HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第27話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  地上に降りた天の騎士は
   ゼフィロスの姿を得て、
    大地を駆ける疾風(はやて)とならん。



 日付が変わり、その後さらに時計の針が朝に近づきつつある今も、ミトーニアの市庁舎では街の命運をかけた議論が交わされていた。
 ただし出席者の大方は既にギルドとの和睦に傾いており、それに対して抗戦派が頑強な反論を続けているというのが実情であったが。
「目先のことばかりにとらわれていては、将来取り返しの付かぬ結果を招くということが、まだ分かっておらぬようですな! 冷静に考えてみられよ。仮にナッソス家がギルドに敗れたとしても――その後、反乱軍が議会軍に勝利したらどうなる? いや、反乱軍に勝ったところで、あのガノリス連合軍ですら敵わなかった帝国軍に、オーリウムが勝てると思うのか?」
 徹底抗戦を主張するアール副市長は、もはや苛立ちを隠そうとはしなかった。長い顎と、その先で細く刈り込まれた髭。鷲鼻。白目の部分が大きく、鋭い目。日頃から厳格そのもののアールが、いつにも増して表情を険しくする。
 彼の発言が終わったとき、出席者の間に微妙な空気が流れ、低いざわめきが生じた。あからさまな批判はすぐには飛び出さず、そのくせ皆が、承服しかねるといった顔で口を濁しているのだ。
 というのも、アール副市長の意見自体は正しいからだった。ナッソス家が倒れても反乱軍が議会軍に立ちはだかり、さらに反乱軍が敗れてもいずれ帝国軍が議会軍を破る――それが自明のことだからこそ、ミトーニアはナッソス家に味方したのだ。いや、味方せざるを得なかったのである。
 しかしエクター・ギルドがナッソス家を攻めることや、その攻撃をあれほど迅速かつ整然と行う能力がギルド側にあったということ、ましてギルドが勝利する可能性もあることなど、ミトーニア市にとっては計算外であったろう。
 所詮ギルドも、議会軍と共にいずれ帝国軍に敗れる公算が大きい。しかし問題はもっと間近な状況のことなのだ。夜明けまでに《降伏》しなければ、街に対して攻撃が加えられることになる。そしてギルドの《無頼の漢》たちとの戦いになったとすれば、容赦ない殺戮や略奪が行われるであろうと、市民たちは本気で信じている。いくら帝国軍の未来の勝利が確実でも、明日に自分たちの命を奪われてしまっては意味が無い。
 苦渋する市の有力者たちに、アール副市長は追い討ちをかける。
「いずれにせよ議会軍に最終的な勝利はあり得ない。そのとき議会軍に《寝返った》ミトーニア市はどうなる。それこそ何もかも終わりではないか?」
 
 言われずとも分かっていることを、歯に衣着せぬ言葉で突きつけられるのは、決して心地良いものではない。不機嫌そうに腕組みしたり、溜息を付いたりして、その場をやり過ごす面々。
 息苦しい沈黙を破り、開き直った――あるいは現実的な――発言を始めたのはもう1人の副市長ロランであった。
「ですからアール殿。貴殿のおっしゃることはもっともだが、ここで街が壊滅しては、それこそ全てが終わってしまいます。我々とて耐え難きを耐えているのです。たとえ節操無く強い者に従うようであっても、この戦乱の時代、そういう立ち回り方も必要なのだとお解かりでしょうに……」
 ふっくらした顔に落ち着いた気色を浮かべ、彼はアールをなだめる。
 温厚で柔軟な発想をもつロランと情熱的で毅然とした行動力をもつアールという2人の副市長が、それぞれの個性を生かして市長を助け、ミトーニアを支えてきたのだ。
 アールは謹厳実直な法律家として知られていたせいか、商人のロランのごとき処世術的な態度を毛嫌いし、理屈の上で筋を通すことに重きを置く傾向をもっていた。それにもかかわらず2人が衝突しなかったのは、ひとえに温和かつ世渡りにも長けたロランの妥協のおかげであった。
 そのとき、これまで議論にじっと耳を傾けていたシュリス市長が、強引とも思われるかたちで口を開いた。
「時に諸君、ほぼ全体の意見も固まってきているとみえる……。このままでは埒が明かない。もう半時ほどしたら採決を行うべきだと私は考えるが」
「何を無茶な? 市長、まだ時間はありますぞ!」
 露骨に顔をしかめたアールが、机を叩いて立ち上がった。
「いや、そうとは言い切れまい……」
 重々しい声で市長が答える。
 他の者たちも、多くは賛同を示すような目線で市長を見ている。
 日が昇るまでにまだ時間はあるはずなのだが、冷静な市長がこれほど結論を急ぐことには理由があった。彼を含め、市の要人たちの大半は、ギルド側が攻撃開始の時刻を守ると必ずしも信じていないためだ。
「残念だが戦争というのは、建て前通りに行われるとは限らない。結局のところ勝つか負けるかの殺し合いなのだからな。しかも相手は――カルダイン自らが言ったように、仕来たりや秩序に縛られた正規の軍隊ではない」
 市長は切々と述べながら、皆の表情を見渡した。
 実際、この手の攻囲戦は攻守両方の化かし合いでもある。かつての騎士同士の戦いならともかく、嘘の停戦期限を設けて相手を油断させ、その隙に奇襲をかけることも最近ではあり得るという。さすがに正規軍がそんなことをするはずはなかろうが、ミトーニアを包囲するエクター・ギルドは、言ってみれば金で雇われ、勝つことを商売として追求する私的な傭兵集団なのだ。
「やむを得ませんな」
 ロランも市長の言葉にうなずく。それどころか、今すぐ採決をという声が出席者の間で飛び交い始めた。
 高々と《講和》の声が上がる中、市長がその場を鎮めようとしたとき……。
 隣に居たアール副市長がシュリスの背後に回り、懐から何かを取り出した。
「やむを得ない? それはこちらの台詞だ、ロラン」
 それを合図にしたかのごとく、議場の扉が押し開かれ、十数名の兵士たちがなだれ込んでくる。彼らは小銃を構えて市の要人たちを取り囲んだ。
「諸君、お静かに願おう! 一歩でも動くと怪我をすることになるぞ」
 市長に拳銃を突きつけ、アールが叫んだ。
「アール君、何の真似だ? 君は自分のしていることが分かっているのか!」
 身動きを封じられたシュリスは、首だけを動かし、痛恨の眼差しで副市長を見据える。
「えぇ。全てはミトーニアのためです。あなた方の日和見主義にはうんざりしました。我々はギルドと最後まで戦います」
 勝ち誇ったように、あるいは半ば投げやりにも聞こえるアールの返事。
 何人かの出席者も彼と通じていたようだ。その1人、市民軍の指揮官も銃を抜き、周囲を威嚇しつつ市長に告げる。
「こちらの徹底抗戦の姿勢を知れば、ナッソス軍も我々に同調するはずです。油断しているギルドの飛空艦に夜襲をかけ、混乱に乗じて地上の敵も一気に叩く……。市長、どうか考え直してください。帝国軍も数日中には到着するでしょう。その間だけでも持ちこたえられれば、我々の勝利です」
 だがシュリス市長は、普段は表に出さぬ怒りもあらわに言った。
  
