HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第19話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 本当の闇は、光と影のさらに向こう側にある。
 汝の真の敵を見誤ることなかれ。



 厚く垂れ込める雲の下、中央平原に普段より早い日没が訪れた。
 風はいくらか和らぎ、雷鳴も遠くに過ぎ去ったものの、降り続く雨は相変わらず激しい。
 クレドールをはじめとする3隻の飛空艦は、議会軍ラシュトロス基地に停泊し、嵐の中でランディたちの帰りを待ち続けていた。
 その間にも、風雨を突いてギルドの飛空艇が続々と到着する。ラシュトロスの手狭な飛行場がたちまち収容力の限界に達したため、付近の草原一帯にまで沢山の飛空艇が着陸している。
 それらの多くは、《仕事》を求めて各地を点々とするエクターたちが、移動及び輸送の手段としている小型船である。多少の武装も施されているとはいえ、基本的には飛空艦を相手にできるほどの火力を持ち合わせていないため、ナッソス家の艦隊との戦いには参加しない。実際に戦闘の主役となるのは、飛空艇で運ばれてきたアルマ・ヴィオの方だ。
 基地付近の平野を、同じくギルドの陸戦型や汎用型のアルマ・ヴィオが群をなして通り過ぎていく。各地の支部から集結したギルドの繰士――腕自慢の賞金稼ぎ、世界の戦場を渡り歩く傭兵、そして命知らずの冒険者たちである。
 軍とは異なり、種類も色も大きさも不揃いな機体が集団を形づくっているが、それだけに壮観な光景でもあった。闇の中で鋼の魔獣たちが織りなす、一種異様な百鬼夜行というところか。

 ギルドの陸戦部隊が本格的に布陣を始めたのに応じて、クレドールの艦橋もすでに臨戦態勢に入っていた。
 クルーたちの一挙一動にも、いつになく緊迫した雰囲気が漂う。それも当然と言えば当然だろう。恐らく明日、あるいは早ければ今晩中にも、ナッソス軍との戦いの火蓋が切って落とされようとしているのだから……。
「《パンタシア変換》が規定値以上の効率を維持しているか、特に《触媒嚢》の状態を念入りにチェックしろ。それから各《動脈弁》に魔力の逆流が生じていないか? 目盛りのわずかな変化も見逃すな!」
 操舵長カムレスの謹厳な声は、あたかも叩き上げの軍士官を思わせる。彼は部下たちと共に計器類を注視し、船体の調子の最終的なチェックを行う。
 カムレスの指示に続き、部下たちによって様々な数値が読み上げられ、そのつど《○○に異常なし》と連呼される。
「点検終了! 各自、持ち場につき、今後も確認を怠らぬこと!!」
 大きな刀傷のある額から、カムレスは汗を拭った。まだ春先であり、さほど気温が高いわけでもないのだが、それでも汗だくになるほど彼は真剣なのだ。
 そんな彼をねぎらうように、クレヴィスが静かに告げる。
「カムレス、ちょうど一段落付いたようですし……今のうちに夕食を取ってきたらどうです? この調子だと、少なくともあと数時間ほどは、船を動かす必要はなさそうですからね」
「いいのか? そうか……そうだな」
 カムレスは今さらながら空腹に気づいた。部下たちには交代で食事をとらせていたのだが、彼自身は、ごく軽い早めの昼食の後、今まで何も口にしていなかったのである。
 ネレイのギルド本部に立ち寄ったとき、クレドールは十二分に整備を受けた。それでも点検を微塵も怠ろうとしない点は、いかにも堅物のカムレスらしい。
 乗組員のうち、最も長くギルドの暮らしに浸かっている人間の1人でありながらも、最もギルドの人間らしくない――つまりは馬鹿が付くほどの実直さや堅実さが、カムレスの面白いところだ。
 真面目人間というのも、ここまで徹底されると、ひとつの強烈な個性である。

