HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第22話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  優しさのために、
   優しさを捨てることができますか?
  笑顔のために、
   笑顔を忘れることができますか?



 ――体が、動きが重い?
 今の自分の《身体》、つまりアルフェリオンの機体にルキアンは違和感を覚えた。覚悟を決めて出撃してみたものの、何か調子がおかしい。
 クレドールの甲板から飛び立った途端、ルキアンは激しい空気抵抗の壁にぶつかった。吹き付ける突風に抗っているような、いや、これでは水の中に居るような。
 早く次の行動に移らなければ。だが……。
 ――しまった! 回避できない!?
 白熱した稲光が走った。正面から敵方の雷撃弾が飛来する。
 ルキアンが気づいた瞬間、目の前は閃光に包まれ、何も見えなくなった。
 ――ルキアン、大丈夫か! ルキアン!!
 呆然とした頭の中にバーンやベルセアの声が響く。
 自分はどうなったのか?
 まだ意識がある。いや、奇跡的にダメージは免れたようだ。
 ルキアンが我に返ったとき、陽炎のごとく揺れる空気の幕のようなものが正面に浮かんでいた。以前と同様、彼に代わってアルフェリオン自らが《次元障壁》を張ったのである。
 ――いけない、動かなきゃ。動け、もっと、もっと速く!
 必死に翼を羽ばたかせようとするが、思うように速度が上がらない。
 一体どういうことなのか? 今までと比べて動きに全くキレがない……。
 ――ルキアン、今度は後ろだ!!
 ベルセアがそう叫んだときには、新たなオルネイスが銀の天使めがけて襲いかかっていた。
 鋼の鉤爪を持った2つの足が、アルフェリオンを鷲掴みにしようとする。甲冑の肩当てから火花が飛び散り、ルキアンは引きずられるような衝撃を感じた。
 何とか飛行姿勢を立て直そうとするが、機体はにわかに失速し、その翼も勢いを奪われていた。

 ◇

 敵の飛行部隊を相手にルキアンたちが防戦を続ける一方、ギルド側のアルマ・ヴィオもナッソス艦隊を激しく攻め立てていた。
 中でもレーイの操る《カヴァリアン》の働きはめざましい。さすがにギルドのエースと称されるだけのことはある。
 ――この1発で沈める。
 冷静にそう言った後、突然、レーイは心の中で雄叫びを上げる。
 ついに来たな、とメイは思った。
 レーイは徐々に闘志を燃え上がらせるタイプだ。普段のやや平凡な性格が災いしてか、火がつくまでに時間がかかる。が、ひとたび気合いが高まるや、彼の戦いぶりはもはや荒ぶる闘神のそれに等しい。
 ギルド側のアルマ・ヴィオの息もつかせぬ波状攻撃により、目標となった敵巡洋艦は急激に戦闘力を失いつつある。それでも敵も最後まで諦めない。わずかに残った砲塔が、接近してくるカヴァリアンに向かって火を噴いた。
 だがレーイは避けなかった! 敵の火炎弾の軌道を精確に見切ったうえで、なんと真正面からMTサーベルを振り下ろし、迫り来る炎の帯を切っ先で両断したのである。
 カヴァリアンの正面で猛火がVの字型に分かたれ、後方に散っていく。ほんのコンマ数秒でもタイミングを誤れば、直撃を喰らうところだが。
 炎はおろか、轟々と流れ落ちる滝をも切り裂く刃……。それはかつて、伝説の勇者と呼ばれた者たちが、強力な魔法使いと戦うときに使った奥義を思わせる。勿論、レーイ自身がそんなものを会得しているわけはないにせよ。
 ――か、神業よね……。今の見た?
 さすがのメイも息を飲んだ。
 もはや裸同然の敵艦の頭上に、カヴァリアンがひらりと舞い上がる。
 今度は剣ではなく、MgSドラグーンの銃口が青白い閃光を吐き出した。ごく身軽に、狙いを定めず適当に発射したような動作だったが、実際には寸分狂わぬ完璧な射撃だ。
 斜め上空からの雷撃弾は敵艦の船首から船尾まで貫通する。カヴァリアンのMgSドラグーンの威力は、パラス騎士団の《エルムス・アルビオレ》のそれにすら劣らぬと言われている。強烈だった。
 瞬き。わずかな時が流れた。船体の各部で爆発が続いた後、ついに敵艦は火柱を立て、真っ二つに折れるように砕け散った。
 予告通り、レーイは本当に一発で仕留めてしまったのだ。
 彼がいよいよ真剣になり始めたのには理由があった。そう。味方艦隊に迫った危険のことを考えてである。
 ――メイ、お前の腕とラピオ・アヴィスの速さを見込んで頼む。ここは俺たち3人で何とかするから、味方艦隊のところに戻って敵の飛行型を叩いてくれ。クレヴィス副長が出ているから、まず大丈夫だと思うが。しかし、万一ということもある。
 ――何言ってんの!? レーイ、いくらなんでも、たった3機でこの艦隊を相手にする気? 無茶言わないで!! むしろクレヴィーの方に、早くこっちを援護に来てほしいぐらいだわ。
 レーイの言葉に耳を疑うメイ。
 ――3機で足らないのなら、4機のままでも大して変わるまい。
 ――そ、それは……。でも。
 ――帰るべき船が沈んでしまっては、こちらで勝ったところで意味が無い。
 厳かな威圧感を漂わせ、レーイは淡々と諭した。
 彼の言葉を聞きつけたプレアーが、会話に割って入ってくる。
 ――早く助けに行かなきゃ、お兄ちゃんたちが!!
 ――だったらお前も行ってやれ、メイと一緒に。
 レーイは静かに言い残すと、残る敵艦の方に怒号と共に突進していく。今度は戦艦を標的に定めたらしい。バーラエン級の巨艦の方ではないといえ、アルマ・ヴィオだけで戦艦に戦いを挑むなど正気の沙汰とは思えなかった。
 いや、果たして本当に無謀なのだろうか? レーイという男は、我を忘れる熱血漢とは根本的に違っているはず……。自信が、勝算があるのだ。
 カヴァリアンの周囲を球状の光が取り巻いた。砲撃の嵐の中を、金色に輝く火の玉が突き進んでいくように見える。カヴァリアンに搭載された旧世界の防御兵器、全方位からの攻撃を封じる《結界型MTシールド》である。
 仲間たちのやり取りを黙って聞いていたサモンも、《ファノミウル》の翼を翻して彼に続いた。
 ファノミウルの広角型MgSが目映い輝きを帯び、赤い竜巻さながらの炎が敵艦を飲み込もうとする。背中の多連式MgSも、休むことなくうなりをあげ続ける。
 豪雨のように魔法弾を叩きつけられては、いくら戦艦の防御力をもってしても長くは持ちこたえられまい。堅固な要塞でさえも、飛行型重アルマ・ヴィオの《爆撃》を受ければ廃墟と化してしまうのだから。