「神帝ゼノフォスの侵略にさらされ、力を合わせねばならぬときに、王国では内乱――そして今度はミトーニアの中でも、暴力で自分たちの言い分を押し通そうとする者たちがいたとはな。全く愚かな……」

 ◇ ◇

 ナッソス城の地下――カンテラの明かりに照らされ、奇妙な姿のアルマ・ヴィオが浮かび上がる。
 闇に溶け込む漆黒の機体……。さらに同型のものが1体。
 すらりと流れるような、それでいて圧倒的な強靭さを見せつける4本の脚から察するに、恐らく高機動タイプの陸戦型には違いない。
 だが、その種のアルマ・ヴィオの大半が獣の姿(狼や獅子、あるいは鹿や馬など)を模しているのに対し、目の前にそびえる2体の外貌は爬虫類を連想させる。強いて言えば、首の長い肉食恐竜という印象だ。
 体側には翼らしきものまで生えている。ただ、空を飛ぶには小さすぎる感があった。だとすれば、一体何のための器官なのだろうか。
 背中に装備されたMgSが鈍い光を放っている。通常の倍近くある長大な砲身からして、対地用の長射程タイプであろう。これほどの代物ならば、当たりどころによっては重アルマ・ヴィオを一撃で仕留めることさえあり得る。
 この不思議な機体に向かって灯火をかざす、2人の中年紳士がいた。
 両名とも暗色系のフロックの上にエクターケープを羽織っている。片やナッソス家の精鋭《四人衆》の一人、シャノンの父・ザックス。他方は同じく四人衆のパリスである。
「旧世界のアルマ・ヴィオ、《レプトリア》……。こいつの活躍にうってつけの場面が与えられたというわけか。しかも思ったより早い段階で」
 ザックスの言葉、特に《旧世界の》という部分には、ある種の感慨が込められていた。エクターなら誰しも、いにしえの世の優れたアルマ・ヴィオで一度は戦ってみたいと思うものだ。
 鋭い切れ長の目でレプトリアを見上げながら、パリスもつぶやく。
「そうだな。タロス共和国で発掘されたこの機体を、わざわざ裏のルートを使って持ち込ませたかいがあった。その点ではミトーニアの商人たちの口利きに感謝せねばならん。だが彼らは、今頃になってギルドに降伏しようなどと。市長のシュリスを筆頭に――臆病風にでも吹かれたか」
「仕方あるまい。アルマ・ヴィオといえども、商人たちにとっては単なる商品だ。肉や酒と同じようにな……。兵器の調達までは手を貸してくれるだろうが、そこから先は彼らの領分ではない。戦うのは俺たちの仕事だ。それにしても、アール副市長のような男がいて我々には幸いだった。これでギルドの裏をかくことができるというものだ」
 苦笑いするザックス。
 彼の言葉に頷きながら、パリスはアルマ・ヴィオの外装を軽く叩いた。
「それで乗り心地は――感触は上々だったろう、ザックス兄貴? 最高速度においては《レオネス》に一歩譲るものの、敏捷性や瞬発力ではこの機体の方が明らかに上回っている」
「その話、あながち間違いでもなさそうだな。実際、以前にレオネスに乗ったこともあるが、こいつほど機敏な反応速度は感じなかった。このスピードなら、普通の陸戦型などは追い着くことすらできんだろう」
「いや、速さだけではなく、さらに凄い装備もある。旧世界の技術というのはまったく我々の常識を超えるものだ。ギルドの奴ら、きっと震え上がるぞ」
 パリスは意味ありげに笑った。
「そうだな。この難局をうまく乗り切り、《帝国軍》の到着まで持ちこたえられればよいのだが。ではそろそろ俺たちも出るか、パリス。しかし……」
「しかし、何だ?」
 そう尋ねるパリスは、ザックスの思いを既に理解しているようだったが。
 ザックスもそれを知りつつ敢えて答えた。
「そう。カセリナお嬢様のことだ。このような危険な作戦にお嬢様を関わらせるとは――誰もお引止めすることができなかったのか?」
「そいつは無理な相談だ。殿のおっしゃることにさえカセリナ様は従おうとしないのだから。それにカセリナ様は、この数年の間に恐ろしいほど上達された。正直な話、もう俺もお嬢様には勝てない。しかもお嬢様の機体は《イーヴァ》だからな。旧世界のアルマ・ヴィオの中でもあれは別格だ。皮肉なことだが、カセリナお嬢様とイーヴァは今やナッソス家で最強の戦力なのだ」
 最初は半信半疑で聞いていたザックスも、パリスがあまりに真顔なので最後には納得したらしい。溜息まじりにザックスは頷く。
「そうか。お前の腕は俺が一番良く知っている。それ以上とは――まるで戦いの女神のようだな。まったく、困ったお嬢様だよ。俺たちはせいぜいカセリナ様の楯となって、力の限りお守りするしかあるまい。しかし殿も複雑なお気持ちでいらっしゃることだろう。娘を持つ親として、俺にも少しは分かる……」
 カセリナの姿に己の娘を重ねあわせ、彼の気持ちは家族のもとへと向かっていた。
 ――シャノン、待っていろよ。この戦いさえ終われば、俺も本当にエクター引退だ。今度こそお前たちとずっと一緒にいられるからな。
 最愛の娘の顔を思い浮かべて、彼は心の中でつぶやく。
 自分の家族に降りかかった惨劇のことを、ザックスがまだ知る由もなかった。

 ◇ ◇

 同じ頃、真っ暗な夜空を流星のように横切る一群があった。
 巨大な鳥のごとき、翼を持った何かが整然と隊列を組んで飛行する。
 否、《鳥》ではない。《飛竜》だ。
 その上には、鎧に身を固めた《騎士》が――アルマ・ヴィオが乗っていた。魔法金属の甲冑をまとい、MTシールドを張り、MTランスを構えて。その勇壮たる光景は、伝説の竜騎士(ドラゴン・ライダー)たちを髣髴とさせる。
 火を吐く大空の竜は、飛行型重アルマ・ヴィオ《ディノプトラス》。

 そして《竜騎士》たちの中でも、ひときわ凛々しい機体は……。
 戦乙女を思わせる、美しくも勇ましい聖戦士。
 その姿を体現した伝説のアルマ・ヴィオ――カセリナの《イーヴァ》だ。

