HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン |
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第1話 |
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Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI |
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――流れる雲とともに、 緑なす大地の上に無数の島々が浮かぶ不思議な世界。 それがイリュシオーネ。 季節は少年を詩人に変える。 胸元に巻いた朝霧色のクラヴァットをそよがせながら、ルキアンはひとときの美しい光景に見入っていた。真白い羽根飾りも鮮やかな、サルビアブルーの大きな帽子の下からは、銀色のあどけない前髪がのぞく。小さく丸い眼鏡の奥で優しげな瞳がゆっくりと瞬いた。 春の穏やかな陽光のもと、潮風吹く丘に若草は薫り、空と海の青に抱かれて緑は萌える。可憐な花たち。霞の向こうに金華銀華は揺れて、霊妙な光を散らしつつ、おぼろげに輝く。その姿は春に酔う妖精たちの輪舞を思わせる。 そう、こんな身近なところにも、おとぎの国はある。 白い風車……その古ぼけた煉瓦屋根は、いつの頃からかずっとコルダーユの街を見守ってきた。何万何千と繰り返されてきた昼と夜の中で、幾多の平和な日々が流れ、あまたの戦乱の炎が燃え上がった。その間、丘の風車は休むことなく動き続けて今日に至っている。 ルキアンはこの風車台が好きだった。いつも暇があるとここにやってきては、広大な海の眺めを詩にしてみたり、柔らかな草の上に寝そべって本を読んでみたりする。それというのも、この丘が単に景色の良い場所であるだけではなく、ルキアンにとってごく身近な場所でもあったから。彼が住み込んでいる研究所は、この風車の丘の中腹に立っているのだ。 コルダーユに研究所を構える魔術の求道者、とりわけ錬金術実験の過程で様々な化学反応の法則を発見したことで名高い、カルバ・ディ・ラシィエンのもとに、ルキアン・ディ・シーマーは2年前に弟子入りした。当時16歳だった。 ルキアンは、ここオーリウム王国の小貴族の息子である。貴族と言っても、必ずしも何不自由ない暮らしの中で育ったわけではない。新しいものの勃興とともに古いものが次々と没落していく今の時代、彼の一族のように、由緒だけあっても資力の乏しい零細な貴族たちは、多くの借金を抱えつつ、それでもプライドを保つために精一杯虚勢を張って生きていくしかなかった。 貧乏貴族の次男や三男たちは、贅沢な館や華やかな社交界とは無縁の生活を送っていた。なけなしの財産は長男が全て継いでしまう。貴族の体面をかろうじて維持していくためには、決して豊かとは言えない財産を今以上に細かく分割してしまうことはできないからである。 弟たちが生きていくための方法は、一般的に言えば、幸いにも多少の読み書きができるということを生かして、僧侶や教師あるいは官吏となって自立的に生活を送る道だった。そしてルキアンの場合のように……この世界でいわば技術者的な役割を果たしている《魔道士》、つまり魔法使いを目指すケースもしばしば見られる。 ルキアンは何気なく空を見上げた。海に散らされた群島のように、青天井に様々な影が漂っている。蒼穹の島々は私たちの目には奇怪な眺めと映るかもしれない。しかし異世界イリュシオーネの人々にとっては、ごく日常的な光景にすぎなかった。 少年がこうして立ち止まっている間にも、太陽の光が浮島にときおり遮られては、また目映い日ざしとなって大地を射る。光と影の移ろいが数え切れないほど続いていく。 そのとき一陣の強い風が吹いた。ルキアンが手にしていた書類の束が飛ばされ、ひらひらと宙に舞う。 好き勝手な方向に飛び去ろうとする紙をかき集めようと、彼は慌てて走り出した。師匠から手渡された重要な計画の書類であった。こんな大切なものをなくしてしまっては大変だ。彼は懸命に拾い集める。 「ルキアン、一枚忘れてるよっ」 彼の背後で鈴の鳴るような可愛らしい声がした。 茶色い熊のぬいぐるみを抱いた女の子がにっこり微笑んでいる。たっぷりとした金色の巻髪に、ピンク色の大きなリボン。リボンとお揃いのような薄桃色のドレスには、襟元や袖に幾重にもフリルが付いている。 彼女は紙切れをひとつルキアンに手渡した。 「あ、メルカちゃんか。ありがとう」 少し屈み込んで、彼女のサラサラした髪の毛を撫でてやるルキアン。 メルカは彼の師匠の末娘である。些細なことでも話し相手になってくれるルキアンに、彼女はいつもなついていた。 「ねぇねぇ、ルキアン」 少女は小さな手でルキアンの服を引っ張った。 