HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第20話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  守るべき現在のために、
   取り戻すべき過去のために、
    手に入れるべき未来のために。



 翌朝、太陽も高く昇った頃、ルキアンたちはラシュトロス基地に帰還した。
 昨日の荒れ模様から一転し、空は澄み渡っている。
 嵐は雲までも流し去ったのだろうか、秋の日を思わせるほのかな寂寥感が頭上に広がる。
 帽子を持った手をかざしつつ、ルキアンは眩しそうに天を仰いだ。
 血で血を洗う戦いが始まる今、蒼々とした春空はひどく不似合いで――もしかすると神々が人の争いを皮肉っているのかもしれないと、彼には思えた。
 《戦争》を目前に控えているわりに、基地の敷地内は意外なほどに静かである。昨晩、付近を埋め尽くしていたアルマ・ヴィオの群れは、今ではすっかり姿を消していた。夜明けと同時に、ナッソス領に向かって徐々に進軍し始めたらしい。
 基地の守備隊として残る議会軍を除けば、飛行場に留まっているのはギルドの3隻の飛空艦のみ。すでに全艦とも《揚力陣》を起動し、何時でも浮上できる状態にある。
 クレドールのタラップの前にはルキアンとランディが立っている。
「あぁ、眠い眠い。2日も続けて早起きなんて、健康に良くないねぇ……」
 ランディは懐から銀のピューターを取り出す。その中に詰まった火酒を一口、彼は舐めるように吸い込んだ。昼間どころか朝から酒びたりなのだろうか。
「そ、そうですか?」
 呆れて愛想笑いするルキアン。
 目の前の自堕落な男があの文筆家マッシア伯であるとは、何となく信じ難くなってくる。もっとも、ランディのそんな体たらくもご愛敬だと思って、ルキアンは好意的に受け止めたのだが。

「お待たせ。やっぱりこの格好が楽だわね。お姫様ごっこは肩が凝ったわぁ」
 いつものコート姿のシソーラが、ショールを引っ掛けながらやってくる。
 細い黒縁の丸眼鏡、ウィッグを外して短くなった赤毛の髪、腰にぶら下げたサーベルと短銃。彼女の様子が昨日とあまりに違うので、ルキアンは不思議そうに何度も眺めていた。
「ほら、少年。行くよ」
 剣をガチャガチャと鳴らしながら、足早にタラップを登っていく彼女。
 その後ろ姿をぼんやりと見つめ、ルキアンは首を傾げた。
 ――なんか、女の人って元気だな。
 シソーラに続いて、だらけた足取りのランディ。彼があくびをしながら艦内に消えた後、やっとルキアンも歩き始めた。

 ルキアンは不意に階段の途中で立ち止まった。
 そして振り返る。
 背後に広がる空の向こうへと、心は漂う。
 ――カセリナ、本当に戦うつもりなのだろうか? そんなことって……。
 ルキアンの目の前からはもう失われてしまったもの、初めて出会ったときの少女のあの笑顔が、浮かんでは消えた。

   降りそそぐ春の光の中で、
   闇に慣れ過ぎた この目をかばいながら、
   僕は戸惑い、力無く震えている。

 ナッソス城の中庭で手帳に書き付けた詩のことば。
 ルキアンはその1ページを引きちぎり、小声で鋭く言い放った。
「闇に慣れた目は、光に憧れつつも闇に還ることを願ってしまう。結局、僕はいつもそうなんだ。なんで、こうなるんだろう?」

   それでも僕は、やがて歩き出すよ。
   心の底に打ち捨てられていた 翼の欠片を拾い集めて、
   優しく抱きしめてあげられる日が、もうすぐ来るから。

 カセリナがルキアンの詩に書き加えた言葉。今となってみると、その優しさが逆に忌々しく滑稽でもあった。
 情熱と自虐と、弱さと強さとが解け合った思いで、彼は心に独白を刻む。
 ――そうさ。歩くよ。歩いてゆくしかないんだから。君が言うような、そんな日が来るかどうかは知ったことじゃない。だけど今の僕みたいに、自分の惨めさをただ受け入れ、誰かの暖かさを求めること以外に何もしないのは、立ち向かわないのは、もう嫌なんだ。悔しいよ、悔しいよ、そんなの……。
 ルキアンは虚空をにらみ付ける。
 瞳の中で青が滲んだ。
 ――たとえ朝の来ない夜の中に置き去りにされても、僕は立ち上がって進んでいくだろう。その先がいっそうの暗闇であろうとも。光が見えなければ、僕自身が闇の中で輝けばいいんだ。それがどんなに微かなともしびにすぎないとしても! だからもう僕は《むなしさ》を恐れない。僕は《闇》を恐れない。
 そう誓ったとき。
 一瞬、ルキアンには何かが見えたような気がした。
 心の裂け目の向こうに浮かび、秘やかに舞う夢幻のかけら。
 ひらひらと。ひらひらと。
 ――羽根? 黒い、つばさ!?
 それに続いてぼんやりとした人の姿が、イメージの中で振り返る。
 ルキアンには見覚えがあった。コルダーユ沖での戦いの際に、アルフェリオンの《ステリアン・グローバー》を放った瞬間、あのとき彼の脳裏に浮かんだ懐かしい影と、それはあまりにも似ていた。
「あ、頭が……」
 突然、頭部に激痛が走り、ルキアンはタラップの真ん中でうずくまる。
「何なのだろう。一体誰なんだ、あの影は……」
 幻覚はそこで消え失せた。幸い、痛みも次第に和らいでいく。
 彼は手すりに寄り掛かって階段を登り、シソーラたちの後を追う。