 ミトーニアにおける抗戦派の蜂起。その好機を得て、ナッソス軍はギルド側の隙を突く大規模な奇襲作戦に出た。
 夜の闇の中、ナッソス家の切り札《空中竜機兵団》がギルド飛空艦隊に迫る。
 そして時を同じくして、超高速陸戦型アルマ・ヴィオ《レプトリア》の恐るべき牙が、ギルドの地上部隊の背後に忍び寄っていた。

 だがルキアンたちは、まだその事実を知らない。

 ◇ ◇

 まもなく午前3時になろうとしていた。窓の外では、やがて日が昇るであろう地平の彼方までも、まだ全てを闇が包んでいる。
 対照的に煌々と明るい灯火の下。
 懐中時計の蓋を開け閉めする音が、おもむろに二、三回。
 それに続いて品の良いささやき声が聞こえた。
「おや、まだ起きていたのですか……。今日は本当に疲れたでしょうに」
 艦橋の隅にルキアンの姿を見て取り、クレヴィスは仕方なさそうに微笑んだ。
「あ、いえ、その」
 向こうの方から少年の言葉が途切れ途切れに伝わってくる。
 深夜の静寂に戦場の緊張感が加わり、いつになく静まり返ったブリッジだが、それでもルキアンのか細い声は必ずしも聞き取りやすくはなかった。
「ぼ、僕のことは。それよりクレヴィスさん――それに皆さんも、全然お休みになってないんじゃないですか? 僕は昨日もおとといも沢山寝ていますから、徹夜しても平気です。だから何かお手伝いできないかと、その――思って」
 呆れたような笑顔のまま、クレヴィスはルキアンを眺めている。
 副長の代わりにヴェンデイルが応えた。
「大丈夫。そんなに気を使わなくていいよ。戦いに夜も昼もないし、夜更かしなんか慣れっこさ。俺たち、一応、これでメシ食ってるわけだから」
 だが威勢良くそう言った途端、ヴェンデイルは生あくびしそうになり、慌てて眠気を噛み殺す。
 その様子に見て見ぬふりをしようにも、すでに口元を緩めてしまっているルキアン。彼とヴェンデイルの視線がぶつかる。お互いに苦笑いしているのが分かった。さらに吹き出す2人。
 クレヴィスがルキアンに歩み寄り、彼の華奢な肩に手を置いた。
「いくら《戦士》であろうと、眠気にはなかなか勝てないものですよ。特にネレイの本部を発ってからというもの、ヴェンはろくに眠っていないのです。私たちの場合とは違って、特殊な技能を要する《鏡手》には代役が立て難いですからね。昼間ならともかく夜間の暗視は素人には無理です。まぁ、玄人でも――彼の代理を務められるほど腕の良い鏡手など、議会軍や国王軍にも滅多にいないでしょうが」
「でもって、今晩も徹夜だよ。戦いが終わったら一週間ぐらいゴロ寝してやるからな」
 愚痴を言いながらもヴェンデイルは機嫌が良さそうであった。あのクレヴィスに当てにされているということが、彼なりに少し嬉しかったのかもしれない。
 ヴェンデイルは複眼鏡の《スコープ・ギア》――ヘルメットのように頭から被って装着するモニタ機材――を脱ぐと、ほっと溜息を付いた。
 鉄兜のごとき、旧世界の不可思議な装備がサイドテーブルに転がされる。沢山のケーブルがそこから床に向けて垂れ下がっている。
「ここ数日ずっと《普通の月》のままだし、しかも今晩は満月だから見張りもいくらか楽なんだけどさ。でも少し疲れたよ。一瞬、休んでいいかい?」
 ヴェンデイルは後ろで束ねた髪をいったん解き、黒い細帯で小器用に結え直した。こうしてみると、小柄だがなかなか垢抜けた雰囲気のある優男だ。
「あの。やっぱり《青い月》の晩は、暗いから視界が狭くなるんですか?」
 興味深げに尋ねるルキアンに、ヴェンディルはさも当然だと言わんばかりの表情で、何度も大げさに頷いた。
「そりゃそうさ。この前にコルダーユからネレイに飛んだときは、もう最悪。よりによって真っ暗な青い月の夜にさぁ、難所のパルジナス山脈を越えようだなんて、誰かさんが言い出すもんだから」
 その強引な航路を選ばせた張本人・クレヴィスは、申し訳なさそうに笑っている。
「まぁ、私は何とかなると思っていましたよ。あなたの《目》とカムレスの舵捌きを信じていましたからね。もしあのとき無難にパルジナスを迂回していたなら、今頃になってやっとネレイに着いていたと思います。あるいは道すがら、そこかしこの反乱軍に邪魔されて、まだ到着できてさえいなかったかもしれません。それでは遅すぎたでしょう」
「分かってる、分かってる。だけどあのときは生きた心地がしなかった。クレヴィーってさ、慎重そうな顔してときどき大博打を打つから怖いよ。今度はもう、俺は絶対お断り!」
 ヴェンデイルとクレヴィスのやり取りに、クルーたちの笑い声が漂う。
 ――月か……。
 ルキアンはあることを思い出した。
 分厚い防弾硝子の向こうに浮かぶ、いつもの黄色い月。
 それを独りで見つめていた少年は、振り返ってクレヴィスに言う。
「そういえば、占星術の講義のときに先生から習ったんですけど――今年はあれですよね、その、2つの月が一緒に出る日」
「その通り。よく知っていますね、ルキアン君。さすがはラシィエン導師のお弟子さんです。まだ厳密な日時は分からないのですが、天文学者たちの計算によれば、今年中に起こるのは間違いありません。現し世の月《セレス》と、青い月――この世ならぬ世界を象徴する月《ルーノ》とが同時に空に浮かぶ……」
「え? ちょっと待って。冗談だろ!? 月が2つも出るなんてバカな話が」
 占星術師や天文学者の間では比較的知られていることだが、門外漢のヴェンデイルにとっては、いわばそれは太陽が西から昇るようなものだ。
 勿論、驚いたのは彼だけではない。艦橋の至る所からざわめきが生じる。
「おや、どなたもご存じないとは意外ですね」
 クレヴィスは皆をなだめるように説明し始める。彼は上着の内ポケットから分厚い手帳を取り出し、革表紙の留め金を外した。
 大呪文を使うときには、自然の精霊の力だけではなく天体の位置の影響も考慮に入れなければならない。そのため魔道士の中には、クレヴィスの手帳に書き込まれているような――精密な星の運行表を持ち歩いている者もみられる。もっとも、それほど高度な呪文を操ることのできる魔道士に限られるが……。
「まぁ、無理もありませんか。過去に一度だけ起こったことがあるらしいのですが、何ぶんにも《前新陽暦時代》のことだったようですからね。正確な記録が残っていないのです。少なくともこの百年ほどの間は起こっていない現象ですよ」
 呆気にとられた乗組員たちは、外の月を恐る恐る見つめていたかと思うと、今度は仲間と顔をつき合わせて首を傾げたりしている。
 イリュシオーネの人々にとって、月や星などの天体は畏怖すべき神秘的存在である。したがって天体の異常な動きというのも――例えば月食や彗星の出現などがそうだが――世間ではただらぬ凶兆として受け止められることが少なくない。
 思わぬ珍騒動を起こしてしまったルキアンは、迷惑をかけたと感じているのか、恥ずかしそうに肩をすくめている。
 そんな彼ににこやかな眼差しを向けると、クレヴィスは話をあっさり打ち切り、クルーたちに持ち場に戻るよう促した。
「どうしました、皆さん、そんなに青い顔をして。ふふ、心配しなくても――別に天変地異が起こるなどということは、学者たちの通説による限り、まずあり得ないそうですよ。さぁ、夜明けまでもう少し時間があります。警戒を続けてください」
「そんなこと言ったってねぇ……。なんてったって、お月様が2つだよ?」
 ヴェンデイルもすっかりお手上げの様子で、再びスコープ・ギアを装着する。
 ルキアンだけが艦橋の真ん中に取り残された。何度かまばたきした後、彼はこそこそと窓際に移動する。
 改めて月を眺めながらルキアンは考える。
 ――歓迎されないもうひとつの月、薄暗い闇の月《ルーノ》。昔は《ルーヌ》と呼ばれていたらしい。そして《ルーヌ》は、同じように《月》を意味する古典語に、つまり旧世界の言葉に由来する。先生がそう話してくれたっけ。
 この程度の古典語の知識は、ルキアンもかろうじて持ち合わせていた。仮にも魔道士の卵である。
 ――その旧世界の言葉というのが、《リューヌ》……。彼女の名前。闇の月の名を持つパラディーヴァ。ずっと気になってたんだけど、偶然かな?
 だが勿論、ここでリューヌ自身を呼び出し、尋ねてみるわけにもいかない。艦内は大混乱になるだろう。
 ――当分、みんなには言わない方がいいかな。時機を見てクレヴィスさんから話してもらう方がいいかもしれない。僕だけが知ってる、僕だけの《剣》になるよう、大昔に定められたパラディーヴァ……か。
 何か自分が普通ではないものになってしまったような、人々から遠く分かたれてしまったような気分に襲われ、ルキアンは黙って艦橋を見渡した。

