HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第5話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  夢を信じることに、人々がとうとう疲れ果ててしまったので、
   世界は本当の姿を保てなくなり、目に見える国と虚ろな国へと
    永遠に引き裂かれてしまったのです。 
  (イリュシオーネの昔話より)



 夜の闇も、荒れ狂う嵐も消え失せて……視界の中に忽然と光が溢れ、輝き始めた。
 世界はどこまでも明るく、人の匂いのしない太古の風に満ちていた。
 空は天上高く澄み渡り、柔らかな霧に包まれた大地には、手つかずの深い緑が広がっている。
 草の海を思うがままに流れるせせらぎは、大小無数の湖沼に清冽な息吹を送り込んでいた。
 誰もがその美しさに目を奪われたことであろう――もしも、この場所に至る経緯さえ、これほどまでに異常でなかったならば。そして何よりも、目前に危険が迫っていなかったのなら。

 クレドールがまた大きく揺れる。この不思議な場所に出た直後と同様に、船全体がつんのめるような感覚があった。何かとてつもなく重い物に船体が引っかかっている……そんな手応えだと言えばよいだろうか。
 船が左右に激しく傾き、まともに立っていられない。
 体の小さいメルカは壁際に飛んでいきそうになる。
 メルカを必死に支えようとするレーナも、床に膝を打ち付けてしまった。それでも彼女はみんなに迷惑を掛けまいと、けなげなに痛みをこらえている。
「レーナ、大丈夫かい? ちょっと見せてごらん」
 自分もよろめきつつ、ノエルが危なっかしい足取りで近寄った。
「ありがとう。私は平気よ。それよりメルカちゃん、何ともない?」
 メルカは黙ったまま、ちょこんとうなずいた。レーナを見つめる澄んだ瞳が、無言の中に恐怖を訴えている。
 さすがに操舵長カムレスは、事態に動ずることもなく舵輪を握っている。経験豊富な彼ならではの落ち着きだ。その手に普段より少し力が入っているのは、仕方がないことだとしても。
 だがカムレスは、トーンを落とした声でとんでもない事実を告げた。
「実はここに来てから、船が動かないんだ……」
 クレヴィスは当然のごとくうなずいた。彼もまた、いつも通り悠々と微笑を浮かべている。それを見てランディが冷やかす。
「なるほど、魔法使いにかかれば、超常現象の類も日常茶飯事の現象なのかねぇ」
「いや、ランディ。魔法使いは普通の世界に奇跡をもたらすにすぎません。しかし《この世界》は、魔法の力など借りるまでもなく、不思議に満ちているのですよ」
「この世界?……おいおい、まさか、これがあの世だとか言い出すんじゃなかろうな。いくら綺麗な川があって、お花も沢山咲いてるからって、まさかね」
 ランディの軽口も、今日ばかりは少し語気が重い。
 と、そのとき。
「あ、あれを! クレヴィス副長、外を、下の方を見て下さい!!」
 クルーの1人が窓をのぞき込んで慌てふためいている。窓際に近い席の者たちの間から、次々とどよめきが起こった。
 もう1人、大騒ぎしているのはメイだ。こちらはいつものことだが。
「ちょっとヴェン、あんた、景色ばっかり楽しんでないで調べなさいよ! 何なのよ、一体?!」
 《鏡手》のヴェンデイルの肩をメイがひっぱたく。そんなメイの言葉になど構っていられない様子で、彼も懸命に《複眼鏡》を操る。
「んなこと言われても、複眼鏡ってのは、近くの物はかえって見づらいんだぜ!ちょっと黙ってくれよ……あ? ありゃ、何だ?!」
 ヴェンデイルに操られた魔法眼が捉えたもの、それは恐らく巨大な植物だった。
 妖しいぬめりを持った、奇怪極まりない深緑の化け物だ。外観はツタに近いのだが、またどこか動物的であって、イソギンチャクの触手をも想起させる。しかもその大きさは、森の巨木どころかクレドールをも優に超える。よく見ると、触手の塊とも言うべき部分が空に浮遊しており、それにつながったツルのような本体が、はるか下の大地まで続いていた。
「こ、コイツは飛空艦を喰う気なのか?!」
 うわずった声でヴェンデイルが叫んだ。
 クレヴィスも窓の側まで寄り、外を見て溜息をついている。なぜか彼にとって、事態はさほど深刻ではなさそうだった。
「肉食性の巨大植物の一種ですか。こんなところに生えていたなんて、運が悪かったですね。《ここ》に出たとき、きっと真正面からぶつかってしまったのでしょう。この手の植物は《ファイノーミア》の辺境にも希に生えていますが、普通はせいぜい人間や馬を捕食する程度の大きさです……これほどのものは、さすがに」
 メイが今度はクレヴィスのところに走っていき、地団駄を踏んでいる。
「呑気なこと言ってないで、クレヴィー、どうすんのよ?!」
「困りましたねぇ」
「ふざけないでってば!」
「いや、本当に。この植物の脅威など取るに足らないですけど、問題は時間の方ですよ」
 クレヴィスは、自分の席に取り付けられた大きな時計を眺めている。そうかと思うと今度は、珊瑚色のウエストコートを飾る鎖の先、懐中時計を取り出して時間を見る。要するに2つの時計を交互に見比べているのだが、一体何のために……。
「こんな時に、時間なんか気にしてる場合?!」
「違うの! 静かにして、メイ。席に戻ってて」
 空気を切り裂くような鋭い声で、セシエルが言った。美人ながらもどこか堅苦しい面立ちの中、怜悧な光を宿した目がいつになく厳しい。仕事に集中しているときのセシエルは、普段から傍目にも近寄りがたいほど、冷徹で無機質な感じがするのだが……それにしても今回は、少し口調がきつすぎたかもしれない。さすがのメイも、少々しょげ込んでいる。
 セシエルは、球体と天秤が合わさったような器具、つまり例の《星振儀》をじっと見据えている。時計をにらむクレヴィスとも、時々何かやり取りする。
 すぐに頭に血が上る自分に反省しつつ、メイが座席に戻ろうとすると、クレヴィスが彼女の背中をぽんと叩いた。
「ところでメイ、さきほどの戦いで受けた《ラピオ・アヴィス》の損傷は、どの程度でしたか?」
「胴体や翼にいくつか裂傷があるけれど、飛行能力に問題はないと思う。ルキアン君のおかげで助かったわ。何? 必要なら、いつでも出られるわよ」
「そうですか、ありがとう。でもあなたはかなり疲れているはずです。誰か代わりになりそうな人を捜しますよ。別に戦いに出てもらうわけではないですから、あなたほどの腕の持ち主でなくとも十分です」
「戦わなくていいのなら、大した負担にはならないわ。私に行かせて」
「いや、少しでも体を休めておいてもらわないと……またいつ本当の戦いになるかわかりませんし。その時には、メイオーリア、あなたの力が必要なのです」
 口では強がっていても、実際のところ、メイは時折めまいを感じるほど疲れていた。アルマ・ヴィオを操るとき、ただでさえエクターは極度の精神集中を必要とする。しかもメイは、圧倒的に多数のギベリア強襲隊を相手にして戦い、生死の瀬戸際まで追い込まれたのだから。
「……そう。わかった。クレヴィスがそこまで言うのなら」
「えぇ。あなたは一流のエクターなのです。あてにしているのですよ」
 一瞬の沈黙の後、メイはおどけて頬を膨らませた。
「エクターと言えば、えらく静かだと思ったら、あのバカども……この大変なときにどこをほっつき歩いているのかしら?!」
「ベルセアなら、戦いの時からずっと格納庫にいるぜ。さっきの新しいアルマ・ヴィオをよく見たいとか言って。バーンもご飯を食べた後に来たよ」
 ノエルが艦橋の隅の方から答えた。彼の隣で、レーナとメルカも心配そうに壁にしがみついている。
 3人のそんな姿を見てクレヴィスが苦笑する。
「ノエル、君も早く格納庫に戻って仕事を続けるのです。ついでに、バーンとベルセアに、至急ブリッジに来るよう伝えて下さい。私の《デュナ》の武装交換も、念のためガダック技師長と一緒に頼みます」
「えーっ。デュナはまだ本調子じゃないって、ガダックのおっちゃんが言ってたよ。あの、玉みたいな……ランブリなんとかっていう、そうそう、おっちゃんが《蛍》と呼んでたヤツは使えるけど、別のあれ、何だったっけ……精霊がどうとかっていう方が、まだ調整が足りないみたい。あれ、分かんないや?」
「《ネビュラ》(*1)のことですね。私はあれの力を借りなくても、いざとなれば自分で《本物の》精霊を呼び出すこともできますから、まぁ今回は無理に取り付ける必要はありません。《ランブリウス》(*2)の方が使えれば、問題はないです」
「副長のデュナの仕組みはさっぱりわかんないよ。アトレイオスやリュコスなら、オレ、独りでもう整備できるんだぜ。でももっと変わってるのが、あの銀色のアルフェなんとかっていうアルマ・ヴィオだよ。中を少し見せてもらったんだけど、普通のヤツと全然違うんだ。おっちゃんも、半分ぐらいの器官は何のためのものか全然分かんないって」
「おや、技師長でも知らないというのは、それはかなり特殊な……。私も後でぜひ拝見したいものです。そういえば、ルキアン君とカルはまだ来ないですね」

