約2年間の短いお付き合いでしたが、お世話になりました。私が初めてこの作業所へ来たとき、私の横へついて丁寧にえてくれましたね。でも貴方のパソコンの操作が早くて、私には覚え切れなかった。貴方の色彩感覚は、情熱に溢れていました。あるサークルの古い名簿を見ていると、私の名前と貴方の名前が同時代に載っていたのでああこんな昔から縁があったのだなって驚いた次第です。私が休んだき、貴方は私の分の仕事も黙々とやってくれていたのですね。感謝の念に絶えません、有難うございました。そして、迷惑を掛けたことをお詫びいたします。すみませんでした。 【中島秀人】 |
「タタターン タラララ♪」時計が午後一時さす。永井さんがお昼ご飯から帰ってくる。「プ、プッ」 永井さん運転の車に乗る。 十字路の道を横切る時 「チャリリリリ〜ン」高瀬川の横で自転車に乗った永井さんとすれ違う「シャーーーーッ」 定規とカッターで工作、工作。 今もWORK'Sの時計が午後一時を指すと、高瀬川横で自転車に乗っている人を見かけるとそこに永井さんがいるような気がする。音とともに、記憶に残っていく。 【石田久美】
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『ご苦労さんでーす!』と、いつも私に声をかけてくれた笑顔の美しい永井君。もう、その姿を見ることができません。 『寂しい限りです。』 【長橋栄一】 永井さんが亡くなって2ヶ月が経とうとしています 【香田晴子】 |
永井さん、連絡いただいたときは驚きましたよ!早すぎるじゃないですか?未だに悪い冗談じゃ ないかと思ってるのですよ! 本当に永井さんには迷惑のかけっぱなしで、何 もできませんでした。結局、何も返せませんでし た。許してください。 そういえば、営業で行った伊勢田の駅の近くで 犬にほえられて大変な思いをさせてしまいました ね。永井さんにとっては、疲れただけかも知れま せんが、私にとっては良い思い出です。大事にと っておきます。 永井さん、『今からでも高校で勉強したい、それが自分の夢なんだ。』と何回も言ってましたよね。もうその夢を邪魔するものは何もないじゃないですか。 ゆっくりと勉学に励んでください。心より応援しています。 【松木完之】 |
香ばしいコーヒーの薫りと、永井さんの明るい笑顔、それが私にとってのワークスの朝の風景でした。 その笑顔が急に見られなくなって、灯りが消えたように思います。今頃は永井さんが好きだった往年のスター達に会っておられるでしょうか。 色々教えていただいて、ありがとうございました。 【木下伊美】
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1996年 6月 WORK’S入所
1996年12月 名刺を作り始める
1999年 9月 車いすと仲間の会キャンプTシャツをデザインする
1999年 4月 パソコン教室、講師として支援センターへ派遣される
2000年11月まで6回
2000年10月 京都市福祉総合展に作品出品(切り絵)
1999年 9月 車いすと仲間の会キャンプTシャツをデザインする
2000年 9月 南区社協フェスタ閉会宣言を勤める
2000年10月 京都市福祉総合展に作品出品(切り絵)
2000年12月 逝 去
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