HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第18話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  迫り来る嵐を前にして、僕はまだ戸惑っている。
  ――理由をください。守るべきものさえない惨めな自分に。
  それでもこの手はすでに剣を握っていた。
  僕は理由なき戦士になる。



 《塔》の天空人の日記より

 某月某日
 ……《アストランサー》の試作体が《処置》の直前に逃亡したのは、どうやらエインザール博士の仕業だと思われる。事件の直後、博士もアルマ・ヴィオを使って地上界に逃走。彼が《アストランサー計画》に反対していたのは知っているが、なぜこんな暴挙に出たのだろうか?

 某月某日
 ……逃亡した試作体《ミリュウス》の行方がようやく判明。地上に降下したアストランサーが、ミリュウスらしきものによって倒されたというのだ……。エインザールは自ら地上人に手を貸し、かつて地上に追放されたルウム教授とも接触したもよう。

 某月某日
 ……エインザールのアルマ・ヴィオによって、地上討伐軍が甚大な被害を受けている。《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》……。売国奴エインザールは、最初から天上界に反逆するつもりで、あのアルマ・ヴィオを開発していたのかもしれない。一部では、《教会》関係の地下組織から彼に資金が流れていたという噂もある。

 某月某日
 ……天空都市《ピスケオス》の大惨事。非戦闘員まで含め、犠牲者は膨大な数に及ぶ。恐れていたことが現実になってしまった。《紅蓮の闇の翼》は、とうとう天にまで達したのだ。他方、地上人たちによって討伐軍は次第に追いつめられている。このままでは《世界樹》が奪取されるのも時間の問題かもしれない。最後の切り札だったアストランサーさえも、あの忌まわしいミリュウスに次々と倒されている。

 某月某日
 ……ピスケオスに続き、天空都市《トーラ》も、エインザールの赤いアルマ・ヴィオの餌食になった。我々の《ゲミニア》もいつ滅ぼされるか分からない。このような状況の中、《教会》は国に反旗を翻したに等しい。教会を支持する天空都市《ヴィエルゴ》も独立を宣言し、地上人との単独和平交渉を開始し始めた。

  ◇

「この日記も、例の友人が解読して私に知らせてくれたものです。これを書いたのは、パラミシオンの《塔》で仕事をしていた研究員あたりでしょうか……。おや、降り出したようですね」
 水滴がぽつりと窓に当たったかと思うと、たちまちのうちに激しい雨が外の景色をにじませた。低くたれ込めた雲の向こう、草原の地平線はもう見えない。
 小さく伝わってくる雷鳴を聞きながら、クレヴィスは言った。
「日記を納めた《ディスク》……どこにあったものだと思います? 塔の2階に並んでいた、あの何の変哲もない研究室のひとつです。無駄だと言いつつも、少しは調査しておいて良かったですね。資料室に大切に保管されていた文書よりも、机の上に転がされていた個人的雑文の方が役に立つとは、いささか皮肉なものですが」
 クレヴィスの静かな声だけが部屋に漂う。
 言葉を発することもできず、じっと紙の束を見つめるシャリオ。
 継ぎ目の無いのっぺりとした白壁と、その内側に埋もれて見えない柱。装飾をほとんど廃した、あたかも箱の中にいるような四角い空間――いわゆる《旧世界風》の様式である。
 この単純極まるラウンジは、現世界人であるクルーたちには人気がない。機能性や合理性を崇拝する旧世界人とは、審美眼も違えば、《居心地の良さ》の感覚も相当に異なるのだ。
 室内にはクレヴィスとシャリオ以外に誰もいない。もっとも、ここならば空いているだろうと考えて、わざわざ2人はこの退屈なラウンジにやってきたのだが。
「人間の思い込みというのは、怖いものですわ……」
 しばらくしてシャリオも、伏し目がちの表情で話し始めた。
「《平和で豊かな旧世界》の中で、あのように残酷な実験をしてまで人々が得たかったものは何か? 私たちはそんな疑問を感じていました。でもそれは全くの勘違いでした。旧世界のうち、ごく一部の平和で豊かなところ……つまり《天上界》の人間たちが、《地上界》との戦いに用いる兵器として、人体を改造し、何か恐ろしいものを作り出そうとしていたのでしょうか? わたくしにはそんなふうに思われますの」
「旧世界の真の姿と、あの塔で行われていた実験の意味。おぼろげながらも見えてきましたね。シャリオさんのおっしゃる通り……《アストランサー》というのは、追い込まれつつあった天上軍がなりふり構わず開発した、本来《禁じ手》であるような類の生体兵器ではないかと考えられます。しかし我々の現世界にとって深刻な問題は、むしろ……」
 そうですね、と頷いたシャリオは、クレヴィスの書いたメモを見た。そこには《沈黙の詩》に出てくる《紅蓮の翼》という箇所が記されている。