 そのとき、張り詰めた様子で1人の若者が叫んだ。
「副長!!」
 言葉の雰囲気や物腰がどことなく軍人あがりを思わせる、二十代半ばの男。
 その声にはルキアンも聞き覚えがあった。
 何時間か前――仮眠中のセシエルの代わりに、ルキアンからの《念信》に応対したあのクルーのものだ。
 別段取り乱すこともなく、クレヴィスは悠々と頷いた。
 対照的に、若い念信士は傍目にも分かるほど武者震いしている。
「ただ今、ミトーニアから念信が送られて参りました! 市当局の返答は……」

 ◇ ◇

 夜更けの空を駆けめぐる心の声は、それだけではなかった。
 ――皆の者! 段取りはよく分かっていますね?
 カセリナの声が――否、念信を通じた言葉が――彼女の声質にふさわしい気高く毅然としたイメージとなって、家臣たちの脳裏に浮かび上がる。
 彼らの汎用型アルマ・ヴィオの多くは、バーンの《アトレイオス》同様、議会軍から流出した機体を改造したタイプらしい。陸軍の主力の《ペゾン》を母体とするものが多いようだが、中には《ブラック・レクサー》に改良を施したとみられる強力なタイプも混じっている。さすがにナッソス家だ。
 城を飛び立った《空中竜機兵団》は、奇妙なことにギルドの艦隊とおよそかけ離れた方角に飛び去り、そればかりか敵艦隊と東西方向の座標が一致したにもかかわらず、いったん南へと通り過ぎていた。
 一般には速度が遅めだといわれる重アルマ・ヴィオだが、飛竜《ディノプトラス》は並々ならぬ速さで飛んでいた。その上に乗ったカセリナの《イーヴァ》は、風圧で飛ばされぬよう脚部を《竜》の背に固定し、姿勢をかがめ、さらにMTシールドを風防代わりにしている。
 目にも留まらぬ速度で闇を切り裂き、地表すれすれを飛行するディノプトラスとイーヴァ。
 その後に2騎が並んで続き、さらに後ろに3騎が一列の横隊で続く。
 イーヴァを先頭とし、1−2−3のピラミッド型に並んだ楔形隊形だ。カセリナたちの覚悟を象徴するかのごとき、強行突破を目論む陣形である。
 低空飛行しているのは、できる限り複眼鏡の死角にあたる位置を飛ぶためだ。
 しかも敵から敢えて距離を取ることにより、複眼鏡の探索可能範囲外を進んでいる。夜間であるため複眼鏡の視界が相当に制限されることも、カセリナたちにとって有利だろう。
 ――お嬢様! 別働隊が城を出たと連絡が入りました。
 家臣の一人が告げる。
 ――分かりました。手はず通り、こちらの別働隊にギルド艦隊が近づいたところを攻撃します。チャンスは一瞬です。私が指示したら方向を転換し、敵艦隊に背後から接近……遅れないよう、続け!!
 カセリナはエクターとしても一流だが、利発でカリスマのある彼女は、年若くして将の器をも兼ね備えていた。もしカセリナが男であったなら、将来は王国の将軍にすら相応しいものをと、公爵がどれほど嘆いたことか……。

 ◇

 ナッソス家の作戦はそれだけではなかった。
 ミトーニアを包囲するギルドの陸戦隊めがけて、同家の部隊が今まさに出撃したのである。昼間の戦いに敗れたとはいえ、城を守る主力部隊は健在だ。むしろその《敗北》は、戦略的な撤退であったとさえ考えられなくもない。
 ナッソス軍は地の利を生かしてゲリラ的な揺さ振りをかけるつもりだろう。地形の把握し辛い夜戦であることも、付近一帯を知り尽くしたナッソス側にとってプラスに働く。