「カムレス、肩に力が入りすぎて、変に気疲れしなきゃいいけど……」
 操舵長が艦橋から出ていった後、ヴェンディルが苦笑いした。
「大丈夫ですよ。あんなふうに几帳面に振る舞うのが、かえって彼にとっては一番《楽》で自然な行動なのですから。好きなようにさせてあげましょう」
 夜の闇が草原を塗りつぶしていくのを見守りつつ、クレヴィスがそう答える。
「そうだね。手を抜けって言ったら、カムレス、かえって悩んじゃうかもしれないな。《怠けるのって、一体どうやればいいんだ?》……なんてさ」
「えぇ。アンタにも少しは見習わせたいところだわ」
「まったく……って、おい、それはひどいじゃないか、メイ」
 カムレスとほぼ入れ替わりに、メイがブリッジに入ってきた。
 手のひらサイズの扁平なチーズを、彼女は小さくちぎって差し出す。
「ヴェン、これ食べる? 晩ご飯のついでに台所からかっぱらってきたのよ。あと2、3個あるから、セシーにもあげようか?」
「要らない」
 間髪入れずに、セシエルは素っ気なく断った。彼女は机の上にミトーニア付近の《宙海図》を広げ、等圧線状に描かれた霊気濃度の偏差を丹念に調べている。
「ねぇ、セシーってば。もしかしてダイエット中とか? それ以上キレイになってどうすんのよぉ。えへへ」
 そう言って茶化しながら、メイはセシエルに軽く抱きつこうとする。
 だがクレヴィスが首を振って止めたので、メイは後ろに一歩スキップすると、大人しくあきらめた。
「なんか手持ちぶさたなんだな。ルキアンでもいたら、からかって遊ぶのに」
 今度はクレヴィスの隣に立ち、子供じみた表情で笑うメイ。こうしていると、彼女には随分あどけない部分が残っているようにも見える。
「この調子だと、夜遅くまで帰ってきませんよ。会談の方が長引いているようですね。いや、そもそも話になっていないのでしょうが……。ルキアン君たちが戻るのは、もしかすると明日になるかもしれません」
 クレヴィスは溜息をつく。彼の手元にも何枚かの宙海図が置かれ、コンパスやディバイダなどに似た製図用具や、方位磁石らしきものがその傍らに並べられている。
 ラシュトロスからミトーニアに至る空路を図面の上で追いながら、彼は相変わらず呑気な声でつぶやく。
「ギルドの陸戦部隊が全て到着するまでの、《最低限》の時間稼ぎは必要なのですが……その反面、時間が経過すればするほど、こちらにとって不都合なことにもなるのです。我々がこうやって待機している間にも、《帝国軍》は刻一刻とオーリウムに近づいているわけですからね」
「うん。シソーラ姐さんも言ってたわ。和平に興味のないナッソス公爵が、わざわざ話し合いに応じたのは……結局、向こうにとっても帝国軍到着までの時間稼ぎになるからだって」
「その通り。ナッソス公にしてみれば、こちらの兵力が完全に集結する前に、先手を打ってラシュトロスを叩くという選択もあったわけです。それを棒に振って会談を行ったからには、時間を引き延ばす方向に出てくるのは間違いありません」

 そのときブリッジ入口の扉が開き、カルダイン艦長が姿を見せた。
「公爵にしてみれば、時間稼ぎ云々には関わりなく、最初から籠城戦に持ち込む腹づもりだったろうがな……」
 艦長の枯れた声が、低く心地よく周囲に伝わる。
「特に高低差もなく遮蔽物もないミトーニア平原。その中にあって唯一の小高い丘に位置するナッソス城は、地形的に有利だ。その地の利を生かしつつ、城の近辺に堅固な陣地や砲台を築き、我々を引きつけて迎え撃つ方が、下手に動くよりも得策だと考えていることだろう。だが公爵は、ひとつ重要なことを軽視している……」
 海賊風の荒くれた外見にはよらず、意外に戦略家でもあるカルダイン。それはそうだろう――単なる気迫やカリスマだけでは、あのタロスの大艦隊相手に五分の戦いを繰り広げることなど、到底できなかったはずだろうから。
 クレヴィスが言葉を継ぐ。彼は穏やかな口調ながらも、唇に冷ややかな笑みを浮かべて言い放った。
「それは……地上戦では攻守両面について有利なナッソス城も、空からの攻撃に対してはあまり意味をなさないということですね。もちろん公爵とて、その点を見落としているはずはないでしょうが……まぁ、自らの飛空艦隊の規模を頼みに、制空権を我々に奪われることなどあり得ないとでも考えているのでしょう。そうだとすれば、甘いですね……」

 ◇ ◇

 夕刻、同じくクレドールの艦内にて。
 《赤椅子のサロン》の天井で輝くシャンデリア。
 蝋燭と硝子とが作り上げる柔らかな光は、旧世界の照明器具とは異なり、広間の全てを煌々と照らし出すような無粋なことをしない。家具の背後や部屋の隅、そこかしこに影が息づいている。
 ほのかな明かりが窓に映り込む。その向こうには霧雨。
 意外に早く小降りになってきたらしい。
「すっかり日が落ちたか。ついつい長居してしまったな……」
 レーイ・ヴァルハートの淡々とした声が、静かな室内に漂って消えた。
 端正に刈り上げられた象牙色の髪と、勇ましくもどこか優しげな横顔。天井の燈火から多少離れた位置にある彼の身体が、薄闇の中に浮かび上がる。
 彼は腕組みして外を見ていた。真っ暗な原野を行き交う光は、ラシュトロス基地に発着するギルドの飛空艇である。
 他の面々は昼間よりも言葉少なげだった。
 プレアーに至っては、カインの肩に寄り掛かってすやすやと居眠りしている。
「ふにゃ。お兄ちゃん……」
 夢でも見ているのか、彼女は満足そうな表情で寝言を並べる。
 金色に染めたおかっぱの髪に、無造作な太めの眉。桜色の小さな唇。
 女らしい匂いがなく、かといって男の子とはやはり違う不思議な容貌。
 性別を感じさせない愛らしさには、どこか天使の姿に通ずるものがあった。
「プレアーったら。この寝顔を見ていると、まだまだ子供よね。ほれっ」
 少女の張りの良い頬を、メイが指先でそっと押した。
 昼間の騒々しさとは対照的に、重苦しい空気が彼らを取り巻き始めていたが、一瞬、雰囲気が和んだ。
 低い笑みがこぼれる。