  暗き淵に、すなわちその蒼き深みに宿りし光が
  憎しみの炎となりて、真紅の翼はばたくとき、
  終末を告げる三つの門は開かれん。

「日記の叙述にある《紅蓮の闇の翼》や、《全身が燃え盛る炎のように赤い、翼を持った悪魔》という表現は、たしかにこの一節を連想させますわ。旧世界の滅亡を伝えるとともに、その惨禍の再現を暗示する《詩》のことばを……」
 現世界の終焉をほのめかす予言詩――シャリオの心の中で、その謎歌がにわかに現実味を帯び始める。
 彼女はおもむろに顔を上げ、深刻な視線をクレヴィスに向けるが、彼の方はいつも通り落ち着いていた。
「おっしゃる通りです。かつて天上界に恐怖をもたらした《紅蓮の闇の翼》が、つまりエインザールという人物の生み出した赤いアルマ・ヴィオが、現世界に再び蘇るとき……。いささか早計である気もしますが、そんなふうに置き換えてみるとどうでしょう」
「赤い、アルマ・ヴィオ……」
「えぇ。ところでシャリオさんは、《空の巨人》という言葉をご存じですか?」
「《大きな木》の昔話に出てくる《雲の巨人》とは、また違うのですね?」
 首を傾げた彼女にクレヴィスが説明する。
「難しいところです。両者が同じものを指しているという見方も、できなくはないのですよ。それはともかく、《空の巨人》というのは古文書にも実際に登場するのですが、どうやらこの《巨人》が旧世界滅亡の引き金になったらしいのです」
 太古の昔を幻視するかのような、遠い目をしてクレヴィスは語り続ける。
「私はこれまで、《沈黙の詩》に含まれる《紅蓮の翼》の一節は、実は《空の巨人》について述べているのではないかと考えていました。そして《炎》や《真紅》というのは、《憎しみ》を強調するための比喩だと理解していたのです。しかし友人から先程の《日記》のことを伝え聞くに及んで……《紅蓮の翼》とは文字通りの赤色だったのだと、自然に解釈する方がよいと思ったのです。ならば……あの件は、私の取り越し苦労だったのかもしれません」
 《取り越し苦労》と言った後、クレヴィスが微笑んだのを見て、シャリオにも感ずるところがあった。
「それは、ひょっとしてルキアン君とアルフェリオンのことですか?」
「察しがいいですね。アルフェリオンの持つ想像を絶する破壊力と、6枚の翼とを目にしたとき……私はあの旧世界のアルマ・ヴィオこそ、蘇った《空の巨人》ではないかと危惧し始めたのです。勿論、まだその可能性が否定されたわけではありませんが」
「副長のお考えでは、《空の巨人》、《紅蓮の翼》、《エインザールの赤いアルマ・ヴィオ》は、全て同じものだということになりますわね。もしそうだとすれば、白銀色のアルフェリオンは……」
 微かに浮かぶ安堵の表情。やはりシャリオにも、これまで不安感があったようだ。あまりに凄まじい力を秘めたアルフェリオンが、現世界に大いなる災いをもたらしかねないと。
 溜息とともに、シャリオも笑みを浮かべた。
「するとクレヴィス副長は、アルフェリオンが《空の巨人》かもしれないと思いつつ、それでもルキアン君を信じて賭けたのですね」
「さぁ、どうでしょうか。とりあえず私は、彼の心が闇にとらわれてしまわぬように……私にできる手助けをしてあげたかっただけなのかもしれません。不遇の中でもルキアン君が決して失わなかった優しい心、《暗き淵に宿る光》が《憎しみの炎》となってしまう前に、彼に自分の生きる意味を見いだしてほしかったのです。その《意味》を彼が探し出せるに違いないという点では、彼を信じていたことになりますね。大丈夫ですよ、ルキアン君なら……」
 クレヴィスは気楽な口調で、他人事のように物語る。
「昔、1人の男がいました。彼はこの世界を憎んでいた。それでも世界をどこかで信じていた。そんな彼をこの世界としっかり結びつけた細い光の糸……彼が本当に信じ、心から愛した人間。そのたった独りの大切な人と道を違えたときから、彼は虚無の中で戦いに身を投じ、修羅の日々をさまよい、憎しみの炎の命ずるまま多くの血をすすった。そんな男でも、変わることができたのですからね……」
 いつも淡々と笑っている彼の目が、一瞬、寂しげに曇った。