 クレヴィスは、なぜか手元の時計をまた心配そうに眺めている。
「ランディ、ちょっと頼まれて下さい。今、他のメンバーは手が放せません。カルを急いでここに呼んできてほしいのです。ルキアン君もね。それから、レーナとメルカちゃんも、ランディと一緒に厨房まで戻ってください。ここは危険ですから」
「あぁ、分かった。それではご婦人方、行きましょうか」
 襟元に手を添えて純白のクラヴァットを整えると、ランディは大げさな身振りで一礼し、レーナとメルカを伴って出ていった。均整のとれた体格、灰色のフロックの後ろ姿は、なかなかどうして高貴なものだ。ふだんのお調子者の顔からは想像できないが、彼の背中には、名門マッシア家の御曹司らしき、あるいはイリュシオーネ全土の文壇や社交界にわたって高名な、著作家マッシア伯らしき、ある種の風格を垣間見ることができる。
 クレヴィスは、そんな親友の背を目にしながら思案していた。
 ――さて、《ほんの数分ほどの間に、早くも1時間近く》経ちましたか。急がないと、何のために危険を冒して近道したのか分かりませんね。まぁそれでも、バルジナスを迂回しつつ反乱軍のまっただ中を進むよりは、ネレイの街によほど早く到着するに違いないでしょうが。
 彼は艦橋の面々に向かって、独り言のように言う。
「こんなお伽話を聞いたことがありませんか? 妖精の国に迷い込んだ子供が、楽しく暮らした後……元の世界に帰ってみると、とてつもない時が流れ去っており、家族も家もすっかり消えてなくなっていた……そんな困った夢物語を。あれは事実なんですよ。ただ、妖精の国ではなくて、本当は《パラミシオン》のことを言っているのです」

 ◇ ◇

 ルキアンはカルダインと共に艦橋へと急いでいた。もう1人、頼りなげに舞う蝶のように、白いドレスをそよがせて後に続くのは――《柱の人》こと、エルヴィン・メルファウスだった。
 振り返りざま、カルダインは背後のルキアンに言う。
「船がえらく揺れるな。何が起こっているのかわからんが……こんな肝心なときに艦橋に顔を出していないなんて、俺はいつもながら艦長失格だ」
 恐らく冗談のつもりでそう言ったのであろうが、カルダインはにこりともせず、低く押し黙った表情を崩さない。
 ルキアンは無言で足を早める。彼の視界の中、カルダインの頑丈で無表情な背中が妙に目立って見えた。何ともいえない影……艦長の体に染みついた憂いが、敏感なルキアンにとっては、無視しがたいほどに強く感じられるのだ。
「おとなしいのね、あなた」
 エルヴィンがくすくすと笑う。彼女はルキアンの隣に並ぶと、今にも触れ合いそうなところまで無邪気に顔を寄せる。
 頬をうっすら染めるルキアンに彼女はささやいた。うっかりすると聞き逃しそうな、風の精の言葉を思わせる声で。
「怖い人。そんな静かな顔をして、恐ろしいものを背負っているくせに」
 ルキアンが驚いて見ると、エルヴィンは何も言わずに首を傾げた。ガラス玉のような青い目が、くるりと大きく見開かれる。天井を走る薄明かりの下、彼女の瞳は、ある種の狂気じみた光と、この上なく美しい輝きを宿していた。
 ルキアンの背中に寒気が走る。この得体の知れない美少女といるとどうも落ち着かない。
「恐ろしい、もの?」
 こわばった唇。異様な空気を感じながら、彼は答えに窮した。
 沈黙の中……そのとき、廊下の前の方から別の声が響いてくる。
「カル! クレヴィスがお待ちかねだよ」
 気取った感じだが、どこかとぼけた口調。
 その声の主、長いフロックをまとった影はランディだろう。彼の後ろには女の子が2人並んでいた。
「あ、ルキアン? ルキアンだぁ!!」
 転びそうなほど勢いづいてメルカが駆け寄ってきた。ルキアンが突き飛ばされはしないかと、ランディとレーナが笑っている。
 ルキアンはメルカを胸に受け止め、そっと抱きしめた。
「心細かっただろ。大丈夫?」
「うん、心配ないよ。おねえさんたちが一緒にいてくれたもん」
 そんな二人を見て、レーナがランディに言った。
「メルカちゃん、とても安心した顔をしています。今までと全然違いますね」
「まったくだねぇ。ほぉ、あれが噂のルキアン君か……」
 メルカの変わり様を見て、ランディも少し驚いているようだ。彼はルキアンを値踏みするようにニヤニヤと眺めていたが、すぐに襟を正して艦長にこう告げる。
「カル、急いでブリッジに行ってくれ。船が大変なことになってる。なにしろツタの化けもんがクレドールを喰っちまおうとしているんだからな」