「艦長、重巡洋艦ロスクが撃沈されました! 敵アルマ・ヴィオ2体、さらにこちらに向かって接近してきます!!」
 敵艦隊の旗艦、バーラエン級飛空戦艦の艦橋で《鏡手》が叫んだ。
 見るからに武人らしき、濃いもみあげに顎髭の指揮官は、たったいま窓外で起こった出来事に目を疑っていた。
「アルマ・ヴィオだけで、それもわずかな間に、たった4機で巡洋艦を沈めただと!? そんな馬鹿な話が……」
 傍らに居た副官らしき男が、自らも驚愕を隠せない様子で答える。
「そ、それが、艦長。敵の汎用型のエクターは人間離れした腕の持ち主で、重飛行型の1機もアルマ・ヴィオとは思えぬ莫大な火力を有しており、このまま手を打たなければ、さらに被害が拡大する恐れがあります!」
「飛行隊をこちらの守備に回せと言うのか? あと少し、あと少しで敵艦を落とせるというのに……。もう1隻や2隻、こちらの船を失ってもやむを得ん! もとよりこの空戦で勝利せねば、我々に後はないのだからな」
「しかし敵艦隊の前にも、信じ難い強さのアルマ・ヴィオが1体立ちふさがっております! こちらのオルネイスは次々と撃墜され……」
「分かっている!!」
 敵艦長は悲痛な面持ちで机を叩いた。
 ――単機のアルマ・ヴィオに、40機あまりの飛行型が追い詰められているというのか? 何ということだ、それがギルドのエクターたちの実力だというのか。戦いの中で生きる無頼の漢たち、まさかここまで手強い相手だとは。
 怒りゆえか、恐れゆえか、艦長は肩を振るわせながら両手を合わせる。
 ――だがナッソス家のために、何よりもカセリナお嬢様の未来のために、我々は絶対に負けられぬ。神よ、どうか勝利を我らに……。

 ◇

「危ない!!」
 セシエルは思わず姿勢を低くする。
 突然、艦橋の前に銀色の何かが飛び出してきた。それはクレドールの船首すれすれをかすめた後、再び上昇し始めている。
 姿勢を崩したアルフェリオンが落ちてきたのだ。
 ――何やってんだ、ルキアン! 寝ぼけてんのか!?
 バーンの怒声。
 ――そんなこと言ったって……やってます、やってるけど、これが限界!!
 ルキアン本人としては手を抜いてなどいないのだが、どうにも速度が出ない。時間を超えて瞬時に移動しているかのような、アルフェリオンのあの恐るべきスピードが全く発揮できないのだ。
 それでもオルネイスの倍以上の速度が出ているのだが――訓練を積んだナッソス家のパイロットと素人同然のルキアンとの実力差を埋めるハンデとしては、まだ不足だった。
 ルキアン自身には分かっていないにせよ、これがアルフェリオン・ノヴィーアの基本的な速度に他ならない。過去に2回の空中戦を行った際、あれほど速く飛べたのは、いずれの場合も《ステリア》の力が発動されていたためだった。
 ――落ち着け、落ち着くんだ。焦っちゃダメだ。
 緊張のあまり、めまいを起こしそうになりながらも、ルキアンは自分に言い聞かせる。
 が、それが彼の隙になった。
 ――ルキアン、囲まれてるぞ! 目ェ付いてんのか!? 死ぬぞ、おい!!
 再びバーンの大声が聞こえたとき、ルキアンは、物凄い速さで暗闇に落ち込んでいくような気がしていた。
 それ以降のことは、全く覚えていない……。

 敵の集中攻撃を浴び、真っ逆さまに落下していくアルフェリオン。
 戦場では一瞬の気のゆるみが命取りになる。
 あっという間に鋼の怪鳥たちが殺到し、めった打ちにされた銀の天使は、いともあっけなく戦線を離脱してしまった。

 ――ルキアン君!?
 クレヴィスはアルフェリオンの墜落に気づき、瞬間、助けに向かうような素振りを見せた。
 だが、わずかに移動しかけた《デュナ》は、何故かその場にとどまる。
 その間も、敵のアルマ・ヴィオが目の前を飛び交っていた。
 ――あなた方に勝ち目など無いですよ。名誉ある死が望みならば、私も戦士として、すみやかな最期を与えてあげましょう。
 デュナとすれ違った後、数体の飛行型が木っ端微塵になった。
 あまりに速い斬撃のため、光の剣のひと振りが流星のようにすら見える。
 悠々と上昇していくデュナが、さらに1機、また1機と敵をとらえていく。小魚の群を思うがままに喰らう肉食魚のごとく……滑らかで、圧倒的で、そして容赦がなかった。
 クレドールを取り巻く敵機の数が、次第に目に見えて減ってきている。
 事態を冷静に把握しながら、クレヴィスはつぶやいた。自らに言い聞かせるかのように。
 ――ルキアン君、そういう結論を選びましたか。ステリアの力に対して……。あなたらしい、優しい思いです。でもルキアン君。もし本当にそれで済むのなら、呪われたステリアの魔力など、最初からこの世に現れていなかったかもしれません。
 他方、クレヴィスはデュナに新たな動きを命じる。
 ――ここまで敵機の数を減らしておけば……。後はまとめて片付けても、味方の艦が誘爆することはないでしょう。
 深緑色の甲冑の背後から、いくつもの炎が尾を引いて飛び出していく。その光景は、まるで獲物を追い立てさせるために、デュナという狩人が猟犬の群れを放しているように見えた。
 無数の鬼火が生き物同様に飛び回る。よく観察してみると、燃え盛る火焔の中で――蛇に似た動きでうねる何か、鳥を思わせるもの、人の顔のような影など、異様な存在が踊っている。
 《ネビュラ》である。しかも物凄い数の……。
 普通のエクターなら一度にひとつのネビュラを操るだけでも精一杯だ。
 だがクレヴィスは、数10体のネビュラを同時に呼び出した。天才的な魔道士である彼の才能と、魔法戦特化型のアルマ・ヴィオ、デュナの能力とが組み合わさって初めて可能となる、文字通りの《魔法》だった。
 炎のネビュラの数は、生き残っている敵のアルマ・ヴィオよりも多い。
 ――行きなさい、我がしもべたちよ。
 クレヴィスが静かにささやく。
 それを待ちかねていたように、猛火をまとった《猟犬》の群が獲物に襲いかかった。味方の飛空艦に当たらぬよう上手く軌道を修正しながら、炎の人工精霊たちはそれぞれの敵を狙って飛翔する。
 ――終わりましたね。できれば使いたくなかったのですが……。
 早くもクレヴィスはそう言った。
 実際、もはやナッソスの飛行隊に助かる術はない。たった1体のネビュラでさえ、特殊な魔法を使わぬ限り迎撃し難いものだ。それがこれだけの大群となって襲いかかれば、人間の力ではどうすることもできまい。
 灼熱の炎が敵の翼に絡みつき、あるいは機体全体を舐めるように燃え広がる。
 ――もはやこれまでか。我々の同志が、必ずやナッソス家に勝利を!
 ――カセリナ様!!
 多くの若いエクターたちが、敬愛する姫の名を叫んで死んでいった。
 黒こげになった《鳥》が、溶けて形を失った鳥が、次々と地上に落ちていく。