 ◇ ◇

 切り立つ断崖を舐めるようにして、麓の方から風が吹き上げてくる。
 凍て付いた空気の中で、季節に取り残された雪が舞い散った。
 一陣の風と共に、突然降ってわいたかのごとく、不気味なアルマ・ヴィオが次々と姿を見せる。議会軍・特務機装隊の用いる《インシディス》だ。
 暗灰色の機体が辺りを埋め尽くし、細長い腕をカタカタと揺らしながら、赤い独眼を光らせるその様子は、あたかも霧の中に浮かび上がる死霊の群を思わせた。
 ――何だ、新手か!? 卑怯だぞ、機装騎士なら一対一で堂々と勝負しろ!
 アレスはダンに見当違いの念信を送る。サイコ・イグニールとエルムス・アルビオレが、まさに斬り結ぼうとしていた時のことだった。
 ――ち、違う……オレは名誉あるパラス・ナイトだぞ! そんな汚い手なんか使ってたまるか。関係ない、こいつら議会軍が勝手に出てきたんだ。
 勝負を邪魔されたダンは、腹立たしげに答える。
 ――議会軍? そうか。お前たち悪者を退治するために、軍もアルマ・ヴィオを差し向けてきたんだな。へっへっへ。ざまーみろ。
 全く状況を理解していないアレス。
 彼やパラス騎士団のアルマ・ヴィオは、《精霊迷彩》で姿を隠しつつ接近した特務機装隊によって、今や完全に包囲されていた。うごめくインシディスは20数体にも及ぶ。
 元よりパラス騎士団側には、話し合いに応ずる意思はない。その点についてはファルマスがすでに指示した通りだ。
 エルシャルトは不敵な調子で念信を発する。上品だが冷ややかな心の声が、議会軍のエクターたちに伝えられた。
 ――わざわざこんな山奥までお出ましとは、ご苦労なことです。しかし事前に何の連絡もないどころか、多数のアルマ・ヴィオを送ってよこすなどとは、穏やかではないですね。一体何のご用です?
 しばらくにらみ合いが続いた後、議会軍側から返答があった。
 ――知れたこと。貴殿たちがここで行っている作業を、ひとつ拝見させていただきたい。
 ――残念ですが、それはかなわぬことです。そもそも私たちは陛下にお仕えする者。議会軍から口を出される筋合いなどありません。
 ――ならば聞こう。《大地の巨人》の復活は、この世界全体の行く末に関わる問題……それでも我々には無関係であると?
 エルシャルトと特務機装隊の長との間でやりとりが続く。
 ――確かに無関係とは言えません。しかし世の中には、敢えて関わらない方がよいこともあるのです。
 ――あくまで拒否するというのなら、こちらも強硬手段を取る他はあるまい。
 隊長がそう伝えた瞬間、再びインシディス各機の姿がかき消えた。そして目に見えぬ包囲陣の間から、MgSに装弾する音が微かに響く。

 ◇ ◇

「さぁさぁ、お立ち会いですぅ。ここに取り出しましたる、未来を占う22枚のカード。知りたいことが何でも分かる、不思議なカードなのですぅ」
 怪しげな能書きを並べて、フィスカはテーブルの上にカードの山を作る。鈍そうに見える彼女だが、札を切る手つきは予想外に滑らかだった。
 フィスカの正面にはメルカが退屈そうに座っていた。ご機嫌斜めのメルカは、むっつりとした顔つきで目をこすっている。
 クレドールの医務室――フィスカとメルカの2人しか居ないと、がらんとして随分広く感じられる。薬草の香りが漂う閑静な部屋に、フィスカのとぼけた声だけが響く。
「まず、こうしてカードをかき混ぜます。それでぇ、あの……メルカちゃん、聞こえてますかぁ?」
 フィスカはメルカの前で手を振った。
 黙って首だけを大きく動かし、うなずくメルカ。
 カードを山から1枚、2枚……全部で5枚手に取ると、フィスカはそれらを裏返しにして、卓上で十文字型に並べた。
 カードの裏に描かれている絵は2種類。
 揺れる炎のたてがみを生やした、二重瞼の太陽。
 寂しそうに涙をひとしずく垂らしている、横顔の三日月。
 フィスカはカードの山を手に取り、もう一度ていねいに切り直すと、メルカの前に差し出した。
「ほいっ。メルカちゃんもカードを1枚引いて下さいねぇ」
 だがメルカは両手を膝の上に置いたまま、動こうとしない。
 彼女の小さな手は何かを握りしめていた。1枚の便箋、それはルキアンが書き綴ったあの手紙だった。インクが点々と青黒く滲んでいる。
 俯いたメルカは、頭の上にそっと手が触れるのを感じた。
 ふんわりとした金色の髪が寝癖で乱れている。フィスカは少女の髪に手ぐしを入れて、軽く整えてやった。
「お姉ちゃん……」
 か細い声でつぶやき、フィスカを見上げるメルカ。
「喋りたくないときには、無理して口を動かすのじゃなくって……とりあえず手を動かしたりするのが一番ですぅ。さぁさぁ、カードを引いてください」
 フィスカの笑顔は、どことなく間が抜けた感じがするものの、真夏の花のように明るく純真だ。その暖かさは、少女の凍り付いた心にわずかでも届いたのだろうか?