 そんな中、不意にベルセアが真顔になった。
「……今度の戦い、勝てると思うか?」
 空っぽのティーカップを見つめながら、彼は誰にともなく尋ねる。
「当然じゃネェか。オレたちが負けるわけないだろ」
 椅子にふんぞり返ってあくびをしていたバーンが、面倒くさそうに答える。
「いや、そういう意味ではなくて……さ」
 珍しく弱気を見せたベルセアの前で、バーンは訳が分からず首を傾げている。
「そういう意味って、何だよ? 要するに勝ちゃいいんだろ、どーんと!」
「あぁ。勝つさ。俺たち、日頃の行いが良いからな。日々これ精進……運も向いてくるというものだ」
 ブロンズ色のカフス・ボタンの向きを指で整えつつ、カインが呑気に相づちを打つ。紳士然とした顔つきで力説する彼だが、肝心の言葉の中身はやや意味不明だ。
「何であんたたちって、そんなに分かり易いワケ……?」
 メイが溜息をついた。
「戦いに勝ち、俺たちがこうして再び無事に集うことができれば。そう言いたいわけか、ベルセア?」
 微かな声で、けれども変に凄みのある調子でレーイがつぶやく。
 ベルセアは他人事のように言った。
「まぁな。そんな感じだ。甘ちゃんだよな、俺はさ。ところでレーイ……」
 恐らく照れ隠しなのだろう、彼は思い出したかのように話題を変える。
「議会陸軍の主力が、この2、3日中にも《レンゲイルの壁》に到着しそうなんだって? 頼もしいことだぜ」
「あぁ。王国の西部、北部、そしてエルハインの都周辺の各師団から選抜された大軍だということだが。その中でも王都の郊外に駐屯する《皇獅子機装騎士団》は、知っての通り、ギヨットの配下たちとも互角に戦える精鋭だ」
 王家から《皇》の文字の使用を許された、都の守護にあたる誉れ高き機装騎士団。その名を聞いた途端、ベルセアが手を打った。
「お前の旧友の《レオネス》乗り。ほら、クロワ……クロワ・ギャリオン。あいつがいる部隊だったな」
「クロワか。元気だろうか。長らく顔を合わす機会がないんだが……」
 永遠のライバルとでも言うべき男の名を、レーイが口にする。
 遠く王都の方へと思いをはせたとき、彼の瞳は戦士のそれに変わっていた。

 ◇ ◇

 エルハインの都から南へと下る大きな街道――通称《王の道》は、普段であれば、日暮れの後もなお行き交う隊商や旅人たちで賑わう。
 だが、ここ数日間、夕方以降になると路上には人影ひとつ見られない。軍の部隊を速やかに移動させるため、早朝および夜間には一般の通行が禁じられているからである。
 人気のない道の彼方、夕闇の奥から伝わってくる地響き。
 ねぐらに戻り遅れた鳥たちが付近の並木から慌てて飛び去る。
 地震のごとき揺れは、たちまちすぐそこまで迫っていた。
 小山のようにそびえる影が、数を連ね、轟音を立てて疾走してくる。筆舌に尽くし難い、空恐ろしいほどの迫力だ。
 古くから整備されてきた街道は、アルマ・ヴィオが余裕を持ってすれ違えるほどの広さを誇っていた。整然と隊列を組んで、2、30体ほどの陸戦型の群が南へ向かってひた走る。
 先頭を切っているのは、白、黒、スカイブルーの3色で塗られた機体を持つ、精悍な鋼の獅子たちだ。議会軍の量産型陸戦アルマ・ヴィオとしては、《ハイパー・ティグラー》と並んで最強の《レオネス》である。
 雄々しいたてがみと、背中の二連装MgSが目立つ。
 ハイパー・ティグラーが局地戦用に開発された要撃タイプだとすれば、レオネスは電撃戦を得意とする高機動タイプだ。そのスピードは陸戦型の中でも群を抜いている。
 ――まったく、人使いが荒いったらありゃしないぜ。ここんところ毎晩、反乱軍を追いかけて転戦してたってのに。少しは眠らせてくれよ。
 レオネスの繰士の一人が念信で愚痴っていた。もしこれが普通の会話であったなら、ついでに彼のあくびも聞こえてきたことだろう。
 ――あぁ、もう、うるさいっ! さっきから眠い眠いって……大体ねぇ、ケーラに入っている間は、眠気なんて感じるはずないじゃないの。
 女性のエクターが、呆れ返って返答した。彼女もいずれかのレオネスに乗っているらしい。
 ――そんなこと言われても、眠いもんは眠いっつーの。
 軍のお堅い機装騎士とは思えないような、とぼけた男である。
 ――我々が忙しいのは、それだけ頼りにされているということだ。まぁ、そう愚痴るな、クロワ。
 別のエクターが落ち着いた様子で告げる。
 ――あ、あはは。シュタール団長、聞こえてましたか……。
 このお気楽な男がクロワ・ギャリオン。元々はギルドの人間だったため、その関係でレーイとも親しいのだが、今では皇獅子機装騎士団に移籍している。軍からギルドに移ってくる者は後を絶たないが、彼のように逆のパターンは比較的珍しい。
 彼と念信を交わしている女は、相棒のエリカ・ハイディ。
 団長と呼ばれたのが、皇獅子機装騎士団のシュタール団長だ。
 本来なら、同機装騎士団も陸軍主力部隊に加わってレンゲイルの壁に向かうはずであった。しかし、ここ数日間、王都近郊で生じた反乱に振り回されていたために、半日ほど遅れて本隊を追うことになったのである。
 この遅刻が、結果的には彼らの強運ぶりを物語っている。
 なぜなら……。