金の縁取り付きの瑠璃色のフロックは、ちょうど彼の膝下あたりまでの丈がある。メルカはその裾を無邪気に揺さぶっている。 「どうして、吹き飛ばされた紙は落ちてくるのに、空に浮かんでる島は落ちてこないの?」 メルカは今年で11歳になるが、とてもそうは見えない。まだ甘えん坊が抜けきらないような話し方、幼い顔つき。 「それはねぇ……」 ルキアンはどう説明したものかと、ずれた眼鏡を直しながら少し考え込んだ。 「僕たちのいる普通の世界では、何て言えばいいのかな……鳥さんや雲さんの他は空を飛んじゃいけないっていう、お約束があるんだよ。でもね、高い空の上は《パラミシオン》の世界と隣り合っているから、約束ごとがまた違うんだ」 「ふぅーん。ぱらみしおん……ってなぁに?」 メルカは少し首を傾け、薄く青みがかった綺麗な目を丸くした。 「パラミシオンっていうのは、簡単に言うと妖精や魔物たちの住んでいる別世界、というところかなぁ。空の上や、海の真ん中、深い森の奥……みんなパラミシオンにとても近い場所なんだ。だからその力に影響される。ねぇ、もうひとつ教えてあげようか?」 ルキアンの言葉にメルカは興味津々で、元気良く何度もうなずいている。 「僕たちの住んでいる普通の世界は《ファイノーミア》って言うんだよ」 「なんで、ふぁいのーみあって言うの?」 「そ、それはねぇ……」 メルカにとって、見る物や聞く物すべては不思議に満ちている。学者肌の父親に早くも似てきたのであろうか。彼女は好奇心旺盛に次から次へと質問をしては、よくルキアンを困らせている。しかし優しい彼は、メルカが理解するまでいつも丁寧につきあってあげていた。 困った顔をしているルキアンの背中をぽんとたたく者があった。 「勉強熱心な生徒さんに、さすがのルキアン先生もお手上げね」 しなやかで繊細な金髪に、透き通るような白い肌、やや黒みがかった瞳は理知的な光をたたえている。カルバの長女ソーナである。 彼女はルキアンより1歳だけ年上だが、彼とは比べものにならないほど大人びて見える。ソーナはメルカと違って、カルバの前妻の娘である。そのあたりの事情が彼女の気苦労を増やしているからかもしれない。そして二人目の母(カルバの後妻)さえも数年前に病死してしまった。生みの親と育ての親を短い間に両方失うという過酷な運命に、ソーナは翻弄されてきたというわけだ。 彼女は黒っぽいレディンゴート(*1)風の上着をまとい、胸元に赤いスカーフを結んでいる。どこか神秘的な雰囲気を漂わせているのは、著名な魔道士を代々輩出してきたラシィエン家の血を濃く引いているからであろうか。 「メルカ、お菓子が焼けたから食べておいで」 ソーナはメルカにそっと言った。 「ほんと?! 今日は何かなぁ。じゃあまたね、ルキアン」 メルカはお菓子という言葉を聞くと、いてもたってもいられない顔になって、下の方に見える研究所の赤い屋根めざして走り出していった。 懸命なメルカの様子に少し吹き出した後、ソーナは言う。その表情が不意に曇った。 「ルキアン、今朝の新聞の号外……見た?」 首を振るルキアンに、彼女は何やら派手な言葉が並ぶ紙切れを見せた。 《コルダーユ市民の友・号外 親エスカリア帝国派によって内乱勃発》 「だ、そうよ。こんなことになるんじゃないかとは思っていたけど、まさか……」 ソーナは号外の記事を続けて読み上げる。やや低めの声でささやくような彼女の話し方に、ルキアンはよく心を奪われた。彼女の声に耳を傾けているうちに、彼はいつしか頬を赤らめているのだ。 「西の大都市ベレナを中心に《反乱軍》は勢力を拡大。《議会軍》も分裂し、一部は反乱軍に合流……」 ルキアンも思わず記事をのぞき込んだ。やはり顔が軽く上気している。この年頃、少年は少女に比べてまだまだ子供じみているのかもしれない。 「議会軍は混乱していて、かわりに《国王軍》が各地の都市を守っているのか。前に聞いたんだけど、国王直属の兵士の数は議会軍の六分の一ぐらいなんだって。仮に議会軍の半分が反乱側に荷担していたら、国王軍だけではちょっと大変そうだよね」 変に緊張しているルキアンが何分の一だのと数字を並べ立てたので、ソーナは少し上の方を向いて、頭の中で話を整理している。 「私は軍隊のことはよく分からないけれど、父から先週聞いた話では、反乱側に味方する人たちはこの街にもかなりいるみたいよ」 それを聞いて心配そうな顔をするルキアン。そんな彼を安心させようとするかのように、ソーナがまた記事を読む。 「あら、《エクター・ギルド》が国王や議会に味方するらしいって書いてある。えっと、ギルドには内部分裂は今のところ起こっていない……だって」 「ギルドが動くんだね。じゃあ、反乱軍もそう簡単に無茶なことはできないな。でも……内乱が収まらない間に帝国軍が攻め込んでくることにでもなれば、それこそ大変だよ」 《帝国》という言葉が出た途端、ソーナは不安の色を隠しきれなくなった。 