 ◇ ◇

 カセリナとの間の悪い再会に、ルキアンは力なく肩を落とした。
 少年の胸を吹き抜けた春風は、ほんの一瞬でどこかに去ってしまった。
 虚ろな目に漂う自嘲、唇には歪んだ微笑。
 ――あはは。そうなんだよね。そうさ……いつもの通りだ。こんなことだと思ってたんだ……。
「親爺殿、彼がルキアン・ディ・シーマー君です」
 ルキアンの背中をランディが両手で軽く押した。
「えっ? あ、あの……その、公爵、は、拝謁できましたことを、光栄、に、存じます」
 突然のことだったため、ルキアンは自分が何と言って挨拶したのか分からなかった。頭の中が真っ白のまま、ろくにお辞儀もせずに固まっている。
 彼の無様で不作法な態度にナッソス公は眉をひそめた。もっともランディと相対するときと比べれば、公爵は遙かに機嫌良く思われるが。
 ルキアンの肩をぽんと叩きながら、ランディが言った。
「彼は私たちを二度も危機から救ってくれましてね。これでなかなか頼もしい仲間なのですよ。《銀の天使》と共に、彼は私たちに奇跡(マジック)を見せてくれたのです。まぁ、この少年は本物の魔術師ですな」
「ほぅ。ランドリューク、お前からそんな素直な言葉を聞くとは珍しい」
 公爵はいかにも疑わしげにルキアンを見やった。この陰気で軟弱な青二才が、果たしてそれほどの人間なのだろうか? 公爵の瞳はそう語っている。
 他方、ルキアンの顔つきもわずかに変化した。
 ――頼もしい、仲間? マッシア伯は僕のことを《仲間》だと思ってくれているのだろうか。僕なんかのことを。どうしてこの人たちは、僕にもこんなに自然に接してくれるのだろう?
 そう、《いつもの通り》ではない。貧乏くじを引いて傷ついたところまでは、確かにこれまでと何ら変わる点がなかった。だがそんな自分を支えてくれる人たちがいる。今は……。
 ルキアンの目から涙が流れ出た。
 こんな場面が来ることは永久にないのだろうと――予め失われた瞬間を空しく待っていた心の雫だ。
 慌ててそれを拭い、姿勢を正す彼。
 ふと見ると、冷たくそっぽを向いているカセリナが涙のむこうに映った。
 しかし。彼は《怯え》なかった。体の中で何かがこれまでとは違っていた。
 今までずっと、誰かに認めて欲しいと、おぼれる子供のごとく誰かに必死ですがろうとしていた。そうすることを止めてしまったなら、自分が人間だという証がなくなるような気がして。怖くて、怖くて。
 そして他人に拒否されるたびに、背中に負っている影が膨らんで、なおさらの重荷となって自身を苛んだ。
 自分を責めた。衆人とは違う己の性格は、要するに《心の奇形》なのだと。僕だけがおかしいのだと。
 しかし。今なら心の目を開くことができるかもしれない。
 ――逃げるな。ここで立ち止まれルキアン。ひとりの人間として……世界と孤独に向かい合うときの、この巨大な重荷を恐れるな。潰されちゃダメだ! たった一歩でもいいから、前に、前に出るんだ!! そうすれば、いつか誰かが分かってくれる。いや、分かってくれた。やっと本当に僕を受け入れてくれる人たちに出会えたんだ!! だから……。
 ルキアンは何度も念じる。
 自分の体に、一点、小さな亀裂が走ったような気がした。
 ――恐れないで。勇気を出すんだ。許してあげようよ! 自分を許してあげようよ! 僕は僕を許そう。そうしなくっちゃ、だって、だって……。
 《僕は、僕でしかあり得ないのだから》
 投げやりではあれ、生まれて初めてそう思えた。彼にとっては奇跡だった。

 ◇

 そのとき……。
 格納庫に眠るアルフェリオン。
 鋼の体の下、動力筋と液流組織に覆われた暗闇の奥。
 あの黒い珠が微かに光った。

 ――今のあなたになら、できるはず。私を見つけて。早く、私を……。

 ◇ ◇

 ――こちらカリオス。なおも交戦中の1体を除き、友軍機は全て大破。これより援護に入ります。
 眼下で展開される修羅場を見つめながら、カリオスは母艦に念信を送った。
 象牙色の鋼の虎と、ひとまわり大きい4匹の黒き猛虎。
 議会軍のティグラーが反乱軍のハイパー・ティグラーに囲まれている。
 すでに10体ほどのティグラーやペゾンが倒され、灌木の茂る荒野に転がっていた。
 