 ◇ ◇

 ――雑魚が群れても所詮は無駄だということを、思い知るがいい。
 遙か天上、深海のごとき濃紺色の夕空を従え、地表を見下ろす者がいた。
 刺々しく、節くれ立った不気味な甲冑。
 夜の闇よりもさらに濃い、漆黒の翼。
 まさしく、あの黒いアルマ・ヴィオである。
 音もなく宙を舞う死の天使は、地に這う獲物たちを見つけ、にわかに空中で停止する。
 そこは、エルハインから伸びる《王の道》が、ミトーニアに至る街道とレンゲイルの壁方面に至るそれとに分かれる場所だった。
 やがて途方もない数の軍勢が、都の方角から分岐点に近づいてきた。
 まだ日没直後であるため、アルマ・ヴィオの魔法眼をもってすれば、空の上からでもその大部隊の位置程度は確認できる。
 延々と続くアリの行列のようにしか見えないが、その実態は、数百に及ぶアルマ・ヴィオである。件の議会軍主力部隊に他ならない。
 隊列の先頭がますます近づくのを見計らい、黒いアルマ・ヴィオは静かに高度を下げていく。
 左右の肩当てが軋みながらスライドし、腹部のカバーが両脇に開く。
 同時に双方の翼が、扇さながらに徐々に幅を広げ、暗黒の騎士は半月を2つ背負ったような姿になった。
 その翼が月の光を浴びて異様な輝きを見せる。いや、現に青白い光を次第に強く帯びてきている。
 ボゥッという音と共に、白熱する巨大な光の玉が機体の前に現れた。
 ――この国の未来のために、悪いが消えてくれ。
 紫のフロックの男は、心の中でゆっくりと引き金を引く。

 次の瞬間、光が満ちた。全てを飲み込み、無に帰す恐怖の光が……。
 閃光が空を切り裂き、地平に向かって走り抜ける。
 見る見るうちに火に包まれ、黒こげになり、そして消えていく木々。
 無数のアルマ・ヴィオが枯れ葉のように吹き飛ばされ、粉々に四散し、付近を残骸で埋め尽くす。
 光の中心に近い場所にいた機体は、原形をとどめぬほど溶解し、金属の塊となって転がっている。
 大地震が襲来したかのごとく、地面は崩れ落ち、おそらく半径数キロに及ぶクレーターが忽然と姿を現した。
 原野は火の海に変わり、炎がすさまじい勢いで四方へと広がっていく。

 ◇

 ――シールドを張れ、早く!!
 突然、クロワが叫んだ。
 稲妻のような光に彼が視界を奪われたのと、ほぼ同時のことだった。
 物凄い音が耳をつんざき、足元が揺れた。
 街道沿いに点在する建物や樹木を根こそぎにしながら、前方から爆風が迫ってくる。
 レオネスたちは懸命に足を踏ん張り、MTシールドを張って衝撃波に耐える。

 荒れ狂う嵐の中、皇獅子機装騎士団はかろうじて隊列を維持し続けた。
 あと何キロか前方にいたとしたら、ただでは済まなかっただろう。
 ――今のは一体……。敵襲かしら? それにしては随分遠いわね。
 状況が全く把握できないにせよ、とりあえずエリカは周囲の警戒を怠らない。
 ――さぁな。目の前が真っ白になって、眩しくて何も見えなかった。寿命が縮まるぜェ、くわばらくわばら。
 物事に動じないというのか、呑気だというのか、ごく平然としているクロワ。彼の脳裏では、仲間たちの念信が飛び交っている。
 ――不覚だ。今ので脚の関節を痛めちまった。修理が必要かもな……。
 ――ティグラー2体が爆風で飛ばされ、軽い損傷を受けた模様!
 ――おい、早くどいてくれ! お前のアルマ・ヴィオが邪魔で動けん。
 幸い、大破した機体はないようだが、皇獅子機装騎士団も無傷ではなかった。
 ――うろたえるな。速やかに隊列を建て直し、各隊の長は被害状況の報告。
 レオネスの咆吼で一喝しつつ、シュタール団長が命じた。
 そのとき。
 
 ――助けてくれ! 化け物だ、殺される!!
 狂乱したも同然の念信が飛び込んできた。
 ――こちら、議会軍……師団の……。退却、退却だ! 付近の議会軍部隊に、救援を願う!!
 絶叫を残してそれらの声はかき消えた。
 敵軍と交戦中らしい。念信が届くということからして、それほど遠いところではない。
 ――見て、クロワ。あそこに炎が!
 エリカのレオネスが顎で前方を指した。
 街道の先、闇の中で地表が赤々と燃え、こうしている間にも爆炎や火柱が立ち上っている。
 ――団長!?
 問いかけるクロワにシュタールは告げる。
 ――そうだな。お前たちの隊で偵察に向かえ。くれぐれも注意しろよ。