 ◇

 艦橋のクルーたちは、すぐにでも出撃できる態勢を維持したまま、数時間前から待機していた。かつてない緊張感がブリッジを包み込んでいる。
 ランディが中に入ってきたとき、微かなざわめきが起こった。
「こういう雰囲気は得意ではないんだがねぇ……」
 彼はそうつぶやくと、取り出しかけていた煙草を懐に戻す。
 苦笑いして入口付近に立ち止まっているランディ。
 彼の横をすり抜け、シソーラがカルダイン艦長のところに歩み寄る。
 黙って頷いた艦長に代わって、クレヴィスがつぶやいた。
「お疲れさまでした」
 特に急いているような素振りも見せず、クレヴィスはシソーラを眺めている。彼のにこやかな面持ちも普段と何ら変わるところがない。やはりこの男には、隠者めいた独特の落ち着きがある。
 シソーラの方も堂々としたものだ。ギルドの《切り込み隊》という異名を持つラプサーで副長をしているだけのことはある。毅然とした剣士の風格と、眼鏡の似合う知性的な容貌、それでいて気さくな姉御肌。貫禄ではクレヴィスに勝るとも劣らない。
 彼女は切れの良い口調で言う。
「分かっていたとは思うけど、話し合いの成果は何もなかったに等しいわ。それでこちらの方は?」
「あなた方が時間を稼いでくれたおかげで、ギルドの陸上部隊も余裕を持って展開を終えることができました。助かりましたよ。我々の飛空艦やアルマ・ヴィオの整備も万全です」
「じゃあ、あの腹立たしい親爺たちの中で私が我慢し続けたことも、全くの無駄ではなかったというわけかしら。時間、ないんでしょ? 後の詳しいことはランディから聞いてくれるかな」
 彼女が急ぎ足で去っていこうとするとき、すれ違いざま、カルダインが低い声で告げた。
「頼むぞ、シソーラ……」
 次いで艦長はクルーたちに命ずる。
「彼女がラプサーの艦橋に到着次第、全艦出撃する。本艦の《ラピオ・アヴィス》と《ファノミウル》、ラプサーの《フルファー》と《カヴァリアン》は、ただちに飛行甲板に移動せよ。他の汎用型と陸戦型のエクターも、自機に搭乗して待機!」

 いつの間にか、存在感なく、ルキアンの姿も艦橋の隅にあった。先程の頭痛がまだ残っているせいか、具合の悪そうな表情で突っ立っている。
 ――あ、あの、僕はどうすれば……。
 彼を目に留めたクレヴィスが、ゆっくりと首を振った。
「ルキアン君はこちらに来て、邪魔にならぬよう見ていなさい。ネレイで言ったはずです。とりあえずあなたは、我々と共に来てくれるだけでもよいのだと」

 ◇ ◇

 ラプルス山脈の稜線を越えて朝日が昇った頃、アシュボルの谷の人々は、上空から降り立つ巨大な影に度肝を抜かれた。
 羊たちを連れて牧場に向かう若者、麓の町まで行商に出かけようと荷馬車に乗り込んだ一家、朝早くから機織りをする娘――村人たちはみな、固唾を飲んで空を見上げている。
 大地を揺るがすような轟音と、嵐のごとき突風。恐ろしげなシルエット。
 慌てて外に飛び出した者たちが大騒ぎしている。
「何だあれは!?」
「まさか……ドラゴンか!? みんな隠れろ、食われちまうぞ!!」
 肉食恐竜を思わせる強靱な深紫の体。
 赤い翼はコウモリのそれに似ていた。その翼がひと振りされるたびに、強風が地表に吹きつける。
 ラプルス山脈の辺境には、本物の竜がなおも棲むと言われるが――いま人々が目にしているのは、魔法金属の鱗に包まれ、ステリアの力によって空を飛ぶ旧世界の人工竜であった。
 そう、アレスたちの乗った《サイコ・イグニール》だ。
 何しろ翼を広げたイグニールは、飛行型の重アルマ・ヴィオと同等のサイズである。ラプルスの寒村の人々は、今まで見たこともないほど大きいアルマ・ヴィオの出現に、ただただ驚愕していた。
 守備隊はおろか衛兵すらいるはずもない小さな村。何の障害もなく、イグニールは村のすぐ近くに舞い降りる。
 ふわり、という言葉で表現しても無理がないほどに、予想外に静かな着地だった。旧世界末期のアルマ・ヴィオにとっては、重力を自由に操ることなど造作もない。
 村を取り囲む丸太造りの防壁の上から、猟銃や石弓を持った村人たちが、恐る恐る見守っている。やがてその1人が素っ頓狂な声を上げた。
「おぉっ? あれはヒルダさんのところのアレスじゃないか!」
 イグニールが姿勢を低くし、ハッチが開いて2人と1匹が降りてくる。
「本当だ。どこであんな物を手に入れやがったんだ? 相変わらずとんでもないことをやってくれるぜ。まったく」
 弓を構えたひげ面の狩人が、ほっと胸をなで下ろす。
 安心した人々は大笑いし始めた。
 やんちゃな少年たちが村の門から飛び出してくる。
「アレス兄ちゃーん!」
「格好いいなぁ、僕も乗せてよーっ!!」
 人気者のアレスはたちまち男の子たちに取り囲まれ、もみくちゃにされる。
 アレス自身も彼らと同様の澄んだ目をしている。一緒になっておどけている姿は、ただの子供だ。そんな彼を見てイリスが目を微かに細めた。

