HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第28話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  やがて星は導くだろう。
    古の盟約を受け継ぐ、運命の使徒たちを。


 ――まさか、再生しているのか。どういうことだ!?
 予想すらしていなかった変事に、さすがのザックスも目を疑った。
 あたかも銀色の液体が溶け広がるかのように、新しい魔法金属の外皮がアルフェリオンの体表を覆っていく。白銀色の甲冑は、見た目にもはっきり確認できるほどの早さで元通りに修復されているのだ。
 そればかりではなかった。気がついたときにはすでに――幾多の戦場を渡り歩いてきた勇士ですら寒気を感じずにはいられない、強大極まりない魔力が辺りを支配していた。
 その毒々しいまでの妖気にパリスも呆然とする。
 ――何というプレッシャー……。息が苦しい。いや、気を緩めたら押しつぶされそうだ。この異様な空気は、あのアルマ・ヴィオから放たれているのか?
 彼の心に反応してか、レプトリアも後ずさりしつつ身構え、低い姿勢で威嚇するような声を発している。
 練達の繰士の2人だが、今だかつて体験したことのない《力》の前に思わずたじろいだ。
 ――気をつけろ。さっきまでとは何かが違う。理由は分からんが、全く様子が違うぞ。あの白いアルマ・ヴィオのパワーが今までとは比べ物にならないほど上がった……。どうした、パリス? お前がそんなに動揺しているとは、初陣のとき以来かもしれんな。
 ――大丈夫だ。兄貴こそ年甲斐もなく震えてるんじゃないのか?
 パリスとザックスは超人的な精神力で冷静さを保っているものの、彼らの身体は否応なく怖気を覚えている。それは理屈を超えた本能的な恐怖なのだ。
 ――いける!? 立ち上がれ!!
 動揺した彼らの隙を突いて、ルキアンは無我夢中でアルフェリオンの腕を振るった。片膝立ちの姿勢のまま、天の騎士は《剣》を繰り出す。
 一閃、輝く帯のようなものが荒野を走り抜け、炎が彼方まで燃え上がる。その軌道に沿って深々と地割れが刻み込まれ、周囲は焦土と化していく。
 2体のレプトリアは余裕のある動きで回避したが、仮に当たっていれば真っ二つだったろう。パリスの声が震える。
 ――今の攻撃、何が起こった? 地面があんなところまで裂けている……。
 ――分からん。うかつに近づくなよ。距離を保って相手の出方を見るんだ。
 ザックスのレプトリアが急に反転して駆け出した。2体のレプトリアの姿がルキアンの視界から掻き消える。
 光の《剣》を鞭のように振るい、闇の中に金色の軌跡を残すと、アルフェリオンは素早く立ち上がる。
 兜のバイザーが軋みながら降り、奥で目が青く光った。そして自らの威容を誇示するかのごとく、輝く6枚の翼が夜空に向かって開かれる。
 ――敵は? また見失ったか。まずいな。このままじゃ……。
 肉体からは離脱しているはずなのだが、それでもルキアンは生々しく目まいを感じた。アルフェリオンの機体は修復されたものの、こうしている間にも彼の精神力の消耗は刻々と進んでいる。
 ――大丈夫ですか、マスター。ステリア・ソードは膨大な《パンタシア》の力を消費します。今の状態ではあと何度も撃てません。
 リューヌの声が聞こえた。いや、敢えて耳を傾けて《聞く》必要もない。ほとんど自分自身の意識と同様に、手に取るように把握できる。
 ――じゃあ、どうすればいいの、リューヌ? 
 ――あのアルマ・ヴィオに対してMgSは効果がない。あなたの残された力を温存し、接近戦に持ち込むのです。
 ――そんなの無理だよ! どうやってあれに追い着けって? 来たっ!!
 ルキアンが戸惑っていると、すかさずレプトリアが攻撃を加えてくる。
 ――無駄なことを……。
 リューヌがルキアンの意識を先読みして機体を動かす。銀の天使が腕を突き出し、掌から衝撃波のようなものが放たれる。敵の雷撃弾はその一発で消失させられた。
 ザックスたちは遠距離からの砲撃で揺さ振りをかけ、アルフェリオンの力を推し量っている。
 適切な対応ができないまま、手をこまねいているルキアン。リューヌの助言も今の彼にはなかなか伝わらない。
 ――《ステリアン・グローバー》の暖機を行うために、このアルマ・ヴィオは魔法力を無駄に消耗し過ぎています。接近戦にも向いていない。もっと違った形態に変わらなければ……。
 黒衣の守護天使は、美しいながらも無表情な面差しで告げる。
 どこまでも冷徹で隙がなく、それでいて子供のように澄み切った目――そんな不思議な目を持っている生き物は、強いて言うなら猛獣ぐらいのものだ。
 彼女の声にも感情の揺れは微塵も見出せない。パラディーヴァというのは、焦りや恐怖を感じないのだろうか。
 他方、ただの人間、しかも未熟で弱々しい少年ルキアンは、すっかり落ち着きを失っている。彼はヒステリックな声で叫んだ。
 ――変わる? どうやって、何に!? そんなこと言われても分かんないよ!
 迷っているうちに、ルキアンの疲れは頂点に達しようとしていた。
 ――駄目だ。目を開いているだけでも精一杯で……。
 歪み始め、霧のかかり始めた視界の隅で、レプトリアが暗躍する。
 ――結界は私の力で支える。あなたは《変形》に集中してください。
 そんなリューヌの声すら、ルキアンの頭の中ではもはや空回りしている。声は聞こえても、言葉の列が意味を成してこない。
 ――何とかしなくちゃ。これ以上は持たない!
 ルキアンは渾身の力を振り絞り、もう一度ステリア・ソードを振るった。
 アルフェリオンの右手から放出される光の帯が、大蛇のごとくうねり、暴れ狂う。目標に狙いを定めてはいないが、ステリアの剣は行く手にあるもの全てを切り裂き、嵐のように突き進んでいく。
 その攻撃は正確さを欠いた無茶苦茶なものだったが――それでも不規則に四方八方から襲ってくる死神の刃には、ザックスたちとしても打つ手がなかった。レプトリアの速さを頼りに、反射神経だけで回避するのが精一杯である。
 ――とんでもない力押しだが……。しかしまずいぞ、ザックス兄貴! いつまでもあれを避け続けられるわけがない。どうする!?
 ――あぁ。こうも高速で横っ飛びを続けていては、脚部に負担がかかり過ぎて、こちらが自滅しかねん。やむを得まい。ここはひとまず退くぞ……。
 年長のザックスは土壇場で慎重さを見せた。
 本当はルキアンの方も限界すれすれだったが――リューヌの力で機体を支えることができていたため、疲労を相手に悟られることがなく幸いだった。
 レプトリアは瞬時に戦線を離脱し、微かに白み始めた地平に向かって消え去った。
 アルフェリオンはなおもステリア・ソードを使おうと身構えている。
 だがルキアンは、敵の撤退を見届けた後、今度こそ意識を失いそうになった。
 繰士が力を消耗し切った結果、音を立てて野に崩れ落ちる銀の天使。