「化け物……すると《パラミシオン》に入ってしまったというわけか」
 カルダインも事態を何となく予想していたのか、それほど慌てた様子を見せない。パラミシオンの名を聞いて顔色が変わったルキアンを後目に、ランディとカルダインは話を続けた。
「あぁ。クレヴィスはお見通しだったみたいだから、今のところ心配ないと思うがね。俺はこれから、嬢ちゃんたちを炊事場に送り届けて、エクター連中にも召集をかけてくる」
 ふと、ルキアンとランディの目が合った。
「君がルキアン君か。さっきは命拾いした。ありがとうよ」
「あ、いえ、そんな……僕は別に。申し遅れました、僕はルキアン・ディ・シーマーです。貴方は?」
「俺はランドリューク・ディ・マッシア。この船の居候ってとこだな」
「ランドリューク……マッシア?」
 ルキアンはランディの顔をじっと見つめ、急に目を輝かせた。
「もしや、あなたが有名なマッシア伯でいらっしゃいますか? そういえば、この前にギルドの船を舞台にした小説をお書きになって……」
 興味津々のルキアンに対して、ランディの方は迷惑そうな顔つきである。
「よしてくれよ。俺はただの風来坊ランディ。うさんくさい物書きさ」
 しかし身なりや雰囲気から察するに、彼が高名なマッシア伯爵であることはルキアンにも明らかだった。
「マッシア伯! あなたのお書きになった『新たな共和国について・第1巻』、拝読しました。悪く言う人たちもいますが、僕にとってはすばらしい内容です。第2巻が待ち遠しいですよ」
「いや……」
 ランディが珍しく表情を曇らせた。彼はカルダインに向かって手を振りながら、ルキアンたちの隣を通り過ぎていく。すれ違いざま、彼はなぜか自嘲気味の声でこう言った。
「第2巻なら出ないよ。たぶん永久にね」
 予想外の言葉に、呆気にとられるルキアン。
 カルダインも艦橋の方へと歩き始めたので、ルキアンはランディに訳を尋ねるタイミングを逸してしまった。そして、ぼんやりと立ちすくむ。
「ルキアン、じゃあ、また後でねっ!」
 かわいらしい声で、ルキアンは我に返った。
 メルカが愛用の熊のぬいぐるみを抱いて彼を見上げている。ルキアンは、彼女の頭をなでながら、少し傾いていた桃色のリボンを直してやった。
「メルカちゃんのこと、よろしくお願いします」
 彼はレーナに一礼した。曲がりなりにも貴族であるルキアンに頭を下げられ、彼女は遠慮していたが、はにかんだ笑みをすぐに浮かべた。
「はい、メルカちゃんは、私がしっかり面倒を見ます」
 最後にメルカに手を振って、ルキアンはカルダインとエルヴィンの後を追う。
 ――マッシア伯が、あの本の続きを書かないって……なぜ?
 彼は不思議に思った。『新しい共和国について』という著書は、実は思想家としてのランディの名を一躍イリュシオーネ全体に知らしめた作品である。その内容は、旧来の身分制的な社会に対する改革を叫び、すべての人間の自由と平等を情熱的な筆致でつづったものだ。
 ひとことで言えば、この本はタロスの革命の成果を賛美し、さらに世界中に広げようとする意図で書かれている。14年前のタロス王国(現・共和国)での革命後、各地の王権は、自らの国にも革命が伝播するのを恐れ、領内の急進勢力に対して時に妥協し、時に弾圧したりを繰り返して今日に至っている。このような状況のもと、第2・第3の革命の引き金となりかねないような過激な内容の本――『新しい共和国について・第1巻』が出版された。今から約7年前のことである。
 同書が公になるまで、ランディの作品など大貴族の放蕩息子が暇にまかせて書いた駄文にすぎないと、文化人の多くは内心で馬鹿にしていた。他方、この書物が登場して以来、各国当局はランディの作品を慌てて禁書目録に加える始末だった。
 《自由を! さもなければ革命を!!》
 これがランディの出世作を締めくくる言葉に他ならない。ルキアンも、さすがにここまで言われると穏当ではないと感じたものだが。
 ――革命?
 そのとき、メイの顔が不意に心に浮かんだ。
 賑やかでさっぱりとした性格の彼女が見せた……カルバの研究所前での、あの痛々しく沈んだ横顔、そして夕刻にクレドールの廊下であらわになった、冷たく歪んだ彼女の口元。
 そして、ルキアンの前を歩いていくカルダイン――彼の部屋でルキアンが見た、ゼファイア王国の旗、あの美しく高貴な女性の肖像画。
 ――ゼファイアは革命に巻き込まれて滅んでしまった小国だった。もしや?
 ルキアンは色々と考え始めたが、たいして思いを巡らせる間もなく、やがて艦橋の前に辿り着いていた。

