HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第33話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

  いま汝に為せることを為せ。


「あ、どうも。わざわざ、ありがとう……。ございます」
 アレスは恐縮気味に礼を言った。彼としては最大限に礼儀正しい言動のつもりなのだろうが、見た目にはどうにもぎこちない。
 隣の席で無言のままお辞儀をしたのは、旧世界の少女イリスだ。
 華奢な身を椅子に委ね、輝く天蛇を思わせる艶やかな髪を自然に垂らし、夢見心地の瞳をぱっちりと開いて微動だにしない様子は、神秘的であると同時に、人形のように愛らしかった。
 反面、イリスの表情は堅く、もちろん言葉は無い。その冷たい美貌は、機械仕掛けの精密な人形のようである。
 顔を伏せ、無関心な視線をテーブルの表面に向けたままのイリスとは対照的に、アレスの振る舞いは忙しなかった。先程の一瞬の行儀良さなど忘れたといわんばかりに、上下左右、物珍しそうにキョロキョロしている。
 決して豪華ではないにせよ、それなりに小綺麗な室内に2人は居た。壁や床から調度に至るまで石材を随所に用いた様式は、王国北部の商家を連想させる。実際、この王都エルハインまで来ると、文化や風土の点では北国の雰囲気が強くなるのだが。
 アレスたちにお茶を運んできた若い女性が、目を細めて笑った。
「珍しく可愛らしいお客さんね。この人のお友達といったら、たいてい、荒っぽい傭兵さんや発掘屋さんばかりなんだから」
 《傭兵さん》や《発掘屋さん》という表現には、子供っぽい、品の良い素人臭さが満ちていた。
 誰もが同じ第一印象をもちそうな――彼女の《白さ。》 雪のように白い肌という表現は、十中八九、大げさで陳腐な表現になってしまうものだが、彼女の場合は例外である。だが、空恐ろしいほどの白さは、病的な弱さをも感じさせた。彼女の朗らかな笑顔とは裏腹に……。
 アレスの向かいに座っているフォーロックが、大げさに肩をすくめる。彼自身もいわゆる野蛮な発掘屋、ジャンク・ハンターだ。
「可愛らしい? この娘(こ)はともかく、一人前の繰士をつかまえて、それはないだろ」
 フォーロックはアレスと顔を見合わせて笑ったが、すぐに心配そうに振り返っていた。
「休んでなくて大丈夫か? ミーナ、後は俺がやるよ」
「……ありがとう。でも大丈夫。今日は調子がいいから。元気なお客さんが来てくれたのだし、私も元気を分けてもらわなくっちゃ」
 ほのかに水色がかった銀髪を揺らし、ミーナは首を振った。比較的背が高いせいか、彼女の身体は余計に細く感じられる。
 言われるまでもなく病弱そうなミーナの姿は、アレスの目には、どことなくイリスと重なって見えた。
「あのさ――ミーナさんって、どこか悪いの?」
 呆れるほど単刀直入な質問だ。それゆえにまたアレスらしいが。
「うん、少しね。でも慣れてるから……。私もお仲間に入れてもらっていい?」
 彼の不躾さにも眉をひそめることなく、ミーナは笑顔でテーブルに着いた。
 端正ながらも無機質になりがちな、灰色の石壁が目立つ空間の所々に、草木がさりげなく飾られている。ほっとするような緑色のアクセント。無骨なフォーロックにそんな趣味があるとは思えないから、たぶんミーナの手によるものだろうとアレスは思った。
 少々野暮ったいが剛毅な戦士フォーロック、繊細で弱々しいミーナ。恋人同士の彼らは、訳あってこの家で共に暮らしていた。不似合いゆえに、かえってお似合いなのかもしれない。
 2人を見つめる少年に、フォーロックは親しげに言った。
「本当に、まぁ、ここを《隠れ家》に――しばらく俺たちの家に居候してもらって構わないよ。人を隠すなら人の中とは言うが、エルハインの街では情報屋の類が目を光らせているからな。誰かが君たちを捜しているというのなら、とっくに情報屋にも話が回っていると思う。俺が追っ手の立場だったら、そうするだろうよ。その点、ここは心配ないさ」