 その様子を見つめながらクレヴィスは寂しげにつぶやく。心の奥底で語られる言葉には、彼らしからぬ苦渋の匂いが漂っていた。
 ――ルキアン君。いつか貴方にも分かるでしょう。本当はみんな穏やかに笑っていたいのです。しかし、そんな優しい気持ちさえも踏みにじってしまう人々がいるから……自分や仲間の身勝手な都合のためならば、他人に犠牲を強いることなど当然に許されると思っているような人々がいるから……その結果、涙を流しながらも、そのような人々と《戦う》者が必要となってしまうのです。勇気を出して、優しい微笑みを誰かが守らなければ、この世はあまりに救われません。
 《ケーラ》の暗闇に眠るクレヴィス。
 その横顔に悲壮な影が浮かんでいた。
 ――そうでもしなければ……。他人の痛みを自分の痛みとして、何とか少しでも理解しようと迷い、思い悩み、その結果、己のエゴを人らしく和らげようとする……そういった、人間としてごく当たり前の理性や思いやりを持っていることが、そのような人間として育って《しまった》ことが、罪だとでも、愚かだとでも? 穏やかで慎ましい心など、《醜いあひるの子の烙印》だとでも言うのですか? そんな馬鹿なことが!!!

 ギルド艦隊の周囲には爆煙だけが残された。
 敵の飛行型アルマ・ヴィオは一機たりとも退却することなく、ナッソス家の乗り手たちは全て壮絶な討ち死にを遂げたのである。
 クレヴィスは敵の最期を無言で見届けていた。
 デュナの手に握られていた光の剣が、すぅっと消える。
 肉の帯がほどけるようにして、デュナの《腕》が再び姿を消し、《骨》も本体に収納されていく。
 アルフェリオンの落下した方角に目を向け、クレヴィスは言葉を付け加えた。
 ――たとえ己の優しさが血と涙にまみれることになろうとも、それでも苦しみに耐えて闘い抜くことのできる《戦士》に、誰かがならなければ仕方がないのです。《優しい人が優しいままでいられる》ように。残念ですが、人の世には、そういう救いようのない部分があるのかもしれません……。