 ◇ ◇

 ラプルス山脈でも重大な出来事が起こっていた。ただし秘密裏に……。
 山麓を照らす月明かりを遮ってしまうかと思われるほど、途方もない規模の物体が4つ、上空に浮かんでいる。天に築かれた要塞のごときそれらの影は、全て飛空艦である。
 遠目には黒々とした浮島のようにしか見えないが、実際の船体はみな深い赤色に染め上げられている。真紅の下地に描かれたオーリウム王家の紋章が、うっすらと白く光る。
 その装いからして、すべて王室直属の飛空艦隊に属する船だ。
 巡洋艦クラスの高速艦が2隻。
 さらに1隻――ひときわ目立つのは、国王軍が保有する《ポエニクス》級の大型戦艦である。その全長は優にクレドールの2倍はある。本体部分と一体化している三角形の翼に、すらりと伸びた流麗な船首。敢えて例えれば翼竜のような姿をしている。
 ポエニクスは国王軍のみが数隻保有しており、単体での火力の高さでこれに勝る艦は議会軍にさえ存在しない。何段にもわたって舷側に並ぶMgS、甲板には方陣収束砲が数門。ただしその火力と図体は、実戦に用いるためのものというよりは、むしろ王家の威光を誇示するためのものだと言えよう。
 残る1隻はポエニクス級にも劣らぬ重量級の輸送艦である。
 地上付近まで高度を下げた同艦からは、無数の頑強なケーブルが降ろされていた。全てのケーブルは、あたかも生きているかのように、地表にそびえる正体不明の物体に絡み付いている。
 実際それらは《生きて》いるのだ――しばしば大型輸送艦が備えている作業用の《触手》である。樹木の根を思わせる触手全体が、実はとてつもないサイズの植物型アルマ・ヴィオだということになる(*1)。
 問題はむしろ輸送艦が持ち上げようとしている物体の方だった。外観的には、金属でできた黒いコンテナとでも形容すればよいのだろうか。ただしその大きさが普通ではない。一辺が数十メートルの巨大な立方体である。
 空高くそびえ立つ真っ黒な箱……。国王家の艦隊はこの異様な物体を吊り上げ、どこかに運ぼうとしているように見える。
 コンテナの周囲には4体の《エルムス・アルビオレ》がいた。それぞれの装備から考えて、セレナ、ラファール、ダン、ダリオルの操る機体である。特務機装隊との戦いの後、麓まで降りてきたのだろう。
 他にも《シルバー・レクサー》が10体前後、国王軍に属する白いティグラーが20体ほど、コンテナを警備するかのごとく配置されている。

「予定外の騒ぎはあったけど、まぁ、退屈しのぎにはちょうど良かったよ。議会軍はともかく、あの変な少年……思ったよりも楽しませてくれたことだし」
 謎の物体が輸送艦によって引き上げられていく様子を、ファルマスが地上から満足げに眺めていた。何がそんなに嬉しいのか、小憎らしいほどの笑みをたたえて、彼はチエルの顔を覗き込む。
「《大地の巨人》を例の場所に運び終えたら、さっそく起動できるように準備を始めないとね。だから君には協力してもらわないと困るんだなぁ」
 チエルが汚物でも見たように顔を背けると、ファルマスは素早く反対側に回り込み、無邪気に声を上げて笑った。
「あはは。そんなに嫌がる必要はないじゃないか。旧世界のお嬢さん」
 無言のまま再び逆方向に顔を向けようとするチエル。
 ファルマスと一緒にいたエーマが、彼女の首を乱暴に押さえる。
「勝手に強がっているがいいさ。でも後で簡単に音を上げたりして、あたしをがっかりさせるんじゃないよ。ふふふふ……」
 エーマの真っ赤な爪が怪しげな動きでチエルの唇を這う。
 縛られたままのチエルは、怒ってエーマの指に噛み付こうとする。本当に気丈な娘だ。実際には極度の疲れのため、チエルはもはや立っているだけで精一杯であったが。
 生あくびをした後、ファルマスは何の罪の意識もなく平然と告げる。
「あまり酷いことをしてはだめだよ、エーマさん。もし彼女に万一のことがあったら、《巨人》を目覚めさせられなくなっちゃうからね」
 この言葉にチエルへの同情心の欠片もないことは言うまでもない。
 だがチエルには微かな希望が残されていた。それは……。
 彼女は心の奥でファルマスたちを嘲弄する。
 ――バカな奴ら。《パルサス・オメガ》を起動するためには、あの子が私と一緒にいないと駄目なのに。だから上手く逃げ延びて、イリス……。
 チエルは妹の顔を思い浮かべようとしたが、それさえもかなわなかった。
 彼女の首ががっくりと崩れ落ち、黒髪が力なく垂れ下がる。
 すると、次第に薄れゆく意識の中、美しい竪琴の音が遠くの方で聞こえた。
 チエルの空虚な心のうちに、物悲しく澄み切った高貴なパヴァーヌだけが響く。旧世界人である彼女にとっても、どこか郷愁を感じさせずにはいない音色だった。
 実際にはその旋律はすぐ近くで奏でられている。
 大切なものを愛おしむかのごとく、優しく弦を爪弾く指先。
 弾き手のエルシャルトは木の根元に腰掛け、黙って星空を見つめている。
 その長い髪を夜風が揺らす。ひんやりと冷えてきた空気を頬に受けて、彼は涼しげな横顔をみせた。
 彼の曲を耳にしているうちに、なぜかチエルは次第に安らかさに似たものすら感じていた。怒りと苦しみに満ちた今の自分の意志とは無関係に、彼女は不思議な平穏に包まれ、ほどなく意識を失った。