◇ ◇

 人家の明かりは勿論、光を放つものなど何も見出せない夜の森林地帯に、月の輝きだけが仄かに舞い降りてくる。
 その青ざめた光を浴びて、闇の中にいっそう黒々とそびえ立つ木々。
 ガノリス王国特有の針葉樹の深い森に、アルマ・ヴィオの足音が重々しく響いていた。乱れた歩調からして、機体に相当の損傷を受けていることがうかがえる。
 曲がりくねった旧街道が、天を貫く巨木の間を通り抜けていく。ほんの1、2週間ほど前まで残雪が積もっていたであろう湿った道を、3体の汎用型アルマ・ヴィオが向こうの方から辿ってくるのが見えた。
 どの機体も、つい今しがた激しい戦いを切り抜けてきたばかりのような様相だった。
 中でも1体は片腕を失い、脚部にも少なからぬダメージを受けたのか、自ら動くことすらままならない状態であった。
 左右から他の2体が肩を貸し、巧みに支えながら移動させる。だが両者もまた傷だらけの姿を晒していた。
 恐らく火炎弾を受けたのだろう、表面が黒焦げになったシールドを携えている。
 太い鎖で腰に縛り付けられた剣。それは楯と同様、MT兵器ではない。人の持つ武器をそのまま大きくしただけの、見上げるような鋼の塊だ。鞘もなく剥き出しのままの剣は、切っ先が欠けて無くなっており、極端な刃こぼれのためにいびつなノコギリ状の物体と化していた。
 近年では、軍はもちろん民間のアルマ・ヴィオですら、MTソードを装備していることが珍しくない。だが目の前にいる3体は、時代遅れの金属製の武器以外は手にしていなかった。
 機体の方もお世辞にも新型とは呼べない。もはや忘れられつつあるほど旧式の、ガノリス陸軍の数世代前の量産タイプ――いや、それも頭部のみ利用している。首から下は、様々な種類の汎用型をつぎはぎしたような、要するにジャンク・パーツの寄せ集めと言ってよい。
 駆け出しの冒険エクターや地方の山賊、野武士などは一般にこの手の廃物利用的なアルマ・ヴィオを使っているものだが、ここにいる3体には、仮にもガノリス軍の紋章が描かれている。しかし軍事大国ガノリスの正規軍が、このような間に合わせの兵器を使っているはずはないし、また、どの機体にも階級章が見られない。
 おそらく彼らは非正規軍扱いの傭兵なのだ。一旗あげようとして、在野のエクターが軍の募兵に応じたのであろうか。それとも平時は山賊だったものが、褒章目当てに軍に身を投じたか……。いずれにせよ今のガノリス王国は《帝国軍》の侵攻に対して総力戦を続けており、使える兵器であれば全て動員せざるを得ないような状況にまで追い込まれているのだから。

 まもなく3体のアルマ・ヴィオは、森の中の小高い丘陵に着いた。
 色濃い樹林の海に顔を出した丘。その頂上付近では、まばらな木々が寒々と風に吹かれていた。ガノリスの国土は、全体としてオーリウムよりも北に位置する。春といえども朝方の冷え込みは半端なものではない。
「ここまで来れば大丈夫か……」
 不意に若い男の声がした。
 姿勢を屈めたアルマ・ヴィオのハッチが、開いたままになっている。声はその奥から聞こえてきたようだ。
 伸縮式の小さな望遠鏡を片手に、紺の上着を羽織った男が降りてくる。絨毯のように分厚く硬い生地で仕立てられたコートは、この国の冬にも十分耐えうるものだった。
 彼は毛織のマフラーの間に首を縮こまらせる。
 残りの2人のエクターも地上に降り、かじかんだ手で焚き木の用意を進めていた。ほどなく組みあがった枯れ枝の山を指差し、そのうちの1人が言う。
「昨日から追われっぱなしだったからな。一息付きたいぜ」
「たしかに。湯を沸かして茶でも飲もうか」
 紺のコートの男が冷えた唇で何かささやき、焚き木に向かって手をかざす。
 突然、火が点り、みるみるうちに大きくなって彼らの前に立ち昇る。一瞬、このまま周囲に燃え広がるのではと感じられたほど、火の勢いは強かった。
 男は慌ててまた一言つぶやく。不思議なことに炎は急に静まっていく。
 溜息を付いた後、仲間は振り向いて言った。
「山火事になるぞ。まだ元気が有り余ってんのか?」
「ははは。悪ぃ。俺はあんまり器用じゃないからな。中途半端に小さい火を放つのは、結構難しいもんなんだ」
 太陽との交代を待つ、なおも宙空に留まっている白い月――それを見上げながら、紺のコートの男は苦笑いを浮かべている。
 細く切れ込んだ鋭い目からは、無邪気な人間だという印象は到底受けないし、実際そうではないのだろうが、そのわりには結構よく笑う。
 土色に近い濃い金色の髪。長髪といえばよいのか、かろうじて短い髪の部類に入るのか、軽くウェーブのかかった曖昧な髪型だ。
「で、どうしようか? 騎士団の奴らは逃げてしまったみたいだな。しんがりの俺らはトカゲの尻尾というわけか。格好つけてるわりには意外と根性なしだ、ナントカ騎士団ってのは。獅子じゃなくて竜じゃなくて、何騎士団だった? まぁいいけど……」
 適当な口調で語り出すも、途中で急に飽きてしまったという顔つきで、彼は勝手に考え込んでしまった。変な男だ。
 彼の様子はあまり深刻には見えないが、事態は深刻なのだ。仲間の1人が苦渋を浮かべて語り始める。
「すまない、ヘマをやっちまって。なめてかかった俺が悪かった。話に聞いてはいたが、帝国軍があそこまでだとはな……」
 もう1人の仲間がそれに応じる。彼は自分のアルマ・ヴィオの方を顎でしゃくり、痛んで使いものにならなくなった得物を指差した。
「悔しいが、帝国のアルマ・ヴィオは強すぎる。剣では全然歯が立たず、逆にこっちの刃が欠けてしまうし、MgSだって半分は効かねぇんだから。どうなってるんだ?」
「せめて新型のMTソードでもあれば。いや、ダメだろうな。軍の精鋭部隊が交戦しているにせよ、俺たちとさほど変わらない散々な結果続きだ」
 疲れ切った表情で2人は互いに顔を見合わせる。そして例の男に向かって、投げやりに言った。
「グレイル、もう無理じゃねぇか? バンネスクの都は消滅してしまって、軍の指揮系統も大方は麻痺しているようだ。粘るだけ損だろ。大体、俺たちジャンク屋だぜ? こんなにボロボロになってさ、軍にはもう十分お付き合いしたじゃないか」
 黙って聞いていた例の男が、飄々とした調子で言う。
「あぁ。そろそろ潮時かもなぁ。勝つ気のないお偉いさんたちのために、俺たちが率先して犠牲になるのはバカみたいだからな。どうする。外国にでも行くか? 最近ウワサになってる――あれだとか、ほら、オーリウムのエクター・ギルドとかさ。どうせやるなら、あっちでやった方が頑張りがいがあるかもしれない。おっ……。何?」
 そのとき彼は急に口を閉ざし、落ち着かない態度になって周囲を見渡した。
 風のそよぎに耳を澄ます。
 彼は狐につままれたような顔つきで、最後は月に目をやった。
「どうした、グレイル。急に静かになって。敵の気配でも感じたか?」
「いや……。気のせいだ。多分」
 だが釈然としない気持ちのまま、彼、グレイルは首を傾げた。
「何ていうのかな。声とかそういうのが、聞こえたわけではないんだが――今、変な気持ちがした」
「星の世界と交信か? 冗談じゃないぞ。これだから、魔法を使う奴っていうのは困る」
 いつものことだと言わんばかりに、仲間たちが冷やかす。
 グレイルもそれに合わせて照れ笑いしている。
「その、なんだ――例えば、死んだり遠くに行ってしまったりした友達のことを、思い出すみたいな感じだったんだ。分かんないけど、誰かのことを忘れているような気がしたんだ。俺にとって、とても大事な人間、いや、人間たちのことを……。まぁ、忘れてくれ。ヤカンでも取ってくる」
 呆れている2人を尻目に、グレイルは自分のアルマ・ヴィオの方に向かった。
 そして心の中でつぶやく。
 ――どこか遠いところで、強い力が開放されるのを感じた。魔法か? そうだとすれば、途方もない術を誰かが使ったな。儀式魔術、いや……。もっと違う感じだ。召喚魔法か? 太古の邪神だの、煉獄の門を守る竜だの、何かとんでもないモノを呼び出したか。まさかな……。
 機体のハッチを開けると、彼は上半身を突っ込んで中を探る。