 彼は窓の方を顎でしゃくった。
 外の景色が見える。白っぽい地面に細長い木々が規則的に立ち並んでいる。その奥には畑が広がり、ぽつぽつと農家が点在し、小さな神殿の塔も顔を出していた。だがお世辞にも町の中とは言い難い風景だ。ここが王都の郊外、市街からさほど離れていない場所だとは意外であろう。
 素朴な農村地帯に、故郷の村を思い出したアレス。柄にもなく遠い目をしている彼の肩を、フォーロックがポンと叩いた。
「アレス。ワケありで急いでいるのは分かるが、ブロントンのところに行くのは明日にした方がいい。さっきの話じゃ、昨日も強行軍で野宿だったそうじゃないか。今日は一日ゆっくり休め。体力をつけておかないと、肝心の時に困るぞ……。そうだ、今晩のために旨いもん買ってきてやるからよ」
 《でも俺たちには、時間が》と言いかけたアレス。それでも彼なりに気を使ったのだろう――そこで言葉を飲み込んだ。
 代わりに彼の口から出た感謝。
「ありがとう。何から何まで。スリから財布を取り返してもらったうえに、こんなことまでしてもらって。フォーロックさんのような親切な人に会えて運が良かった。嬉しいぜ、俺!」
 子供のようにはしゃぐアレス。
 だがイリスは相変わらず、口元さえ緩めないまま、暗い目をして座っている。

 ◇

 アレスの背後で柱時計が鳴ったかと思うと、時を同じくして、近くの神殿からも正午の鐘が聞こえてきた。郊外の静かな丘陵地に、少しこもったような、ブロンズが柔らかに奏でる時の音が響く。
 ひとときの談笑の後、フォーロックは思い出したように言った。
「盛り上がってきたところ、残念だが――仕事の話で街に行かなきゃならないんだ。あぁ、君たちはゆっくりしていてくれ。押しつけて悪いが、もうしばらくミーナの話し相手になってやってくれないか」
「仕事? もしかして、アルマ・ヴィオで悪者と戦うとか?」
 興味津々のアレス。お上品な茶飲み話よりも、冒険やら発掘やらといった事柄の方が、やはり彼の性には合うらしい。
「ははは。そんなご大層なことじゃない。ハンター・ギルドの方に何か儲かる依頼が入ってないか、見に行ってくるだけさ。俺の日課みたいなもんだ。ブロントンのおっさんが来ていたら、君たちのことを話しておくよ。ミーナ、2人を頼む」
 フォーロックはミーナに軽く口づけすると、上着を肩に引っ掛け、足早に出ていった。

 ◇

「ごめんね。あれでけっこう忙しい人なの。私は今のままで、お金が無くてもこれで幸せなのに。彼ったら、もっと稼がなきゃって、いつも無理して……」
 話の途中で、ミーナは激しく咳き込んだ。
「大丈夫? やっぱり寝てなくちゃ」
 心配そうなアレスに、彼女は無理に笑顔を作って見せた。
「ありがとう。軽く咳が出ただけ。さっきも《慣れてる》って言ったでしょ。小さな頃から病気がちで、いつも寝てばかりだったから。特殊な体質のようなものだって、前に施術師から聞いた。病気は薬や魔法ですぐに治せるけど、病気にかかりやすい体質までは、魔法でもどうにもならないって」
 ――そうか。だからお金が要るんだな、フォーロックさん。魔法で病気を治すのって高いからな。俺の父ちゃんだって、もっと腕のいい施術師の術で癒してもらえたら、あんなことにはならなかったかも……。
 アレスは寂しそうに納得した。
 《現世界》の言葉が分かりづらいせいもあるだろうが、イリスはミーナの話に何の同情も見せていない。置物のように行儀良く座っているだけだ。
 ――こいつ、本当に変わってるよなぁ。
 横目でイリスを眺めた後、ふとアレスは、奥の暖炉の上を見やった。
「ねぇ、ミーナさん。あそこの壁に飾ってある楯、随分立派だけど、何かスゴイ魔法の楯とか?」
