するはずだ。回復しないのは、何か外的要因が回復を妨げているからだ」という考えを前提として、治療を進めていくことには、問題がある。そもそも、このような前提を支持するようなうつ病のfollow-up 研究はない。本稿のはじめに述べたように、うつ病の長期化・慢性化は、ありふれた経過なのであり、すべてに外的な回復阻害要因を考えるべきものではないと思われる。むしろ、多くの例においては、うつ病そのものが重いために、病相期が長びいていると考えたほうが事実に則しているのではないであろうか。
そして、うつ病の長期化の原因として、うつ病そのものの重篤性を見る立場から見る と、これまで述べてきたうつ病を改善させるための工夫に内在する、反治療的な側面が見えてくる。たとえば、うつ病患者の疾病否認は、そもそもうつ病性妄想の部分症状であることもある。これに対して教育的に対応することは、妄想に対する強引な訂正となり、不毛な押し問答に陥ってしまう。そして、治療者と患者の間に溝が深まるのみとなる。ま た、疾病利得を形成させないために、患者を長期入院させないようにするほうが良いとされるが、重い病気で苦しんでいる人がなぜ無理やり退院させられなければならないのであろうか。病気であるという点では同じなのに、分裂病患者には納得行くまでの入院が許され、なぜうつ病患者にはそれが許されないのであろうか。そして、重い病気を抱えたまま病院から拒絶された患者が、絶望して、死を選ぶ場合もあるのではないだろうか。また、うつ病を改善させるために、これまで述べたような種々の身体的治療を次々と試みることは、いつか魔法のように苦しみを取り去ってくれる方法を治療者が見つけてくれるはずだという幻想を、患者に与えることになりはしないだろうか。そして、この幻想が打ち砕かれた時、絶望や怒りが、患者の中に込み上げてくるのではないであろうか。
総じて、うつ病の長期化の原因を除去可能な外的要因に見る立場は、患者がうつ病であるということは本来的なあり方ではないとし、患者がうつ病者であり続けることを否定する傾向を持っている。しかし、現実に多くの患者はうつ病患者であり続けるしかない。むしろ、治療者はこの現実を直視する必要があるのではないであろうか。そして、まずせめて治療者だけでも患者がうつ病であり続けることを受け入れ、患者がうつ病であることに安心していられるように振る舞うべきではないのだろうか。うつ病が回復しない原因を、治療者の診断や身体的治療、患者の心理、家族などの問題などにさがして、誰かの責任を問うよりは、誰の責任でもない病の重さを共に担って行く姿勢が求められるのではないであろうか。うつ病であり続けねばならないという現実を共に悲しみつつも、それを受け入れ、その上でうつ病に耐えてどのように生活していくかを考え、回復を待つことを忘れてはならないであろう。
V改善を目指すことと病を受け入れることの均衡
しかしながら、患者のうつ病が重いということをまずもって前提にして治療を進めていくことは、これまた反治療的である。診断の検討、疾病否認への教育的指導、疾病利得への精神療法、家族面接、身体的治療の再検討などによって、改善へと向かう患者も多いのであり、うつ病が重いという判断は、これらの治療的努力を十分行ってから下すべきものであろう。安易に「病気が重いから」という言葉を口にするのは、治療者としての責任放棄である。
もし、客観的に病の重さを判定できる組織病理学的診断のような方法があれば、どこまでが病の重さによるもので、どこまでが治療的努力の不十分さによるものかが、区別可能で問題はないのであろうが、我々はそのような方法を持ち合わせていない。このため、病の重さを的確に判断できないまま、改善を目指すためには、病を受け入れる立場はある程度は放棄せねばならない。また、病を受け入れようとすれば、回復をとりあえずはあきらめる姿勢を取るしかない。そして、どちらの方法をとるにしても、これまで述べたような反治療的対応に陥る危険にさらされることとなる。改善を目指すことと病を受け入れることは、一種の二律背反となる。
しかし、この二律背反を抱えながらも治療者は、治療方針を立て、治療を進めていかなくてはならない。いやむしろ、このような二律背反があるからこそ、人格を持つ治療者が必要とされるのであろう。個々の症例に対して、個々の治療者が自らの人格的な決断のもとで、試行錯誤を繰り返しながら、「改善を目指すこと」と「病を受け入れること」の弁証法的な均衡をもたらす努力を続けることが、長期化したうつ病や他の重症精神科疾患を治療していくための前提なのではないだろうか。そして、本稿で述べたいくつかの考え方や方法も、このような個々の治療者の営みの中に統合されてはじめて、意味を持つものなのであろう。