 最後に残った隊長機も風前の灯火。
 魔法金属の爪と牙が、漆黒の獣たちから繰り出されようとしたその時……。
 異様な形の影が宙を駆け抜けた。
 わずかに間をおいて、ハイパー・ティグラーの1体が膝を折って崩れ落ちる。
 遠く《レンゲイルの壁》を背景に、新たなアルマ・ヴィオがそこにいた。
 野生の山羊に似て引き締まった体、獅子の頭、野牛さながらの2本の角。背には翼竜を思わせる羽根。そして尻尾は、本体とは別の生き物であるかのように揺れ動く1匹の蛇。
 荒々しい動物たちを組み合わせたその体には、他のアルマ・ヴィオよりもいっそう獰猛な性格が宿っている。
 ギルド最強の繰士、カリオス・ティエントの操る魔獣《キマイロス》だ。
 悪夢の中からさまよい出たかのごとき、妖しくも美しい姿……。それは幻かと目を疑ったとき、もうキマイロスは同じ場所には居なかった。
 気が付くと、また1体のハイパー・ティグラーが腹部を貫かれ、地に伏している。
 目にも留まらぬ早業であったが、相手も並みのエクターではない。
 残りの黒き虎たちが疾風のように襲いかかり、その強靱な前足の一撃が、異形のアルマ・ヴィオに肉薄する。反撃に出る暇を与えぬまま、ハイパー・ティグラーはバネのような動きで右に左に飛びかかる。
 巧みな連携で背後を取った別のハイパー・ティグラーが、同時に食らい付こうとする。これを回避することは不可能なはずだが……。
 刹那、キマイロスの尻尾の蛇が鎌首をもたげたかと思うと、ループを描いて空に伸びた。それはハイパー・ティグラーの首に絡み付き、恐ろしい力で地面に引きずり倒す。
 背中に目が付いているかのような、信じ難い動きだった。
 だが息をつく余裕もなく、頭上からの閃光がキマイロスの周囲に突き刺さる。
 ――飛行型か!?
 空中からの新たな攻撃に、キマイロスは素早く舞い上がった。
 激しく飛び交う雷撃のビーム。新手の敵も複数だ。
 カリオスは前面にシールドを張る。
 側面、背後、また前面、と巧みに光の幕を張り替えながら、彼は敵の動きを探った。見事に全弾受け止めている。
 ハイパー・ティグラーも背中のMgSを放ち、キマイロスを落とそうとする。
 ――下の敵を一気に片づける。
 カリオスの思念に応え、キマイロスは宙返りして攻撃をかわすと急降下し、今度は地を蹴って駆ける。
 地表を滑るように飛んでくる魔法弾も、この魔獣の残像をかすめて通り過ぎていくにすぎない。
 たちまち距離を詰めたキマイロス。その口から凄まじい火焔が吐き出された。鋼鉄をも瞬時に溶かす炎がハイパー・ティグラー2体を飲み込む。
 キマイロスは再び飛翔し、空の敵を求めて上昇する。
 そのときカリオスは、いくつかの光が遠くで揺れ動くのを察知した。
 ――《蛍》か。呪文が来るぞ!!
 キマイロスが雄叫びをあげ、その周囲を球状の結界が覆う。
 瞬きひとつほど遅れて、機体の周囲で極低温の凍気が荒れ狂った。
 キマイロスを襲ったブリザードは、そのまま吹き降りて地表をも氷結させる。MgSから打ち出された凍結弾とは比較にならぬ、強力な魔法攻撃だ。
 ――あれを正面から受けたにもかかわらず、無傷か。面白い……。
 呪文を放った主が心の中でつぶやく。
 黒と赤の2色に彩られたアルマ・ヴィオが3体、悠然と姿を現した。
 キマイロスと同様に、こちらも人間のイマジネーションによって作り出された合成魔獣である。《アートル・メラン》、獅子の体に鷲の頭と翼とを持ったアルマ・ヴィオ。
 それらのうちの1体は、他機にはない鶏冠を持ち、ちらちらと飛び交う光球を周囲に幾つも伴っている。通称《蛍》――空中魔法陣描画素子――すなわち《ランブリウス》を装備した魔法戦仕様、マギウスタイプの機体である。
 乗り手は《黒の貴公子》、ミシュアス・ディ・ローベンダイン……。
 ――キマイロス、久々に手応えのある相手のようだ。嬉しいか?
 カリオスの言葉に応えて、キマイロスが咆吼した。
 アートル・メランも鷲のような声で鳴き、鋭く威嚇する。
 ついに衝突か……と思わせた矢先、ミシュアスが部下たちに告げた。
 ――引き返すぞ。邪魔が入った。
 雲のむこうから10機近くの飛行型アルマ・ヴィオが向かってくる。
 グレーの数機は、飛空艦ミンストラから飛び立ったアサール・アヴィスだ。別の一群は、まさに鳥そのもののようなシルエットで一目瞭然、議会軍の要撃機アラノスである。
 不意に、カリオスは敵からの念信を受け取った。
 ――私はミシュアス・ディ・ローベンダイン。そちらの名を聞こう。
 ――君が、黒の貴公子ミシュアス……。ただ者ではないと思ったら。私はカリオス・ティエント。ギルドのエクターだ。
 ――やはりそうか。ギルド随一のエクター、カリオス。ハイパー・ティグラー4体が手も足も出ぬとは、噂通りの凄腕だな。また会える日を楽しみにしているぞ。
 冷ややかな微笑を残し、ミシュアスのアートル・メランは飛び去っていく。

 ◇ ◇

 ――そんな、ウソだろ……!?
 一面に横たわるアルマ・ヴィオの残骸を前にして、アレスは絶句した。
 黒こげになり、細々とした煙の筋を虚しく立ち上らせる、人の身ならぬ肉塊。
 うち砕かれ、いとも容易く切り裂かれた巨大な甲冑。散乱する鉄片。
 これらの夥しい鋼と肉の山は、たった今、ほんの一刻の間に作られたものなのだ。それは瞬時の出来事であった。

 機先を制したはずの特務機装隊の上に、音もなく死神が舞い降りる。
 3体のエルムス・アルビオレから剣閃がきらめき、雷光のごとき斬撃が、姿無き敵軍を精確にとらえていた。
 インシディスの群れが完璧な動作でMgSに装弾した瞬間……引き金を引く間も与えられることなく、全ては終わっていたのである。
 あまりにあっけない幕切れだった。当の特務機装隊士たちは勿論、彼らを送り出したマクスロウ少将ですら、これほど無様な敗北は想像していなかったに違いない。
 ――こいつら、とんでもない化けもんだ……。
 アレスは生まれて初めて、自分の手の届かない相手を知った。すぐそこに死を意識した。
 《最強》とは、こういうことなのだ。鷹のような目を持つ野生の少年も、聖騎士たちの剣を見切ることはできなかった。
 剣士ダリオルは言うに及ばず、《音霊使い(おとだまつかい)》らしきエルシャルトでさえ(*1)――アレス自身よりも速く、否、これまでにアレスが見たどんな使い手よりも速く、MTソードを振るったのである。