 緻密な細工によって下地に描かれた獅子や竜の絵、その真ん中に堂々と金色の孔雀の紋章が入った、実戦に使うのは勿体ないような逸品だ。
 訪ねられたミーナの方も首をかしげ、ごく簡単に説明した。
「実は私もよく知らないけど、あれは、フォーロックが何かの剣術大会でもらった賞品だったと思う。ごめんね。私、武器にはあまり興味がないし、よく聞いてなくって……」
「すごいな。剣の腕も立つんだね。俺も早く、フォーロックさんみたいなエクターになりたい」
 だがミーナはアレスの言葉に気乗りしない様子で、微かに表情を曇らせた。
「アレス君は、どうしてエクターになったの?」
「いや、たまたまアルマ・ヴィオに乗ってるけど、俺なんかまだエクターじゃないよ。でも俺、いつか必ず父ちゃんみたいになるって、子供の頃から夢なんだ。ウチの父ちゃん、世界中を旅して回った冒険者で、けっこう有名なエクターだったんだぜ。でね……」
 目を輝かせて勢いよく語り始めたアレスは、もう止まらない。
 ミーナはどこか悲しそうな顔で聴き入っていた。
「父ちゃんはずっと前に死んじゃったから、代わりに早く立派なエクターになって、母ちゃんに楽な暮らしをさせてやりたいんだ。俺、アシュボルの谷っていうところに、母ちゃんと一緒に住んでた。ラプルスの山の中にあって、ちょっと不便だけど、いいところなんだ。知ってる?」
「そうね……。アシュボルの谷?――は知らないけれど、ラプルスの山々のことは、絵で見たりして知っているわ。本当に素敵なところみたいね。そうだ!もし私の病気がもっと良くなったら、フォーロックと一緒に、アレス君の家に遊びに行きたいわ」
 ミーナの申し出にますます気をよくして、アレスは椅子から立ち上がりそうになるほど、大げさに喜んだ。
「本当? ミーナさん、絶対元気になるって約束だぞ! それで、谷に遊びに来るって。な、イリスも一緒に――あれ、イリス?」
「……」
 2人のにぎやかな会話をよそに、そっとお茶を飲んでいたイリスは、感情の光のない目でアレスを見るのだった。

 ◇ ◇

 崖下を流れゆくモスグレーの川面を眺めながら、グレイルは無言で立ちつくしていた。右手を胸に当て、わずかにうなだれた彼は、生まれては消える水泡を凝視する。
 彼の隣、空中にふわふわと漂うフラメアは、炎のかたちではなく人の姿を――例の赤い髪の娘の姿を取っていた。彼女はその場でゆっくり旋回したかと思うと、今度は小さな鬼火を手のひらの上に呼び出し、お手玉のように弄ぶ。
「ちょっと、グレイルってば。いつまで黙ってんのさ。退屈して化石になっちゃいそうだよ……」
 言葉遣いはともかく、声そのものは意外に愛らしい。
 無視されたフラメアは、グレイルに向かって舌を出し、また炎と戯れて暇つぶしを始める。彼女が息を吹きかけるたびに、炎は丸くなったり、人の形になったり、色々な動物をかたどったりと、見た目を変えてゆく。そして最後にはグレイルの顔真似になった。フラメアは、揺らめく火炎で創った主人のマスクとにらめっこして、ひとりでケラケラと笑っている。
 だがグレイは、彼女の芸当に見向きもしていない。
 岩山の間を巡り迷った風が、足元から吹き上げ、彼の前髪を散らかした。
「ルージョ、キリオ……」
 やっと開かれた彼の口から、今では失われてしまった友の名が出た。
「あのとき、俺にもっと力があったら、お前たちを死なせずに済んだのに。なのに、俺には何もできなかった」
 胸に当てた手を震わせ、グレイルは上着の生地を握りしめた。
「これこれ、お兄さん。そんなことしたら、シワができちゃうよ」
 そういう問題ではないだろうに、呑気に忠告するフラメア。
 グレイルの横顔を仕方なさそうに見つめた後、彼女は溜息と共に言った。
「だーかーらぁー。マスタぁー、あのね、あれは、仕方がなかったんだって」
 その軽々しい口調に神経を逆なでされることもなく、グレイルの表情に変化はみられなかった。