 と、背後の真っ暗な森の奥で――何の前触れもなく宙に炎が燃え上がった。
 肌を刺すような静寂に包まれた木々の間を、密やかな声が流れていく。
「当たり。やっぱりね……。グレイルって言うんだ。結構いい名前じゃない」
 若い女、もしくは少女の声だ。しかしこんな時間に深い森をうろつく娘など、普通ならいるはずもない。
 それでも声は漂う。
「へぇ。気がついたのか、さっきの《融合》に。あたしの思った通り、本物だね。本物」
 《彼女》は思わぬ言葉を口にする。
「テュフォンが前から飛び回っていたのは分かってたけど。まさか、あんたまで動き出したの、リューヌ……。何か悪い物でも喰った? 良く分からないけど、それじゃ、あたしもそろそろかな?」
 小さな炎が人の形を取り、蝶のようにふわりと舞った。妖精、だろうか?
「あぁ、暴れたい。暴れたい、暴れたい、暴れたい! 退屈で退屈で、死んじゃうんじゃないかと思ってた。だけど彼が気づいてくれないと、あたしは何にもできない。あの時の面倒くさい《契約》のせいで。あんなの無視しちゃったら良かったかも」
 炎はいっそう人間に近い姿に変わっていく。それこそ燃え盛る火のような髪をもつ、若い娘に。腕白な男の子を思わせる動作で、炎の精は遠くに見えるグレイルの背を指差した。
「聞こえてんの? あんただよ、あんた。いい加減、気づけよ! あんたはこんなところで使い潰される人じゃないんだ、本当は……。このあたし、炎のパラディーヴァ、《フラメア》様のマスターなんだよ。何をボケっとしてんの。早く……」
 だが当然のことながら、グレイルからの返事は無い。気づかないのだ。
「バーカ。知らない!」
 炎は渦を巻いて次第に消えていった。

 ◇ ◇

「何だ、まだこんな時間じゃないの。うるさいなぁ……」
 深夜にもかかわらず扉を激しく叩く音。眠りの世界から無理矢理引き戻されたメイは、みるからに不機嫌そうな顔で周囲を見回した。
 寝ぼけ眼で壁の時計をチェックするまでもなく、まだ窓の外は暗い。
「さっき寝たばっかなのに。眠らせろよ、もぅ……」
 一度起こした上体をふらふらとベッドに横たわらせ、彼女は再び寝入ろうとした。なおもドアの外でノックは続くが、彼女はほとんど耳に入らぬ様子で無視している。
 だが突然、船が荒っぽく方向を変え、メイは枕を抱いたまま床に転げ落ちそうになった。
 続いて艦尾の方から重々しい衝撃が伝わる。
 意識が朦朧としているメイは、乱れた髪の毛を掻きながら起き上がった。
「あれ……。セシーは?」
 クレドールのクルーたちは、基本的には数人でひとつの部屋を共同使用している。メイのルームメイトは女性乗組員3人だが、そのうちの1人はセシエルである。先程まで隣で眠っていたはずの彼女の姿がない。
 そして数秒後……。
「大変!」
 メイはようやく状況を理解し、布団を蹴り飛ばした。シーツや枕も散らかし放題。引きちぎるような勢いで寝間着を脱ぐと、奥の方に荒っぽく放り投げる。後でセシエルあたりが、文句を言いつつこれらを片づけることになるのだろうか。
「悪ぃ、今出るから!!」
 シャツを軽く引っ掛けたメイは、傍らのジャケットを鷲づかみにする。ともかくドアを開けた。勢い余って、扉の向こうに立っていた人物と真正面からぶつかりそうになる。
 非常時とはいえ遠慮して外で待っていたのだろう。彼女を呼びに来たらしい、まだあどけなさの残る見習いクルーが目を丸くしている。ルキアンとさほど変わらない年頃の少年だ。
「あ、あはは。ごめんごめん。おっはよぅー!」
 メイは彼の肩を叩くと、そのまま格納庫に急ごうとする。
「メイ。いくら緊急だからって、そんなだらしない格好で走り回らないで……」
 少年の隣にセシエルが厳しい顔で立っていた。
 そう言われて初めて気づいたのか、メイは下着の上に長いシャツを羽織っただけで、ボタンも掛けずに前をはだけたままだった。
 他方のセシエルは、今しがた起きたとは思えないほど、上から下まで見事な着こなしであった。いつの間にやら、サラサラとした黒髪もほとんど乱れなく整えられていた。そんなはずはないが、何かの魔法でも使ったのだろうか?
「セシーったら。そんな怖い顔するんじゃないって。でも少年、今のはちょっとサービスってとこだったかな? ふふふ」
 眉をつり上げ、じっとりとした目で睨むセシエルから視線をそらしつつ、メイは大慌てで服装を直している。実はブリーチズ、つまりズボンさえ穿かずに小脇に抱えていたのだが、彼女には身だしなみ以前に羞恥心というものがないのだろうか。
 それでもサーベルや銃は忘れずに持っているあたり――妙齢の女性としてこれで良いのかと、セシエルは溜息を付いた。
「艦橋からの伝言、あなたは今すぐラピオ・アヴィスで出撃して。ナッソス軍の奇襲よ。敵は重飛行型に乗った汎用型アルマ・ヴィオが6騎」
「たった6騎で艦隊に攻撃? いくら夜襲だとはいえ、思い切ったことをするわねぇ。陽動作戦か何かじゃないのかな。それとも玉砕ってか?」
 セシエルはメイの背中を押して催促する。
「まじめに聞きなさい! 敵は相当の手練れ揃いらしいの。いまプレアーが応戦してくれているし、レーイももう出ているはずだけど、やはり空の上だから、飛行型にも援護してもらった方が……。さぁ、早く行って!」
「分かった。レーイとプレアーだけで十分だと思うけど、まぁ……」
 エメラルド色のダブルのジャケット、その上にエクターケープ、胸元には青紫のクラヴァット。いつもの服装で決めてメイは走り出す。

