HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第36話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 新しき繰士ルキアン・ディ・シーマー、
 汝の崇敬する、月と魔法の女神セラスに誓いを立てよ。
 小さき者たちの盾となり、あるいは優しき者たちを護る剣となり、
 その力を正しい道のために用いんことを。


 1.

 アルフェリオンがゼフィロス・モードから元の姿に戻るにつれて、今まで機体を取り巻いていた強大な魔力も、あたかも風が通り過ぎてゆくかのように何処へともなく消失していった。
 パリスの命を救えなかったことへの慚愧の念と、ともかく戦いを終えた安堵感とが入り交じり、ルキアンからも気力が急激に抜けてゆく。考えてみれば、昨晩からずっと、しかも徹夜でアルフェリオンに乗り続けていたのだ。その後、現在の時刻はとうに正午を過ぎている。特に戦闘の際にパラディーヴァの力を借りていなかったなら、これほどの長時間、連続でアルマ・ヴィオを操るのは不可能だろう。その過酷な事実を自覚できるだけの余裕がやっと生まれたせいか、ルキアンの中で緊張の糸がぷつりと切れてしまったらしい。
 すると、彼とひとつになっていたリューヌの意識も、一瞬、感じられなくなった。彼女が消えてしまったかのような錯覚に陥り、不安になったルキアンは思わず呼びかける。
 ――リューヌ、ちゃんと《居る》よね? 返事をして。
 いつもなら問いかけとほぼ同時に、彼女の声が自分の心の中に浮かぶはず。だが今回は返答が数秒間遅れた。
 ――大丈夫です。力を少し使いすぎただけ……。
 ――リューヌに頼ってばっかりで、ごめん。負担をかけすぎだね。
 やはり今までとリューヌの様子が違う。大丈夫だと言いながらも、彼女の心の声はみるみるうちに弱まり、精神を集中させないと聞き取れないほど小さくなっていた。
 ――しばらく休めば回復します。
 そう告げたきり、リューヌからの反応は、かき消えるように無くなってしまった。今も彼女の存在自体は感じられる。しかし呼びかけに対する答えは完全に途絶えている。おそらくリューヌは休眠しているのだろうが、ルキアンはとても心細く思う。
 闘技場の周囲に並ぶ観客席のひな壇に沿って、ぼんやりと流れていく彼の視線が、シェリルのティグラーの姿とぶつかった。鎧をまとった重装備のティグラーがゆっくりと地面にしゃがみ込む。背中のハッチが開き、ハシゴ状の足場を伝って一人の女性が降りてくる。
 金属板が擦れ合うような音、軽くぶつかり合うような響き。彼女は、いわゆるスケール・メイル――鱗状の鋼の板をつなぎ合わせた鎧――を思わせる胴着を身につけ、通常よりも丈の長い赤のエクター・ケープをその上に羽織っている。この独特の防具に加えて、銛(もり)のような形状をもつ短い槍を背負った彼女の出で立ちは、ルキアンにとっては見慣れないものだった。どこか別の国、異邦の戦士という印象である。さらには、かつてミルファーンやオーリウムの北洋沿岸に栄えた民族の戦士を連想させた。
 ――この人が、シェリルさん?
 こちらに歩いてくる彼女に向けて、ルキアンはアルフェリオンの魔法眼の倍率を上げた。
 午後の日差しに輝く黄金色の髪は、背中で一本に編まれている。整った鼻筋や引き締まった口元には、こざっぱりとした気品が漂う。それでいて彼女の全体的な容貌には、ある種の野性的な雰囲気も感じられる。
「君も降りてこないか、少年。いや、ルキアンと呼んだ方がよいか?」
 シェリルの実際の声や喋り方も、念信のときの《声》のイメージと同様に厳めしかった。だが、上目遣いにアルフェリオンの方を見ている彼女は、飄々とした笑みを微かに浮かべている。見た目の印象では20代後半くらいに見えるが、ちょっとした仕草や顔つきに一定の落ち着きが感じられ、声の質もそれほど若くはない。
 ――外国の人? そういえばミルファーンの話をしていたけど。
 彼女の生の言葉を耳にしてすぐ、ルキアンはそう思った。流暢で聞き取りやすいとはいえ、彼女の話すオーリウム語のアクセントやリズムは、ルキアンのそれとは明らかに異なる。