「私たち、どうなるのかしら……」 ルキアンはソーナを勇気づけてやりたかった。しかし彼は無意識のうちに、深い溜息をついてしまったのである。沈黙の後、何だか気まずい雰囲気になっている。ルキアンはとりあえずつぶやいた。そしてこれが彼の本心であった。 「戦争なんて、消えてなくなってしまえばいいのに……」 ソーナがひと足先に研究所に帰った後、ルキアンは再び一人に戻った。 彼は内乱の発生を知って憂鬱な気分になっている。ソーナが置いていった号外記事の内容を、ルキアンは悲しそうな目で追う。 反乱の引き金となったのは、ちょうど一週間前の王国議会の決議だった。 現在のイリュシオーネは、世界を二分する大乱のさなかにあった。すなわちエスカリア帝国を中心とする《帝国軍》と、ガノリス王国を中心とする《連合軍》との戦いである。 オーリウム王国は戦いの成り行きをしばらく見守っていたのだが、戦場が拡大するにつれて、もはや日和見は許されない状況になってきた。そこで王国の臨時議会が招集され、帝国軍と連合軍のどちらを支援するかについて連日の激論が交わされた。議会は紛糾し、会場に軍隊まで導入する騒ぎになった末、わずかな差で連合軍支持の決議が行われたのだ。 しかし現実としては帝国軍が優位に立ってきており、連合軍に味方することはオーリウムの破滅につながるのではないかという声も強い。そのため、議会内で敗北した親エスカリア派は、実力でもってオーリウムを帝国側に加盟させようとして反乱を起こしたというわけである。 ルキアンは震える手で号外を握りしめながら、丘の周囲を見渡した。人間世界の醜い争いとは無縁のように咲き誇っている野の花も、やがて戦いになれば軍靴に蹂躙され、痛いほどに美しい春草の絨毯も、無情な炎に包まれて荒れ野と化してしまうのだろうか。 そんな忌むべき戦いのイメージから……ルキアンがふと連想したことがあった。数週間前、師のカルバから見せられた《あれ》の姿である。 ◇ ◇ 「新型のアルマ・ヴィオ、もうすぐ完成ですね」 研究所の地下、むき出しの岩壁の大ホール、ルキアンは薄明かりの中にそびえる黒い影を見上げていた。辺りの静寂すべてを支配しているかのように、圧倒的な存在感を放ちつつ、その巨体は闇の中にたたずんでいた。 一見すると甲冑をまとった騎士の姿にも似ている。 《アルマ・ヴィオ》というのは、イリュシオーネの言葉でもともと《生ける鎧》という意味であるから、この黒い巨人はその名を如実に体現していると言えよう。 「そう。《アルフェリオン・ドゥーオ》だよ」 カルバは少し白髪が混じり始めた頭を掻いた。やや頬のこけた温厚そうな顔に、丁寧に刈り込んだ口ひげを生やしている。40代にさしかかったなかなかダンディな男である。ラシィエン家もルキアンの家と同じく、財産には恵まれていないが長い伝統を持つ貴族の血筋なので、それを反映してかカルバも立派な紳士であった。 自らの流派の紋章をあしらった飾り付きの長いクロークは、いわばこの世界の魔法使いの正装である。その下の黒のベストと白のシャツはどこか燕を思わせる。 「辺境で発見した例の残骸を色々と分析してみたところ、かなりの器官については何とか模造することができた。液流組織や伝達系は干からびていて使いものにならなかったが、骨格や動力筋なんかは健在だった。恐ろしいほどの耐久性だな、まったく」 (*2) カルバは眠そうな目をこすりながら満足げに言う。おそらく研究のために徹夜を繰り返していたのであろう。あまり無理をしない方がよいのに、とルキアンは思った。しかし、カルバにとっては余計なお世話というところである。 「もう《生きて》いるのですか?」 ルキアンは再びアルフェリオン・ドゥーオの方を見やった。よく目を凝らしてみると、この黒騎士の異形の姿が次第に分かってくる。背には半月型の二対の大きな翼、甲虫のそれのように節くれだって棘のある手足、仮面を思わせる顔。何よりも竜を彷彿とさせる尾は、見る者に強い威迫感を与える。 どうも好きになれないとルキアンは思った。戦うためだけに生まれてきたようなドゥーオの姿は、生理的にやや受け入れ難い。アルマ・ヴィオが結局のところ戦いの道具であるにしても、もう少しなんとかならないものか。 「実はいくつかの器官については、残骸から取り外した物をそのまま使っている。模造しようにも、内部の構造が理解できなかったのでな。下手に分解して壊してしまっては元も子もなくなる。特に、古い記録に名前が残る《ステリア》という技術なんだが……我々の知識ではどうにも理解不可能な点が多すぎる」 正体不明の器官をそのまま利用していると聞いて、ルキアンは不審そうな顔つきになる。カルバはドゥーオを見上げつつ、その巨体の周囲を歩き出した。 「もちろん全くわけが分からないのではないよ。各器官の司る機能それ自体については、ほぼ確かめることができた。