 ◇

 ――速い!? 大きいくせして、こんなにスピードが出るなんて!
 暗闇の中を飛び交う敵を相手に、プレアーはたった1機で苦戦していた。
 巨体に似合わぬ素早さで襲いかかる飛行竜、ディノプトラス。濃紺の翼を羽ばたかせ、圧倒的なパワーで迫ってくる。
 その鋭い牙や爪にも気を付けねばならないが、単に体当たりされるだけでも侮りがたいダメージを受けるだろう。敵は、プレアーの操る《フルファー》よりも二回りほど大きい重飛行型なのだ。肉弾戦では分が悪すぎる。
 味方艦も全力で援護射撃を行うが、強力ではあれ小回りが利かず速射性も低い艦砲では、飛行型の敵を至近距離でとらえるのは難しい。実質的には、彼女が単身で敵に挑む結果になっている。
 ディノプトラスだけでも十二分に手強いのだが、その上にまたがっている《騎士》の攻撃が追い打ちを掛ける。飛竜をかわしつつ、汎用型の繰り出す長大なMTランスの槍先にも貫かれないよう、細心の注意を払わねばならない。
 プレアーは素早く機体の変形を繰り返し、フルファーの人型形態で敵の槍を受け止め、MTソードで応戦、ひとたび斬り結んで距離が開けば、今度は飛行形態に戻ってディノプトラスの速さに対抗する。
 ――負けるもんか。ボクだってギルドの戦士なんだ。お兄ちゃんたちには指一本触れさせないから!
 防戦だけで精一杯に近いとはいえ、6騎の《空中竜機兵》を相手に奮戦するプレアー。彼女は彼女で、これはもはや天才の域に達しているかもしれない。十代の頃から見習いをしている繰士は珍しくないが、プレアーは正真正銘のエクターだ。しかもギルドの猛者たちも顔負けの一流の繰士なのだから。
 ――いくよ、フルファー……。
 人の体にコウモリの翼と鹿の頭を持つ異形のアルマ・ヴィオ、フルファー。その頭部から伸びた見事な枝振りの角が、不意に青白い霊気を帯び、パチパチと音を立てる。
 次第に白熱化し、強まる発光。自然界の魔力が角にチャージされていく。
 襲い来る敵を払いのけ、プレアーは艦隊から距離を取った。
 ――撃てっ!!
 夜空が目映く光る。その閃光が消えた次の瞬間には、機体を中心に稲妻が四方八方に駆け抜け、闇を切り裂いていた。
 ――これは!?
 カセリナのイーヴァが間一髪で回避し、背後に流れていったビームの軌跡を見据える。
 怒濤のごとき魔法力。なおもその名残が空気中に漂っているかのような、強力な攻撃だった。これが旧世界のアルマ・ヴィオ、フルファーの秘密兵器である。
 爆発が生じた。さすがの敵もあの電光全てを避けられはしない。翼に直撃を受け、姿勢を制御できなくなったディノプトラスが、地上に向かって落ちるように降下していく。
 戦闘不能になったのはその1騎だけだったが、他に少なくとも2、3騎にダメージを与えたようだ。
 しかし精鋭の竜機兵団は直ちに体勢を立て直し、反撃に出た。
 イーヴァの目が光った。MTランスを構え、飛竜を駆って突撃するカセリナ。
 ――任せなさい、あれは私が討つ!
 彼女がそう言ったときには、イーヴァの槍はフルファーの目前にまで迫っていた。カセリナの腕前も半端ではない。伝説のヴァルキリーさながらの果敢な戦いぶりだ。
 ――こいつ、強い!? もっと離れなきゃ!
 プレアーは飛行形態に変形しつつ、MgSを発射した。凍結弾の激しい氷片の嵐が、イーヴァめがけて吹きつける。
 なおも突進してくるイーヴァとディノプトラスは直撃を受けたはずだが……。
 ――やった!
 しかし敵はプレアーの読みを――いや、アルマ・ヴィオの常識さえも、超えていた。
 ――甘いわよ、覚悟なさい!!
 六角形の光が、イーヴァの周囲を回って飛び交っている。それらはフルファーの放った凍結弾を完全に消し去っていた。機体の前面に展開されていたのは、ある種の次元障壁だ。
 一気に加速し、カセリナは渾身のひと突きを繰り出す。
 ――そんな、当たったのに!? カインお兄ちゃん、お兄ちゃん助けて!!
 たまらず悲鳴を上げるプレアー。
 もう駄目だと思った彼女だが、なぜか全く衝撃が伝わってこなかった。
 カセリナの槍はフルファーに届かず、不意に突き出された光の剣に弾かれ、方向を変えられていた。信じられないほど軽く。
 ――ディノプトラスの突進を加えたあの一撃を、MTサーベル1本で、それも片手で受け流した?
 空中竜機兵の突撃、その槍先に込められた強大なエネルギーは、正面から命中すれば飛空艦をも撃沈させ得るだろう。絶対の自信をもっていたはずのカセリナ。
 一本角の兜を被った汎用型が、イーヴァとフルファーとの間に割って入っていた。《生ける鎧》というよりは、むしろ機械的なフォルムを持つアルマ・ヴィオ、《カヴァリアン》。その乗り手はギルド屈指の戦士、そう……。
 ――レーイ! 遅いよ、もぅ!!
 プレアーは涙ぐみながらも安堵の様子をみせる。
 ――大丈夫か? こいつは俺に任せろ。お前が勝てる相手ではない。
 右手でイーヴァの槍を受け止め、火花を散らしあったまま、カヴァリアンは背中に装着されたMgSドラグーンを別の手で抜いた。
 間一髪、その銃口が火を噴く前にイーヴァはカヴァリアンを押し戻し、自らも高度を下げた。
 ――かわしたか。やはりな。
 そう言いつつレーイは次弾を発射していた。
 その一発はイーヴァの背後にいた別のディノプトラスを打ち抜き、見事に撃破する。彼は同時に別の相手の動きをも計っていたのだ。
 ――ディノプトラスの厚い装甲をいとも簡単に……。とっさに避けていなかったら、危なかったわ。それに発射と発射の間がほとんど空かない!?
 カセリナの胸の内を、初めての奇妙な感覚が走り抜けた。恐怖なのか、興奮なのか、自分でも分からない熱いものが。彼女は何かに突き動かされて叫んでいた。
 ――ギルドの戦士よ、私と一対一で勝負しなさい! 私はナッソス家のカセリナ。あなたの名は?
 念信を通じて予想外の名前が名乗られ、正直な話、レーイもいささか驚いた。
 ――カセリナ? それでは貴女がナッソス家のカセリナ姫か……。噂には聞いていたが、まさか自ら敵陣に飛び込んでくるとは。
 ――カセリナ様! 退いてください。ここは我々が食い止めます!!
 家臣たちはカセリナを止めようとする。レーイは――いま彼らの目の前にいる敵は、あまりにも強すぎる。たった一度の太刀捌きを見せられただけで、その底知れない実力が伝わってきたのだ。その敵の正体がギルド三強の1人だと言われるまでもなく。
 ――尋常に勝負なさい! 名を名乗れ!! 
 あくまで強気なカセリナ。
 ――お嬢様、いけません、お待ちください!
 部下の2騎がイーヴァの前に立ちはだかる。だが止められれば止められるほど、勝ち気な性格のカセリナは前に出てしまう。
 ――お嬢様の好きなようにさせてやれ。
 そう言って、1体の見慣れぬアルマ・ヴィオが仲間を押し戻した。
 大きめの肩当てや胸当て、青紫と黒の装甲の下に赤い間接部分が見え隠れする。ギルドにも軍にも所属していない機体だった。特徴的な武器は剣――重く分厚い、湾曲した刃を持つ大剣を装備している。
 この機体の繰士の名をカセリナが呼んだ。
 ――ムート……。
 ナッソス4人衆のひとり、東部丘陵のある部族の若き戦士、ムートである。
 ――俺たちは必ず勝つ。お嬢様も絶対に勝ってくれよ!!
 言葉少なに、彼は素朴な表現で告げた。あまりに単純に言い放ったようではあれ、止めても聞かぬカセリナの心情を彼は誰よりも理解していた。良くも悪くも――半ば諦めの気持ちで?
 そんなムートの心を知ってか知らずか、今までやや躊躇していたレーイが、敢えて感情を交えぬ声で言う。
 ――よかろう。貴族としての誇りを賭けて、貴女がそこまでおっしゃるのであれば。正々堂々と戦おう。俺はレーイ・ヴァルハート。ギルドの飛空艦ラプサーの繰士だ。
 思わぬ事態の進展に、幼いプレアーは困惑する。
 ――レーイ?
 プレアーはそこで言葉を飲み込んだが、本当は《まさか本気で殺そうなんて思ってないよね?》と言いたかったのだ。しかし彼女も戦士であり、そしてつい先程も命を危険にさらしたのだから、戦いの非常さについては痛いほど分かっている。
 ――いったん誰かと剣を交える決意をしたら……。そう、戦士になったら……男も女も、大人も子供も、ないことになっちゃうんだよね。ボクだってそれは知ってる。でも、でも……。
 レーイに伝わらぬよう、プレアーは悲痛な思いを必死に隠した。
 ――戦いなんか嫌いだ。だけどお兄ちゃんを守りたいから。いつだって一緒に居たいんだ。もしカインお兄ちゃんを失ったら、ボクは、ボクは……。