 言われるがままに、ルキアンもアルフェリオンから降りた。
 二人の視線がぶつかる。シェリルの青く澄んだ瞳は、これまでの間にルキアンの中に作られていた彼女のイメージよりも、ずっと穏やかな印象を醸し出している。
「さっきは、どうもありがとうございました、シェリルさん」
 ぎこちなく礼を言ったルキアン。
「なるほど……。こういう子だったか。大体、思った通り」
 シェリルは小さく頷いた。耳慣れぬ響き。言葉の意味までは理解できないにせよ、とりあえず彼女がミルファーン語を口にしたことは、ルキアンにも分かった。続いて、再びオーリウムの言葉が聞こえた。
「帝国軍は、次は間違いなくオーリウムに侵攻してくる。この国も君も厳しい状況に置かれるだろう。いよいよ困ったらミルファーンに来たまえ。王城に行き、シェフィーアという機装騎士を訪ねるといい。《灰の旅団》のシェフィーア・リルガ・デン・フレデリキアの知り合いだと言えば、分かってもらえるだろう。オーリウムとミルファーンとの今後の関係にもよりけりだが、少なくとも個人的には君の力になってくれる」
 そう告げた後、彼女は指を立てて口元に当てる。
「君がミトーニアで会ったのは、ただの傭兵のシェリルだ。内緒だぞ」
 彼女はルキアンの頭に手を置き、彼の髪を軽く揺すった。
「今度会うときには、もっと強くなっているように。期待している、《オーリウムの銀のいばら》、ルキアン・ディ・シーマー」
 最後にミルファーン語の短い言葉が聞こえた。
「君のことを少しは気に入っているのだから。興味深い少年」
「え? 今、何て?」
「さぁ。こういう台詞は、わざわざ説明すると無粋になるものだ。君の国の言葉でどう言い換えたら一番適切なのか、私には分からないし」

 彼女はおもむろに右手を高くかかげる。すると突然、その手の指す方向、空の一角が陽炎のように揺らめいたかと思うと、蒼天と同様の薄いブルーの機体が姿を現した。
「《精霊迷彩》で姿を隠していた? いつから上空にいたんだろう。飛空艇、いや、あれは船ではなくて飛行型の重アルマ・ヴィオだ」
 先ほどまではゼフィロスの超空間感応の圏外に浮かんでいたのであろうが、大型のアルマ・ヴィオが気配すら微塵も感じさせず《潜伏》していたことに、ルキアンは少々驚いている。
 機体は再び精霊迷彩を展開し、二人の視界から消えた。その姿が次に現れたのは、遺跡のすぐ上空にまで高度を下げた後だった。動きの特徴からみて明らかに飛行型のアルマ・ヴィオなのだが、トビウオを思わせるその機体は、むしろ飛空艦のクレドールをそのまま小さくしたような形状である。
「す、すごい。さすがはミルファーンの……」
 ルキアンが感嘆を交えてそう言ったのも無理はない。ミルファーン王国は、飛行型アルマ・ヴィオに関してはイリシュシオーネ随一の技術水準を有するのだ。ちなみにサモン・シドーの愛機《ファノミウル》も、おそらく長期のミルファーン暮らしの間に彼が入手したものだろう。
「迎えが来た。そうそう、そのティグラーは借り物だから、ミトーニアに返しておく。なかなかよく調整されていたよ。ではルキアン、生きて再び会おう。死ぬなよ」
 背を向けて歩き出していた彼女は、振り返って片目を閉じた。
「今日の調子で、何があっても諦めるな」

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