 フラメアは心の中でつぶやく。
 ――仕方がなかった。そうなんだ。考えてみれば、あれが、古の契約に定められた《条件》だったんだよ。あんたにとって一番必要な人間を……。
 そうかと思えば、急に彼女は、いじけた小娘のような口ぶりになった。
「恨めばいーじゃん。あたしを」
 ふて腐れた感じの物言いが続く。どこまで本気なのか、よく分からないが。
「はっきり言って、あたしはアンタの友達を見殺しにした。助けようと思えばいくらでも助けることができた人たちを。分かってるはず、憎いだろ?」
「いや、俺は!」
 グレイルが強い調子で話を遮った。
「だからな、俺は、俺は、自分に腹が立ってるんだ!! 自分の不甲斐なさに」
「ほぅ……」
 焦点が宙に合っているような、妙にあどけない瞳で、フラメアがのぞき込む。
「俺は今日まで、いつも己を卑下して、いつも、何かにつけて物事は上手くいかないもんだと最初から決めつけて。そんな投げやりな生き方をしてきたから、自分の中にある力に気づくこともできなかったし、フラメアの声も全く聞こえなかった。それで、とうとう大事な仲間まで失っちまった。どうして今まで目を覚ますことができなかったのかと思うと、悔しい。この気持ちをどうしたらいいのか、自分でも分からないくらいにな!!」
 声を荒らげたグレイル。
 反対にフラメアは、パラディーヴァ特有の冷たい物言いに変わった。実体なき紅蓮色の髪を、あたかも風に揺れるごとくにそよがせながら、同情という言葉からはほど遠い、透徹した獣の目でマスターを一瞥する。
「たしかに代償は――大きかった。こんなことを言っても、急には分かってもらえないだろうけど、その代償がなければ、アンタの運命の歯車が再び動き出すことなど無理だった。それが《御子》としての宿命なんだよ」
 グレイルの理解を必ずしも求めていないのだろうか。現世(うつしよ)に生きる人間には計り知れない謎事を、フラメアは語り始めた。
「運命の歯車をさび付かせ、堅くつなぎ止めていたのも――それは自分自身の意思であるように見えて、本当は違う。《御子》として生まれてきた時点で、アンタの未来は最初から閉ざされる運命(さだめ)にあったんだ。酷い言い方だけど、生まれてから今日まで、結局はずっと《あの存在》に翻弄されていたんだよ。人間の力なんて、所詮はそんなもん。《あれ》の手のひらの上で踊っているだけ。でもマスター、アンタなら、その手のひらを飛び出すことができるかも。それこそが御子という特異なものの力。そう、御子というのは……」

 ◇ ◇

「御子というのは、この世界で唯一、絶対者の定めた予定調和を攪乱する不確定要因として、作用し得る存在。いわば《因果律の外にあるダイス》のようなもの。そうした者がこの世に生を受けたことは、《あの存在》にとって具合が悪いのだよ」
 言葉の響きが微妙に空気に絡みつくような、湿って、低く、通りの良い声で、男はつぶやいた。深き森の国土に似合う、ガノリス語の重厚な語調。
 似合いの片眼鏡を掛けた、細面の紳士だ。暗い茶色に銀色が混じった頭髪は、若白髪なのだろうか。彼の顔つきそのものは、三十路を迎えてさほどの歳月を経ていないふうにも感じられる。しかし、些細な仕草や、身にまとった落ち着いた品格のごときものは、もっと老成した人間を思わせる。多分、実際の歳よりも見た目が変に若いのかもしれない。
 実際、そうなのだろう。かたわらで彼のことを《父上》と呼んだ者は、年若い少女などではなく、すでに大人になって久しい美女であった。周囲にたたずむ他の数名の者に説明するように、彼女は言う。
「《あの存在》という言葉が何を指すのか、それは誰にも分かりませんわ。ただ、あなた方も知っての通り、私たち一族が伝承してきた知識によれば――おそらく《あの存在》とは、この世界に予定された未来を実現してゆく何らかの根源的な力、もしかすると《因果律》それ自体、あるいは因果律の管理者のような何かだと考えられます。勿論、管理《者》という表現は不適切なのでしょうが」