ただし……」 カルバはそこで言葉を少し詰まらせる。 「ひとつだけ、どうにも手に負えない部分があったので、ドゥーオには組み込まずに残しておいた。その後ドゥーオを作りながら調べてみたら、どうやらアルマ・ヴィオの力を増幅するものらしいことは分かってきたよ。完全に働かせることはできていないのだが、比較的安定した動きを見せている。他の器官に接続しておけば、何かとてつもない力を発揮するかもしれない。残念なことに、その結果については、実際にアルマ・ヴィオを動かしてみない限り想像しがたい。そこで《もうひとつの方》に組み込むことにした」 「先生、もうひとつの方って?」 「そうか、ルキアンにはまだ教えていなかったな。ヴィエリオにはこの前に見せたんだが、《アルフェリオン・ノヴィーア》のことだ。もうすぐ君にも見せてあげるよ」 ◇ ◇ いま彼の手元にある書類の束には、件の《もうひとつのアルフェリオン》の詳細が記されていた。カルバは5日前から、隣国ガノリスの都に出張中である。この戦争の成り行きをめぐって、魔道士たちも色々と動いているようだ。カルバはガノリスに出かける前に、ノヴィーアのテストをそのうちルキアンにやらせるかもしれないと言って、この資料を彼に手渡したのだった。 ルキアンはぼんやりと考え込んでいる。草の上に物憂げに寝そべった彼の目には、ゆっくりと流れゆく雲の姿が映っていた。西の方の空からやや厚い雲が広がってきている。夜には雨が降り出すかもしれない。 「僕も戦場にかり出されるのだろうか、エクターとして?」 《エクター》あるいは《繰士》とは、アルマ・ヴィオを駆る《乗り手》のことをいう。ただし《乗る》という言葉には、正確に言うと語弊がある……そして実際に動かすためには、特殊な訓練と才能とが必要なのである。 誰もがエクターになれるわけではないので、少しでもアルマ・ヴィオを操れる者は、ひとたび戦争になれば真っ先に最前線に送られるであろう。なにしろアルマ・ヴィオは、この世界で最大最強の兵器なのだから。 しかし、おとなしいルキアンはもともと争い事が好きではない。ましてや人間同士が殺し合う戦争などに行く気には、到底なれない。 ルキアンは、研究所の方に向かって丘をゆっくりと降りていく。頬をそっと撫でていく春風は、落胆した彼の気持ちを優しく慰めてくれているようにも感じられる。 彼はふと立ち止まり、振り返った。風に草がぱぁっと散り、小さな花びらが一枚、彼の額をかすめていった。 彼の瞳に丘の上の風車が映る。やや強くなり始めた向かい風によって、かなり勢いよく回り始めている。ぼんやりとした花影の向こう、なぜかソーナの顔がふっと目に浮かんだ。ルキアンはしばらく立ち止まっていたが、再び歩き始めた。 すると、そのときである。ルキアンは誰かに声をかけられたような気がした。 ――少年よ。急ぎなさい。 「はっ?!」 彼は周囲を見渡したが、どこにも人の姿は見えない。 ――こちらです。 少し沈んだ感じの女の声である。 花園に見とれているうちに、いつしかパラミシオンに紛れ込んでしまって、悪戯好きな妖精にたぶらかされているのであろうか。ルキアンは目をこすった。 しかし、その声は彼の心の中に直接響いてくるように思われる。 本能的に引き寄せられるものがあった。しかも謎の声が彼を導こうとしている方向には、カルバの研究所がある。 ――さぁ、早く。手遅れにならないうちに。 やや早足のルキアンは、研究所の一室の前をちょうど通りかかった。窓の向こうでメルカがクッキーを頬張っている。別にこれといって大変な様子はない。 ルキアンは声に誘われて研究所横の小塔の前に来た。その中に入って地下に降りるように、と声の主は言っているらしい。 当惑した顔つきで塔の扉に手をかけるルキアン。どういうわけか鍵が開いている。 そしてルキアンの姿が塔の中へと消えた後、少したってからのこと……不意に建物が崩れ落ちる音がして、メルカの悲鳴が響き渡った。 突然、身の丈10数メートルの黒い影が、研究所の一角を破壊して現れた。それは天をさして獣さながらに咆哮し、背鰭のような鋭い棘をいくつも逆立てる。黒光りする翼が広がり、竜のごとき尾が、金属でできているとは思えないほどなめらかに輪を描き、大地を打ち据えた。 紛れもなく、あのアルフェリオン・ドゥーオであった。 崩れ落ちる研究所。実験施設が破壊されたせいか、所々から火の手が上がっている。 その一室で、メルカは床に膝をついたまま泣き叫んでいた。恐くて動けないのだろう。彼女は熊のぬいぐるみを抱きしめて、ただ泣いているばかりである。 そこに、丸太でできた天井の梁や大きな石組みが真っ逆さまに落ちてきた。 「ルキアン、助けてーっ!!」 絶叫するメルカ。 ほんの数秒後だったが、彼女にとってはとてつもなく長い時間に感じられたかもしれない。もう駄目かと思ったメルカは、自分が屋根の下敷きになっていないことに気がついた。