 ◇ ◇

 ――どうして戦うの? ちょっと待って、待ってよ……。
 ルキアンはうわごとのように繰り返す。
 2体のレプトリアとの戦いで、彼の精神は消耗しきっていた。焦点を失った視界の中、激しく交えられる砲火がぼやけて見える。
 レプトリアの脅威が去った今、ギルドのアルマ・ヴィオの群れはミトーニア市を再び包囲し、本格的に応戦を始めている。幸いにも、いまのところギルド側は市街を直接砲撃しようとはせず、まず市壁の外に築かれた砲台や塹壕の制圧に取りかかったようだ。
 これに対して守備側も頑強に抵抗する。数の点では相手方に遠く及ばないものの、ミトーニア軍は高性能な兵器を揃えている。じきにナッソス家からの援軍もやって来るだろう。
 いざ戦いが始まってみると、ギルドの陸上部隊だけでこの街を攻め落とすことは、そう簡単ではない。やはり空からの支援が必要となる……。
 ミトーニアへの攻撃は、できるだけ一般市民の犠牲を出さぬよう配慮しつつ行われている。それでも時には《事故》が――ルキアンが注視していた間だけでも、何度かMgSの流れ弾が外壁を飛び越え、市街地に命中してしまっていた。
 市壁の背後に頭をのぞかせる尖塔が、炎に包まれて倒壊するのが見えた。
 その光景を目にして、ルキアンは《あのとき》のことを反射的に思い出す。黒いアルフェリオン、ドゥーオの攻撃によってカルバの研究所が焼け落ちてしまったときのことを……。
 炎の中で助けを求めて泣き叫んでいたメルカ。
 あの事件ですべてを奪われ、それ以来、幼い瞳からは生気の光が消えた。
 メルカだけではなく、ルキアンも《日常》を失った――皮肉にもその《喪失》と引き替えに、彼の運命の歯車が動き始める結果となったにしても。
 ――僕は自分の日常に不満を持っていたけど、そんな僕ですら……疎ましいはずのあの日々を失うことを、あれほど恐れた。ましてや《幸せな》人たちにとって、日々の生活は本当に大切な宝なんだ。たとえどんなにささやかでも、彼らにとっては全てなんだ。変わらない今日や明日が……。
 彼は悲しい思いを込めて、いや、厳密には同情といった言葉では決して汲み尽くし得ない、複雑な気持ちでミトーニアの街を見つめる。
 ――今日と同じ明日が再びやって来るのなら、それで、いいんだよね……。今の喜びがずっと続けばいい。その通りだ。いいじゃないか、それで。そのままで……。それで、でも、本当にいいのだろうか? 
 不意にルキアンの胸中に暗い影が差した。
 ――今日と同じ明日がまためぐってくる限り、変わらない限り、ずっと苦しみ続けなければならない人は……どうしたらいいんだろうか。もしあのときの《きっかけ》がなかったなら、僕だって、僕は……あの凍り付いた日常の中で、何をどう変えることができたというのだろう? できないよ。僕一人だけの力では無理だったと思う。這い上がろうとするたびに、滑り落ちて。あのまま、頑張っても頑張っても、いつまでたっても割を食ってばかりいたら……変えられないのなら、僕だって、こう考えたかもしれない。それならいっそのこと、全て壊れてしまえばいいのに、と。
 一瞬、揺らめく炎に負の情念をかき立てられたルキアン。
 彼の歪んだ言葉に呼応するかのごとく、《あれ》の姿が鮮明に蘇った。炎の翼を持った赤い巨人の幻が、ルキアンの脳裏をよぎる。
 《クリエトの塔》が立ち並ぶ風景。平和な旧世界――否、旧世界の繁栄を味わい尽くすことのできた限られた場所、すなわち《天上界》だ。
 絶望や欠乏とは無縁にみえる光の都。
 その清潔ながらもどこか冷たいイメージに向かって、赤い巨人の持つ大鎌が振り下ろされる。どす黒い炎が全てを飲み込んだ。
 だが赤い巨人を、《紅蓮の闇の翼》を目覚めさせてはならないことは、ルキアンにも本能的に分かっている。やり場のない苛立ちのようなものを、彼は心の奥底に押し込めた。何度も頭をもたげてくる暗い憤りを。
 ――分からない。でも、なんか、ここで倒れているだけじゃ、ダメな気がするんだ。悔しいっていうか……。嫌なんだ!
 重々しい鎧の音を立て、アルフェリオンがふらふらと立ち上がっては、また地面に倒れ込む。
 極限的な疲労感の中で、ルキアンは意地になって立ち上がろうとした。
 理由は自分にもよく分からない。
 銀の天使は両手を地面に着け、無様に何度も這いつくばる。
 だが、ルキアンは止めなかった。
 ――もうこれが限界だと、そう感じたら……僕はいつも、それ以上は頑張らなかった。やるだけ無駄だという気持ちを、心の奥底にまで刻み込まれていたから。光の中で頑張れば、その報いは確かにある。だけど一度、光の当たる場所からこぼれ落ちてしまったら、同じように頑張ったところで……いつでも報われなくて、損ばかりして……でもそれでも我慢していなきゃいけないって、ずっと感じていた。
 ひとり痛々しく言葉を吐き続けるルキアン。
 彼が自らの心の中で語ることは、全てリューヌにも伝わっているはずなのだが、彼女はじっと黙っていた。
 ――頑張ったところで報われないのなら、頑張らない方がマシだと思ってた。いや、頑張っても報われないのにそれでも頑張るなんてことをしていたら、空しいだけだと……そう思い込まされていた。だけど、それでいいんだよ。そのまま頑張って、倒れずに立ち続けていることが……そうやってあがくこと、それが、僕からの《抗議》で、そして僕の《戦い》なんだから。
 とうとう、ルキアンの思いは爆発的に溢れ出た。
 彼らしからぬ激しい言葉。
 ――ふざけんな。空しくなんかないぞ! もし悪あがきだったとしても、それをやめてしまえば、僕は自分の未来をこの手で閉ざしてしまうことになる。どこかで些細なボタンの掛け違えをしてしまっただけなのに……それでも《仕方がない》からと諦めて、見えない《烙印》をずっと背負わされ続けることを、承知してしまったら……今までの僕みたいに。でも僕は、もう《仕方がない》なんて言わないって、決めたんだ。負けるか!!
 今のルキアンは、己の激情を煽ることによって、意識を無理矢理に保っている。彼のどこにそんな力が隠されていたのか。凄まじい執念だ。
 真っ白な頭の中に、様々な言葉や象徴が去来する。
 そのひとつ、永劫の烙印――苦しみ続けなければならない人々――幻夢の中で見たあの荒れ果てた世界を、ルキアンは自然と連想した。
 今では彼にも分かっている。あれが《地上界》なのだ。