 肩先まで真っ直ぐに伸び、そこで不意に優雅な曲線を描き、跳ねている白緑の髪。女性としては非常に長身の部類に入る背丈と、黒目がちな大きな目。隙の無い厳しさを持ちながらも、堅苦しさを感じさせず、柔らかな雰囲気の彼女は、完璧過ぎていささか面白味に欠ける感さえあった。
 2人の他にも、数名の人間がそこに居た。
 何かの倉庫、いや、雰囲気はそれで合っているとしても、もっと巨大な空間である。陽の差し込む窓の類がひとつも無いそこは、恐らく地下にある施設かもしれない。
 金属の櫃や木箱等を山のように乗せた台車が、そこかしこで、ひっきりなしに行き来している。それらを押している者たちは皆、紺色のローブのようなものを服の上に羽織っていた。誰もが武装しているものの、正規軍の兵士ではない。奥の方には、アルマ・ヴィオらしき大きな影も見える。
「急げ! 帝国軍は待ってくれないぞ」
 先ほどの男が、作業する者たちを急かす。
「我らが軍国ガノリスも、あっけないものです。やはり帝国軍相手に、現世界の兵器ではさすがに勝ち目がありませんか。ククク……」
 絹の衣が頬を撫でるような繊細さと、幽鬼のささやきのごとき不気味さで、誰かが笑った。白と紫の生地に金の輝きのちりばめられたクロークを、少し着崩したふうに身に付けた青年が――その出で立ちからして、恐らく魔道士――冷淡な調子で話を再開する。
 別段、悪意など無いのだろうが、傍目にはあまりに冷ややかな彼の声。人の肌の暖かみのようなものは、微塵も感じられない。サラサラとした長い金髪は、背後から見ると女性の髪のようにみえる。
「シディアお嬢様の今の話を、補足しておきましょうかね。《あの存在》が司る世界というのは、我々にとっての世界。つまり他の《像世界》ではない、我々が認識している《像世界》という意味です。お解りですか、エイナお嬢様?」
 そう尋ねられた娘は、最初から理解を拒否するような、訳が分からないと言った様子で首をかしげた。どことなく、先程の白緑の髪の美女に似ている。妹、なのだろうか。歳は随分若く、ひょっとするとまだ十代かもしれない。
 そんな彼女の態度に、気味が悪いほどにこやかな笑みを浮かべて、魔道士は話を続ける。恐ろしげな微笑をたたえた口元。
「《世界それ自体》は本来的にはひとつですが、観察者が属する《存在群》の違いに応じて、認識の差異が生み出す平行世界としての《像世界》は無限に多様です。しかし同時に、それぞれの《存在群》に属する主体に認識可能な像世界は、常に唯一かつ不変なのですよ。クククク……」
 薄気味悪い美形の魔道士の態度に、さほどの驚きも見せないところをみると、周囲の人間は、相当長い間、彼に慣れ親しんでいるのだろう。
 例の《父上》と呼ばれた男が、彼の言葉にうなずく。
「いまウーシオンの言った通り、我々にとって唯一の世界は、《この像世界》に他ならない。この代え難い、たったひとつの世界の運命が、いま問題なのだ。それは《あの存在》にとっても同じこと。あれが遣わした《御使い》たちも、すでに我々のことに感づいているかもしれぬ。いや、そもそも帝国軍からして、気づかぬうちに奴らの手駒の役目を果たしているのだ。そう、知らぬ間にな。帝国軍がこの施設の存在に気づくのも、時間の問題だろう。長くはあるまい、ガノリス王国も……。そうであろう、シディア?」
 白緑の髪の美女、いや、美姫という方が妥当であろう気品を漂わせた女が、静かに頷く。
「えぇ、父上。数日中には、主だった都市にエスカリアの旗が翻ることになるでしょう。それでもまだ、バンネスクの王都のように《天帝の火》によってこの世から消滅させられるよりは、遙かにましですわ」