 ◇ ◇

「これ以上ここにいても無意味だと思うわ。いや、むしろ有害だわね……」
 腕組みしたシソーラが行ったり来たりしている。
 あまり広くはない部屋の中で、彼女は奥に向かって歩き出したかと思うと、立ち止まってはヒールで床をカツカツと鳴らし、また手前に戻ってくる。
 落ち着きのない立ち振る舞いからみて、相当に苛立っているようだ。
「この一刻を争うときに、呑気に夕食なんか食べてる暇はないでしょ!?」
 彼女の突き刺すような声に、ルキアンは思わず背中をびくりとさせる。
 彼とランディは黙って椅子に座っていた。
 公爵とのお茶会が終わった後、今度は夕食会の準備が整うまで、3人はしばらく客室で待たされることになったのである。
 ラプサーの副長という立場にあるシソーラとは異なり、しょせんは居候ゆえの気楽さか、ランディは太平楽を並べる。
「ま、そうは言っても……。そんなに焦らず、旨いモノをたらふく食わせてもらうのもいいさ。ここのところ飛空艦暮らしが長くて、美食とは縁がないからな。海の物から山の物まで、ミトーニアには何でもあるよ」
「あのねぇ……」
 神経を逆撫でするような彼の言葉にシソーラは眉を吊り上げたが、年の功というのか、怒りを喉元に押しとどめる。彼女はヒステリックに声をうわずらせた後、一息置いてから、無理に落ち着いて話を続けた。
「予定では、ギルドの陸上部隊はもうすぐラシュトロスに到着し終わるわ。場合によっては、今晩中に夜戦を仕掛ける手もあるというのに。とにかく、こんな城はさっさと落として《レンゲイルの壁》に向かわないと、帝国軍の侵攻を食い止められなくなるわよ。この国がなくなっちゃってもいいワケ?」
 本当なら《貴方には、国を追われた者の苦しみなんて分からないでしょうけど。あの革命を賛美する貴方には!》と言いたかったシソーラだが、さすがに私怨をぶつけるのは良くない。
 彼女のそのあたりの気持ちについては、ランディも勿論分かっている。彼は複雑な表情で苦笑いすると、シソーラをなだめ始めた。
「しかしな。そもそも俺たちには、クレドールまで帰る手段がないんだから。親爺殿が帰還を認めてくれない限り、どうにもならない。それを忘れちゃいまいな?」
「あのオヤジ、初めから私たちの《足》を奪うつもりで、迎えをよこしたのね。きーっ、憎らしい!」
 いささか冗談めいた口調で言いつつ、シソーラが拳を握りしめる。確かに、いま慌てても仕方がない。彼女も少しは頭を冷やしたようである。
 シソーラとランディは、お互いに納得した様子でしばらく黙っていた。
 その沈黙を遠慮がちに揺るがせたのは、ルキアンの言葉だった。
「あ、あの……。やっぱり、駄目なんでしょうか。ナッソス公と戦うしか、どうしても戦うしかないのでしょうか?」
 すぐには答えが返ってこない。
 シソーラが正面からルキアンを見据える。
 戦士としての厳格さと、落ち着いた年齢の女性の優しさとを併せ持った空色の目に、ルキアンは気後れを、あるいは気恥ずかしさを感じて黙ってしまう。
 突然、シソーラはぷっと吹き出す。一転して下世話な笑みを浮かべ、彼女はルキアンを冷やかした。
「当ててみようか。ナッソスのお嬢ちゃんが心配なのよねぇ、ルキアン君」
「そ、そんな、ぼ、ぼ、ぼ、僕は……」
 出し抜けに胸中を言い当てられ、ルキアンは言葉をどもらせた。
 だがそうやって指摘されてみると、確かに彼女のことが頭からずっと離れていない。いつの間にか必死になって弁解している自分に気づき、彼は余計に恥ずかしくなった。
 シソーラは意味ありげに何度も頷いている。
「ふふふ。お茶会の時にすぐ分かったわ。キミの変な態度。ねぇ、カセリナとの間に何があったの? おねぇさんにも詳しく聞かせてみなさいよ」
「な、なんでもないです! あの、その、だって、彼女が戦いで家や家族を失ったら可愛そうじゃないですか。それだけです。ただ、それだけです!」
「かわいい。気にしちゃって」
 しかしシソーラは、笑顔を殺して低い声でこう付け加える。
「戦争なんて薄情なものよ。あの娘(こ)もそのぐらいは覚悟しているはず。大体、私たちの方だって、生き延びられるかどうか分かんないじゃない」
「だから、だから戦いなんて避けられないかと……」
 シソーラは溜息をつく。彼女は曖昧な視線で、哀れむようにルキアンを見た。
「でもねぇ。結局のところ、戦うのが私たちの商売なワケよ。それに今回はただの《仕事》じゃないわ。ルキアン君もよく知っているだろうけど、この王国の全てが、未来がかかっているの」
 シソーラは外の闇に視線を転じ、中央平原の彼方へと、さらにその果てにあるレマール海の向こう、ふるさとのタロスへと思いの翼を羽ばたかせた。
 遠い目をしながらも、彼女の口からは毅然とした言葉が流れ出る。
「昔、私は故郷の《王国》を失ったけど……その代わり、オーリウムに自分の《居場所》を再び見つけることができた。それをまた失うのは、絶対に嫌なの。だから今度は私も戦う。自分の居場所を守るために」
「シソーラさん……」
 ルキアンが何か言おうとしたとき、静かに扉がノックされる。
 部屋に入ってきたのは片眼鏡をした上品な老人である。身なりも良く、堂々としていながらもにこやかで丁重な態度。この家の執事か何かだろうか。
「晩餐の準備が整いました。お部屋までご案内いたします」
「よぉー、ベルク、久しぶりだな!」
 不意に親しげな様子でランディが言った。
「お久しゅうございます。ランドリューク様」
 ベルクと呼ばれた老人は恭しく一礼する。
「……すまないな。こんな事になってしまって」
 ランディがそっと彼の肩に手を置いた。
 珍しく真面目なランディの姿を、ルキアンとシソーラは怪訝そうに見つめる。
 老人は身体を振るわせ、微かに涙ぐんでいるようだった。
「その件については何もおっしゃいますな。私も元は武人でございます。人の世にこうした不幸な戦いが多々あることは、よく承知しておりますよ。ですが、気がかりなことは……」
 ベルク老はそこで言葉を詰まらせ、枯れた声でつぶやく。
「ただひとつ、お嬢様が不憫でなりません。どこで間違ってあのようになってしまわれたのか。危険な戦場に尊い御身を投じるなどと……」
 口惜しそうに俯く彼の姿を見て、ルキアンも同様にうなだれるしかなかった。
 久々の再会にすっかり気を取られていたランディが、思い出したかのように紹介する。
「彼は親爺殿の重臣のベルクだ。子供の頃から世話になってる」
 ベルクはルキアンに目を留め、穏やかに尋ねた。
「お若い方。貴君もギルドの戦士なのか?」
「え、あの……その、僕は……えっと……」
 言葉に困っているルキアン。その返答を待たず、老人は寂しげにうなずいた。
「貴君はとても優しい目をしている。きっと他人を傷つけることを、誰よりも苦痛に思っているに違いない。貴君がそれでも敢えて戦うということは、よほど大切な何かのためなのだろうな。さぞ辛い思いをしていることだろう」
「えっ?」
「覚えておきなさい。貴君のように優しい人間にとって、人を殴った自分の手は、むしろ殴られた相手の頬よりも痛むものだ。しかしその胸の痛みをこらえて戦わねばならぬこともある。そういうときには臆せず戦わねばならぬ。だがそこで、自分の拳の痛みを忘れて戦うようになってしまってはいけない。怒りや憎しみに心を委ねてしまってはいけない……」
 ベルクの言葉はルキアンに衝撃を与えた。
 少年の脳裏にあのときのことが生々しく蘇る――パラミシオンでアルマ・マキーナと戦ったとき、自分でも理解できぬまま旧世界への憎悪を爆発させ、呪われた《ステリア》の力を思うがままに解放した自分のことが。
 それにあの戦いは、本当に《大切なもの》のためだったのだろうか?
 ――大切なもののために?……貴方は僕のことを勘違いしています。僕にはそれが見つかりません。今の僕は《理由なき抜き身の剣》なのです。いや、たとえ《剣》としてでも僕が仲間たちの役に立てるなら、それでいいのかもしれません。《大切なもの》とは次元が違うかもしれないけれど、僕が《居てもよい場所》はクレドール以外にないのだから。
 穏やかに諭すベルク老人の顔を見ていると、勿論そんなことは口に出せない。
 ――もし《大切なもの》があったなら、初めから僕は《剣》になんかならなかった。なりたいとは思わなかった。
 ルキアンの唇がそっと動いた。
 暗い目の中に不可思議な光を浮かべて、身震いしながら痛みを吐き出した。
 ベルク老人が、きっと残念そうな、悲しい面持ちでこちらを見ているだろうとルキアンは思った。
「分かりません。でも僕はこの道を選び取ったのです。それを行ったのは他の誰でもない、僕自身です。風の中に揺れる木の葉のように、こんなにも希薄な存在の《僕》が、それでも向かい風の中で歩き続け、生き続けていくために。僕が僕であることができるように……そのことを僕にとっての《大切なもの》と呼ぶのは空しいでしょうか、罪なのでしょうか?」
 ――僕は、そうは思いません。だって、それが今の自分にできる、精一杯生きるということなのだから。