 ルキアンがそう意識したとき、リューヌの思いが彼の心へと静かに溶け込み始めた。
 ――そう、地上界の真実を伝えましょう。あなたはまず知るべきなのです。幻の中に浮かんだ、あの青い星。あれが私たちの本当の故郷。でも遠い昔、あの星は《永遠の青い夜》によって死の世界に変わってしまった。そして終わりなき絶望を、運命のいたずらによって背負わされた人々がいた。変わり果てた母なる星に置き去りにされた人々。彼らは《アーク》の民になれなかった、烙印の民。選ばれなかった者たち。それが《地上人》。
 あの少年の姿をルキアンは即座に思い起こした。
 不毛の大地の上、遠い目で子犬を抱いていた、やせ衰えた子供のことを。
 天空から降り注ぐ光の柱によって一瞬で命を奪われ、何も楽しいことなど知らないまま、死んでしまった男の子を……。
 リューヌは淡々と、それでいて哀調を帯びた声で続ける。
 ――それから遙かな年月が過ぎ、過酷な環境の中で地を這って生き続けた人々は、あの美しい星の姿を少しずつ取り戻し始めていた。《天空植民市》にはない豊かな大地の恵みを、地上人たちは自分たちの手で蘇らせつつあった。すると天空人たちは、自分たちが見捨てたはずの《惑星(ふるさと)》を、再び我が物にしようと考え始めた。そして地上人の新たな犠牲のもとに……すなわち、地上界に対する強引な収奪によって……《天上界》はさらなる繁栄を誇った。天空人は、その繁栄が《勝者》の自分たちに与えられて当然なのだと、無神経に信じ込んでいた。そして地上界の《敗者》がずっと敗者のままで、自分たちに取って代わることがないよう、永遠に分かたれた光と闇の二重世界を、暗黙のうちに、そのくせ完璧なまでに作り上げていた。
 ルキアンは彼女の言葉を反芻する。
 ――《敗者がずっと敗者のままで、永遠に分かたれた光と闇》……。
 彼はそこに、今までの自らの身を重ねてみた。地上人たちの苦しみに比べれば、自分が背負っていた烙印の重さなど、枯れ葉のように軽いと感じつつ。
 パラミシオンの《塔》でアルマ・マキーナと戦ったとき、あれほどまでに旧世界を、否、実際には天上界を嫌悪した理由を、ようやく彼は見いだした。
 ――たしかに、誰もが笑顔でいられるはずなんてないし、笑顔の数と同じだけ泣き顔があるのも……それは決していいことじゃないけど、でも、そうでなければ人間の世界はつじつまが合わなくなる。結局、犠牲はやむを得ないかもしれない。だけど、いつも同じ人ばかりが犠牲になるのは間違ってるよ。みんなが犠牲を交代しあって、この世界の苦しみを一緒に背負っていくのが、本当は必要なことなんだと思う。でも実際には……。
 認めたくない結論。
 しかし真実は厳然としていた。これが、圧倒的なまでの現実の力なのだ。
 彼は渋々思った。
 ――今も結局は、同じように暮らしていても、幸せな人と不幸せな人、笑顔が絶えない人と涙ばかりの人、何でも持っている人と何も持っていない人……やっぱりその違いは出てくる。幸せなんて確かに本人の気持ちのもち方だろうけど、それでも、どうみても運命に見放されたような人がいるかと思えば、いつも良い方向に転がる人もやっぱりいる。それは人間が存在する限り、永遠にあることだろうけど……でも、そこで《仕方がない》なんて言ってたら駄目なんだよ! 自分は関係ないとか、自分は頑張ったんだからとか言って、《敗者》を踏みつけにしていたら……そんなことしていたら、僕たちは旧世界の滅亡から何も学ばなかったことになる!!
 だが激昂しかけたルキアンも、そこから先の答えを見つけることはできなかった。今度は一気に落胆し、打ちひしがれた口調でつぶやく。
 ――学ばなかった? そう、僕らの世界も、結局は旧世界の繰り返しなのかな。地上人と天空人たちが争いの中で流した血は、みんな無意味だったの?
 ルキアンの悲観的な言葉に対し、リューヌの表情が変わった。
 怒りを露わにしたその顔つきは、パラディーヴァも感情を持たないわけではないということを如実に示している。これほど感情的なリューヌを見るのは、ルキアンも初めてだった。
 彼女は首を振った後、今度は哀しみの混じった眼差しをルキアンに向ける。
 ――あの悲惨な戦いが《全く無意味なもの》になってしまわないよう、あのときの《契約》が結ばれた。それなのに、エインザールを継ぐ者であるあなたが、もしも《空しい》などと言ってしまったら、全ては本当に無駄になる。
 ――分かってる。だけどリューヌ、僕はエインザール博士のやったことが正しいとは思っていない。力ずくで光を取り戻すことは、天空人たちのしたことと変わらないんじゃないかって、僕は思う。でも誤解しないで。博士の願いは分かる気がする。だから僕は違う方法で……僕なりのやり方で、1人でも多くの人の笑顔を取り戻したい。それを積み重ねていくことで、いつか僕自身の笑顔も取り戻せると、なんか、その、思うんだ。
 ただ、そう言った後――事情も知らないまま憶測でエインザールを批判してしまったことが、リューヌの気持ちを傷つけなかっただろうかと、ルキアンは少し後ろめたい思いにとらわれた。
 当然、その気持ちもリューヌには伝わっているのだが……。
 彼は恥ずかしくなって、急に空元気な口調で言った。出任せのようだが、これが今のルキアンの正直な思いである。
 ――分からない。まだ分からないよ。だけど僕は今の僕にできることを、精一杯頑張る。言葉にはできないけど、やってみる!!
 改めて何度も試みた結果、ルキアンはついにアルフェリオンを立ち上がらせることに成功した。
 驚異的な再生能力により、機体のダメージはほぼ完全に修復されていた。残る全ては、繰士ルキアンの意志の強さにかかっている。
 翼を煌めかせ、銀の天使は空に舞い上がった。まだ動きにおぼつかないところが残っているにせよ、機体は瞬く間に上昇していく。
 ――ミトーニアの偵察が僕の使命。クレヴィスさんが言ってたように、きっと街の中で何かが起こってるんだ。それを突き止めて、市民の人たちが犠牲になる前に、何とか戦いを止めさせなきゃ! 疲れただなんて、転がっている暇はないぞ。
 そう決意すると、ルキアンは地上の戦火をもう一度見据えた。
 中央平原はうっすらと明るくなり始めている。
 まだ太陽が昇るまでに少し時間はあるが、気がついてみると、漆黒色の闇は徐々に青みを帯び、いつしか薄れゆきつつあった。