「確かに、生きている限りな。それにしても《エレオヴィンス》がゼノフォス皇帝の手に渡るとは、因果なものだ。《神帝》などと、古の《天帝》にでもなったつもりか」
 父と娘の会話に、氷のごとき魔道士ウーシオンも加わる。
「この王国が滅びるか否かなど、それ自体としては、我々には関わりのないことです。現に我々《鍵の守人》は、あなた方《ネペントの一族》を筆頭に、旧世界の崩壊から前新陽暦時代を経て、多くの王朝の興亡の間、代々、様々な俗世の姿に身をやつし、《伝承》を守護してきました……。いずれ《御子》の現れる、その時代のために。そして今や、御子はすでに覚醒し始めた様子」
 彼は上目遣いに、視線で天を指すかのような仕草をした。
「時を同じくして、今年は予言された年。天に《2つの月》が昇る日は近い。それまでに、この《ファイノーミア》のごたごたに整理が着くことを祈りたいものですね。アルヴォン様?」
 ネペント一族の当主、アルヴォン・デュ・ネペント、例の片眼鏡の男は答える。
「《御子》の出現は《あの存在》にも当然に把握されていること。此度の大乱が起こったのも、間違いなく、あれの差し金だ。神帝ゼノフォスの壮大なる野望は、《あの存在》の御使いである《奴ら》がお決まりの仕方で事を運ぶための、隠れ蓑にすぎん。そうやって、人類の歴史はすでに前新陽暦の頃から奴らに操られ、さも自然な成り行きのような外観を伴って、密かに度々の《修正》を受けてきたのだ。奴らにしてみれば、我々《人の子》など、ただの塵や埃に等しい。だがな、そんな塵ひとつにも魂の力があるということを、奴らは思い知るべきなのだ」
 アルヴォンは剣の柄を握り、力強く叫んだ。
「この《飛宙艦オンディーヌ》がある限り、たやすく敗れはしない。《鍵の守人》の力を、《人の子》の力を、奴らに見せつける時が来た!」
 彼の手の向けられた先には――奥深く底無しに広がる影の中で、金属の巨塊が、見る者を圧倒するスケールの船体を横たえ、眠りについている。旧世界の《解放戦争》の末期、天空軍と星の海で戦うために建造されたという、伝説のオンディーヌだ。

 ◇ ◇

 風吹く丘の上。手入れの行き届いた木々が、夜の郊外に黒々と立ち並んでいる。豊かに茂った生け垣に囲まれて、白壁に煉瓦屋根のこぢんまりとした屋敷が建っていた。麓に転々としていた街の灯火もわずかになり始めた頃、屋敷の一室、薄明かりの漏れる窓の向こうで、時を告げる仕掛け時計の音が聞こえた。
 そして、かすかな声も。
「星々は動き始めた。北の空にひとつ冷たく浮かんでいた銀の星は、その従者たる常闇の守護星を伴い、天球における自らの運行を早めている。そして火の衛星の赤さが色濃くなり始めたのに呼応して、あの星も本来の輝きを取り戻す時期にきている」
 古い天球儀を傍らに、深紅のケープをまとった女性が夜空を仰ぎ見た。
 星を読み、天空のことわりを解し、人や世の行く末を見通す者。魔道にも深く通じたタロスの占星術師、アマリア・ラ・セレスティル。遠見の水晶によって、遥かレマール海を隔てたオーリウムで戦うルキアンとアルフェリオンの姿を見通し、さらにはガノリスでのグレイルの覚醒をも見守ったことは、《紅の魔女》アマリアにとってはごく簡単な術にすぎない。
「緑翠の星はすでにその力強く……しかし、彼(か)の元に本来あるべき気まぐれな風の遊星は、いましばらく天宙(そら)を漂うだろう」
 彼女の意味ありげな言葉は、夜空に浮かぶ実際の星々のことを指しているのではないようにも思われる。眼差しも顔色も変わらぬまま、アマリアの声の響きだけがわずかに重くなった。
「水の守護星は目覚めた。だがその主なる星は未だ暗く……いや、その弱々しい光は消えつつあると言うべきか。フォリオム、どう見る?」
 小さなランプひとつが灯るばかりの部屋の中、暗がりの向こうから、老人の声がアマリアの言葉に続いた。