 ◇

「い、いててっ! 何すんだよ、母ちゃん」
 ヒルダがアレスの頬をつねった。それから反対側の頬にキスをして、母は彼を強く抱きしめる。
 彼女の目は少し赤く濁っていた。昨日の晩、アレスたちが帰ってこなかったので、気になって寝付けなかったのかもしれない。
「アレス……あたしゃ心配してたんだから。イリスちゃんも無事で良かったよ。よりによってこんな時に」
「こんな時って?」
 意味ありげな母の言葉にアレスは興味を示した。
 ヒルダは眉をひそめる。
「実はね、昨日……山の方で変なものを見たって人がいるんだよ。夜に飛空艦が何隻もやって来て、途方もない大きさの黒い箱をぶら下げて、どこかに飛んでいったんだってさ。何があったんだろうね。こんな田舎でも、もしかして反乱軍が何かたくらんでるのかねぇ?」
 その話を聞いた途端、アレスはイリスと顔を見合わせた。
 ――きっと、パラス・テンプルナイツのやつらだ。
 彼の脳裏に《エルムス・アルビオレ》の姿がありありと蘇る。
 アレスの心が分かるのか、レッケも低いうなり声を上げた。カールフは犬と違って大きな声では滅多に吠えない。
 玄関に立ちすくんだまま、アレスは何事か思案し始める。隠し立てをするということは、彼には到底できないことらしい。
 息子のそんな様子を気にせぬかのように、ヒルダは優しく言った。
「お腹減ったろ? 朝ご飯、用意してあるから」
 だがアレスは返事をしない。
「どうしたんだい、アレス?」
「あのさ……」
 彼は真剣な目でイリスの方を見た。
 一瞬、彼女は首を横に振りかけたが、黙って頷く。
「実は、母さん……。誰にも言わないでほしいんだけど」
 アレスは悩みながらもうち明け始めた。昨日のことを。

 ◇ ◇

 ついにラシュトロス基地を発ったクレドール、ラプサー、アクスの3隻は、抜けるような青の空間を進んでいた。周囲には雲ひとつない。
 雲を上手く利用して姿を隠し、敵を攪乱するのが、飛空艦同士の戦いの基本である。だが今日の澄み切った空では、そういった策を弄することもできない。普通に考えれば、火力勝負の正面切った砲撃戦になるだろう。

「カルダイン艦長、まもなくナッソス領上空に入ります」
 セシエルが告げた。彼女の声はいつもと同様に冷静だった。しかしその手は微かに震えている。緊張ゆえか、恐れゆえか。
 《鏡手》のヴェンデイルが早くも敵影を発見する。
「ナッソス艦隊の姿を確認。飛空戦艦が2隻、そのうち1隻は《バーラエン》級の大型艦! でかいな……。それから戦闘母艦が1隻、巡洋艦が4隻、駆逐艦と飛空艇があわせて5隻。艦長!?」
 バーラエン級の艦は武装や動力機関等の面ではやや旧式だが、飛空戦艦の中でも大型の部類に入る。鯨を思わせる黒い船体に数多くの大口径MgSを装備し、現在、議会軍でも第一線で用いられている。
 相手は12隻、これほどの兵力を抱えているとは、さすがに王国随一の大貴族ナッソス家だ。対するギルドの艦隊は、戦闘母艦1隻に、高速巡洋艦1隻、対艦戦闘にはやや不向きな強襲降下艦が1隻。戦力を単純に比較した場合、勝負にならないほど、圧倒的に不利である。
 だがカルダインは悠然と命じた。彼は腕組みしたまま、眠るように目を閉じている。
「敵戦艦の射程に入る前に方陣収束砲を叩き込む。気取られぬようにして速度を落とせ。アクスも《マギオ・トルピーダ(*1)》の発射準備だ!」
 この先制攻撃によって敵艦を1隻でも多く戦闘不能に陥れることが、艦長の狙いだ。次に方陣収束砲を発射するまでには、チャージの時間が相当にかかるが――その間はなるべく距離を取って敵艦隊を砲撃するとともに、アルマ・ヴィオ部隊を使って敵を消耗させる。恐らくそういう作戦なのだろう。

 クレヴィスがおもむろに立ち上がる。
 隣で見ているルキアンに、彼は穏やかにウィンクした。これから戦いに望む戦士とは思えぬほど優しい目だ。
「君はここにいなさい。では、カル、私もそろそろ出撃することにします……」
 無言のうちにカルダイン艦長は手を挙げた。それが了解の返事である。
 クレヴィスは、落ち着いた足取りで出口の方に向かう。ルキアンには副長の目が微笑んでいるように見えた。あくまで柔和なクレヴィスの表情に、彼はかえって怖さすら覚えてしまう。
 クルーの1人が感慨深げにつぶやく。
「副長が、あのアルマ・ヴィオで出るのか……」
 別の声がひそやかに答えた。
「あぁ。副長の《デュナ》と、レーイの《カヴァリン》があれば、戦艦の1隻や2隻、たちまち沈めちまうだろうぜ」
 クレヴィスのデュナ、旧世界の魔法戦特化型アルマ・ヴィオ――方陣収束砲にも劣らぬ破壊力を持つ兵器を、クレドールはもうひとつ有していたのである。
 彼がブリッジを離れたのと時を同じくして、カルダイン艦長が次なる命令を発する。戦いの時は来た……。
「アルマ・ヴィオ部隊、全機発進せよ!!」