 ◇

 再び上空に浮かんだアルフェリオン。
 ミトーニア側もまだ戦況を十分に把握できていないのか、それともギルド部隊との戦いに全力を注いでいるせいなのか、いずれにせよ対空砲火を受けることは無かった。
 レーダーというものが存在しないイリュシオーネの世界では、夜間に高空を飛ぶ敵を発見することは相当難しい。ルキアンの方から攻撃を仕掛けない限り、恐らくアルフェリオンが上空にいることすら、ミトーニア軍には分からないだろう。
 ――でも、もう少しで明るくなってしまう。急がなきゃ!
 ルキアンは地上に視線をふり向けた。
 それに応じて、今の彼の目、すなわちアルフェリオンの目が輝きを増す。
 生身のときとは全く異なる視界のあり方に、違和感を覚えながらも――ルキアンは《魔法眼》の倍率を徐々に上げていった。
 ――うわ、何だこれ!? そういえば地上を観察してみるのは初めてだけど、こんなに細かいところも見えるのか……。凄い。あそこが神殿かな? 時計塔の時刻まで分かる。いや、そんなことを言ってる場合じゃない。
 食い入るように見つめるルキアン。
 あまりのことに、彼は思わず今の状況を忘れて感心してしまった。旧世界の技術にはやはり驚嘆せずにはいられない。飛行型やそれに準ずるアルマ・ヴィオは、地上の獲物を狩るため、まさに鷹のごとく鋭敏な視力をもっているのだが、アルフェリオンの能力はその中でも群を抜いている。
 暗視能力をも備えた魔法の目を介して、ルキアンの視線がミトーニア市内の各所に注がれていく。
 ――あそこ、火は消し止められたみたいだけど……酷いな。あんなに壊れて。
 市壁の外からの流れ弾を受け、倒壊した家屋がいくつか見出された。
 ミトーニア軍のアルマ・ヴィオの姿もある。黒くそびえ立つ巨体の側を、こんな時間にもかかわらず人々が慌ただしく行き交う。
 ――あの人たち、市民軍の兵士かな? それとも、街の人たちも銃を持って守りに加わっているのだろうか。暗くて服装がよく分からない。
 欲を言い出したらきりがないのだが、ルキアンはアルフェリオンの暗視能力がもう少し高ければと思った。
 ――暗闇の中をはっきり見渡すことができれば、そうすれば、さっきあの凄く速い陸戦型と戦ったときだって、相手の動きを目で追うことぐらいはできたかもしれないのに……。
 何気なく考えたルキアン。
 ――もっと鋭く見ることができたら……。そして、もっと素早く動くことができたら、あんなにも追いつめられたりはしなかったかも。そういえば、あのときの話……。
 意味ありげに連想されたのは、出撃前にエルヴィンが告げた言葉だった。
 
  大地を走る疾風(はやて)が扉を開く。
  あなたには見えないの? とらえることのできないものを狩る者の姿が。
 風の力を宿した、飛燕の騎士の姿が。
  強く願えば必ず応えてくれる。あれは、そういうものだから……。

 ルキアンは彼女の言葉を反芻した。
 ――とらえることのできないものを狩ることができる。強く願えば、願えば、必ず応えてくれる。風、大地を駆け抜ける疾風。飛燕の騎士? えっ?

 彼の気持ちに応ずるかのように、突然、幻影の世界が開けた。
 風のイメージ。
 砂塵を巻き上げ、荒れ野を切り裂くもの。
 地平の果てへと空気の流れが走り抜けた。
 それだけではない。ルキアンの心の中に、戦う何者かの姿が映った。
 本当に一瞬、閃光のごとく浮かんでは消える。
 見るからに速そうな流線型の翼。
 引き締まった銀色の体。
 目にもとまらぬ速さで繰り出される、三つ又の手槍。
 だが、その幻はたちまち消え失せてしまった。