 本隊よりも一足先にナッソス城を発ち、大地を飛ぶような速さで駆ける2つの陸戦型があった。轟音と共に現れ、瞬時に視界から遠ざかるその速度、もはやアルマ・ヴィオとは思えない。
 いにしえの黒き光弾の竜、レプトリアだ。
 ――凄い。これならたとえ複眼鏡に発見されても、相手の鏡手はたちまち見失うだろう。
 自らの速さに酔いしれるかのように語ったのは、ナッソス家四人衆の一人、パリスだ。
 ――まったくだな。それでいて機体の《ぶれ》がここまで抑えられているのも驚くべきことだ。これほどの安定性があれば、今の速度を落とさずに戦うことも十分可能だぞ。
 そう答えたのは、ザックス。引退後はシャノンの父として農園を経営していたが、かつては四人衆を束ねるリーダーであった。不意に搭乗することになったレプトリアを完璧に操っている点からも理解される通り、彼の腕前は今も鈍っていない。
 まさに飛ぶがごとく。
 実際、並みの飛行型を上回る速度が出ている可能性もある。
 レプトリアの2つの翼は、このような超高速での移動の際に、機体を安定させる役割を果たす。このまま本当に空高く舞い上がろうと、何の違和感もない。
 だが旧世界のアルマ・ヴィオの常として、レプトリアはさらに恐るべき能力を備えていたのだった……。

 ◇ ◇

「王国の未来のため、自由都市ミトーニアはナッソス家と共に断固戦う。だがエクター・ギルドが予告通りに当市を攻撃するならば、一般市民まで戦闘に巻き込まれることになるだろう。我々はギルドの暴虐な作戦に強く抗議する――そう返答がありました」
 抑揚を落とし、念信士の緊張した声が告げる。
 ほとんど角刈りに近い短い金髪の下、彼は額にうっすらと汗を浮かべた。
 その報告を静かに聴いていたクレヴィス。
「そうですか。あり得ない答えではないと思ってはいましたが、しかし……」
 何故か時計を睨みながら、彼は訝しげな顔をする。
「それにしても、かなり早い返事でしたね」
「……と、言いますと?」
「情報によれば、ミトーニア市は降伏に傾きかけていたはずです。それが急に態度を一変させたにしては――つまり、それほど重大な決断を市当局が行ったにしては、妙にあっさりと結論が出すぎていませんか? 期限の夜明けまで、時間はまだ十分にあるというのに」
 不思議がる念信士にクレヴィスが言った。その穏やかな語りは、どこか独りごとのように聞こえなくもなかったが。
 若干の間をおいてヴェンデイルも同意する。
「そう言えば変だよ。どうせ降伏しないと決めているにしても、夜明けぎりぎりまで態度を保留しておく方が、あちらさんにとっては得なはずじゃない? 少しでも時間稼ぎできるんだから」
「えぇ。私の杞憂に過ぎないかもしれませんが、あの街で何か起こった可能性があります。至急、バーンとベルセアをブリッジに呼び出してください。それから、私が指示したら直ちにカルを起こせるよう、準備を」
 クルーたちに手際よく命じたクレヴィスは、ルキアンにも何やら目配せする。
 結局、皆の邪魔にならぬよう、艦橋の隅で遠慮がちに月を見ていた少年。彼は自分を指差して首をかしげた。
「ルキアン君、実はあなたにもお願いができてしまいました……。突然で申しわけありませんが、急を要しますので単刀直入に言いましょう。今からアルフェリオンを出していただけませんか? 現状では、他のアルマ・ヴィオを行かせることができないのです。特に空を飛べる機体となると」
「……出撃、ですか?」
 《戦い》という文字が反射的に頭に浮かび、ルキアンの表情が曇る。
 だがクレヴィスは首を左右に振った。不安を隠し切れない少年に視線を合わせ、彼は優しげに目を細める。
「いや、戦ってもらおうというわけではありませんよ。今からミトーニアまで偵察に飛んでほしいのです。街の様子が気にかかるものですから。アルフェリオンの魔法眼なら、上空から市内の様子を事細かに把握することもできますね」
「は、はい。それはまぁ、見えると思います、けど……」
 敵と遭遇すれば戦闘になる可能性もあろうが、少なくとも名目上は《偵察》が自分の任務だと知り、ルキアンはひとまず胸を撫で下ろす。
「《客》であるはずのあなたに、突拍子もないことを頼んでしまって。非礼をお詫びします。しかし明日のことを考えると、メイとサモンを少しでも休ませておく必要があるのですよ。ですから今晩中は、《ラピオ・アヴィス》も《ファノミウル》もできるだけ出動させたくないのです」
 事情を説明し始めた副長に、ヴェンデイルが口を挟んだ。
「クレヴィー、だったらラプサーに頼んで、あっちの船からアルマ・ヴィオを出してもらえば? 《カヴァリアン》も《フルファー》も飛べるのに」
「いや。万一の敵襲に備えて、レーイには待機しておいてもらわねばなりません。それからプレアーも――彼女の腕は普通の大人以上に頼りになりますが、独りで出動させるのはどうかと思います。まだ若すぎますよ」
 そう言って穏やかに打ち消したクレヴィス。
 さりとてクレドールの《複眼鏡》を使うにしても、もう少し接近しなければミトーニア市内の様子までは視認できない。だが船を不用意に近づけるのは危険なばかりでなく、相手を必要以上に刺激することにもなりかねないだろう。
 深く息を吸い込んだ後、ルキアンはいつもより大きめの声を出した。
「分かりました。僕が行ってきます。僕はギルドのエクターではありませんけど、自分の意思でこの船に乗っている人間です。お役に立てるのなら喜んで。それに、メイもゆっくり眠らせてあげたいですし」
「ありがとうございます……。万一、敵方と戦闘になりそうな場合には、あなた自身の判断で、戦っても退いても構いませんから。ルキアン君はギルドの人間でも軍の人間でもなく、1人の独立したエクターです。だから自分の信じるところに従って行動すればよいのです。やや荷が重いかもしれませんが、今のあなたにならできると私は信じています」
「え、えっと。正直な話、大変です。でも僕もやれるだけやってみます」
 クレヴィスと目礼を交わし、やにわにブリッジの外へと走り出すルキアン。
 深夜の廊下に足音が響く。
 気のせいか昼間よりも冷たく乾いた音がする。
 彼はわずかに躊躇したが、駆け足で格納庫へと急いだ。