 ◇ ◇

 王都エルハインの南方、広大な中央平原が途切れる北限付近に、議会軍のアムスブール基地がある。
 その敷地内にひときわ大きな石造りの建物がそびえている。黒々とした岩山のごとき堅固な要塞。旧世界の《クリエトの塔》を思わせる角張った施設の四隅には、同じく石組みの尖塔が天高く伸びる。
 この堂々たる建物が議会軍総司令部である。
 輝く銀髪を肩まで豊かにたたえ、すらりとした長身を持つ将校が、薄暗い廊下を急いでいた。物静かで落ち着きのある40代前半の男は、時折、密林の奥から獲物を狙う豹のごとく、周囲に鋭い視線を走らせる。
 扉の左右に立つ衛兵から最高度に改まった敬礼を受けた後、彼は部屋の中に通される。入口には《議会軍元帥》の名が掲げられていた。
 彼の正面に座している大柄な老人が、そのエクセオ・ディ・ドラード元帥、つまり全議会軍の頂点に立つ人物に他ならない。見た目には背筋も真っ直ぐ伸び、体の動きも力強い。しかし元帥の頭髪はすっかり失われており、深い皺が顔中に刻まれていることからも考えて、実際には相当の高齢なのだろう。
 例の銀髪の男、マクスロウ・ジューラ少将は恭しく一礼した。
 マクスロウ少将は、いわば元帥の懐刀と言うべき立場にある。彼の任務は――軍の最重要機密に当たる問題について、ドラード元帥から直接の指示を受け、秘密裏に情報収集を行うことである。今回の《大地の巨人》の件も勿論そのひとつだ。
 凛とした姿勢を崩さぬマクスロウを一瞥した後、元帥は暖炉の前に立った。ドラード家は将軍や大臣を代々輩出してきた名門貴族である。軍人というよりは宮廷の文官を思わせる物腰柔らかな態度で、元帥はつぶやく。
「これは何の冗談かね? マクスロウ少将……」
 ドラード元帥は、少将から受け取ったばかりの文書に火を付けた。
 赤々と燃える炎。黒い焦げが広がり、たちまち小さくしぼんでいく紙を、元帥は暖炉の中に捨てる。
 さらに1枚、2枚……。
 無言のまま微動だにせぬマクスロウに向かって、元帥は渋い顔をした。
「この報告書のことだ。昨日ラプルス地方でわが軍が交戦したという事実は、私の方には《一切伝えられていない》。反乱軍の勢力など無いに等しいあの地方に向けて、特務機装軍が2個大隊も出撃したなどと――君のような有能な男が、そんな馬鹿げた《誤報》を本当に信じたはずはなかろうが。はっはっは」
 元帥の高笑いを耳にしながら、わずかに眉を動かしたマクスロウ。
「閣下……」
 ファルマスが予測した通り、軍はあの一件を――つまりマクスロウの送った特務機装兵団がパラス騎士団と戦い、全滅したという事実を――闇に葬り去ったのだ。
 もし表沙汰になれば、事は議会軍だけの問題ではなくなり、議会と宮廷、ひいては議会と王家との間にまで厄介な軋轢が生じかねない。宮廷の方としても、パラス騎士団をラプルスに派遣していたことが公になっては好ましくないので、互いに知らぬ存ぜぬというところだろうか。
「ともかく早急に手を打たねばなるまいな。《巨人》はすでにパラス騎士団の手に渡ってしまったのだろう?」
 元帥は執務卓に着き、先程とは別の報告書を手にした。
「それだけは何としてでも阻止しようとしたのですが、申し訳ございません。昨夜遅く、《パルサス・オメガ》を収めたと思われる黒いコンテナを国王軍の大型輸送艦が運び去っていくところを、付近の住民たちが目撃しております。現在、その輸送艦の行方を全力をあげて探索させているところです」
「頼むぞ。それから、宮廷に潜む狸のことだが……」
「ご無礼仕ります」
 小声でそう言った後、マクスロウは元帥の耳元に近寄った。
「エルハインの都から新たな知らせが参りました。パルサス・オメガの発掘は、やはりメリギオス太師の命によるものです。さらに、反乱軍に忍ばせた密偵が思わぬ事実を探り出してきました。まだ確かだとは申せませんが、メリギオス太師はギヨット卿と密書を取り交わしている模様です」
「何と……。いや、それで合点がいった」
 好々爺の雰囲気すら漂わせていたドラードの目が、不意に鋭い光を帯びる。うって変わった彼の表情は、軍を統べる元帥のそれだった。
「君も知っている通り、ギヨットとメリギオスの目標は互いに異なる。しかし議会を叩きつぶして国王に権力を集中させようとするところまでは、両者の利害は一致するのだ。おそらくギヨットが反乱を起こしたのは――貴族や神官、商人、地主たちの力が分立し、はっきりとした権力の中心のないオーリウムを、エスカリア帝国のように絶対的な君主によって統治される国に変えようという《理想》のためだ。そのためにはまず、様々な地域や諸身分の利害の牙城である王国議会を解体せねばならぬ。他方、メリギオスは自身の権力欲だけで動いているが、彼にしても――議会が倒され、自分の《操り人形》である王に権力が集まれば集まるほど、己の力もまた強まるというわけだ」
「ギヨット卿は熱狂的な愛国者でしたが、それが行き過ぎて反乱などということに……。オーリウムをエスカリアに劣らぬ強国にするためには、ゼノフォス皇帝が断行した中央集権策と同様、国の権力の在り方を根本から作り替えなければ何事も始まらないでしょう。常に前線でガノリスと戦ってきたギヨット卿にしてみれば、このままでは王国が生き残れぬという思いを人一倍強く感じていたのかもしれません。しかし……」
 マクスロウの言葉は、一見するとギヨットに対して同情的だった。
 だが彼はあくまでギヨットの立場を冷静に分析しただけでであって、個人的に共感を示す素振りは少しも見せていない。私情に流されることがないからこそ、冷たい鋼――文字通り元帥の《懐刀》であり得るのだ。
 むしろ元帥の方が、互いに良く知った仲であるギヨットを思い出し、さながら若き日の戦友を回顧するような眼差しを浮かべていた。
「そうだな。オーリウムが他国に侵略されることを最も嫌っているのは、他ならぬギヨット自身であるはず。だからこそ分からなかったのだ、なにゆえ彼がこんな時に反乱を起こしたのか。いま内輪もめを起こせば、まさにエスカリア帝国の思うつぼではないかと……。他方、帝国軍と連合軍のいずれに味方するかをめぐって国内が真っ二つに割れている今は、確かに反乱にとって、またとない好機でもある。そこでギヨットはメリギオスと手を組んだのだろう。いや、多分メリギオスの方から話をもちかけられたのかもしれないが。これは私の憶測に過ぎないにせよ、メリギオスは帝国軍とも密約を結んでいる可能性があるからな」
 宮廷内の事情にも詳しいドラードは、メリギオスの人物像をも見事に把握していた。メリギオスは手段を選ばない。己の権勢のためならば、自分の国や味方を欺くことも平気で行う男なのだ。
 元帥はさらに続ける。
「つまり――議会軍を叩いた後、メリギオスとギヨットは、議会の決議に反してエスカリア軍と講和・同盟することにより、オーリウムの独立を維持する。抜け目のないメリギオスのことだ、機を見てガノリスやミルファーンの国土を奪い、エスカリアとオーリウムの2大国が支配する世界を作り上げようとしているのだろう。そして、いずれはエスカリア帝国の寝首を掻き、世界を手にしようと……。勿論その程度のことは、神帝ゼノフォスの方も見通しているだろう。結局は狐と狸の化かし合いだな」
 マクスロウはしばらく考え込んでいた。だが、大筋のところでは元帥の見方に賛同しているらしい。
「従来ならば、その化かし合いの成立する余地すらなかったでしょう。しかし今や、メリギオス太師には《切り札》があります。帝国の浮遊城塞《エレオヴィンス》にも劣らぬ――いいえ、恐らくそれ以上、世界を滅ぼせるほどの力を持つパルサス・オメガという最終兵器が。この巨人の力を背景に、メリギオスは帝国との交渉を上手く進めるつもりなのでしょう。さすがはドラード閣下。そう考えれば話はつながります」
「一応はな。だが君自身、わしの推理に完全に納得しているわけではあるまい。果たしてゼノフォスがそんな小細工に応じるだろうか? また、そもそも疑問に思っておるのだよ――いかに旧世界の超兵器だとはいえ、ただ1体の《巨人》がそれほどの力を持っているとは、今ひとつ信じ難い」
 ドラード元帥は、何か釈然としないという顔つきである。
 やがてマクスロウは新たな密命を帯びて引き下がった。