 彼の心の目は現実に引き戻される。
 単に壁と呼ぶには壮大すぎるミトーニアの市壁。それ自体でひとつの要塞とすらいえる。この堅固な陣地に立て籠もり、ミトーニア軍の汎用型アルマ・ヴィオが、ギルドの機体めがけて盛んに砲火を浴びせかけている。
 街の周囲の暗闇に、次々と輝く炎。
 ――やっぱり、ミトーニアの人たちは本気で徹底抗戦するつもりなんだろうか? そんなことをして、このまま市街戦になって、沢山の人が死んでしまったら……そこまでして戦って、何になるの? 僕らは同じオーリウム人なんだよ。いや、同じ人間なんだよ?
 悲痛な思いで地上の光景を見つめるルキアン。
 辛い現実を克明に観察すること以外、何もできないというのか。
 ――そうだ! どうして忘れていたんだろう。
 ルキアンはクレドールに念信を送ってみた。ギルド艦隊がナッソス軍の攻撃を受けたときから、クレドールとの交信は途絶えてしまっていたが、今ならつながるかもしれない。
 ――もしもし、こちら、ルキアンです。アルフェリオン・ノヴィーアのルキアンです。クレドール、応答してください! 聞こえませんか?
 幾度か繰り返して見た後、やはり返事がないことにルキアンが諦めかけたとき、聞き慣れた声が彼の心に流れ込んできた。
 この雰囲気。ある種の緊張感と優美さとをもって、ピンと張りつめた精神の波動――念信に出たのはセシエルだと、彼はすぐに理解した。先程までの念信士と交代したのだろう。
 依然、クレドールは戦闘中であるらしく、セシエルの心の声は普段よりもややせわしい感じがする。
 ――こちらクレドール。聞こえているわ、ルキアン君。どうしたの?
 ――セシエルさん、ですよね? あ、あの……連絡が遅れてしまってすいません。途中から念信がつながらなくなっちゃったんです。実はその、さっき、ミトーニアの近くでナッソス家のアルマ・ヴィオと戦いました。それで……。
 たどたどしく、どもり気味に語られる彼の話を、途中でセシエルが遮った。
 ――ちょっと待って。あなたも戦ったというのは、どういうこと!? ギルドの地上部隊から、ミトーニア軍と交戦中だと連絡があったけれど、一体どうしたの?
 ルキアンは自分が遭遇したことの一部始終を説明した。彼自身、詳しい事情はよく分かっていないのだが。
 ――了解。ルキアン君の話、込み入っているみたいだから、クレヴィーに代わるわね。
 そう言ってセシエルが念信から外れた後、まもなくクレヴィスの声がした。
 ――無事で何よりです。クレドールの状況? レーイのカヴァリアンが出てくれましたから、まぁ何とかなるでしょう。心配いりませんよ。それより、あなたの方は機体の損傷などありませんか?
 激しい戦闘の最中ではあれ、念信に出たクレヴィスの口調は、いささか拍子抜けしそうなほど落ち着いていた。
 ――こちらも、大丈夫な、はずだと思います……。いまはミトーニア市内の様子を上空から調べています。
 ――よろしく頼みましたよ。ところでルキアン君、ギルドの地上部隊はまだミトーニア軍と交戦しているのですね?
 ――はい。激しく撃ち合っているのが見えます。今のところ戦闘は市壁の外で行われていますけど、市街地の方にも次第に被害が出始めています。
 ――そうですか……。無益な犠牲は出したくなかったのですが、残念なことです。
 その言葉とは裏腹に、彼の念信は淡々とした雰囲気を漂わせている。いや、冷たくすらあった。切に平和を願っているクレヴィスではあれ、戦いの中での事実は事実として受け止め、そこに過度の感傷や情を持ち込んだりはしない。
 そのように冷徹なまでの、戦士としてのクレヴィスの別の顔は、昼間の彼の戦いぶりからルキアンにも分かっていた。が……。
 ――でもクレヴィスさん、今ならまだ戦いを止められませんか!? 街の人たちが巻き込まれて、沢山死んでしまうのは、僕は、僕は……その、嫌です。
 甘すぎると言われるだろうとルキアンは覚悟していた。
 しかしクレヴィスは、にこやかな調子で肯く。
 ――ふふ。あなたらしい言葉ですね、ルキアン君。あまり期待できませんが、今回に限っては可能性もなくはないですよ。ミトーニア側の態度に腑に落ちない点があるのです。そのためにも急いで市内の状況を調べて報告して下さい。
 ――そのことなんですが。あの、今のところ、ミトーニア軍は本気で戦いを続けようとしているみたいに見えます。僕、これからどうすれば?
 ――ルキアン君、市庁舎の様子を丁寧に調べてみましたか? 市の首脳部と何度も接触を試みたにもかかわらず……あちらが念信に応じないのですよ。庁舎で会議が行われていたはずなのですが、何か起こったのかもしれません。
 ――そうか、そうですね、分かりました。市庁舎ですね! 変わったことがあったら報告します。では、失礼します!

 念信を終えると、クレヴィスは傍らで待機していたセシエルに黙礼し、自分の席に戻っていく。
 彼の背後で、威厳のある低い声が響いた。
「嬉しそうだな、クレヴィス」
 そう冷やかしたのは、艦橋に呼び戻されたカルダイン艦長だ。彼は眠っているような顔で椅子に腰掛け、悠々と煙草をふかしている。
「おや。そんなふうに見えますか……」
 クレヴィスは気楽な様子でとぼけたものの、実際、口元を微かに緩めたその表情は楽しげでさえあった。
 目を閉じて満足げに頷くと、クレヴィスは静かにつぶやく。
「まぁ、新しい楽しみの芽がひとつ増えたというところでしょうか。たとえその芽が、今はまだ地面から顔を出したばかりの小さな希望にすぎないとしても。エインザールという人も、なかなか、味なことを……」

 ◇

 ――市庁舎、えっと、市庁舎……どこかな? あれだ!
 クレヴィスに言われた通り、ルキアンは早速ミトーニアの市庁舎を探した。
 この街の規模や財力にふさわしく、庁舎も立派なものである。苦労して調べるまでもなく、ルキアンはそれらしい建物をすぐに発見することができた。
 分厚く角張った6、7階建ての本館。ちょうどテーブルを逆さまにしたように、平らな建物の四隅にそれぞれ丸屋根の塔を備え、そのうえ鮮やかな壁画で一面に彩られた、豪壮な建築物である。
 ――さすがに大きい。こんな立派な庁舎は初めて見た。普通の街どころか、コルダーユの市庁舎と比べても遙かに立派だな。
 ルキアンは自分が暮らしていた街と比較してみた。もちろんコルダーユも王国有数の都市であり、海外との貿易で栄える大きな港町だ。しかしミトーニア市の力はさらに上をいく。
 ふと気がつくと、空が微妙に明るくなってきていた。
 まだ夜が明けたとはいえないものの、つい今しがたまで空を覆っていた漆黒のヴェールの色は、刻一刻と薄れつつある。
 いったん昇り始めた太陽の光は、瞬く間に闇の世界を支配することだろう。
 ――困ったな。もっと地上に近づかなければ、建物の中の様子なんて分かるはずがない。でも、そろそろ明るくなってきたから、そんなことをしたらミトーニア軍に発見されてしまうかもしれないし。
 市庁舎の壁に規則正しく並んだ窓を、ルキアンは丹念に眺めている。
 しかし、いくらアルフェリオンの魔法眼に頼ろうとも、今よりもかなり高度を下げなければ、窓の向こうの状況をうかがい知ることはできない。
 途方に暮れるルキアン。
 だが、そのとき……。

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