 ◇

 クレドール後部の飛行甲板に、紅の猛禽、ラピオ・アヴィスが姿を現した。
 名匠の鍛えた刃のごとき、機能美溢れる曲線を持つ翼。その裏側には、軽量の速射型MgSが左右1門ずつ新たに装備されている。
 ――武装が増えたのに重さを感じない……。さすがネレイの技術陣ね。
 ギルド本部で改良されていた愛機から、メイは十分な手応えを感じ取る。敵飛行型との激しい空中戦を想定し、攻撃力の強化と旋回性能の向上とが図られたのである。
 メイの胸の内に、不意にラピオ・アヴィスの思念が浮かぶ。女の声だ。
 ――今回は《お荷物》を乗せていないから、思う存分戦える。
 猛々しいその雰囲気は、例えば蛮族の女戦士を想起させるだろう。気性の激しいメイにはお似合いの相棒だ。
 皮肉たっぷりにメイが応える。
 ――そんなこと言うもんじゃないの。大体ねぇ、あの子のおかげであたしは助かったんだから。あんたもよ、あんたも。
 ――なかなか気に入っているようだな、ルキアンという少年のこと。お前の心は単純だからすぐに読める。
 ――焼き鳥にされたくなかったら黙ってなさい! もしもし、ブリッジ……?ラピオ・アヴィス、出るわよ!!
 艦橋に念信を送った後、メイは発進した。
 鋭い鳴き声とともに真っ赤な翼が羽ばたく。
 ――了解。メイ、作戦通りにクレドールの側面に展開して。こちらから指示があるまで前に出てはだめよ。
 対するセシエルの返事は、普段と変わらぬ冷静なものだった。だが彼女の瞳の奥にはやはり不安感が漂っている。その表情自体は、もちろんメイには伝わらないが。
 ――分かってる。方陣収束砲に巻き込まれちゃ、たまんないし。
 ――えぇ。気を付けてね。あまり無茶をしないで。

 続いてサモン・シドーからブリッジへの念信だ。
 彼は例によって言葉少なに告げる。
 ――サモンだ。出撃する……。
 ファノミウルがずんぐりした体を振るわせ、悠然と翼を広げた。
 重アルマ・ヴィオに相応しい地鳴りのような声で鳴くと、予想外に軽やかな動きで甲板を離れ、そのまま滑空してラピオ・アヴィスを追う。
 見事な動きだ。さすがに、音もなく闇の中を舞う狩人――フクロウを模した機体だけのことはある。

 ラプサーからもアルマ・ヴィオが発進する。
 飛行甲板を持たない同艦だが、船腹にある降下口から2つの影が飛び出した。
 どちらも飛行型ではない。人の姿をした、つまり汎用型のようだが……果たして空中戦をこなせるのだろうか?
 一方は翼を持っており、飛行型顔負けの動きで宙を舞っている。
 金と黒の甲冑をまとった胴体や、そこから伸びる腕には、通常の汎用型と何ら変わるところがない。
 だがその頭部は、立派な枝振りの角を持つ牡鹿のそれである。背中にはコウモリのごとき黒い翼。ノコギリ状の鰭の付いた尻尾。足には鋭利な鉤爪が光っている。
 魔族を彷彿とさせるアルマ・ヴィオ、《フルファー》だ。この異形の機体を乗りこなすエクターは、一見するとそれに不似合いな、男の子っぽい純朴な少女である。
 ――ボクだよ。お兄ちゃん、行ってくるね!
 艦橋にそう伝えると、プレアーは精神を集中し、心の中で翼のイメージを強く思い描いた。そして……。
 ――《鳥》になれっ!
 プレアーが念じると、何とフルファーが変形し始める。
 両腕が縮み、本体の左右に固定される。両脚は折り畳まれるようにして胴部に引きつけられ、鋭い爪を持つ足がちょうど胸の部分にやってきた。人型のときよりも翼がさらに伸びる。最後に頭部が起き上がって完了。
 鹿の頭を持ったコウモリというイメージだろうか。変形を終えたフルファーは、急加速して飛んでいった。