 ◇ ◇

「ようこそ、クレドールに」
 ルキアンの姿を認めると、クレヴィスは改めて歓迎の意を示した。同時に他の乗組員の拍手や歓声が飛び交う。
 多くの視線にさらされたルキアンは、艦橋の入口にもじもじと突っ立ったままだ。
 エクター・ギルドというのは、きっと荒くれた賞金稼ぎの集まりに違いない――日頃そう思い込んでいたルキアンは、海賊船に捕らわれた哀れな犠牲者さながらに、室内の様子を恐る恐るうかがっている。
 そんな彼の両肩を、分厚い掌が後ろから押した。
「遠慮しなくていい。さぁ、入った入った」
 聞き覚えのある豪快な声。ルキアンが振り返ると、幅も背丈も常人以上の巨体によって目の前が遮られている。堂々たる体躯を見上げていくと、歯を見せて笑うバーンの顔があった。
 その隣にもう1人、バーンに劣らぬ長身だが、もっと華奢な男がいた。やや癖のある髪は、濃い亜麻色の光を湛えて肩まで伸びている。街を歩けば少なからぬ数の女性が振り返りそうな、なかなかの男前だ。
「俺はベルセア・ヨール。よろしく頼むよ」
「あ、こちらこそ、よろしくお願いします。ルキアン・ディ・シーマーです」
 ベルセアが冗談めかして言う。
「それにしても、女の子顔負けのかわいこちゃんだよな。少なくとも誰かさんより、ずっとドレスが似合いそうに見える」
「そう言やぁ、誰かさん……いや、メイはどこ行ったんだ?」
 珍しく彼女の怒号が飛んで来ないので、バーンは辺りを見回した。
 ルキアンの目にもメイの姿は映らなかった。彼は、広い部屋の中を残念そうに眺めていたが、やがてバーンに押されるままブリッジの中に入っていく。
 時を同じくしてクレヴィスが話し始める。彼の緊張した声に、クルーたちは水を打ったように静まり返った。
「集まりましたね。時間がありませんので……いや、これは日常的な意味ではなく、《もっと特殊な、切迫した意味において》時間の制約があるということなのですが……ともかく、これからの予定を説明します」