 30体近くのインシディスの集団は、元々何体いたのか数えることが不可能なほどに、散り散りの部品と化して雪原にぶちまけられていた。微動だにせぬガラクタに囲まれて、アレスのサイコ・イグニールだけがぽつんと取り残されている。
 ――なぁ! 何も本当にやっちまうことは、なかったんじゃないか!?
 不満を示すダン。確かに彼は勇猛果敢な戦士だが、決して好戦的ではない。
 ――できれば戦わずに引き下がらせたかったのですが……こうなることは、彼らも基地を発った時から覚悟していたはず。一方が勝ち、他方が敗れる。それが戦士の定めというものです。
 冷徹に語ったエルシャルトだが、その念信の響きには若干の哀れみがこもっていた。
 唯一ダリオルは沈黙を守る。
 思い出したかのように、エルシャルトがアレスに告げる。
 ――別に手品を使ったわけではありません。私にとっては、むしろ目を閉じている方が、敵の動きがよく分かるのです。ですから彼らのように精霊迷彩で姿を消したところで、無意味なこと……。さぁ、君はどうしますか?
 弦をつま弾き、詩句を吟ずるエルシャルトだけあって、彼の念信の声も、思わず聞き惚れてしまいそうになるほど心地よいものだった。
 だがアレスは、その柔らかな声に戦慄を覚えた。
 ――これが、パラス騎士団の力……。
 もしあのままダンと戦っていたとすれば、サイコ・イグニールも瞬時に鉄くずに変わっていたかもしれない。
 ――こんなすげぇヤツら、初めて見た。燃えてきたぜ!
 ――嘘。馬鹿なこと言わないで。取りあえず逃げるの。
 アレスの強がりをイリスは的確に見抜いていた。
 ――嫌だ!! 敵に背を向けて逃げるなんて。それにイリスの姉ちゃんだって、もう少しで助けられるじゃないか!
 ――無理よ。
 冷ややかな響き。熱いアレスとは対照的に、情熱の迸りなどみじんも感じられぬ、悟りきった声だった。
 ――いいや、勝つ! オレは絶対に勝つ。絶対に絶対に勝つんだ!!
 だがイリスは、アレスを無視してイグニールに命じる。
 ――《メタ霊子曲面》で防御しながら、その間に最大出力で離脱して。
 ――了解した。だが今の状態では、メタ霊子曲面の維持は最大12秒が限度。
 ――構わない。それだけあれば上等でしょう?
 ――当然だ。
 そう答えるが早いか、サイコ・イグニールの周囲に揺らめく靄のようなものが立ちこめた。
 イグニールがわずかに浮上したのを感じて、アレスが反発する。
 ――おい、イグニール、逃げるのか!? こら、言うこと聞けよ!!
 ――アレスよ、その命令は受け入れられない。私にとってイリスの言葉は絶対なのだ。
 アレスはたまらずイリスに食ってかかる。
 ――イリス、姉さんのことはいいのかよ! おい!!
 ――行って、イグニール……。
 ――行くな、イグニール! なぜ戦おうとしないんだ?
 旧世界の竜に代わって、うら若き竜使いの娘が応える。
 ――あなたが死んでしまうから……。
 イリスの言葉に、初めて感情の匂いがした。それがどんなに希薄なものであろうとも。
 ――アレスが死ぬのは、哀しい。
 一瞬、返事に詰まったアレス。
 そして彼の戸惑いを忘れさせるほどの、機体の急激な上昇。
 旧世界の時代、星の世界を旅する船に追い風を与えていたという、神秘の動力機関《ステリアン・ヴォーリアー》がうなりをあげる。

 そのとき地下遺跡から新たに現れたのは、セレナの乗ったエルムス・アルビオレである。
 ――待ちなさい!
 セレナの機体も光の翼を開き、全速力で飛び立とうとする。
 と、アレスの姿が不意に彼女の脳裏に蘇った。
 彼と剣を向け合ったとき、セレナの瞳に焼きつけられたもの。正義の炎を宿した少年の目。真っ直ぐに未来を見つめる、汚れのない眼差し。
 ――それは、かつて私が持っていたもの……。
 突然、彼女のアルマ・ヴィオの動きが止まった。大地からわずかに飛翔した後、再び翼は閉じられた。
 ――いけない、私、何をしてる!?
 セレナは慌てて機体の姿勢を整えた。一体、自分は何を血迷ったのか。
 ――どうした、故障か? セレナさん、大丈夫かよ!?
 ダンが叫ぶ。
 その間、彼のエルムス・アルビオレは、小銃型の呪文砲――《MgS・ドラグーン》を宙に向け、凄まじい光芒と共に発射した。
 空を切り裂く青白い光線が、雲間を貫き天空にまで突き抜ける。
 ダンの操るエルムス・アルビオレは、他のパラス・ナイトのそれよりも、いっそう強力なMgS・ドラグーンを装備しているのだ。
 飛空戦艦の《方陣収束砲》にも匹敵するというその魔法弾が、サイコ・イグニールをかすめて消えた。
 的を外したのではない。ダンはわざと本体への直撃を避け、翼を狙ったのだ。それだけでも、アルマ・ヴィオの動きを止めるには十分すぎる威力である。
 だが……。
 ――無傷!? そんな馬鹿な。
 ダンの放った攻撃は、確かにイグニールをとらえたはず。しかし傷ひとつ与えることはできなかった。