べそをかきながら上の方を見ると、何か大きな影が、落ちてきた天井から彼女を守ってくれている。 白銀色の巨体が陽の光を浴びて輝く。その姿は甲冑に身を固めた騎士と荒鷲とを組み合わせたようにも見える。いくつもの曲線で構成される優美なシルエットは、鎧をまとった天使をもどことなく想起させた。 これがもうひとつのアルフェリオン、ノヴィーアである。 ノヴィーアは、その両手で受け止めた屋根の残骸を、建物の傍らに投げ捨てた。そしてゆっくりと上体を起こし、威嚇するような鋭い鳴き声を上げてドゥーオの方に向き直る。 複雑に入り組んだ大小何対かの羽根がやや機械的に上下動をし、甲虫のそれを思わせるかたちで背中に閉じられた。 一方、ドゥーオの左手首あたりからは、白い煙が立ち上っている。おそらく研究所の地下から脱け出した直後に、その《マギオ・スクロープ(呪文砲)》で塔を破壊したのであろう。 ノヴィーアが置かれていた塔は、完全に瓦礫の山と化していた。もう一歩出るのがおそければ、ノヴィーア自体も大破していたかもしれない。明らかに邪魔なノヴィーアを片づけるための行動だった。 マギオ・スクロープとは、様々な魔法の効果を弾薬に封じた銃砲である。発射する際には、呪文を唱えるのと同様に少し時間がかかるので、そう簡単に連射はできない。 ノヴィーアの背中側に畳まれていた長い砲身が起きあがり、左肩にスライドする。こちらもマギオ・スクロープで反撃するつもりなのだろう。 じっと向かい合う両者であったが、次の瞬間、目もくらむような閃光が辺りをつつんだ。それと時を同じくして、轟音と煙、そして炎が大地に走り、ドゥーオが空に飛び立つ。追撃する余裕もないまま、ドゥーオの黒い影はたちまち胡麻粒のように小さくなり、雲の向こうに消えてしまった。恐るべき速さである。 半壊した研究所の傍ら、怯えきって震えているメルカの前で、ノヴィーアがそっと地面にしゃがみ、顔が地に着きそうになるまで身をかがめた。その背の一部がゆっくりと左右に開いて、中から人影が現れる。 「ルキアン!」 メルカが何度もつまづきつつ駆け寄っていく。 精一杯に前屈みの姿勢をとっているとはいえ、それでもかなり高いノヴィーアの背中から、昇降用の足場をつたってルキアンが不格好な様子で降りてくる。 メルカは彼の腕に飛び込んだ。 「ルキアン、お姉ちゃんが! ソーナ姉ちゃんが!!」 涙ながらに訴えかけるメルカを静かに抱きしめ、ルキアンは彼女を落ち着かせようとした。 「メルカちゃん、もう大丈夫。落ち着いて。ソーナお姉さんが、どうしたの?」 「お姉ちゃんが……あの黒くて大きいのと、一緒に行っちゃったの! さらわれちゃったの!!」 ルキアンはドゥーオが飛び去った方角を見やったが、もはや姿は全くない。 ――なんて速さだ。飛行型のアルマ・ヴィオでも追いつきそうにないな。 「それより、ヴィエリオ士兄は無事かい?!」 研究所の中で燃える炎の勢いが激しくなってきたのを見て、ルキアンは慌てた様子で言った。 ヴィエリオ・ベネティオールはルキアンより三つ年上の兄弟子である。物静かだが、若くしてすでに有能な魔道士で、いずれはカルバの後継者になると思われている男だ。どこか寂しげな鋭い目と長い黒髪が印象的な美男子だった。 「それがね、どこにもいないの……」 燃えさかる研究所の中に入っていこうとするルキアンを、メルカが腕を引っ張って止めた。 「ルキアンまで死んじゃったら、あたし、独りぽっちになっちゃう」 「師匠ももうすぐ帰ってくる。心配いらないよ」 だが、そう言っている間にも火の手は研究所全体を舐め尽くしていった。このままでは近くの家々にも燃え移ってしまう危険がある。 「メルカちゃん、ここからなるべく離れるんだ、街の方にむかって……」 ルキアンは、再びアルフェリオン・ノヴィーアの背中をよじ登ると、開いていたハッチの部分から内部に入った。 そこは非常に狭く、大人の男性一人が横になって寝そべれる程度の大きさしかない。様々な文字や図形が刻み込まれた、少し青みがかった金属の壁、底の部分には赤いクッションが敷き詰められている。アルマ・ヴィオの操縦席、いわゆる《ケーラ》である。 ――まるで棺桶だな。 ルキアンは苦笑しつつ、その《棺桶》に横たわった。実際、ケーラという言葉は、イリュシオーネの日常では棺桶とか狭い部屋の意味で使われている。 何重にもハッチが閉じ終わると、ケーラの壁面がぼんやりと輝き始めた。ルキアンはゆっくりと目を閉じる。光は次第に強まっていき、それに応じてルキアンの意識が遠のいていく。 そして体が浮き上がるような感覚をルキアンが受けた後、ケーラの内部の空間は一瞬にして透明な何かで満たされた。ちょうどルキアンは水晶の柱の中に閉じこめられているように見える。 ルキアンの視界が突然開けた。しかも肉眼では見えない遥か彼方の風景まで飛び込んでくる。彼は視界を調節しつつ、こう思った。 ――何度やっても気持ちが悪いな。 今度はケーラ内部に自分の体が死んだように横たわっているのを、ルキアンは見た。正確には彼の心の中にケーラの様子が投影されているのだが。 今やルキアンの精神はもとの体を一時的に抜け出し、アルフェリオンの《魂》となったのである。 ――研究所の火を消したいんだ。マギオ・スクロープに水精系のカートリッジを。 アルマ・ヴィオの脳は、エクターの精神とは独立しており、一種のアシスタントの役目を果たす。ルキアンはアルフェリオンに話しかけた。 するとそのとき、彼自身予想だにしなかった答えが帰ってきた。 ――わが主よ、《はじめまして》。私はアルフェリオン・ノヴィーア。 中性的な高い声は、歌うようなリズムを持っている。 アルマ・ヴィオの声が心に響いてくる。それもルキアン自身が何かを思いついたときのように、彼の意識の中に直接浮かんでくるのである。ちょうど、真剣に考え事をしている最中によそごとがふと思い浮かんでくるのに似ている。それでいて自分の意識とはやはり違う。慣れないエクターにとって、アルマ・ヴィオとの会話は気持ちが悪い。 それにしても、初めましてというのは変であろう。すでにルキアンはこのアルフェリオンに一度乗っているのだから。しかし考えてみれば、ルキアン自身もノヴィーアの声を聞くのは初めてだった。さきほどは謎の声に導かれるままに、無我夢中で行動していただけなのだから。アルマ・ヴィオの伝達系の一時的なトラブルだろうと思って、この時にはそれほど意に介さなかったルキアンだが……。 ◇ ◇ アルフェリオン・ノヴィーアは、水の精霊の力を封じた魔法弾をマギオ・スクロープに込め、研究所の方に砲身を向けた。首尾通りにいけばたちまちに鎮火するはずである。だが慣れないルキアンは、思うように狙いを付けられずに手間取っている。 メルカは木の陰に隠れて心配そうに様子を見守っている。そんな彼女が急に悲鳴を上げた。突然の強風に吹き飛ばされそうになって、木にしがみつくメルカ。 丘の下の方から大きな物体が猛然と飛来し、けたたましい声で何度か鳴いた。 それは翼を広げるとアルフェリオンよりもひと回り大きく、まさに鳥そのものの形をしている。飛行型のアルマ・ヴィオであった。悠々と空を舞う深紅の体に、鋭利な鉤爪とくちばし……魔法金属という強固な外皮に覆われた猛禽である。 赤い飛行型は、アルフェリオンの背後をかすめるようにして丘の頂上の方へ急上昇すると、そこで旋回飛行に移った。その機体の上には、人型、つまり汎用型のアルマ・ヴィオがもう一体乗っている。 ――こちらはオーリウム・エクターギルドの飛空艦《クレドール》の者だ。そこのアルマ・ヴィオ、所属と名前を言いたまえ! ルキアンの心の中に見知らぬ男の声が浮かんできた。いわゆる《念信》だ。無線などという便利な物とは違って、ごく近い距離での会話しかできないのだが、アルマ・ヴィオ同士の有効な交信手段ではある。 ――え、えっと、ギルド……あれ、聞こえてない? 念信装置の使い方をほとんど知らないルキアンは、必死にコミュニケーションをとろうとしても思うように声を伝えることができない。 ――あんた、聞こえないのかい? 砲身を引っ込めなさいよ!! 今度は女の声だ。なかなか威勢がいい。アルフェリオンのマギオ・スクロープがカルバの研究所を破壊しようとしている……と勘違いしたのであろうか。 突然のことで気が動転しているルキアン。そのためアルフェリオンも、情けないことにぼんやりと突っ立ったままである。 ――ちょっと、返事しなさい! と言うが早いか、ルキアンがまごついている間に、飛行型のアルマ・ヴィオが背中のマギオ・スクロープを本当に発射した。威力は加減されているが、風の精霊の雷撃弾である。 ――待ってくださいよ! ルキアンは思った。いきなり攻撃してくるなんて、あの飛行型アルマ・ヴィオにはどんな野蛮なエクターが乗っているのだろうかと。あるいは内乱騒ぎのせいで、怪しい者は直ちに攻撃せよとの命令でも受けているのかもしれない。 だが、そんな呑気なことを考えている余裕などあるはずがなかった。 轟音と青白い電光をまき散らしながら、雷撃弾がアルフェリオンに命中した。見た目には、確かにそのはずであった。しかし雷撃弾の光は、アルフェリオンの外殻付近で、周囲の空間に吸い込まれるようにして消えたのである。 ――背後より雷撃系の風精魔法攻撃……《次元障壁》を張って消去しました。 相変わらず歌うようなノヴィーアの声が聞こえてきた。アルマ・ヴィオには防衛本能が備わっている。したがって今のように、エクターにかわって自ら回避行動をとる場合も少なくない。 驚いているのは、ルキアンよりもむしろ上空のアルマ・ヴィオの方だった。 ――新型のシールド? 何なの、あれ……全然効いてないじゃない!! ――この馬鹿、いきなり撃つやつがあるか! ――馬鹿とはなによーっ!! 