 ◇ ◇

 そのころメイは船の医務室で休んでいた。寝台の上に楽な姿勢で腰掛けて、ぼんやりと足をぶらつかせている。
 メイの手を取って診察しているのは、白衣ならぬ法衣を着た女性である。足首にまで達する長くてゆったりとしたローブは、上から下まで純白に染められていたが、袖や首周りの部分には、目が覚めるように鮮やかな青の縁取りも施されている。白の四角い帽子を被っていないことを除けば、オーリウムの神官の標準的なスタイルである。
 彼女のこの服装のため、医務室はどことなく不思議な様相だった。事情を知らない者が見れば、まるでメイが聴罪か何かを受けているように見えるかもしれない。しかし例の白色・空色・若草色のトリコロールの帯を腰に結んでいるところからみると、この法衣の女性もクレドールの乗組員に違いない。本物の神官にしてギルドの医師の一人、シャリオ・ディ・メルクールであった。
「身体の方は大丈夫です。でも疲れているのでしょう?」
 彼女はメイを気遣いながら、手近な机の上の書類にあれこれ書き込んでいる。落ち着いた柔らかな手の動き。温和な雰囲気は、おそらく30代後半という年齢も手伝い、患者を優しく受け止める包容力をそのまま体現していた。
 そんなシャリオの暖かさに幾分遠慮してか、メイの口からは、今の自分の客観的な様子とはおよそ矛盾する言葉が出た。
「ありがとう。でも、もう平気なんだけど。ほらほら、私はこんなに元気!」
 メイはベットから床に飛び降りると、つま先立ちになって、シャリオの前でくるりと一回転して見せたが……バランスを崩して膝をついてしまった。まだめまいが残っているのだ、無理もない。
「あ、あれ? あはは」
 床に座り込み、苦笑しているメイ。
 その様子を見てシャリオは吹き出しそうになり、上品な仕草で口元を押さえている。
「エクターにとっては精神の疲れが最も大敵なのです。それはあなた自身が、私よりもよく知っているはずでしょう? 副長も休めと言っていることですし、しばらく横になっていけばどうかしら」
「うん……」
 メイは膝を抱えて、素直にうなずいた。
「よく眠れるようにお薬を用意しておきましょうね」
 シャリオはこぢんまりとした部屋の中を歩き回って、二、三の棚から薬瓶を取り出している。彼女がこうして立ち上がっていると、腰まである丁寧に編み込まれた黒髪が、とても際だって見える。小柄な女性だけに、ボリュームのある長髪がいっそう目立つのかもしれない。
 メイは珍しく無口になって、まだ床に座ったままである。心配したシャリオが彼女の肩にそっと手を置いた。
「どうしたの?」
「あのね……いま眠ると、いやな夢を見そうなの」
「大丈夫よ。ゆっくりお休みなさい……」
 シャリオはメイを抱きしめる。その腕は聖母のごとく暖かだった。
 だが――多くの人間は気づかないであろうにせよ――微笑を湛えるシャリオの目元には、一種独特の愁色が秘めやかに漂っていた。

 ◇ ◇

 今なお妖精が棲むといわれる広大なイゼール森は、オーリウム王国の中央に位置している。その黒々とした樹海を南東へ抜けると、王国東部の小高い山地に沿って流れるアラム川にぶつかる。この美しい大河のほとりに開けた街が、エクター・ギルドの本拠地、ネレイである。
 ガノリスやミルファーンとの国境を流れるヴェダン川をのぞけば、アラムはオーリウム随一の長さを誇る。流域には大小多数の港が存在するが、ネレイの街にはひときわ大きい港――正確には一種の軍港があった。

 幼い兄と妹が、柵の向こうから港をのぞいている。兄は興味津々で、すでに10数分以上も食い入るように見つめていたが、妹の方は退屈そうな顔でそれにつき合っていた。
「ねぇ、おにいちゃん、まだぁ?」
 妹は木の枝で地面に絵を描きながら、不満げに時間をつぶしている。
「もう少しだけだってば。ほら、見ろよ。大きいなぁ。あれがギルドで一番強い船、《ミンストラ》だぜ」
 少年は妹の様子などお構いなく、夢中で一隻の船を指さした。
 手前に並ぶ小さい船は、ギルドの個々の会員が所有する《飛空艇》である。せいぜい1、2体のアルマ・ヴィオを載せられる程度のものがほとんどだった。