 ――《メタ霊子曲面》は、あらゆる物理的攻撃・魔法攻撃を無効化する……。
 イリスがつぶやく。
 メタ霊子曲面に囲まれた機体は、理論的には《この世界に存在しつつ、この世界を含めたどこの世界にも存在していない》ことになるのだという。ただし、あまりに膨大なエネルギーを消費するため、ステリアの力を借りようとも、数十秒程度しか使用できない。
 ダンが次の弾を込めようとしときには、サイコ・イグニールの姿は、恐るべき速さで視界から消えていた。ちょうどルキアンがアルフェリオン・ドゥーオと対峙した、あのときと同様に……。

 ◇ ◇

 ミトーニアもすでに黒雲の下にあった。
 草原の古都を包む霧雨は、やがて横なぐりの風雨となり、時と共にその強さを増していく。
 ひとたび動き始めた雲足は速く、昼頃の晴天が今では嘘のように感じられる。
 強風に煽られるようにして、暗い空から降ってくる大粒の雫が、丘の上の城館に吹き寄せていた。
 激しい雨をなぜか懐かしげに見つめながら、ランディが言った。
「思ったより強く降ってきましたな。春先にこれほどの雨とは、この辺りでは珍しいことです。いや、そういえば……」
 茶を一口含んだ後、彼はカセリナの方を見て頷いた。
「貴女が幼い頃、私や兄たちと共に、この近くの小川に釣りに出かけたことがありました。覚えていますか?」
「そういうことも……ありましたかしら?」
 カセリナは素っ気ない口調で答えた。恐らく彼女の記憶にも残っているのであろうが、どのみち、当人は敢えて話に取り上げる気もなかった。
 無言のカセリナを前にして、ランディは苦笑いする。
「えぇ。その時も瞬く間に天気が悪くなって、今のような大雨になりましてね。我々は手近な木陰に駆け込み、慌てて難を逃れたのですよ。風は強まるばかり、雷も間近で鳴り響き、生きた心地がしなかった。それなのに貴女ときたら大喜びで、ずぶ濡れになりながらも、ますますはしゃぎ回っていた。考えてみれば、貴女はあの頃から活発な方だった……」
 カセリナは適当に相づちを打ちながら、興味なさそうにうつむいている。
 彼女のそんな様子を、斜め向かいに座っているルキアンがそれとなく見ていた。時々、横目で曖昧に視線を走らせて。
 だがカセリナの横顔は冷たかった。彼女はルキアンの方からわざと目を背けるようにして、首を正面向きから動かそうとしない。
 どこか不自然な2人の素振りに気付き、シソーラは目元を微かに緩めた。
 沈黙がちな場の中で、ランディだけが独りで喋り続けている。
「しかし、お転婆が過ぎて、アルマ・ヴィオまで乗り回すのは……」
 彼がからかうような口調で告げると、今まで無視を決め込んでいたカセリナが、にわかに眉をつり上げた。そして無意識のうちに、いかにも負けず嫌いな彼女本来の表情に戻る。
「女がアルマ・ヴィオに乗って、悪いとでもおっしゃりたいのですか? ランドリューク様も、お父様と同じですわね」
「いや、そういったことでは……。ギルドにも女性のエクターは山ほどいますからな。しかしエクターというのは、実際のところは野蛮な人殺しでもあるのです。それを貴女のような方が……」
 カセリナは目を閉じて、気位の高そうな、反抗的な調子で言う。
「そういえば、そこのシーマー殿とかいう方も、エクターなのですね? あんなに優しげな顔をしていらっしゃるわりに、人は見かけでは分からないものですわ」
 いかにもルキアンが《人殺し》だとでも言いたげな、棘のある口振りだ。相変わらず彼女は、ルキアン本人の方を見てはいない。
「そんな、ぼ、僕は……僕は……」
 口ごもるルキアンに、今まで黙っていたナッソス公が尋ねる。
「君のような将来ある若い貴族が、ギルドなどに関わっているとは残念な話だ。一体、なぜ君はギルドに? 何のために戦う?」
 公爵の眼差しが、獲物を捕らえようとする鷹のごとく、ルキアンを鋭く見据えた。
「そ、それは……」
 ルキアンは答えに詰まってしまう。
 公爵は、半ば小馬鹿にしたような、半ば同情するような態度で告げる。
「若い人間の情熱は素晴らしいものだ。しかし若さゆえの勢いが、逆に過ちにつながることもある。頭を冷やしてよく考えてみることだ……。大方、ギルドの《人買い》たちの口車に、まんまと乗せられたんだろう? 《君には見どころがある。自分たちと共にこの世界を変えよう》などと……」
 公爵は珍しく表情を和らげ、ルキアンに諭した。