相手も混乱しているのだろうか、向こうの念信が開きっぱなしでルキアンにも会話が聞こえてくる。意外に間の抜けた感じの2人であるようにも思える。 ルキアンはとりあえずマギオ・スクロープを発射し、研究所の火を消しにかかる。砲門から放たれた一筋の光は、研究所のところで花が咲くように広がり、周囲が見えなくなるほどに水蒸気が立ち上ったかと思うと、炎はたちまち消え去った。 ――あの、ちょっと……。 ルキアンの声がようやく相手に伝わったらしい。 ――子供なの?! 確かにルキアンの声は甲高くて子供じみているが、それにしてもこの女はせっかちな性格のようだ。 ――あのなぁ、いまから降りるから、いいからそっちも出てこい! もう一人の若い男の声。こちらもなかなか元気がよい。 飛行型アルマ・ヴィオがゆっくりと舞い降りる。その上に乗っているアルマ・ヴィオが、攻撃の意思はないというふうに手を振った。アルフェリオンとは違って、鎧を着た人間がほぼそのまま大きくなったような格好をしている。したがって動物的な雰囲気は感じられない。その手に握られた長槍の先端には、黄白色の光でできた穂が輝き、もう一方の手の外側には、ちょうど楯の形に広がった不思議な光の幕が張られている。 紅の翼をゆったり羽ばたかせ、飛行型アルマ・ヴィオが着陸する。金属製の鋭い爪のついた二本の足で見事に大地をとらえた。土煙が激しく舞い上がり、周囲の草むらが狂ったように頭を振っている。 着地の直前を見計らって、青いアルマ・ヴィオも素早く飛び降りた。甲冑が鈍い音を立てて鳴り響く。重厚な金属の塊であるにもかかわらず、思ったよりも軽やかな動きであった。しかしその衝撃で地震さながらに地面が揺れ、メルカがまた恐そうに木にしがみつく。 飛行型アルマ・ヴィオの方から、上下とも鮮やかなエメラルド色の衣装の人物が優雅な身のこなしで現れた。丈の短いぴったりとしたダブルのジャケットと、膝下までのタイトなズボン……いわゆるブリーチズ、を身につけている。かなり身分の高い紳士を思わせる。そして襟元には、エクターギルドのメンバーの印である青紫のクラヴァットが、誇らしげに巻かれていた。 ルキアンもアルフェリオンを離れた。ぼんやり立っているルキアンの方に向かって、その人物が毅然とした様子でやってくる。 ――あれ? 右手で眼鏡を微かに持ち上げ、ルキアンは目を凝らした。 ――女のひと? 国や身分の違いによって多少の差はあるが、イリュシオーネの女性は、概して足首まであるような長いスカートを身につけている。髪もほとんどロングであり、少なくとも肩より上の長さに切っていることは希である(男性も長髪の方が多い。ちなみにかつらを被る習慣はない)。まして視力のあまり良くないルキアンが、この相手を男性と勘違いしたのも無理はないかもしれない。 しかしすぐに分かった。いかに男装でも、彼女の服装は、女性特有の身体のラインを否応なく強調している。やや抑えがちに優美な曲線を描いた胸元にも、ルキアンはつい目を奪われてしまったが……何やら恥ずかしくなって顔を背けた。思わぬ誤解に驚かされたせいか、心臓の鼓動が速まっている。 少し遅れてもう一方のアルマ・ヴィオから、赤毛の大柄な青年が面倒くさそうに降りてきた。180センチは軽くありそうな長身は、たくましく引き締まっている。ルキアンよりもかなり年上のようである。 らくだ色の生地に、濃い茶色の太いストライプという怪しげなフロックは、見た目にもあまり趣味がよいとは言えない。彼の大きな体には少し窮屈そうなサイズでもある。いい加減に扱っているせいか、あちこちにしわが寄っている。せっかくのエクターギルドのクラヴァットも、何やら雑な巻き方だ。手ぬぐいのような感じで太い首にかけられている。 例の女がルキアンのところまでやってきた。彼とほぼ同じ背丈の彼女は、細い体に似合わぬ大声で言った。 「ちょっと、こんなところでアルマ・ヴィオなんか出して、何やってんのよ?」 紫がかった黒髪を、耳が隠れる程度の長さに切り、少しはね散らかした無造作な髪型にまとめている。たぶん20代前半であろう。それにしても威勢がよい。彼女のきびきびとした口調は、ルキアンのそれよりも遥かに男っぽい。 まるで鬼教師に叱られている生徒のように、もじもじと上目遣いに見ているルキアン。 女は居丈高な様子でルキアンの方を見ていたが、やがて仕方なさそうに微笑むと、白くてしなやかな人差し指でルキアンの額を小突いた。 「こらっ、少年! もっとシャキッとしなきゃ駄目じゃないの」 彼女は悪戯っぽい笑みを浮かべている。こうしてにこやかな顔をしていると、思っていた以上に若く見える。彼女の瞳には、まだ少女のようなあどけない光さえ微かに浮かんでいる。もう怒っている様子はほとんどない。 「私はエクター・ギルドのメイ。本当の名前は長ったらしくてあまり好きじゃない……メイオーリア・マリー・ラ・ファリアル。