 ◇ ◇

 夜の荒野を駆け抜ける6体のレオネス。クロワ・ギャリオンと彼の率いる部隊は、例の巨大な光の落ちた方角に向かっていた。
 平坦な場所であれば、レオネスは飛行型なみの速さで《走る》ことが可能だ。しかし周囲への影響や万一の事故等を考えれば、街道沿いでそのような速度を出すのは避けねばならない。
 クロワたちは《王の道》を外れて野原を行くことにした。
 ――これで思う存分飛ばせるぜ。《アエリアル・コート》!!
 そう念じるが早いか、クロワのレオネスが前傾姿勢をとり、オーロラのような光に包まれる。刹那、砲弾のごとく飛び出した鋼のライオンの姿は、遠く豆粒のように小さくなった。
 他のレオネスも同様に一瞬で加速し、たちまち視界から消える。
 レオネスたちが疾走する様は、滑らかに、あたかも風をまとっているかのごとく感じられる。本来なら途方もない空気抵抗が生ずるはずなのだが、巨大な獅子はむしろ空気と戯れ、これを友としているようにも見えた。
 それもそのはず、この機体は高速移動のための《アエリアル・コート》という能力を持っているのだ。風の精霊界の力を借り、巧みに気流を逃す風防状の結界で自らを覆うことによって、レオネスは空気抵抗を極端に減少させることができる。無論それは旧世界の技術らしい。