 ◇

 格納庫のある下層部へと続く階段の手前で、ルキアンは思わず立ち止まる。
 背筋を震えが走った。その異様な感触が薄れぬまま、廊下の冷たさが徐々につま先から体に染み込んでくるような気がする。
 目の前に現れた白いもの。ルキアンは本能的に幽霊を連想する。
 それは人だ。
 しかし他の人間にはない、刺すようなあやかしの気をまとっている。
「き、君だったのか……。びっくりするじゃないか!」
 彼女にこうして驚かされるのは何度目だろう。呆れているのか、恐れているのか、ルキアンは複雑な視線をエルヴィンに向ける。
 あるいは興味――かたちの見えない感情。この不思議な美少女に、彼は無意識のうちに関心を持ち始めていた。
 階下から吹き上げる生暖かい風。
 スカートの裾がふわりと揺れ、限りなく黒に近い繊細な青の髪がそよぐ。
 長い髪を頬に張りつかせたまま、エルヴィンは夜の猫さながらに目を大きく見開き、顎を上の方に向けた。
 中空に漂う何かの香りを嗅いでいるようにもみえる。
 2人の頭上に輝く旧世界の照明灯。
 その青みを帯びた光を受け、いっそう白く透き通る彼女の首筋に、ルキアンの鼓動がわけもなく早まった。
 戸惑い。さらにそれ以外の何か?
 ――困ったな。行こう、急がなきゃ。
 無視して階段を下りようとする彼に、すれ違いざま、神託の娘はささやく。
「大地を走る疾風(はやて)が扉を開く」
「えっ?」
「あなたには見えないの? とらえることのできないものを狩る者の姿が。風の力を宿した、飛燕の騎士の姿が」
 一瞬、歩みを止めたものの、ルキアンはいつものことだと思って通り過ぎた。
 それでも構わずエルヴィンは語り続ける。
「強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから……」

 ◇ ◇

 ミトーニアを取り巻く分厚い防壁の背後で、市民軍のアルマ・ヴィオが警戒体制をとり続けている。
 現在の位置から見えるのは10体弱の汎用型である。市の紋章の描かれた楯を持ち、高価なため軍のエリート部隊以外では滅多に使われていないMgS・ドラグーンまでも装備している。
 武器商人はもとより、アルマ・ヴィオの工廠すら存在するミトーニア市のこと、市民軍の機体もおそらく自前で開発したものだろう。オーリウムで最も富裕な街のひとつである同市は、その潤沢な資金にものを言わせ、質・量ともに並みの領主など足元にも及ばぬほどのアルマ・ヴィオを有していた。
 上空から見たミトーニア市は、外壁沿いに多くの稜堡や砲台を有し、複雑な多角形が組み合わさった星のような形をしている。オーリウムの有力な自由都市は、多かれ少なかれこの手の縄張りを採用しているのだが。
 特にミトーニアの場合、中央平原が古くからたびたび戦場となってきたため、市民たちは過去に幾度となく市壁を拡張し、周囲に堀まで造るという念の入れようだ。

 深く水を湛える堀をやや遠巻きにして、ミトーニアの厳重な防衛陣と対峙するのは、エクター・ギルドのアルマ・ヴィオ部隊である。
 陸戦型と汎用型が半々程度、合計6、70体が街を包囲している。議会軍でいえば2個大隊前後の軍勢にすぎないが、何しろ繰士の一人一人が手練の傭兵や賞金稼ぎであるため、実質的には数倍の戦力にも匹敵するだろう。
 そのうちの1体、鋼色の狼リュコスが、にわかにうなり声をあげた。
 それを皮切りにして他のアルマ・ヴィオも異変に気づき始める。とりわけ陸戦型は、野獣を模しているだけあってか、汎用型よりも感覚が鋭敏なのだ。
 背後の闇の彼方に向かい、威嚇するように吠えたてる巨大な猛獣たち。
 ミトーニアの街は轟音のごとき咆哮に揺さぶられ、緊張に包まれる。
 突然、暗い平原から尾を引いて焔の玉が飛来する。
 ギルド部隊の頭上に降り注ぐ炎は、地面に落ちた瞬間に辺りに燃え広がり、付近は火の海と化した。
 ――爆裂弾か!?
 ――甘い甘い。ギルドのエクターを議会軍と一緒にしてもらっちゃ困るぜ!
 すかさず反撃に出る繰士たち。
 百戦錬磨の戦士たちだけあって、今の不意打ちにも落ち着いて対処している。ほとんどの機体はMTシールドを張って爆風や炎をかわした。
 なおも次々と襲来する炎。
 その威力自体はさほどではないが、相手が暗闇の中に潜んでいるのに対し、猛火に照らされて丸見えのギルド部隊は不利だ。
 ――魔法弾の軌道からして、敵はあのあたりだな!
 相手側の位置を巧みに判断し、正確に狙い打つギルドのアルマ・ヴィオ。
 荒野の中で爆発が起こり、火の手が上がる。
 さらに上空に向けて発射された魔法弾。それは目映い閃光を放ち、敵が隠れていると思われる場所を照らし出す。光の呪文を封じた照明弾だ。
 リュコスやティグラーその他、高機動タイプの陸戦型が駆け出す。
 同時に汎用型が援護射撃を行い、その進撃を支援する。
 ギルド側の見事な反撃が成功するかに見えたそのとき……。
 先頭を走っていた陸戦型が爆発し、地に伏した。
 敵の魔法弾の直撃を受け、たった一発で大破してしまったのだ。
 ――新手か? 今度の攻撃は段違いだぞ。
 ――長射程MgSだ。注意しろ!!
 シールドを張りつつ、敵の位置を見抜こうとするギルド部隊だが、今度は先ほどのようにはいかなかった。
 そうこうしている間にも、痛烈な威力の雷撃弾が打ち込まれ、次々と味方機が倒されていく。砲撃の破壊力もさることながら、夜間にもかかわらず、恐るべき精度で狙ってくる。
 ギルド側も必死の反撃に出るが、こちらのMgSは一向に命中する気配がない。ベテランのギルド戦士たちが的を外しているわけではなかった。相手の方が、魔法弾を上回る速さで回避しているのだ。
 ――なんてスピードだ!! 着弾するときにはもうその位置にいない。
 ――高速型のリュコスを前に出せ! 汎用型はシールドを張って後退しろ!
 ――散らばれ、このままじゃ次々と狙い撃ちにされるぞ! 聞いてるのか!?
 ギルド部隊から大型の照明弾が発射される。
 はるか遠く、漆黒の野に浮かび上がった2つの黒い影。
 それらはギルドの者たちですら目にしたことのないアルマ・ヴィオであった。
 得体の知れない生き物の――いや、恐竜の声を思わせる甲高い雄叫びが、冷え込んだ深夜の空気を揺るがせ、繰士たちをも震撼させる。
 その姿を確認できた瞬間を逃がさず、2体の敵めがけてMgSが殺到した。
 今度は外れていなかった。一面の魔法弾の雨。どれほどのスピードをもってしようとも、全弾かわすことなど不可能だ。
 だが……。
 手応えはなく、爆炎はあがらなかった。
 ――そんな、馬鹿な。
 ――弾が……弾が、奴らの機体の手前で向きを変えたぞ?
 目を疑うような事態に、ギルドの強者たちも戦慄を隠しきれない。
 命中するはずの魔法弾がすべて軌道を歪められ、寸前のところで脇に外れてしまうのだ。魔法の力が打ち消されているわけではないため、強力なMTシールドや結界によるものではなかろう。砲弾の軌道が最後まで確認できる点からして、次元障壁の作用でもない。
 間違いなく、コルダーユ沖でアルフェリオンが起こしたのと同じ、《霊気濃度差による屈折現象》が起こっている。
 いくら正確に狙おうとも、MgSによる攻撃は意味をなさないことになる。
 打撃を与えられるとすれば、それは爪や牙、あるいはMT兵器などによる直接の打撃だけだ。
 ――何が起こっているのかよく分からないが、こちらの砲撃は全て外され、向こうからは強烈な長射程MgSをくらわされるというわけか。
 ――そんなアルマ・ヴィオ、聞いたこともないぜ……。
 ギルド側の汎用型アルマ・ヴィオは、MgSによる攻撃を中止し、楯を構え、MT兵器を――光の剣や槍を手にした。

