HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第36話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 音も光もない暗闇に、不意に鬼火と共に何者かの声が浮かんだ。
「《御子》の中でも最も小さき光でしかなかった者が、まさかこれほど急激に目覚めつつあるとは。やはり恐るべきは、エインザールを継ぐ《闇の御子》よ」


 3.

「シェリル様……いや、もう作戦は終了しましたから、シェフィーア様とお呼びして構いませんね。お帰りなさい」
 抑揚の無い声と共に現れたのは、透き通った微笑をたたえる長身の女だった。金属質な輝きをもつ銀髪と、不自然なほどに鮮明な青色の瞳は、どこか人間離れした冷たい雰囲気を漂わせている。
「ただいま、レイシア。いつものを頼む。いや、いつもよりベルリの実を少し多い目に入れてくれ」
 シェフィーアは質素な木製の椅子に座り、くつろいだ様子で吐息を漏らした。彼女は肩に背負った銛のような手槍を降ろし、出迎えた忠実な部下・レイシアに渡す。
「傭兵ごっこには疲れたよ。それでも今回のように《用心棒》というかたちで潜入できれば、下手に口で素性をごまかさねばならぬ場合より、相手の信頼を得るのはずっと楽なんだがな。ギルドに包囲されて猫の手も借りたいミトーニアが相手なら、なおのこと簡単だ」
 二人の居る場所、周囲には、ちょっとした応接室ほどの部屋が広がっている。アルマ・ヴィオの乗用室(ただし《操縦席=ケーラ》ではない)にしては非常に広い部類に入る。いかに飛行型重アルマ・ヴィオであろうと、これだけの内部空間を――しかも戦闘には直接関係のない、ある意味で無駄に広い空間を――有している機体など通常は見かけない。彼女たちの乗っているアルマ・ヴィオが飛空艇並みに大きいせいもある。飛空艇と同様、1体か2体程度のアルマ・ヴィオなら内部に格納することさえできるようだった。

 しばらく奥に行っていたレイシアが、湯気の立つポットを運んで戻ってくる。香りからして、野草と果実をブレンドした飲み物のようだ。
「しかし、お戯れが過ぎましたね。計画外の行動は、オーデボー団長にまた怒られますよ」
 そのように諫めつつも、レイシアは笑っていた。笑っていたといっても、目と口元のほんのわずかな変化に過ぎない、小さなものだが。
「分かっている。お望みならば、座敷牢にでも何にでも入るよ。ふふ。だが、わざわざミトーニアまで来て、遺跡見物だけで帰っては面白くないだろう。それに伯父上は、私に勝手な《戦闘》は許可しないとおっしゃったのだ。今回、私自身は誰とも剣を交えていないが?」
 シェフィーアは、だだっ子のように強引な理屈を並べている。呆れた顔でポットをテーブルに置くレイシア。
「すまないな。名にし負う《霧中の剣レイシア》に小間使いなどさせて。だがお前は何にでも有能だから困る。茶をひとつ入れるにしても、陛下のお付きの者たちより上手い」
「《霧中の剣》は貴女の剣でございます。いつでも何にでもお好きに使ってください」
 単調な声でレイシアは答えた。一見、感情のこもっていない声で二人がやりとりしているふうに聞こえるが、彼女たちの間には、言葉を越えた不思議な信頼関係があるようだ。
 野草と果実の茶が十分に引き出されるのを待ちながら、シェフィーアは呑気につぶやく。
「結局、私の気まぐれな行動は、抗戦派のボスたちにとっては降ってわいた災難だったか。たぶん今頃、共に市庁舎前を守っていた2体のティグラーは、押し寄せる市民に道を明け渡してほっとしているかもしれない。《邪魔》なお目付役の私も居なくなったことだし、心おきなく、己の良心に従ってな」
 そこまで言うと、シェフィーアはレイシアに向かって苦笑した。
「何だ、その疑わしそうな目は? ふふふ。私は別に何もけしかけてはいない。もともと、あのティグラーの繰士たちはミトーニアの市民。群衆の中には彼らの家族もいたようだ。ほどなく、例の市長秘書と神官は市庁舎開放の英雄になって、胴上げでもされるかもしれない。救出された市長らがギルドと予定通りに和睦すれば、市街戦も避けられる。あのルキアン少年の夢みたいな願いが、今回は本当に実現する、か……」
「それだけ結果を予想しながら、あの場をわざと離れて決闘の見物にお出かけでしたか。シェフィーア様も意外に意地悪ですね。それに今回の任務はあくまで情報収集。ミトーニアを内部から攪乱することや、ましてオーリウムのエクター・ギルドの手助けをすることは含まれていません。偶然の成り行きでそうなったとでも、団長には申し開きをなさるのですか。いつもの悪いくせです」
 レイシアには弱いのか、釘を刺されたシェフィーアは、子供のように笑ってごまかしている。
「だったらレイシアは、私があのまま傭兵という役柄を演じ続け、抗戦派を守って少年のアルマ・ヴィオと戦えばよかったと? 冗談だろう。いずれにせよ、ミトーニアの開城が早まることはミルファーンにとっても大いに好都合。その手柄でもって、伯父上にも、私の独断に対する責任を帳消しにしてもらいたいものだ。つまるところ、アール副市長をはじめ、抗戦派の者たちが甘すぎたのがいけない。自業自得だよ。いかに腕の立つ手駒が少ないとはいえ、得体の知れぬ私をあのような防衛の要に配置するなど、愚かしいこと」
「貴女の腕前を見せられれば、雇い主なら誰でも頼みにしたくなります。いかに《鏡のシェフィーア》の通り名は伏せていようと、手を抜いてみせても、実力は歴然ですから。もっとも、市長を裏切った抗戦派としては、ミトーニアの市民兵を身近に置くのが内心では怖かったのかもしれませんね」
 ふと、シェフィーアの脳裏に、ルキアンの姿が鮮明に浮かび上がった。
「だからこそ、ナッソス家にすがったのだろう。そこに選りすぐりの先鋒を送ってきたナッソスの読みは賢明だったが、これまた運悪く、あのルキアンという災難が降ってわいた……というわけだ」
「そろそ飲み頃です。どうぞ」
 カップに茶が注がれる。レイシアの手は機械のように整った動きをしているが、逆に言えばロボットを連想させてしまう。振る舞いといい、容貌といい、一風変わった女性である。
「ありがとう。レイシア、お前も飲め。しかし本当に《偶然》とは怖いものだ。そうは思わないか?」
 ミルファーンの首都近辺で焼かれた貴重な白磁のカップを手に、シェフィーアは自問する。
 ――人間には抗し難いその力は、むしろ《必然》か? あの場に居合わせた私さえも、ひょっとすると《偶然という名の必然》の実現に無自覚に力を貸した、単なるコマであったのかもしれぬ。あの少年……ルキアン・ディ・シーマーには、何かそういう不思議な力を感じる。考え過ぎか? いずれにせよ、思わぬ種を蒔くことができた。

 二人を乗せたトビウオのようなアルマ・ヴィオは、精霊迷彩でその姿を隠し、遠くミルファーン王国をめざして羽ばたいてゆく。イリュシオーネの旧六王国のうち、オーリウムと最も関係の良い国、北方の王者ミルファーンに。

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