 超高速を誇るレオネスが本気で駆け出しさえすれば、問題の地点へと至るまでに大した時間はかからなかった。
 だがそこでは、想像を絶する状況がクロワたちを待ち受けていた。
 目の前一帯が半径数キロに渡ってすり鉢のように陥没している。
 夜気を覆い尽くし、白く立ちこめる煙。
 木も草も全てが灰になっていた。
 ――こ、これは……。何が起こったのかしら!? ともかく近くに人家がなくてよかったわね。
 途方に暮れるエリカからの念信。
 それを聞いたクロワは、先日のガノリス王都の惨事を思い起こした。そう、ルキアンの師・カルバも巻き込まれたという、神帝ゼノフォスによるあの暴挙である。
 ――バンネスクは、街ごと全体、こんな大穴に変わってしまったという話だ。噂じゃ、あのデカい宮城も住民たちも、何もかも跡形なく消えたらしいぜ。ガノリス人はどうも気にくわないが、さすがに哀れだ。ゼノフォスの野郎、とんでもねぇことしやがって。
 ――じゃあ、クロワ……もしかしてこれも、エレオヴィンスの《天帝の火》と似たような兵器のせい?
 ――どうだか。それより見ろよ、向こうの方。凄まじいな……生きてるヤツなんて居るのか?
 クロワたちが進むに連れて、辺りの様子が次第に明らかになってきた。
 おびただしい数の黒い影が地面に転がる。見渡す限り、それらはみなアルマ・ヴィオの残骸だった。個々の機体の区別も付かないほど破片が入り乱れ、いたるところに脚や胴体が散らばる。
 うち砕かれ、剥がれ落ちた装甲の下では、焼け焦げた生体器官が異臭を放つ。装甲板の皮膚をまとっていても、アルマ・ヴィオの中身はれっきとした《生き物》のそれである。その内蔵や骨がそこかしこにぶちまけられている光景は、はっきり言って気持ちの良いものではない。
 ――ひどいな。反撃する間もなく焼き払われたようだが。どうすればこんな芸当ができるんだ? これだけの数を、恐らく一瞬で。とりあえず生存者の捜索と救助にあたる。エリカ、本隊に連絡してくれ。
 幾多の戦いを経験しているクロワだが、そんな彼でさえ息を飲むほどの惨状だった。ここまで酷い敗れ方は見たことがない。あまりにも一方的だ。あたかも人が神に対して戦いを挑んだかのように……。

 ◇ ◇

 薄暗い広間の中に、人の背丈ほどの燭台が立ち並んでいる。
 入口から伸びる赤い絨毯。その両側に列をなす燈火が、闇の向こうへと続く夢幻のごとき道を形づくっていた。
 赤々と揺れる炎に照らされ、周囲の金色の壁が鈍い光りを放つ。
「猊下、事は予定通りに運んでおりますぞ……」
 喉の奥から絞り出すような、枯れた不気味な声が響いた。
 いつの間にそこに居たのだろうか、赤紫の長衣に全身を包んだ者たちが部屋の真ん中に立っている。フードを深く被り、裾が爪先近くにまで達する外套を着込んでいるため、彼らの正体は全く分からない。
 香の匂いの立ちこめる闇の奥、黄金造りの玉座から腰を上げたのは、黒い法衣をまとった大柄な男だ。
 彼は口元を微かに弛め、堂々たる様子で頷いた。
 それに応えて亡霊のような声が漂う。
「議会陸軍の主力部隊は、兵力の3分の1近くを失った様子……。《ステリア》の力をもってすれば、そのようなことなど造作もありませぬ」
 誰かがそうつぶやいた後、赤紫の長衣の一群がおもむろに顔を上げる。
 だが現れたのは彼らの素顔ではない。それぞれ、奇怪な金色のマスクだった。
 老人のようなもの、女のようなもの、鳥のようなもの、のっぺりとして鼻も口も持たぬもの――表情のない異様な黄金仮面たち。
 彼らのうちのひとりが、木々が風に鳴るような、微かな声で言った。
「何も知らずに、いにしえの呪われし力に溺れる愚かな人間どもよ」
 それとはまた別の声。今度は呪文の詠唱を思わせる奇妙な節が付いている。
「互いに傷つけ合い、押しのけ合い、滅びの時へと転がり落ちていく……」
 暗がりの中、密やかに行われる仮面劇。
 厳粛さと妖美さとが融和したその光景を、法衣の男は黙って見ている。
 彼は何段にも重なった背の高い冠を被っていた。紅や碧の果実の粒のような、現実味のないほど巨大な宝石をちりばめ、オーリウム国王の頭上を飾る冠よりも豪奢なそれは、最高位の神官である《大法司》の位を示すものだ。
 イリュシオーネの世界において、大法司の位を持つ者はわずか4人。そのうちオーリウムに身を置く者はただ1人。
 しわがれた声がその名を告げる。
「メリギオス猊下……。後は《パルサス・オメガ》さえ覚醒させれば、全ては猊下の思うがまま」
 この言葉が最後まで述べられたとき、黄金仮面たちの姿はすでに広間にはなかった。
「万事、我らにお任せあれ」
 誰もいない空間から発せられた幾つもの声が、薄気味悪く宙に霧散していく。
 そして、最初から彼らなどいなかったかのように、湿った空気と静謐だけが残された。
 この部屋の主――聖俗両界においてオーリウムを牛耳る者、宰相にして王国の全神殿を統べるメリギオス大法司は、満足げにつぶやいた。
「すでに《神帝》との話も片が付いておる。王国は間もなく我が前にひれ伏すことになろう。それまで議会軍も反乱軍も、そして王家の者どもも、この手のひらの上でせいぜい踊っているがよい」
 暗闇の中にメリギオスの高笑いがこだまする。


【注】

(*1) 植物型のアルマ・ヴィオもいくつか存在する。比較的よく知られているのは、MgSの《枝》を数多く生やした砲台型の重アルマ・ヴィオ、《トレント》である。エクター個人の適性にもよるが、一般に植物型アルマ・ヴィオは昆虫型や魔獣型と並んで最も操作が難しいとされる。

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