 ――さすがにギルドの連中だな。魔法弾が当たらないとすぐに気づいたか。
 遠くに群れをなすアルマ・ヴィオを見ながら、パリスが心の中でほくそ笑む。
 レプトリアは、自分の周囲に例の屈折現象を擬似的に発生させることができ、それによって大抵のMgSを弾いてしまうのだ。この種の防御方法は、旧世界の機体の中でも比較的珍しい。
 たった2人でギルドの部隊を相手にしようとしながらも、ナッソス家の精鋭たちには少しも恐れがみえない。
 ザックスは念信の波長を相手方に合わせ、ギルド部隊を挑発する。
 ――無駄なことだ。このレプトリアに追い着くことなど、果たして諸君にできるかな? 恐らく剣で触れることすらかなうまい。
 パリスとザックスは再び動いた。
 レプトリア2体の姿が瞬時に闇の中に消え、それと入れ替わりにMgSがうなり、雷撃弾が発射される。
 次第に傷つき、倒れていくギルドのアルマ・ヴィオ。
 だが今度は、レプトリアの雷撃だけではなく、別の場所からの一斉射撃が出し抜けに行われた。
 ――後ろ? まさか、ミトーニアからだと!?
 ――間違いなく市壁からだ! 馬鹿な、ミトーニア市が勧告を拒否したのか。
 ギルドのエクターたちはさらなる苦境に追い込まれる。
 そう、ミトーニア市からも攻撃が始まったのだ。
 市庁舎を占拠し、和平派のシュリス市長らを拘束した抗戦派は、市民軍をも掌握していたのであろうか……。

 ◇

 ――街の近くで爆発? しかもあんなに次々と。まさか、戦いが始まった?
 今しもミトーニア上空に到着しようとしていたルキアンは、地上で激しい砲火が交えられているのを見た。
 ――何で? 何で、どうして戦うの……。
 野を赤々と染める炎や立ち昇る白煙。
 その背後に広がるミトーニアの街。
 ぼんやりと見つめるルキアンの胸の内は、驚きと同時に悲嘆で一杯になる。
 ――街の人たち、分かってるのか? いま戦ったら、自分たちはもちろん、子供だってみんな死んじゃうかもしれないんだよ! それなのにどうして戦おうとするの? どうして。
 呆然とするルキアンの目に、アルフェリオンの魔法眼を通して地上の光景がさらに細かく映る。闇の向こうから飛んでくる雷撃弾に対し、一方的に苦戦する味方のアルマ・ヴィオたち。熾烈な戦場の有様を見て、彼は我に返った。
 ――大変だ! ギルドの部隊が……。でもどうして圧倒的だったはずのギルドが、何でこんなに追い詰められているの? あのままじゃ、持たないよ。どうする? どうしよう!?
 ルキアンは困惑したが、ともかく慌ててクレドールに報告する。
 ――こちらルキアンです。ミトーニアで戦闘が起こっています!! ギルドの部隊が、ミトーニア市からの砲撃と、それから……暗くてよく分からないんですけど、背後からも何者かの攻撃を受け、苦戦しています! 僕は、どうすれば?
 だがクレドールの念信士も予想外の返答をしてきた。
 ――それがこちらも交戦中なんだ、ルキアン君!
 ――え、何です? そっちも交戦中って、一体、何がどうなって……。
 ――詳しいことは後だ。ナッソス家のアルマ・ヴィオの奇襲を受け、レーイたちが応戦している。それで、クレヴィス副長が、ルキアン君は予定通りミトーニアの状況を確かめてくるようにと。聞こえるか!?
 ――そんなこと言ったって。あの、味方がやられそうなんですよ! どうしましょう、僕……あの、ちょっと、あれ。聞こえませんか?
 クレドールからの念信が途絶えた。
 ――ど、ど、ど、どうしよう!! 戻らなきゃ、クレドールが! でも、でも、こっちでも味方がやられてる。何とかしないと……。
 理性が霞み始めたルキアン。どう動くべきか全く分からない。
 ――うわぁっ、何!?
 アルフェリオンの機体が激しく揺れる。ルキアンはますます正気を失い、パニック寸前となる。
 なおも立て続けに、下から突き上げるような衝撃が走った。
 ――地上からの攻撃に対し結界を張ります。
 アルフェリオン・ノヴィーアがルキアンに告げる。
 この緊迫した状況にもかかわらず、滑稽なほど機械的で冷静な口調だった。
 恐慌状態のルキアンをよそに、アルフェリオンは自らの周囲を青白い光で包み、防御体制に入る。
 真っ白になった頭の中に――何でもよい、必死に何か言葉を思い浮かべようとルキアンはあがいた。
 ――お、お、落ち着け。落ち着くんだ、焦っちゃダメだ。落ち着け!
 だがそんな彼の脳裏に、地上のギルド部隊の交わす念信が次々と浮かび上がってくる。その悲壮な声がルキアンをますます狼狽させた。
 ――艦隊からの援護はまだか? このままでは撤退するしかないぞ!!
 ――駄目だ、クレドールも敵と交戦中だと! 万事休すか……。
 ルキアンの虚ろな意識の中を、多数の叫びが駆け巡る。
 彼はつい弱腰になり、あてもなくつぶやいてしまった。
 ――駄目だ、分からないよ、誰か助けて……。