 ◇ ◇

 目を開けると、茶色がぼんやりと見えた。
 霞がかかったような視界。全ての輪郭線が徐々にはっきりしてくる。
 頭の上に何か動くものがある。そしてもうひとつ。
 2つの人影がこちらを覗き込んでいた。
「あ、気が付いたみたいだよ。目が開いてる!」
 まだ幼さの残る少年の声がした。
 ようやく意識を取り戻したルキアン。
 柔らかなベッドの感触。
 例によってシャリオやフィスカの顔が現れるのではないか――そう思ったが、ここは少なくともクレドールの医務室ではないらしい。
「あ、あれ。僕は一体? いや、戦いは……。そうだ、戦いは!?」
 無意識のうちに声をあげ、ルキアンは布団を蹴り飛ばすように起き上がる。
 ベッドの側から慌てて男の子が後ずさった。
「おかしいな。何でだろ。ここは? 君は?」
 ルキアンは、自分でもよく考えないまま彼に話しかけていた。
 男の子の方も、きょとんとした目でルキアンを見つめている。
 ほとんど黒と表現してもよさそうな深い褐色の瞳が、警戒心と好奇心とをない交ぜに、ルキアンの体中を眺め回した。その視線は、彼の腰に吊り下げられた拳銃のところで止まった。
 子供ながらに厳しい少年の目つきから、ルキアンも彼の気持ちを理解する。
「大丈夫。弾は入ってないよ……。ほらね、怖がらないで」
 ルキアンは銃を手にすると、武器の構造も分からぬ子供に説明しようとする。
 だが少年の方は、ルキアンが不用意に銃を抜いたおかげで身を凍らせた。
「ご、ごめん……。あの、こういうのって、慣れてなくって」
 急いで銃を収め、両手を振って弁解しようとするルキアン。
 彼自身も銃の扱いには不慣れである。過去に何度か試し撃ちしたことがあるくらいで、実際に生き物を撃ったことは――ましてや人間に銃を向けたことは一度もなかった。
 そんな彼が、拳銃とは比較にならぬ大量破壊兵器《ステリアン・グローバー》の引き金を引いてしまったとは、まさに運命の皮肉としか言いようがない。
 銃をホルスターに戻したとき、ルキアンは腰に下げてあった剣がないことにようやく気づいた。これまた素人の振る舞いだ。実際、戦士でも軍人でもないのだから仕方がないとはいえ。
「変だな。僕の剣がない。《ケーラ》の中に忘れてきたのかな?」
 周囲や足元を見回した後、ルキアンは剣ではなく別の人影を見いだした。
 男の子と同様にきれいな褐色の目をした娘が立っている。
 ルキアンと同い年くらいだろうか。暖かそうな厚手の焦茶色の上着と、森の木々を映したような深い緑色のスカート。質素な農村風の出で立ちだが、農民の娘にしては身なりが多少良すぎる感じもする。
「気が付きましたか。ごめんなさい。剣は預からせてもらいました。だって、あなたが何者なのか分からないし……」
 少女の顔を見つめたまま、ルキアンは黙って頷く。
 程良くクセのある栗色の髪は、特に結ったりしていないにせよ、小綺麗に整っている。それほど痛んでいる様子もなく、大地に引かれて流れるように背中を包んでいた。ミトーニアの商人の娘が郊外に避難してきたのだろうか? ちょうどそのような外見だった。
 指先もほっそりしており、その色も白く滑らかだ。やはり農民の娘ではあるまい。物腰からみて貴族でもないだろうが……。
 ルキアンは若干の不審を覚えつつ色々考えている。
 しかし彼の様子に危険はないと感じたのか――いや、実際、見るからに危険ではなさそうなのだが――娘は微かに目を細めた。こうして肩の力が抜けると、彼女は先程よりもあどけなく見える。
「怪我、してないですよね? 私はお医者さんじゃないから、よく分からないけど。とりあえず血は出てなかったです」
「え、えぇ。大丈夫です。僕はどうして、ここに?」
 見知らぬ《来客》をまだ警戒しながらも、素朴な笑顔を見せる娘。
 そんな彼女にルキアンはどこか親しみを覚えた。ちょうど2人が同じ年頃だったせいもある。
「それは……」
 ルキアンに尋ねられた途端、娘は表情をこわばらせ、言葉を詰まらせた。彼女はルキアンの心を手探りするように、そっと視線を送る。
「いきなり大きな音がして、近くの森に落ちてきたんです。その――あなたの、あなたのアルマ・ヴィオが」
 記憶の糸をたぐり寄せていくうち、次第に思い出し始めたルキアン。
 ――そうか。僕は、たしか敵のオルネイスに囲まれて、それから……。あのとき、避けきれずに墜落した?
 にわかに口数の減ったルキアンに、今度は少女が尋ねる。
「あなたは兵隊さん? 私と同じくらいの歳なのに、アルマ・ヴィオに乗って戦ってるなんて……」
 ルキアンは妙に力を込めて首を振る。
「じゃあ、公爵様の家来の人? そういえば何となく品がいい。機装騎士見習いの貴族の方?」
「え、あの、僕は、その……」
 まず間違いなくここは敵地だ。いくら不器用なルキアンでも、自分がギルドの飛空艦に乗っているとは言わないだろう。かといって、いまさら《魔道士見習い》だと名乗るのもなぜか違和感がある。
 彼は何度も言葉をどもらせ、いつまでたっても適当な答えを返すことができなかった。
 娘の方もそれ以上の詮索をあきらめた。
 溜息。そして苦笑い。彼女はあっさりした口調で言う。
「まぁ、何でもいいわ。どうせどこの軍隊でも、私たちにとっては同じだし」
「……同じって?」
 彼女は男の子の方を気にしながら、ルキアンに耳打ちした。
「議会軍も、反乱軍も、公爵様の兵隊だって、みんな私たちの畑を踏み荒らしたり家を壊したりすることに変わりはないもの。でもまだましよ。敵なのか味方なのかよく分からない傭兵たちなんて、お金や食べ物を全部奪っていくもの。抵抗したらどんなひどい目に遭わされるか分からないし。楽しんで人間を殺すような人たちだから。私も何度か襲われそうになったことがある。いつも必死で逃げてばかり。怖い……」
 何のための戦争であろうと、結局いつでも一番苦しむのは庶民だ――そんなお決まりの台詞をルキアンも幾度となく聞いているが、少女の怯えた顔は何百の言葉よりも彼の胸を揺るがした。また、傭兵たちの蛮行を目の当たりにしながらも、それでも自分を助けてくれた彼女にルキアンは心を打たれた。
 ――だから、戦いなんて終わらせなくちゃいけないんだ。戦争なんて全部なくなってしまえば、消えてしまえばいいのに!
 だが争いを終わらせるためには、結局誰かが戦わねばならぬということを、今のルキアンは感じ始めている。
 今後の戦争による惨禍を連想したのか、娘は身を震わせた。
「大変なの……。もうすぐエクター・ギルドの艦隊が攻めて来るんですって。飛空艦に乗ってるのはみんな空の海賊で、ならず者の集まりなんだって、公爵様の兵隊さんたちが言ってたわ。もしミトーニアが落ちたら、街の人は皆殺しになるだろうって」
 ――そんな馬鹿な!? ギルドは、少なくとも僕たちの船は違う!
 ルキアンはそう叫ぼうとしたが、言えなかった。
 ――優しい人が優しいままでいられるように……。いや、でも僕らも。
 戦う者はみな同じだという娘の言葉を、ルキアンは思い出す。
 ――どんな戦いも結局は《戦い》。優しい人が優しいままでいられるように、優しい微笑みを絶望の涙に変える人たちに立ち向かい、クレヴィスさんも……僕も?……必要とあれば剣をかざす。そして血を流し合い、戦い続ける。誰かの優しさのために自分の優しさを捨てて……。だけど、戦う相手の側に言わせれば、僕らのせいで大切なものを失っている。だったらなぜ戦うの? なぜ人は戦わなきゃいけない? 好んで戦ってなんかいないのに!
 ルキアンは知らぬ間にシーツを握り締めていた。青い顔をして。
 娘の口から出てきたのは、茫然自失の彼をさらに困惑させる言葉だった。
「きっとカセリナ様が助けに来てくれる。姫様は家来の人たちと一緒に町や村を回って、悪い人たちから守ってくださっているの。とにかく強いんだから。お城の機装騎士の誰よりもカセリナ様は強いって、みんな言ってるわ」
 そういえばナッソス公の城に居たとき、カセリナもアルマ・ヴィオに乗るとランディが言っていた。お姫様の単なる戯れだろうと思っていたルキアンだが、違うのだ。カセリナは1人のエクターとして、実際に戦っている!
 ――僕はカセリナと戦えるのか? いや、僕が戦わなくても、仲間の誰かがカセリナと戦い、傷つけたり、傷つけられたり、もしかすると命まで。もしもそんなことになったら、僕は……。
 恐ろしい想像。けれども近い将来、事実にならざるを得ない悪夢。
 ――私から大切なものを奪おうとする憎い敵なのね、あなたは……。
 彼女の声が、残酷なほど鮮明によみがえる。
 また今度も返す言葉が見つからなかった。