だからメイって呼んで。キミは?」 最初の時よりも、彼女の声は随分柔らかくなってきている。 ちなみにメイはその言葉の訛りと名前からして、生粋のオーリウム人ではないようだ。おそらくタロス共和国系の旧貴族の出身であろう。そんなことを色々と考えつつ、ルキアンも挨拶する。 「僕は、ここの研究所のラシィエン導師の弟子で、ルキアン・ディ・シーマー」 もう一人の男の方もぼちぼちとやってきた。絵に描いたような熱血漢というのはこういう人間のことを言うのであろう。太い眉の下には、曲がったことがいかにも嫌いそうな澄んだ目。そしてきりりと結んだ口元。 はじめは少し乱暴なタイプにも見えたが、彼は気さくな顔でさらりと言った。 「よぉ、すげぇな、このアルマ・ヴィオ。雷撃弾が全然効かなかったじゃないか。いったいどうなってんだ?」 男はアルフェリオンを眩しそうな目で見上げた。 メイに肘で脇腹をつつかれて、彼は思い出したように挨拶する。 「あ、そうだ。俺もギルドのエクターで、名前はバーナンディオ・ドルス。ギルドのバーン様っていったら、そりゃもう、おまえ……」 「ドジで間抜けなヤツだって、知らない人は誰もいないわねぇ」 メイが口を挟んだ。 「こら、なんてこと言いやがる!」 バーンことバーナンディオは、文句を言いつつも歯を見せてにこにこと笑っている。結構お気楽な男のようだ。 「ここのすぐ下の港に、私たちの船が昨日から停泊しているの。さっきね、街の人が、この丘に二体のアルマ・ヴィオが現れて、しかも大きな爆発があったと言って駆け込んできたのよ。だからこうして慌てて飛んできたってわけ。反乱軍が何かやらかしたのだったら大変だもんね。ここの街には議会軍も国王軍もほとんどいないみたいだから……」 メイも横目でアルフェリオンをちらちらと見ながら言う。 「ギルドの……船に乗っているんですか?」 「あぁ、飛空艦クレドールさ。俺たちはその乗組員で、かつエクターだ。昨日、ある街の近くで、アルマ・ヴィオに乗った野盗たちを退治する仕事を片づけてきたところなんだ」 バーンは少し遠くの方を顎でしゃくった。 「ところで、あそこのお嬢ちゃんは何だ? こっちをずっと見てる……」 ルキアンはメルカを手招きした。彼女は小走りにやってくる。 「君の妹?」 メイは彼女の方をしげしげと見た。 メルカはルキアンの背中に隠れ、メイとバーンの方をそっと覗いている。 「この子はメルカちゃん。師匠の娘さんです」 ルキアンが紹介すると、メルカは黙って頭をぺこりと下げた。 「ふぅん。お人形みたいなかわい子ちゃんじゃないか」 バーンが大声で笑った。 「それで……この騒ぎはいったい何なの?」 メイが辺りを見回しながらルキアンに尋ねる。 いつの間にか、近所の人々や野次馬が沢山集まってきている。あれだけ派手にアルマ・ヴィオが飛び交えば、誰だって気になる。反乱軍と正規軍との戦いが始まったのかと思った人も多いかもしれない。 ルキアンは、さきほどのアルフェリオン・ドゥーオの一件のことを、バーンとメイに手短に説明した。ルキアン自身も、これからどうしたら良いのか決めかねている。師匠はまだ数日間は帰ってこないし、ソーナはさらわれ、兄弟子のヴィエリオは行方不明……。困ったルキアンはそのあたりの事情も含めてギルドの2人に話してみた。 「そうねぇ。まず、ソーナって人のこと、なんとかしないとね。でもこの反乱騒ぎじゃ、お役人もなかなか動いてくれないわよ」 メイが腕組みする。そして彼女は冗談ぽく言った。 「依頼料さえ払ってくれるのなら、誘拐事件の解決、ギルドがいつでもお手伝いするわよ」 ルキアンがむっとしたのを見て、メイが苦笑いする。 「うそだってば。でもちょっと悪い冗談だったわね、ごめん。ところでお師匠はどこに行ったの?」 「ガノリスの都……」 「それって、バンネスクのことだよな?!」 バーンがメイと顔を見合わせた。 二人はしばらく黙っていたが、言葉に詰まったバーンをメイが一瞥し、彼の代わりに溜息混じりに話し始める。 「そうなの……昨日、ギルドの本部から連絡があったんだけど、実はね……バンネスクは、いま大変なことに」 メイは同情するような目でルキアンとメルカを見つめた。 【注】 (*1) レディンゴートとは、18〜19世紀に西洋で見られた軽めのコート風の女性服である。上半身の部分は割合体にぴったりとしており、下半身部分はスカート状になっている。羽織るのではなく、ボタンを留めて普通のワンピースのようにして着ていたらしい。 (*2) アルマ・ヴィオの液流組織は普通の生物でいう血管に相当する。伝達系とは同じく神経、動力筋とは筋肉のことを指す。アルマ・ヴィオは、魔法を使って作り上げられた人工の(半)生命体なので、その内部構造も機械よりむしろ自然の生物に近い。 |
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