 他方のアルマ・ヴィオが《カヴァリアン》だ。体表を覆う魔法金属の鎧は、全体的に角張っている感があり、光沢のあるメタリックな紺とグレーで彩られている。
 その姿は生物的であるというよりも機械的であり、外観からすれば、むしろ旧世界の《アルマ・マキーナ》ではないかと思わせる。
 カヴァリアンはギルドの最新鋭機のプロトタイプであり、各地で発掘された旧世界の《器官》を惜しげもなく用いて生み出されたものだ。頭頂部から真っ直ぐに伸びる一本角が、そのトレードマークとなっている。
 ――こちらレーイ。これよりクレドール隊と共に、敵アルマ・ヴィオの攻撃に備える。何かあったらまた連絡を頼む。
 同機に搭乗しているのはレーイ・ヴァルハート。カヴァリアンの高性能を真に発揮させるためには、やはりエース級の繰士が必要なのである。
 一瞬、地面に向かって落下し始めるカヴァリアン。だがその背中から青い光の幕が伸びた。それは細長い翼のような形をしている。そう言えば、セレナの《エルムス・アルビオレ》も同様の《翼》を持っていたが。
 光の翼を生やしたカヴァリアンは、さりとて羽ばたくこともせず、風に乗って滑るように飛んでいく。
 手にした小銃・MgSドラグーンを振り、カヴァリアンはフルファーに向かって何か合図した。
 ――プレアー、前に出過ぎだ。俺の近くから離れるな。
 ――そ、そうかな? 分かった。もっとスピードを落とすね。
 素直に従ったプレアーだが、そこで念信を切ってつぶやく。
 ――また子供扱いして。ボクだって一人前のエクターなんだぞ。
 実際、彼女は一人前どころか、並みのエクターより遙かに腕がいい。それでもレーイやカインにとっては心配でならないのだ。
 ――プレアーに万一のことがあったら、カインに合わせる顔がない。この子だけは絶対に守らないと……。
 戦いの中、今までに何度この誓いを立てたことか。内心、苦笑いしながら、レーイはクレドールの繰士たちに念信を送る。
 ――メイ、サモン、聞こえるか? 打ち合わせ通り、敵の飛行型はお前たちに任せる。俺とプレアーが敵艦にとりつくことができるよう、援護してくれ。
 ――任せてちょうだいな! 方陣収束砲の発射を合図に出るから、遅れないように付いて来て。
 ――こちらも了解。地上からの敵は俺に任せてくれ。
 4機のアルマ・ヴィオは、味方艦隊の両側に散開した。

 ◇

「敵アルマ・ヴィオ、出てきました! 飛行型が2機。あとの2機は形態が不明です。恐らく飛行型と思われるものと……もう一方は、汎用型!?」
 ナッソス家の旗艦、バーラエン級大型戦艦のブリッジ。
 敵影をとらえた《鏡手》が、いささか高ぶった声で報告する。
 彼の頬が緊張に染まっているのは仕方ないことだ。戦いが商売のエクター・ギルドとは異なり、彼も含めてナッソス家のクルーには、ほとんど実戦経験がないのだから。
 部下たちの動揺を鎮めるかのように、艦隊指揮官らしき男が落ち着いた声でつぶやく。
「ギルド艦隊は主砲の射程内にまだ入ってこないのか。所詮は空の海賊ども、わが方の軍艦と正面から撃ち合っては力負けすると考えているのか、あるいは……」
 もみあげから顎まで髭に覆われた指揮官は、サーベルの柄を握りしめた。
「何しろ敵将はあのカルダイン・バーシュ。どんな策を弄してくるか分からんぞ。あちらが寡兵だからといって気を抜くな! 全艦、主砲発射用意。アルマ・ヴィオ部隊は敵機の掃討に出撃せよ」

 が、その瞬間。
「方陣収束砲、急速充填! 直ちに発射!!」
 カルダイン艦長が手を振り下ろした。
 クレドールの船首の甲板が開き、黒々とした砲身が姿を現す。
 その先端部の4つの水晶球がにわかに光を帯びた。見る見るうちに空中魔法陣が描かれ、宙に浮かぶ幾何学模様や文字が輝度を増していく。

「距離は十分だ……」
 砲座部の司令室で、ウォーダン砲術長が言った。
「魔法力充填、70パーセント! 75、80……95……」
 部下が秒読みを始める。
 ウォーダンは口ひげに付いた汗を拭うと、黙って構えに入った。

 当然、ナッソス家の艦隊も、クレドールの前部からせり上がった重砲に気がつく。しかし遅すぎる。
 指揮官は慌てて命じた。
「ば、馬鹿な、方陣収束砲だと? ギルドの船ごときが、なぜそんな兵器を積んでいる!? 全艦、急速降下、方陣収束砲を回避せよ!!」
「艦長、間に合いません!」
 戦慄した声。艦橋は刹那のうちに修羅場と化した。
「シールドを張れ! 全エネルギーを結界に回して構わん!!」
 もはや指揮官も絶叫している。

 その直後……。
 天を揺るがさんばかりに雷鳴が轟き、付近の空域は閃光に飲み込まれる。

 クレドールの艦橋から、1人の少年が呆然と見守っていた。
「……人が、ひとが、死んでいく」
 青白い顔をしてルキアンはつぶやく。
「沢山の人が、命が、空に消えた。でも僕は、それを……」
 急に吐き気を催した彼は、胸を押さえて床に崩れ落ちる。
 ここは紛れもなく戦場なのだ。