 ◇

 カセリナに憎まれてしまったこと自体は仕方がない、とルキアンは思っていた。そう簡単に割り切ってしまうのはあまりに投げやりかもしれないが、たいていの理不尽な出来事を《仕方がない》という一言で片付けてしまう習慣から、彼はまだ抜け出せていなかった。
 だが今やルキアンがカセリナと直接に傷つけ合い、否、殺し合うことになるかもしれぬという、さらに残酷な現実が突きつけられたのである。
 ――そこまでして誰かと争うことに、僕にとってどれほどの価値があるというのだろうか。いや、そもそも争いに価値なんてあるのだろうか……。でも最初から、ネレイの街を発った時から覚悟はできていたはず。僕にはクレドール以外に帰るところがないんだ。そんなたったひとつの《居場所》を、クレドールや仲間のみんなを失うわけにはいかない。これまでの《日常》の全てを投げ捨てて手にした僕の《翼》を、ただ、今は守ろうと思う。そのために戦わねばならないのなら、たとえ泣きながら剣を取ってでも……。
 ルキアンは無意識のうちにつぶやいてしまった。
「だから僕は、今さら引き返せないんだ」
「えっ?」
 押し黙ったかと思えば、今度は急に独白し始めるルキアンを、娘は訝しげに眺めている。幸い、彼に対して露骨な不信感は抱いていないようだが。
「大丈夫? もう少し休めばどうかしら。疲れてるのよ。えっと……あの……」
「僕? ルキアンだよ。ルキアン・ディ・シーマー」
 自分の顔を指差して言うルキアン。寝ぐせのついた銀色の髪を掻きながら、彼は娘の方を見た。
「命の恩人にまだ挨拶もしていなかったなんて。ごめんなさい」
「いいのよ。私はシャノン。よろしく、ディ・シーマー様……」
 彼女は半ば冗談めかして、ぎこちない動作で宮廷風のお辞儀をする。
「る、ルキアンでいいよ。ルキアンで」
 遠慮する彼の前に、例の男の子がいきなり飛び出してきた。
「お兄ちゃんって、機装騎士(ナイト)なのか? 格好いいなぁ!」
 ルキアンは内心驚いた。少年は目を輝かせながら彼を見つめている。こんな眼差しを向けられたことは、これまで一度もなかったような気がする。
「こら。ちゃんと挨拶しなさい、トピー」
 シャノンは男の子の頭を押さえ、仕方なさそうに笑っている。
「トピーだよっ。ルキアン、よろしくね!」
 相変わらずルキアンに尊敬の念を感じてやまない少年。
 彼の気持ちに水を差してしまうようで、申し訳ないと思ったが、ルキアンは静かに告げる。
「僕は、機装騎士じゃないよ……。コルダーユで魔道士の見習いをしていた」
「魔道士? じゃあ、ただの機装騎士じゃなくて魔道騎士なの? すごいな!」
 ルキアンはトピーの頭にそっと手を置いた。
「僕は普通の、見習い魔法使いのルキアン。ただのルキアン」
「じゃあ、ルキアンはなんでアルマ・ヴィオに乗ってるの?」
 不思議がる少年に対して、そして自分自身に対しても、ルキアンは言った。
「どうしてだろうね……」

 ◇ ◇

 一瞬、虚空を切り裂く光が見えた。弧を描いてMTサーベルが繰り出される。
 斜めに走る亀裂。そして炎。
 空に浮かぶ城塞のごとき飛空戦艦は、たちまち火に包まれていく。
 やがてその翼が折れ、急激に落下し始めた船体の向こう――数機のアルマ・ヴィオの姿が見え隠れする。
 光の剣を手にしたカヴァリアン。
 その背後にはファノミウル。そして一度は味方艦隊の救援のために戻りかけた、ラピオ・アヴィスとフルファーもいる。

「は、ははは……。残ったのは本艦だけか」
 ナッソス艦隊の旗艦、バーラエン級飛空戦艦のブリッジでは、艦長が力の抜けた笑みを漏らしていた。こんな時に――いや、もはや彼は呆然と笑うしかなかったのである。
「たかが空の海賊どもに、ナッソス家の艦隊が敗北するだと? そんな馬鹿なことが! これはきっと夢だ。悪い夢に違いない」
 艦長はがっくりと首を落とし、絶望的な表情でつぶやき続ける。
「そんなことがあっては、ナッソス家にとって末代までの恥……」
「艦長、間もなく敵戦闘母艦の方陣収束砲が、再発射の準備を終える可能性があります。艦長?」
 顔色を失って呼びかける副官に、艦長は返事をしなかった。

 クレヴィスの活躍によって危機を脱したギルド艦隊は、いまや激しく攻勢に転じている。クレドール、ラプサー、アクスの3隻は、自分たちの船よりも遙かに大きいバーラエン級戦艦めがけて集中砲火を浴びせる。
 カルダインは力強く立ち上がった。真っ直ぐ伸びた右腕が敵艦を指差す。
「一気に沈めるぞ……。方陣収束砲、発射用意!! エネルギーの充填が不十分でもかまわん。速やかに離脱するよう、味方アルマ・ヴィオに連絡しろ」

 ◇ ◇

 中央《平原》と言っても、どこまでも草原や耕地ばかりが続くわけではない。特にナッソス領の一帯では、森も点々と広がっている。
 緩やかに起伏を帯びた緑の野辺に、大小の木々がぽつぽつ立ち並ぶ様は、素朴な一枚の絵を思わせる。遠い昔どこかで目にしたことがあるような、胸の奥の何かが無性に揺さぶられる光景だった。
 ルキアンは外を見ていた。
 落ち着いている場合ではないのだが、不思議と心は静まっている。
 窓のすぐ向こうには菜園らしきものがある。さきほどシャノンは、そこで良い香りのするハーブを摘んで戻ってきた。
 その葉が1枚、ルキアンの手にしたティーカップに浮かんでいる。
「時々こうして空や雲を見ていると――どうして、これだけじゃダメなのかなって、そんな気がしてくる。あの空の下で心地よく風を感じていられたら、それだけで本当は十分じゃないかって。やっぱり変かな、僕は?」
 唐突な質問に、シャノンは首を傾げた。困った彼女は軽い冗談で応じる。
「うぅん……。空と雲だけ? 私は、野いちごのケーキや美味しい紅茶もなければ困るかも」
 彼女の答えを聞いているのか、いないのか、ルキアンは語り続ける。
「僕らは来る日も来る日も地面を這いずり回って、その煩わしさを忘れるために、些細なことに一喜一憂して、それで《傷ついた》だの、《癒された》だのといって大げさに騒いでいる。愛とか憎しみとか。幸せとか不幸せとか。運が良いとか悪いとか。誰かに必要とされているとかいないとか。でもそんなことは、本当はちっぽけなことなんじゃないかって……。そんなことに縛られず、ただこうして生きていられれば、それでいいんじゃないかって。人間は、本当はもっと自由なんじゃないかって……。でもね、もちろん僕も、細かい事に振り回されながら暮らしてるよ。だけどどんなに願って、あがいてみても、結局あの日々の中では、満足できる《何か》とか、《どこか》とか、《誰か》とか――そういう大切なものを得ることはできなかった。それでも僕はこうして生きている、という方がいいのかな?」
 当惑か共感か、シャノンは何とも言えない表情でルキアンを見ている。
 
