BAYANからの救援要請

BAYANからの救援要請 (7月12日)の翻訳
---------------------------------------------------------
Bayanihan Alay Sa Sambayan (BALSA, Relief in Service of the People)
A Disaster Relief Campaign of the Bagong Alyansang Makabayan (BAYAN)
バヤン(新民族主義者同盟)−災害救援キャンペーン

<ごみ捨て場での崩落で84名死亡、942名が行方不明>

7月11日朝、マニラ首都圏とルソン島の広域を襲った水害からわずか数日で、ケソン市、パヤタスのごみ捨て場で50フィートのごみの「山」が崩落し、500軒の小屋が埋まりました。7月11日の午後3時現在、家々の上に崩落した悪臭を放つごみの下から、84の遺体が回収されましたが、942名が依然として行方不明。レスキュー隊は生存者を救出し、遺体を回収するために時間とのたたかいを続けていますが、生存の希望は小さくなってきています。

KMU(五月一日運動労働センター)の加盟組織である都市貧民全国組織のKADAMAYによれば、パヤタスでは3000人がスカベンジャー、物売り、ペディキャブやジプニー運転手、その他の半端仕事によって、皮肉にもLupang Pangako(約束の土地)と名づけられたコミュニティーでの種々の仕事によって生計を立てています。
フットボールのコート四つ分の広さのこの地域に、500以上の小屋が建っています。

現在、1950名の生存者がふたつの仮設避難所に避難しています。パヤタスB地域の第二地区にある7つの「プロック」(ブロックの訛り)が最も大きな被害を受けました。被災者とその家族のほとんどが、Samahang Tunay(“ほんとうの組織”といった意味)とKADAMAYおよびANAKBAYAN(青年組織)のメンバーです。

KADAMAYの加盟団体であるSANGKAP(第二地区の住民組織)のリーダーであるRudy Ginoは妻とともにこの崩落によって非業の最期を遂げました。子どもたちの行方は依然として不明。SANGKAPのもう一人の女性リーダーの小屋は、崩落の際に電線が上から落ちてきて倒壊しました。ANAKBAYANでもメンバーの一人が死亡しました。さらに通称Noelというベテランのオルグも死亡しました。

この悲しい事件によって、エストラーダ政権の下での都市貧民たちの苦境はさらに悪化するでしょう。エストラーダは「貧者の味方」のふりをしてきましたが、現実には彼が貧しい者を無視し、巨大外国企業の利益に奉仕してきたことで、その仮面ははがれてしまいました。

 救援物資、医薬品、義援金は、BAYAN(新民族主義者同盟)全国事務所まで。小切手はBAYANに支払い可能なものでお願いします。

BAYAN's national office
23 Maamo Street, Sikatuna Village, Quezon City
telephone numbers (63 2) 4359151 and (63 2) 9225211.

 皆さんの支援によって、パヤタスB地域の被災者たちの家族が元気づけられ、生活をつづけていけるように、そして、自分たちの権利と福祉のためだけではなく、最後には、パヤタスのような地域がなくなって、人々がスカベンジャーをしなくても良いほんとうに民主的で公正な社会をつくり出すために自らを組織していく決意を固めていけるように願っています。

2000年7月12日
フィリピン
---------------------------------------------------------
B A Y A N
Bagong Alyansang Makabayan or New Patriotic Alliance
No. 23 Maamo Street, Sikatuna Village
Quezon City, PHILIPPINES
Telephone: (63-2) 435-9151 Telefax: (63-2) 922-5211
Email: <bayan@iname.com>
Webpage: http://www.bigfoot.com/~bayan-phils

---------------------------------------------------------
この文中に出てくるSANGKAP(サンカップ)は、これまでの会報の中で紹介してきたように、私たちのデイケア・センターの運営に協力、センターを中心に活動していた現地の住民団体です。
代表のルディー・ジーノさんも被災し、亡くなられているとのこと。
またノエルさんは、サンカップの初代代表の方です。
謹んでお悔やみ申し上げます。(藤原)

戻る