 ◇ ◇

 ブーツの靴紐を締め、皮の胴着のボタンを掛け終える少年。
 額の飾りに埋め込まれた赤い石がきらりと光った。炎のごとく。今の彼の思いを象徴するかのように。
「アレス、どうしても行くのかい?」
 諦め顔で訪ねるヒルダに、彼は答える。
「うん。大丈夫だよ。イリスの姉ちゃんを助け出したら、すぐに戻ってくるさ」
 そう言って拳を持ち上げ、アレスは笑ってみせる。
 彼の笑顔が変に無邪気で子供っぽく見えたせいか、ヒルダは幼い頃のアレスを思い浮かべてしまった。小さな男の子の姿が今のアレスと重なる。女手ひとつで彼を育て上げてきた母親は、目頭を熱くした。
 だが彼女は、心で泣きつつ、気丈にも呆れ笑いを浮かべている。
「すぐに戻ってくる、か。あまり期待せずに待っとくよ。お前の父さんもねぇ、似たようなことを言って故郷を離れたきり、二度と戻らなかったんだってさ」
「母ちゃん……」
 申し訳なさそうに俯くアレスの肩に、ヒルダが手を置く。
「ま、血は争えないか。変なところばかり、あの人とそっくりで……。あたしが止めたところで、どうせ夜中にでも抜け出すんだろ?」
 そうつぶやきながら、彼女は思い出したかのように奥の部屋へと入っていく。
 アレスの背後には、イリスが無表情のまま突っ立っていた。母と子のやり取りを見つめる澄んだ青い目には、特に心を動かされている様子もない。
 ヒルダはすぐに戻ってきた。
 彼女はアレスに向かって一振りの剣を差し出す。
 巻き貝を思わせる鍔と、見事な金の象嵌の施された鞘。もちろん美しいだけではない。重々しく長大な刀身を持つ、正真正銘の戦士が帯びる剣だ。
 アレスはこれに見覚えがあった。
「この剣、父ちゃんの……」
「そうだよ。持って行きなさい。お前をきっと守ってくれる」
 手渡された父の形見――アレスはそれを、しばらく黙って握りしめていた。素朴で単純な彼には、今の気持ちを上手く表現できる言葉が見つからない。
 息子のそんな様子にうなずくと、ヒルダはイリスに近づき、繊細な黄金色の髪を撫でてやった。
「アレスったら、そそっかしくて間の抜けたところがあるから。イリスちゃん、あたしの代わりにしっかり注意してやっておくれ。頼んだよ」
 その言葉をイリスが理解できたか否かは定かでない。旧世界の少女は、相変わらずの凍り付いた面差しで、ヒルダの方をただじっと見つめている。

 旅立ちの時は来た。
 何処へともなく運び去られた、《大地の巨人》とチエルの行方を追って。
 竜の雄叫び――サイコ・イグニールの咆吼が、谷間の空気を振るわせ、山々の白い岩肌にこだまする。

 ◇ ◇

 方陣収束砲の攻撃は、幾筋もの雷光となって空を走り抜けた。
 白い輝きに視界が奪われた後、ナッソス家の艦隊から爆炎が上がる。何隻かの敵艦が地上へと落下し、あるいは火の手に包まれたように見えた。
 ヴェンデイルの《複眼鏡》が煙の向こうの敵影を探る。
「方陣収束砲、敵艦隊に命中……いや、前方から砲撃だ!!」
 彼が警告したのとほぼ同時に、クレドールの船体近くを魔法弾がかすめた。
 敵方も黙ってはいない。素早く態勢を建て直しつつ、ギルド艦隊に負けじと砲火を浴びせかけてくる。
 飛び交う火炎弾、凍気弾。たちまち激しい砲撃戦が始まった。
「ちっ! 艦長、敵バーラエン級戦艦はまだまだ健在だよ。翼と砲台に被弾したようだが、侮れないな。敵戦闘母艦と巡洋艦1隻もほぼ無傷!!」
 これまで体験したこともない多数の魔法弾の応酬に、ヴェンデイルの声も上擦っている。船体が止めどなく揺れ、爆発音がすぐ近くで轟く。
「艦長!?」
 黒髪を振り乱し、セシエルが振り返る。
 だがカルダインは顔色ひとつ変えることもなく、堂々と腰掛けたままだ。
「慌てるな。敵はまだ混乱している。あちらからの砲撃など乱射にすぎん。下手によけるとかえって流れ弾をくらうぞ。カムレス、このまま前進だ……」
 低くうなるような声。鋭い眼光。
 常日頃、艦長の体に染みついている空虚な悲しみは、戦場の中でいつの間にかかき消えている。戦士の魂が目を覚ましつつあるのだ。
「この機を逃すな。セシエル、ラプサーとアクスに連絡。全艦、敵戦闘母艦に攻撃を集中!!」
 敵軍の動揺に乗じて戦闘母艦を一気に落とし、相手方のアルマ・ヴィオを封じる――カルダインはそう考えたのだ。

 旗艦クレドールからの連絡を受け、アクスのバーラー艦長も立ち上がる。
 海賊あがりの艦長は荒々しい声で叫んだ。
「野郎ども、前進だ! マギオ・トルピーダの第一波は敵戦闘母艦に集中しろ。撃てェ!!」
 船首部分の両側に刻まれた発射管から、呪文魚雷が次々と発射される。
 翼を持つ円筒型の物体が、ナッソス家の戦闘母艦に殺到する。そのうち数発が命中、敵艦のあちこちで爆炎が上がった。
 クレドールと同規模の敵戦闘母艦が、飛行姿勢を崩し始める。
 バーラー艦長は、真顔でしゃくり上げるように笑うと、次なる怒声を発する。
「いい、いいぞ。敵艦隊が射程に入ったか!? 主砲、敵戦闘母艦を狙え。クレドールと協力して一気に沈める!」
 鋼の要塞のごときアクスの甲板。階段状に並ぶ砲塔が、立て続けに火を噴く。