 無言の彼女を前に、ルキアンは、妙に吹っ切れたような口調でこう言った。
「でも……。そうやって強がっているけどね、実際には――たったひとつだけでいいから、あのころ僕が満足できていたのなら、多分、僕もあの《日常》を大切なものだと感じたんだろうな。たったひとつ……。それ以上は望んでなんかいなかったのに」
 目に涙をためながら、無理に微笑んでいるルキアン。
「ルキアン……」
 何か慰めの声をかけようとシャノンだったが、彼女は言葉を飲み込んだ。
「今頃こんなことを言っても何にもならないけど。あの毎日の中でただひとり、もしも誰かが隣に居てくれさえしたら……。僕は、ありもしない《翼》が欲しいなんてことを、起こりもしない《奇跡》を信じるなんてことを、最初から考える必要もなかったかもしれない。いや、ごめん……。会ったばかりの人に、つまんない愚痴を言ったりして。こんなふうだから、ダメなんだよね」
 白く反転した虚ろな世界の光景と共に、何故か――いや、むしろ必然的に――ルキアンの胸の内にソーナの姿が浮かんだ。今はもう帰れぬ過去の中、自ら飛び出してきた思い出の向こうに。
「ルキアンの気持ち、分かるような気がする。そういう孤独な記憶を、私も少しは持っているから……」
 具体的なことは何も分からないにせよ、シャノンはルキアンの心中を察しているようだった。
 そんなシャノンの言動が、ルキアンの方にしてみれば、彼女が無理に気を使ってくれているように見えたらしい。
 ルキアンは大袈裟に首を振り、今にも壊れそうな作り笑顔で言った。
「いや、あの頃のことはもういいと思ってるよ。とにかくあの日常から、僕を取り巻いていた世界から離れたかったんだ。このままでは僕の心は窒息してしまうんじゃないかって。だから必要だった――本当の自分になるための《未来》が。そして未来を再び取り戻すために、《日常》の檻を破って飛び出すことのできる《翼》が……」
 長い溜息を付いた後、ルキアンは今の苦しみをうち明けた。
「だけど僕は《翼》を手に入れるために、エクターになってしまった。戦うことになってしまった! 別に戦いたかったわけでもないし、戦う理由があったわけでもない。たまたま僕にとって、あの日常から抜け出るための道というのが、エクターになることだけだったから。戦うのは一番嫌いなことだけど、それでも……。未来が凍り付いてしまったあの日常の中にいるよりは――これからずっと溜息とともに生きていくよりは、まだ戦う方がましだと思ったから。だけど、だけど――そんな小さな自己満足と引き替えに、僕は、大切なもののために戦っている人たちの命を、沢山奪ってしまうことになるかもしれない。そう思うたびに、どうしようもないほど苦しくて……」
 延々と語り続けてしまったルキアンは、そこでふと我に返った。気が付くと頬が紅潮し、息も荒くなっている。彼はきまりが悪そうにうつむいた。
「ごめん。いつもこうなんだ。僕、普段はおとなしいくせに、いったん話し始めると、相手のことが見えなくなっちゃうんだ。退屈だったよね?」
 シャノンはルキアンの目を見つめ、ゆっくりと首を振った。
 慈愛に満ち、落ち着いたその仕草には、ルキアンと同世代の娘とはとても思えぬほどの威厳があった。
「そんなに苦しまないで、ルキアン。争いが好きでたまらない獣みたいな人たちをのぞいたら――どんな戦士でも、大切な何かのために必死に戦ってるんだって、パパが言ってたわ。それは人間の世界から争いがなくならない限り、決して終わらない悲劇なんだ、って。だからルキアン1人がそんなに背負い込むことはないと思う」
「シャノンの、お父さん?」
「うん。パパは、今は農園をやってるんだけど、ずっと前は公爵様に仕えるエクターだったの。だから内乱が始まってからは、パパもミトーニアのお城を守りに行ってしまったんだけど……」
 ――そんな! そんなことって!! 嘘だろ? おかしいよ、そんなの……。
 またもやルキアンの目の前が闇に閉ざされた。
 カセリナだけではなく、シャノンの父もルキアンの敵なのだ。これほど親切にしてもらった彼女の、大切な家族と争わねばならないのだろうか。
 あまりの衝撃に、かろうじて立っているだけでも精一杯のルキアン。
 だがシャノンは彼の胸の内など知る由もない。
「私が小さい頃、時々パパが話してくれた。敵も味方も、どちらも大切なもののために正しいと信じて戦っている、と。今回の戦いに出かけるときにもパパは同じことを言っていた。私には戦争のことはよく分からないけど、何が正しいの悪いのか、それはもう、最後には理屈だけでは済まないと思うの。結局は勝った方の意見が正しいことになってしまうし。だから私は、こんなことしか言えないけど、その……」
 まるで母が息子を諭すような様子で、シャノンはルキアンに告げる。
「とにかくルキアンが戦い抜けば、そうすれば誰かが笑顔になれるんでしょ? もちろん、あなたのせいで涙を流す人もいるかもしれない。だけどあなたが勝利を手にしたら、救われる人がいるんでしょ? その人たちがルキアンにとっての《守るべきもの》だと思う。もしそれを守って戦った結果、あなたの敵の戦士たちを倒してしまったとしても――それは絶対に良いことではないけれど、さっきも言ったように、この世界から争いがなくならない限り、仕方のないことだと思う。あなたの敵だって、剣を振るう者はまた相手の剣によって命を落とすこともあると、戦う前から覚悟している。パパもそう言って、公爵様のお城に行ったわ」
 堂々とした、しかし悲しいほどに悟り切った部分のある――戦士の娘として生まれ育った者の言葉だった。
 ルキアンは自分の甘さを恥じた。彼女の顔を正視できないほどに。
 それから、どのくらい静寂が続いただろうか。
 春の日が傾き、薄暗くなり始めた外の景色に目を向けながら、ルキアンはつぶやいた。
「シャノンは――すごいな。僕の尊敬する人が、同じようなことを言っている。その人は普段は本当に穏やかなんだけど……。でも戦うときになったら、軍神のように強くて、鋼の剣みたいに冷徹なんだ。どうしてそこまで、その人が心を鬼にして戦っているのか。それはね、1人でも多く《優しい人が優しいままで笑っていられるように》と願っているからなんだって」
「素敵だわ。ルキアンも、その人と一緒に戦っているんでしょ?」
「うん……」
「だったら、あなたも大切なもののために戦っているじゃない。優しい人が優しいままでいられるように――私は素晴らしいと思う。もっと自信を持って、ルキアン」
 部屋の隅から広がりつつある夕刻の陰りが、ルキアンの涙を隠した。
 ――だからって、もし僕が君のお父さんを殺しても、シャノンはそうやって落ち着いていられるの? 悲しすぎる、戦いなんか。どうして人間は、争いが起こる前に、互いに譲り合おうとする気持ちを持てないの……。