 港の奥の方に別枠で設けられた埠頭に、それらの飛空艇とは問題にならない規模の艦が停泊している。グレーの船体はクレドールよりもひと回り大きいが、同様に魚体を模した流麗なシルエットを持っていた。エクター・ギルドの戦闘母艦、ミンストラである。
 もう一隻の戦闘母艦、つまりクレドールの姿は港には勿論なかった。
「あ、アルマ・ヴィオが飛んでるぞ! ほら、たくさん飛んでる!!」
 無視を決め込んでいる妹の背中を揺すり、彼は有頂天になって空を見上げた。
「何かなぁ。《オルネイス》かな……あれ? 知らないヤツもいるぞ!」
 ギルドの基地に降りるのであろう。かなり低空まで高度を下げているため、アルマ・ヴィオの姿ははっきり確認できる。少年が言ったとおり、まず飛行型の《オルネイス》が4体。つまり議会軍のアルマ・ヴィオだ。以前にルキアンとメイが戦ったように、反乱軍でも用いられている機体だが……騒ぎになっていないところを見ると、正規の議会軍らしい。
 さらに新鋭の飛行型《アラノス》も3体。どちらかというと飛行機のような外観を持つオルネイスよりも、こちらの方が本物の鳥にいっそう近い姿をしている。青と銀の見るからに速そうな機体は、おそらくメイのラピオ・アヴィスに劣らない性能を有する。通常の魔法金属をたやすく引き裂くであろう大型の鉤爪も、格闘戦において威力を発揮しそうだ。
 このアラノスは、議会軍の中でも限られた部隊にしか配備されていない。それが3体もいることから察するに、相当重要な任務を受けているのだろう。
 これらの飛行型は2体のアルマ・ヴィオを護衛している。
 一方は、ルキアンたちにとっては忘れられない姿、あの天駆ける猛獣、翼を持った荒ぶる獅子、アートル・メランだった。周知の通りミシュアスの愛機でもある。だが本来は議会軍の最新鋭アルマ・ヴィオだ。反乱軍の機体と区別するためか、あるいはエクターの趣味か……赤と黒であるはずの機体が、赤系統のグラデーションでほぼ統一された色に塗り替えられている。
 もう1体は紛れもなく汎用型である。ただし、このタイプには通常あり得ないはずの速度で飛行していた。全体的に白を基調として、所々にブルーとカナリヤイエロー(たまご色)のアクセントが目立つ。その容姿は、ごくオーソドックスに、鎧をまとった騎士を模している。だが武装に関してはなかなか凝った造りである。大型のマギオ・スクロープと一体化された、それでいて攻撃にも使えそうな鋭利な菱形のシールドが左腕に備えられている。どういうわけか、魔法力を収束した光の剣《MTソード(=マギオ・テルマー・ソード)》や、同じく刃先の部分が光でできた槍《MTジャベリン》等を装備していないことから考えて、接近戦時には何か特殊な武器を使うのかもしれない。
 ネレイではアルマ・ヴィオの姿など少しも珍しくはない。しかしながら、これらの見慣れぬ機体による整然とした飛行は、少年の目を大いに驚かせた。
「よぉっし! 俺も大きくなったら絶対エクターになってやる。エイミ、行くぞ! ぶぅーん!!」
 少年は両手を左右いっぱいに広げると、飛行型アルマ・ヴィオの真似をして突然駆け出した。上空をいく本物とは違って、彼の物まねはごくかわいらしく、他愛のないものではあったが。
「待ってよぉ! ウィル兄ちゃん!!」
 妹の方は、今の今まで待ちくたびれていたのに、今度は急に置いていかれそうになったものだから、むくれた顔で叫んでいる。