「艦長、敵の大まかな被害状況が分かったわ。敵の小型艦の大半と巡洋艦1隻を撃沈。巡洋艦2隻と戦艦1隻は被弾して戦闘能力低下、あるいは戦闘を続けることが難しい。そんなところね。これで五分の戦いに持ち込めるかしら……」
 ラプサーの副長シソーラが、艦長ヴェルナード・ノックスに告げる。
「了解。クレドールとアクスの足を引っ張らぬよう、敵艦隊と少し距離を取って砲撃を開始せよ」
 軍にいた頃と何ら変わらぬ謹厳さをもって、ノックス艦長は指揮を行う。
 だが彼の真面目くさった表情の中にも、多くの戦いをくぐり抜けてきた自信がうかがえる。

 ギルドの3隻の飛空艦と、方陣収束砲を免れたナッソス家の残存艦隊との間で、シソーラの言葉通りにほぼ互角の撃ち合いが続く。
 集中砲火を浴びた結果、まず敵の戦闘母艦が轟沈した。ナッソス側にとっては手痛い損失だ。
 しかし船の数においては、依然としてナッソス軍がギルドを上回っている。すぐに勝敗の行方が決しそうな気配はない。油断ならぬ状況……。
 が、突然、クレドールは下方からの攻撃を受けた。突き上げるような衝撃。結界の弱い船腹部を狙われ、艦は大きく傾いた。
「奇襲だ!! 地上からのアルマ・ヴィオ部隊……すごい数だよ! 艦長!!」
 平静を失ったヴェンデイルの声。いつもの冗談も口にできないほど、彼の唇は緊張している。
「メイ!? だめだわ、こっちの飛行型は出払ってるもの!」
 なおも大揺れは続く。あまりの激しさに、セシエルは座席にしがみついた。
 3、40体の飛行型アルマ・ヴィオが、翼をきらめかせて上昇してくる。
 敵部隊はオルネイスを主力として編成されているが、中にはMgSすら持たない《丸腰》の機体や、極端に使い古された機体もみられる。とにかく、飛ぶことのできるアルマ・ヴィオは何でも使おうという総力戦らしい。
「後先考えない、無茶苦茶な戦い方しやがって! 奴ら、最初から飛行型全てを投入してきたか!?」
 舵輪を右に左に操りながら、カムレスが舌打ちした。禿げ上がった額に汗が流れる。
 側面から新たな攻撃。船体から受けた感触からして、今度はただ事ではない。
 セシエルが船内の各ブロックと連絡を取り、被害の程度を確認している。
「敵の飛行型は、本艦と同じ高度に到達しています! 艦長、結界を突き抜けて船腹に被弾しました!!」

「うっ……」
 気分を悪くしていたルキアンは、先程から床に這い蹲ったまま――今度は船酔いに襲われ、ついに吐いてしまった。
 だが、誰にも彼を気遣っている暇などない。
「く、苦しい……気持ち悪いよ」
 胃の中の物が、さらに喉元まで出てきている。彼は口を手で押さえながら、体を壁際に寄せた。
 と、不意に敵の攻撃が緩んだ。

 ――何だ、あれは!?
 ――アルマ・ヴィオ……なのか?
 ナッソス方のエクターたちが目を見張る。
 クレドールの甲板から異様なものが現れたのだ。
 手足も翼もない、甲冑のごとき機体が徐々に浮上し始める。螺旋状の角を左右に持つ兜。その下で真っ赤な目が輝く。
 大空に忽然と浮かんだ深緑色の機神。それから発せられる異様な重圧感に、敵のアルマ・ヴィオたちがひるんだ。
 ――無闇な戦いは本意ではありませんが……。もし命が要らぬというのであれば、私が相手をして差し上げましょう。
 クレヴィスの言葉が敵のエクターたちに伝わる。
 冷たく感情のない、腹の底から怖気を覚えずにはいられない声だ。その雰囲気は、普段の彼を知っている人間には到底信じられないだろう。
 ――もう一度だけ聞きます。それでも戦いますか?
 《デュナ》の目が不気味な輝きを増し、本体の周囲に、青白い光の玉のようなものが飛び交い始めた。
 ルキアンは窓際に体を預け、《蛍》の飛翔を呆然と眺める。
 ――《ランブリウス》だ。クレヴィスさんの魔法がアルマ・ヴィオを媒介として放たれれば、その破壊力は計り知れない……。

 ◇

 オルネイスの群とデュナが空中で睨み合う。その間にも、両者の距離は詰まっていく。
 一瞬、クレヴィスの気迫に押された敵方だったが、もとより彼らも命がけで戦場に臨んでいる。躊躇はなかった。
 ――我らはナッソス家を守る。この一命を賭してでも!!
 1機のオルネイスが、翼を広げて猛然と飛び出す。獲物を狙う鷹のごとく、鋭い鉤爪を広げて。
 ――恐れるな、敵はたかが1体だ!
 さらに3羽の鋼の鳥が後を追う。急加速したオルネイスたちの速度は凄まじい。殺到。瞬きする間もおかずにデュナとすれ違う。
 ――何!?
 敵のエクターが狼狽する。
 オルネイスの初速はデュナの比ではなかったはず。しかし、その電光石化の猛襲は、何の手応えもなく空を切る。
 デュナの機体が上下左右にゆらゆらと揺れたように見えた。が、それはまさに、敵の攻撃を紙一重で見切ったうえでの回避行動だったのである。クレヴィスはデュナを空中に制止させたまま、機体をひねる動作だけによって、全てをかわしたのだ!
 ――その程度の動きでは、私に触れることもできませんよ。
 クレヴィスは冷ややかな声でつぶやく。
 空中に漂う無数の《ランブリウス》が動き始めた。群をなしていた蛍が、別々に飛散していくかのように。
 青白い発光体が、それぞれの輝く軌跡によって中空に魔法陣を描き上げる。
 クレヴィスは恐るべき《力の言葉》を詠唱した。
 ――鋼をも断ち切る疾風の刃よ。我は呼ぶ、風の狩り人……。
 彼の呪文に応じて魔法陣が光ったのと、デュナの遙か背後で爆発が起こったのは、ほぼ同時の出来事だった。
 無数の真空の刃に切り裂かれ、4機のオルネイスの残骸が地上に落下した。
 文字通り、露骨なまでの《瞬殺》である。何のためらいもなく、クレヴィスは予告通りに敵の命を奪った。