「何かを《成し遂げ》、それによって己の《存在意義》を確かめようとするのは、立派なことだ。だがな、そんな思いを簡単に形にできるほど、世の中は甘くないのだよ。もし君が……ほんの少しぐらいならば、今日明日中にでも、自分の力で何かこの世界を変えられると考えているのなら……それは誤りだ。理想だけではなく、地位や人脈や金や、様々な《力》が必要なのだ。それらを度外視して、一足飛びに何かいっぱしのことを成し遂げたいとは、虫が良すぎる。理想や情熱だけでは大きな人物にはなれぬ」
 ナッソス公の言葉にも一理あると思いつつ、いや、公爵の言ったことが現実には正しいのだろうとも考えつつ、ルキアンは恐る恐る反論し始めた。
「そ、そうですね。そうかもしれません。でもそういった世の中の必要悪を、それを仕方がないことだと言っているだけでは、あの……何も変わりません」
 最初は遠慮がちだった彼の言葉が、次第に熱を帯びる。
「変わらないどころか、せっかく世の中を《変えよう》と思っている人たちに、やる気を失わせてしまうことにもなりかねません」
 公爵はわざわざ綺麗事を並べようとはせず、躊躇せずにこう言い切る。
「それが世の習いというものだ。言葉を慎みたまえ、必要《悪》ではないよ。そもそも、どうして今の世を変えねばならんのかね? 君は何が不満だ?」
「僕は……」
 うつむき加減で手を組んだルキアン。
「不満は色々と有ります。でも、それは構わないんです。だって不満は、人間なら誰にだってあるものだから。我慢するときはしなくちゃいけないです。でも、ただ、嫌なんです……。いつもいつも受け身で自分の考えを殺してばかりで、いくつもの不満を《どうせ変えられないよ》と思い続け、言い続けて、自分をごまかすための材料にしてきた僕自身が。《何も変わらない》と思い込んで、何もしようとしないこと、それ自体が……」
 にわかに熱弁を振るい出したルキアンに、ナッソス公は顔をしかめ、カセリナは複雑な面持ちで眼を見開いた。
 シソーラは意味ありげに、ニヤニヤと目を細めている。
 ――まぁ。ルキアン君がこんなに熱く語る人だったとはね。意外だわ。青臭いけど、その真剣さが可愛いじゃないの。ふふ、頑張れ男の子……。
 ランディも、気のない素振りを装いながら、少年と公爵のやり取りを愉快そうに見守っていた。
 ――煮え切らないヤツだと思っていたが、彼もなかなか言うもんだねぇ。親爺殿を前にして一歩も引かないとは、大したもんじゃないか……。さすがはクレヴィス、目の付けどころが違うな。もしかすると、これはなかなかの拾い物をしたかもしれん。
 ルキアンはさらに話し続ける。己に酔い始めた少年の舌は、もはや留まることを知らなかった。
「何かを変えられるかどうかなんて問題じゃありません。まず勇気を出して自分の思いを行動に示してみることが、それ自体として大切なのだと思います。そして、その行動が持ち得る《意味》によって、僕は自分の《存在意義》を少しでも取り戻すことができるかもしれません。その一筋の希望の光を、僕は信じてみたいのです。僕が僕であることができるように……」何かに憑かれたかのごとく、そう語り終えたルキアンは、額にうっすらと汗を滲ませている。
「ふん……。だから無頼の漢たちと徒党を組んで、一花咲かせようというわけか? 全く支離滅裂な話だ」
 ナッソス公は冷淡に鼻で笑った。情熱を生真面目に吐露した少年に対し、公爵が示した答えはそれだけである。
「要するに君というのは、具体的な目的もなく……ただ自分が必要とされたからといって、それに喜びを感じて暴徒どもに力を貸す、いわば《理由を持たぬ抜き身の剣》のような人間だな。戦う理由を、いや、自分の存在意義とやらさえ、結局は他人に預けている……」
 相手をするのも馬鹿馬鹿しいという顔つきで、公爵は溜息をつく。
 だがルキアンは動揺を見せなかった。ある意味、開き直ったのか、変に落ち着いた様子で彼は黙っている。その瞳には不思議な意志の力が浮かんでいた。
 ――分かってる。そんなこと、言われなくても分かってるよ。でも何かが見えてきたような気がするんだ。僕はもう少し時間が欲しいんだ。そうすれば、そうすればきっと……。
 心の中でつぶやきながら、少年は、窓を打つ激しい雨音に耳を傾けた。


【注】

(*1)《音霊使い》は、不思議な力を秘めた呪歌を演奏し、あるいは歌うことによって、魔法の呪文と同様の効果を発生させる。ゲーム等では《吟遊詩人》というクラス名で呼ばれることが多い。一般的に言って、このクラスのキャラはしばしば弓が得意だとされる。

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