 ◇ ◇

「お待たせしました、《グランド・マスター》。議会軍少将マクスロウ・ジューラです。お初にお目にかかります」
 にこやかだが決して単に穏和ではない、鋭い瞳をもつ男――40代前半の軍士官は、絹が撫でるように繊細な声でささやいた後、一礼した。
 情報将校のマクスロウ・ジューラと言えば、知る人ぞしる議会軍のエリートである。総司令官の懐刀と呼ばれる切れ者だ。肩まである銀髪と細身の体は、軍人とは思えない上品な雰囲気を醸し出す。
 背後にいた彼の部下たちも、同様に慇懃な態度で黙礼する。
 みな、白地にマホガニー、そしてローズという三色でさっぱりと彩られた、軍にしては幾分なりとも洒落た制服を身につけている。議会軍の《機装兵団》、つまりアルマ・ヴィオ専門の部隊のものに他ならない。マクスロウのみ、その上に皮のコートを羽織っていた。女性の士官も1名おり、彼女は白のスカーフをゆったりと首に巻いている。
 東部丘陵特産の《白鳥石》のタイルが敷き詰められたテラス。その白亜の建造物にはどこか不似合いな豪傑風の男が、その容貌に見合った高笑いで出迎えた。すでに白髪が目立つ年頃だが、気勢は溌剌とし、体力の衰えなど微塵も感じさせない。この男デュガイス・ワトーは、《グランド・マスター》つまりエクター・ギルドの最高責任者である。
「いやいや、待たせたなどとおっしゃるが、ずいぶんお早い到着で……こちらは茶の準備がようやく間に合ったところですぞ。しょせん我々は戦いのみに生きる無骨者ですから、この手の上品な会合には不慣れでしてな。はっはっは」
 灰色のフロックをラフに着こなし、ギルドの一員として当然のごとくエクター・ケープをまとっている他には、これといって礼装などしていない。
 グランド・マスターの隣には、どこか神秘的な雰囲気をもつ、目の細い男が座っていた。彼が時折ほほえむと目がなくなってしまい、眠っているようにも見える。年は20代半ばから後半、耳の際で刈り込んだダークグリーンの髪をもつ学究肌の男だった。ギルドの人間に対する世間的な印象とはほど遠い容貌だが、彼もエクターケープを身につけていることからして、立派な繰士に違いない。
 マクスロウ少将は、ごく簡単な挨拶の後、事務的に切り出した。
「ご丁寧なお心遣い、感謝申し上げます。では、さっそくですが……」
「まぁ座ってください、ジューラ少将」
「はい。コーサイス少佐以外は下がっていなさい」
 話の重要性を考え、マクスロウは人払いをした後に着席する。
 彼の後ろに一人だけ残ったのは、几帳面そうな金髪の女だった。女性で少佐の地位にある人物は、おそらく議会軍でもほとんど例がないであろう。その割には、一見するとごく平凡で、やや控え目な雰囲気の人間にみえる。
「こちらは私の部下、エレイン・コーサイス少佐です」
 マクスロウは彼女をデュガイスに紹介した。
 エレインが一礼して席に着いた後、今度はデュガイスが隣の男を紹介する。
「彼はカリオス・ティエント。飛空艦ミンストラのエクターで、副官並(副官ではないが、それに準ずる地位)です。ギルドの人間には珍しく、なかなか博識な男でしてな。普段はギルド本部で相談役のような仕事もさせております」
「噂はおうかがいしています。エクターとしても、ギルドで指折りの腕だということですね」
 うつむき加減のカリオスの方を見ながら、マクスロウが言った。
 カリオスはゆっくり首を振る。
「もったいないお言葉です。噂など、世間の買いかぶりにすぎません」
「ご謙遜を。近い将来、あなたのお力を借りることもあるでしょう……。それで、グランド・マスター、例の件ですが」
 マクスロウは声を多少落として話を続ける。
「まずガノリスの戦況は、正直申し上げて苦しいところです……エレイン、資料をこちらへ」
 エレイン少佐から書類の束を受け取り、マクスロウは言った。
「首都の一件は、ギルドの方にも伝わっていますね。ガノリスの誇る飛空艦隊が郊外で迎撃したのですが、やはり《エレオヴィンス》には太刀打ちできなかったようです。都が焦土となった後、国王イーダン1世はいまだ行方不明。帝国側も飛空艦隊にかなりの打撃を受けたものの、あの空の要塞は……信じられないことに無傷らしい。詳細についてはこちらをご覧ください」
 彼はデュガイスに資料の一部を手渡した。
「しかし、ジューラ少将、まだ本当のこととは思えませんな。あの広大なバンネスクの街が、たった一撃でこの世から消え去ったなどと……」
 眉間にしわを寄せて、デュガイスは考え込んでいる。
 マクスロウは彼方の景色に目をやった。
「ガノリスは国土が広いですから、帝国に対する抗戦自体は当分続けられるでしょう。しかしながら……もはや帝国軍の足を止めることはガノリスにも不可能です。こういう最悪の事態になることも考えていなかったわけではありません。だが予定よりも早すぎました。ガノリスがもう少し粘ってくれると思ったのですが、早計だったというべきでしょうか」
 不意に、彼はデュガイスの目をじっと見つめる。
「帝国軍はほどなくガノリスの主要都市を制圧し……その進路はおそらく、わがオーリウムかミルファーンに向かうでしょう。現在のところ、地形的な問題等から考えてオーリウムに侵攻してくる可能性が高い」
「そうすると、考えられる進路は……やはり《レンゲイルの壁》ですな」
「えぇ、グランド・マスター。そこが問題なのですよ。幸い、エレオヴィンスの足は非常に遅い。それが唯一の弱点といえば弱点です。しかし陸上部隊や先遣隊の飛空艦が一歩先に攻めてくるのは必然的……」
 《レンゲイルの壁》とは、ガノリスとの国境をなすヴェダン川の中流域に作られた、オーリウムの誇る要塞線のことである。
 緑の水を滔々と湛えたヴェダン川だが、《壁》付近の地域では、例外的に水深が極端に浅くなっている。したがって大軍も難なく渡河できるのだ。実際、過去にガノリスとオーリウムとの間に戦争が起こった場合、ガノリス軍は常にヴェダン川中流域の浅瀬を侵攻ルートに選んでいる(*3)。この地形的弱点を補うために堅固な《壁》が作られたのは、無理もない話であろう。
 しかし難攻不落の要塞線が、今では……。
 無表情なマクスロウも、さすがに少しは苦しげな面もちだ。
「ご存じの通り、《壁》の軍備は攻防両面にわたって強力です。少なくともエレオヴィンスがオーリウムに乗り込んでくるまでは、帝国軍の攻撃にも十分持ちこたえられるでしょう。そう、そのはずでした……だが現在では……」
「レンゲイルの壁の中枢・《要塞都市ベレナ》が、こともあろうに反乱軍の本拠地になっていますからな。それで、ベレナは一体いつになったら落ちるのですか? このまま持ちこたえられては、反乱軍は狙い通り、帝国軍に要塞線を明け渡してしまいますぞ」
 グランド・マスターは、聞きにくいことをあっさり質問した。
「議会軍としても全力を挙げて攻囲しております。しかしベレナ市および《壁》の防衛力は非常にやっかいです。時間がない以上、持久戦で相手の物資が途絶えるのを待つこともできません。正面から攻めてもいたずらに犠牲を増やすばかり。しかも……」
「しかも?」
「実は、謎の黒いアルマ・ヴィオが現れまして。考えられないことなのですが、このたった一体のアルマ・ヴィオが……ベレナ包囲軍の陣地を各地で撃破しているのです。我々の技術では考えられない兵器を用いて、たちまち街ひとつでも丸ごと消し去ってしまう。エレオヴィンスほどではないにせよ、やはり恐るべき脅威です」
「黒いアルマ・ヴィオですと? 反乱軍のものですか」
「おそらく。竜のような姿をした真っ黒なアルマ・ヴィオです。汎用型であるにも関わらず、その速度は最新の飛行型・アラノスを遙かに上回る。そのうえ、あらゆる魔法弾を無効化するバリアと、さきほど申し上げた超破壊兵器を持っており……」
 デュガイスはカリオスと顔を見合わせた。
「カリオス。そんなことができるアルマ・ヴィオ、知っているか?」
「さぁ。しかし私たちの想像を遙かに超える旧世界のアルマ・ヴィオがどこかで掘り出されることは、程度の差はあれ、よくあることです」
 大した動揺も見せず、カリオスは機械的に答える。
 マクスロウもエレインと何か喋っていたが、頃合いを見て話を戻した。
「それでも……これまでお伝えしてきた通り、ベレナ総攻撃の予定を変更することはできません。そのためにはギルドとの共同作戦が欠かせないのです……例の件ですが、ご承諾いただけますか?」
 デュガイスはしばらく考え込んだ後、すっと立ち上がって、テラスの端の方へと歩き始めた。
 いにしえの静謐を緑に秘めたイゼールの森、悠然と流れゆく母なるアラム。
 まったく素晴らしい眺望を持つ場所である。
「今回は、ギルドといえども損得勘定を言っている場合ではなさそうですな。この美しい国を守るために……」
「引き受けて、いただけるのですね?」
 マクスロウとデュガイスは無言でお互いの心を確認しあった。
 ほどなく後、会合は終わった。