 《ダカラ神ハ、ソンナ人間タチヲ見捨テタ。ソシテ旧世界ハ滅ビタ》

 不意にルキアンは、やるせない気持ちを旧世界の滅亡と結び付けた。
 ――僕たちは過ちを繰り返すしかないの? 人間は、自分たちが滅びるまでは永遠に争いを止めないの?

 ◇ ◇

 その晩、ひとつのニュースが王国全土を駆けめぐった。
 否、口伝えから始まった噂は、瞬く間に無数の《念信》を経て国境を越え、近隣のミルファーン王国やガノリス王国は勿論のこと、遠くタロス共和国やエスカリア帝国までも広がりつつある。
 オーリウムにてギルドの艦隊がナッソス公爵家の艦隊に勝利す!――諸国の宮廷から路地裏の酒場まで、あらゆるところで人々の話題にのぼった。
 単にそれは、無頼の傭兵団が圧倒的規模の大貴族の軍を殲滅したという事実にとどまらない。
 何よりも《オーリウムのエクター・ギルド》という組織の特別な性格ゆえに、その勝利はなおさら人々の注目を浴びたのである。《ギルド》という、一見、封建的・閉鎖的な団体を思わせる呼び名にもかかわらず、この集団は、身分、国籍、宗教、性別等の違いを越えた新たな枠組みに立脚しているのだから。
 そのことを反映し――ギルド艦隊も、もはや地図上に存在せぬゼファイア王国の伝説的英雄を筆頭に、オーリウム国内の元貧民から旧タロス王国の亡命貴族の姫君まで、多種多様な人々によって構成されている。
 彼らは過去に背負ってきたそれぞれの利害やしがらみを越えて、ギルドの象徴である青紫のクラヴァットを等しく身に付け、勝利を得たのである。
 特に諸国の平民たちはギルド艦隊の活躍を賞賛した。タロスの市民でさえ、今頃は、かつての大敵であったカルダインの勝利に乾杯していることだろう。
 他方、少なからぬ貴族たちにとって、ナッソス艦隊の敗北は、日増しに衰退する自らの未来を暗示するかのような苦々しい出来事だった。中でも地元オーリウム王国においては、ナッソス家が保守派貴族の領袖と目されているだけに、その敗北の衝撃はなおさら大きい。
 《この空戦をもって、王国の新たな時代が幕を開けた》
 オーリウムの某文筆家は、当日の日記にこのように書き記したという。

 ◇

 タロス革命の大乱の最中、あとわずかで歴史を書き換えるところであったカルダイン・バーシュは、この日に至って本当に歴史を塗り替えた――とは言い過ぎであろうか。
 その彼は今、飛空艦クレドールの艦橋に立ち、前方の遙か眼下にミトーニア市を見つめている。節くれ立ち、がっしりとした手には、ある宣言の文書が握られていた。
 カルダイン艦長の傍らには、クレヴィス副長だけではなく、ルティーニ財務長の姿も見受けられた。これから行われる宣言をめぐって、彼は艦長から相談を受けたのだ。以前は宮廷の顧問官であった彼にしてみれば、この手の儀式張った《取り引き》も得意分野のひとつなのだろう。
「たとえ追いつめられた者たちであっても、こちらが横暴な態度をとれば、最後の最後で頑強な抵抗に出るものです。ですが、本来は自分たちの立場をよく知っているはず。そこで相手の顔も立て、悪くない譲歩を示してやれば、結局のところは飛びついてくるでしょう」
 広い額を光らせ、ルティーニが自信ありげに言った。
 彼の言葉にクレヴィスが微笑む。
「さらに、一方の選択肢で譲歩すると同時に、別の選択肢の方には苛烈な結果を結び付けておく。《アメとムチ》ではなく《アメかムチか》ですか。なるほど。二重の意味で、常人ならば穏便な答えの方になびくでしょう。誰しも本音では自分たちの身が可愛い。しかし面子もある。その両方に上手く対処してやれば……。ふふふ。ルティーニ、あなたも見かけによらず怖い人ですね」
「時には冷徹な計算もできなければ、宮廷では生きていけませんよ。もっとも、そういう環境が嫌で飛び出してきた私が言ったところで、説得力に欠けますか」
 声を抑えて語り合う2人。
 カルダインは彼らのやり取りを黙って聞いている。
「いや、もし我々がミトーニア市を武力で開城させることになれば、必ず後でツケが回ってくるでしょう。そのぶんナッソス城の攻略が遅れ、ひいては《レンゲイルの壁》への総攻撃開始に間に合わなくなる可能性も出てきます。それに市街戦になれば、何よりも市民たちに犠牲が出てしまいます――ルティーニの案が功を奏するよう、祈りたいものです」
 そうつぶやきながら、クレヴィスはセシエルに目配せした。
 コンソールの上の水晶球に手を置き、じっと神経を研ぎ澄ませていた彼女は、落ち着いた声で言う。
「艦長、市当局とつながりました。準備は完了です」
 カルダインは悠々と頷いた後、自ら念信を送り始める。
 ――名誉ある自由市ミトーニアの、市長はじめ参事会の紳士諸君。私はナッソス家討伐隊の総司令、エクター・ギルドの飛空艦クレドール艦長、カルダイン・バーシュだ。我々はナッソス家の艦隊をすでに撃破し、まもなくミトーニア上空に到着する。ギルドの地上部隊も大規模な包囲作戦を開始した。だが我々は決して争いを好んでいるわけではない。貴君たちが以下の条件を受け入れ、武装解除し、国王陛下と議会に再び忠誠を誓うのであれば、我々は攻撃を中止するとともに、ミトーニアの自治権を従来通り保証する……。

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