 固唾を飲んで見守っていたルキアンは、あまりのことに嘔吐感さえも忘れそうになる。
 クレヴィスの圧倒的な強さ、冷酷とすら思える戦いぶり。それらは、いつもの穏やかな彼の姿からは想像し難いことだ。
 ――あの優しいクレヴィスさんが、なぜ、あれほど? 
 目を細めて物静かに諭すクレヴィスの、柔和な笑顔が脳裏に浮かぶ。
 ルキアンの複雑な表情から何かを察したのか、カルダイン艦長が言った。
「……あの《戦い》はクレヴィスの心の裏返しなのだ。あいつは、本当は誰も傷つけることなく、いつも穏やかに微笑んでいたいのだと思う。しかし、そうもいかないのが人の世というものだ」
 艦長は、腕組みしながら戦況を見据えている。敵を射るような彼の目は、動揺も油断もない野獣を思わせる。相変わらず凄みのある彼の表情に、ルキアンはまだ慣れることができなかった。
 それにしてもあの無口な艦長が、こともあろうに、こんな状況の中でお喋りしようとでもいうのだろうか。
「……えっ?」
 ルキアンは身を起こし、危うい足取りで歩き始める。わずかな量ではあれ、自分の吐き戻した汚物が掌に付いたままだ。彼は慌ててハンカチを取り出すと、何度も手を拭い、その汚れた布をポケットにねじ込んだ。
 己の不作法で情けない様子と、汚物の臭いとに恥じ入りつつも、ルキアンは艦長の傍らに立った。
 艦長は彼の方を一瞥すると、何事もなかったかのように新たな砲撃を命じている。しかしその後、カルダインは話を再開した。
「おそらく君はよく知っているだろう。穏やかに生きたいと願う人間が、その優しい思いのままに身を処していれば……それをよいことに、彼を道端の雑草のように押しのけ、踏みつけ、それでも何の罪も遠慮も感じない者たちが、世間には居る。違うかね?」
 ルキアンは肩をぴくりと震わせた。うつむき、目が大きく見開かれる。
 ――それでも僕は今まで耐えてきました。そうすることが当たり前なのだと思って。だけど、だけど……。
 感情が高ぶりすぎたのか、この青白い少年には返す言葉もない。
 カルダインの饒舌ぶりは全く意外だったが、それはさらに続いた。
「だから人は、時には声を大にして怒りを現すことも、しなければならなくなる。そうするたびに激しい自己嫌悪に陥ろうとも。また、だから人は、時には拳を振り上げねばならないことがある。耐え難い痛みを心に覚えながらも。哀しいことだが、仕方がないのだ。言葉では分かり合おうとしない人間がいる。他人の思いについて考えてみることなど、鼻で笑う人間がいる。その結果、たとえいかに罪深かろうとも、時には断固として《戦う》ことが必要になる……」
 そこでカルダインの声が途切れた。
 ルキアンは顔を上げ、神妙な調子で尋ねる。
「《優しいままでいられること》を、守るために……ですか?」
 艦長はルキアンの問いには答えなかった。そのかわりに、辛そうな声をもらした。
「おせっかい焼きのクレヴィスときたら、自分のことだけではなく、せめて他の同類たちが拳を振り上げずに済むようにと……《優しい人間が優しいままで笑っていられるように》と……わざわざこんな船にまで乗り組んで、人々の言葉に耳を貸さぬ無法者たちとの戦いに、ずっと奔走してきた。まぁ、おせっかいというよりは、本物の馬鹿だな。だが、そこがあの男らしいのだ」
 そう言って寂しげに口元を緩めた後、カルダイン艦長は、目の前の戦いへとますます没入していった。
 ひとり、ルキアンは沈思する。
 ――優しい人が優しいままで笑っていられるような、そんな夢みたいな世界なんて、僕にはまだ信じられない。でもこれから先、この混沌状態の王国はどうなっていくのだろうか? 戦争が終わって、それからもっと後になって……僕には予想もできない。だけど、この現実、いま以上に酷くなってほしくない。少なくとも、優しい人が優しいゆえに苦しみ続けなきゃならないような国には、絶対になってほしくない。そうならないために、僕にも何かできることはないだろうか?


【注】

(*1)マギオ・トルピーダ、別名は呪文魚雷。弾頭部分には、MgSと同様に呪文が封じ込まれており、目標に命中するとその魔法が発動される。この魚雷自体が、いわば超小型の無人飛行型アルマ・ヴィオである。ただし自分の意思で動くことはできず、通常は外部からの誘導もできない。

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