【注】

 (*1) ネビュラ――別名《人工精霊》とも言われる。アルマ・ヴィオの本体から供給される魔力を使って精霊を擬似的に作り出し、敵を攻撃する。普通のエクターなら、一度に複数のネビュラを操ることは困難であろう。ネビュラは本物の精霊と違って意志を持たず、能力も限定されている。ただし精霊使いでない者にもある程度扱うことができるというのは、大きな利点である。火、風、水、土のネビュラ等、多くの種類が存在する。

 (*2) ランブリウス――多数の発光する球体を射出し、それを使って空中に魔法陣を描く。個々の球体はエクターの意思によって自在に移動するので、様々な魔法陣を作り上げることが可能。こうして作り出された魔法陣によって、エクターは、人間が呪文を唱えるのと同様の仕方で、しかもアルマ・ヴィオの力を上乗せして魔法を使うことができるようになる。ただし一般のエクターがランブリウスを起動させるのは不可能である。自分自身が魔法を使える者、つまり魔道士でもあるエクターが用いてこそ初めて効果を発揮するのだ。なおランブリウスは、光る球が飛行する様子から、《蛍》という通称で呼ばれている。

 (*3) ちなみに外国の軍隊が陸路でオーリウムに侵攻するためには、このヴェダン川中流域を通過する以外に適当な方法がないと考えられる。王国の北と東は大洋に面し、そもそも、これらの方向には敵対しうる国そのものが存在しない。南はタロス共和国と向かい合いつつも、内湾のレマール海が間に横たわる。他国と地続きになっているのは、唯一、王国西側の国境だけである。この西部国境線のうち、まず北部は友好国ミルファーンに接している。次いでオーリウム・ガノリス・ミルファーンの三国が接する中部は、イリュシオーネ最高峰が連なる山岳地帯なので、大規模な軍隊がこれを越えるためには相当の時間と労力とを要する。そうなると、残されたのはヴェダン川の流れにほぼ一致する南部のラインだが、この川の下流域は幅・水深ともに並大抵ではなく、しかも周囲に湿地帯が広がっているため通行困難である。結局、ヴェダン川中流域だけが、オーリウムへと容易に侵攻しうる唯一のルートとなるのだ。

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