 するとそれに応えるかのように、心の向こうに黒衣の女のイメージが現れる。
 そういえば、今までも時折こうして助けてくれていたのだが。
 ――わが主よ、心を鎮めるのです。大丈夫。私の言う通りに。
 マスターであるはずのルキアンが、《パラディーヴァ》のリューヌに諭されることになった。だが今の状況下では、それを恥ずかしいと思う余裕など彼にありはしない。
 リューヌは静かな表情のまま、翼を閉じて穏やかに立っていた。
 その姿は遠い日にどこかで見た聖母像のようであった。あのときの冷徹な《黒い翼の悪魔》の印象とは全く違う。
 ルキアンの心に少しずつ、少しずつ平静が戻ると同時に、リューヌの伝えたある一節が刻み込まれた。その《言葉》とは……。
 ――分かった。ありがとう、リューヌ。ギルドの人たちも僕らの仲間だ。それを見捨てて逃げるなんてできない。
 アルフェリオンが空をすべるように滑空し、夜の荒れ野に舞い降りていこうとする。
 ――見えた! あれが敵なのか?
 電光さながらの速度で駆け回る2体のアルマ・ヴィオを、ルキアンの目がとらえる。
 アルフェリオンは地上に降り、刻々と変わっていく敵の位置を探った。
 ――次は右から来る。
 リューヌがそう告げ、ルキアンの心の中に雷撃弾の閃光のイメージが現れる。
 ――次元障壁!!
 少年の声に答えて、斜め前方に陽炎のごとき光の幕が形成される。
 アルフェリオンの次元障壁は、エクターの意思次第で、機体から離れた場所にも発生できるのだ。
 レプトリアからギルド部隊に向けて雷撃弾が放たれたのは、それとほぼ同じ瞬間だった。
 刹那、あたりが真昼さながらに輝き、宙を走る稲妻。
 だがその電光は、平原のただ中で何処かに吸い込まれるようにして消滅する。
 ――何だと!?
 奇怪な出来事にパリスは思わず口を開いた。
 ――空間兵器か? そうか。ギルド側の、旧世界のアルマ・ヴィオだな。
 ルキアンはレプトリアの攻撃から味方を守ろうとしている。だが今の一撃は防ぐことができたものの、たちまち敵機の位置を見失ってしまう。
 ――分からない! 姿が見えたと思ったら、もうその辺りにはいなくなる。何てスピードなんだ。うわっ!!
 白銀の鎧を雷撃弾が揺るがした。
 幸い命中したのではない。直前のところで、今度はアルフェリオンが自らの意思で次元障壁を張ったのだ。
 ――昨日のティグラーなんかとは全然スピードが違う。せめて姿を追うことだけでもできれば……。今度は反対側からか!?
 レプトリアは、まず邪魔なアルフェリオンに牙をむいた。
 完璧な連携のもと、2体が交互に別の場所からMgSを発射してくるため、ルキアンは防戦一方となってしまう。いや、本当は彼には敵の動きが全くつかめておらず、実際にはアルフェリオン自らが防いでいるのだ。
 しかし相手の方も、今までのギルドの機体を上回る防御力をもつアルフェリオンに、少なからず驚いている。
 ――お嬢様のイーヴァと同じ次元障壁だ。このアルマ・ヴィオ、手ごわいぞ。
 ザックスがパリスにそう告げた。
 ――いや、敵の繰士は俺たちの動きに着いてこれていない。勝てる。
 ――普通にMgSを撃っても防がれるだけだ。俺がまず突っ込む!!
 そう言うが早いか、ザックスは強い思念を機体に送る。
 爆風が草を巻き上げ、荒野を切り裂く。
 ルキアンが叫ぶ。
 体の平衡が失われ、気がついた時にはアルフェリオンが大地に伏していた。
 ――体当たり……されたのか? どうなったんだ。
 それは、瞬時に距離を詰めたレプトリアの一撃だった。
 無様に地面に横たわる銀の天使。
 ルキアンは懸命に機体を起こそうとするが、そうはさせまいと、続いて側面からパリスの魔法弾が直撃する。
 あの速さで2体が連続攻撃をしたために、さすがのアルフェリオンも動きについていけなかったのだ。頑強な装甲はかろうじて損傷を防いだが、本体にさらに何度も直撃を受ければ持ちこたえられないだろう。
 立ち直る余裕を与えず、隙だらけのルキアンをザックスが再び襲う。
 レプトリアの鉤爪がアルフェリオンの背中に突き立てられた。
 引き裂かれた羽根が飛び散る。
 ――何て硬い装甲だ!?
 秒間に間合いを詰めたパリスのレプトリアが、直近から弾を打ち込む。
 がら空きどころか姿勢の制御すらままならないアルフェリオンは、銀の甲冑の腹部に被弾し、煙を上げて後ろに倒れた。
 いかに旧世界の魔法合金の鎧といえども、これほどの至近距離からMgSを叩き込まれては無事なはずがない。
 ――このままじゃ本当にやられる!!
 けれどもアルフェリオンは起き上がることさえ困難な状態だ。
 ――動いて! 起きろ、どうして立てないんだ?
 無我夢中で体勢を立て直そうとするルキアンだが、機体は思うように反応しなかった。
 今のアルフェリオンの手足の感覚は――生身の身体で疲労し切ったときと、微妙に似ている。重い。繰士のルキアンが精神力を消耗しすぎたためか、それとも先ほど受けたダメージの影響なのだろうか。
 細長い首をもたげ、獲物を狙う低いうなり声を上げて、威圧的な姿で歩み寄る2体のレプトリア。
 とどめの一撃とばかりに、アルフェリオンの首筋に牙を立てようとする。
 だが、ほんのわずかに攻撃の手が緩められたことが、ルキアンに起死回生のチャンスを与えた。
 ――今だ!!
 彼はとっさに、先ほどリューヌから教えられた《言葉》を念じる。

  我は汝の名を呼ぶ。
  いにしえの契約に従い、冥王の門より我がもとに出でよ。
  闇を司りしパラディーヴァ、漆黒の翼……。

 最後に、ルキアンはリューヌの名を力の限り叫んだ。

 彼の意識の中で、無数の黒い羽根が舞い散る。
 それらが視界を覆い尽くすと同時に、羽ばたきの音と気配がした。

 外部でも急激な変化が起こっている。
 閃光とともに、何か得体の知れない力が天空から降臨し、傷だらけの銀の装甲を包み込む。
 大気が揺らぐ。
 冷たく重々しい妖気の渦――異様な力場のごときものが付近一帯を飲み込む。
 夜の荒野がいっそう闇の色を濃くしたような気がする。

 異変が起こったのはそのときだった。
 アルフェリオンが物凄い速さで再生していく!
 内部に仕込まれた旧世界のナノマシンが活動を始めたのだ。装甲に空いた穴がみるみるうちに塞がるとともに、機体の表面がうっすらと光を帯び、開放された《ステリア》の力が満ち溢れる。
 ――すごい、これが……。あの極微粒子機械《マキーナ・パルティクス》の力なんだ!? それにこの暖かく抱かれるような感じは。
 ルキアンの心の中で、彼の声にリューヌの言葉が重なり、共鳴する。
 ――これがパラディーヴァとの融合? いや、そんな場合じゃない。立てるか? 立てる……。まだ僕は、僕は負けたわけじゃないぞ!!

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