「たしかイアラとか言ったかの? 《あらかじめ歪められた生》は、あの娘には重すぎたか。彼女は自分自身の心の壁によって囚われている。彼女が己の運命と向き合い、《あの存在》の掌から抜け出すために最も必要なものは、何も《御子》としての特別な力ではない。生きようとする……ひとりの人間としての意志の強さに他ならぬよ。それが決定的なんじゃが」
 堅い木が石の床を打つ、乾いた音。暗闇から生えてきたかのように、緩やかにねじ曲がった杖が見えた。
「そもそも《あれ》が人の世に《御使い(みつかい)》を遣わすのも、絶対者の定めた予定調和が《人の子》の《意志》の力によって歪められる場合があるからなのじゃ。そのほころびを《修正》するのが彼らの役目。時の経過による自然修復が難しいほどに、予め定められた道程から人の歴史が大きく外れた場合には、そうやってしばしば《書き直し》が行われてきた。勿論、人間はそれには気づいておらぬ。リュシオン・エインザールをはじめとする、ごく例外的な者をのぞけば」
 アマリアは椅子に深く腰掛け、眠ったように沈黙している。そんな彼女を前に淡々と話し続けるフォリオムの姿は、子守歌を歌い、お伽の物語を語る老人のようにみえた。影絵さながらにぼんやりと揺れていた彼の姿が、次第にはっきりとした形を取っていく。
「しかしあの時点で気づいても、旧世界にとってはもはや遅かったのじゃよ。結局、人の子はみな絶対者の定めた因果を展開する《駒》でしかなかった、ということをただ知って、だからといってどうしようもできなんだ。人類が母なる惑星にとどまらず、星の海に《天空植民市群》を作り上げたことも、豊かな大地が《永遠の青い夜》に閉ざされ、魔の世界となり果て、《アークの民》がそこから旅だったことも――その結果、人間が《天空人》と《地上人》とに分かたれていったことも、要するに《旧陽暦》時代の歴史すべてが最初から筋書き通りだったのだと、エインザール博士は思い知らされた。その流れを変えようとすることが、《人の子》には許されぬ行いだったともな」
 普段より実体化の度合いを強めたフォリオムは、深い緑色のローブをまとい、白く長い髭を口元や顎に生やした、いにしえの魔法使いか老賢人を思わせる姿である。
「お主が間違いなく未来を見通せるのも、ことによれば、この世に生起する出来事が予め一定の筋書きにしたがっているからかもしれんのぅ。それならば、何らかの力で事前に読み取ることもできる。ほっほっほ。」
 椅子に背をもたせかけたまま、アマリアは、乾いた口調で言う。
「あまり楽しくない冗談だな。もし本当に未来が変えられないなら、人は占いなど聞きに来るまい。何もせずとも変わらぬし、何をしても変えられない……ならば最終的には無意味だ。それに私も、未来に何が起こるかまでは読めても、その結果までは読めないことも多い」
「はての。いつも言っとるように、お主にはもう少し可愛げがないといかん。そう何もかも真正面から返答されても困るわい。ともかく、考えてみよ。人間の中から《アークの民》が現れ、その血を受け継ぐ者たちが《天空人》として生き、残された《古い》人間たちは《地上人》として大地に残された。こうして人が二つに分かたれたこと――二千数百年に及んだ《旧陽暦》の最終局面で、《新しい人の子》が生まれるに至ったこと――これは果たして偶然じゃろうか?あるいは《人類の進歩》だとか《旧世界の魔法科学文明》のもたらした《結果》だとか、そう説明すれば済むことだと思うかの?」
 パラディーヴァの翁の目が、くらがりで光を増した。
「たしかに、《アークの民》は人によって選ばれ、人の力で《星の海》に送り出された。計画を決めたのもみな人間自身じゃ。ただ、その過程において――もし旧世界人たちが《主体》として振る舞っているようにみえ、自分でもそう意識しつつ、実は因果律の定めを現実化する役割を自覚なしに担っていたのだとしたら、どうかの?」
 アマリアは椅子から立ち上がると、部屋の隅の棚から膝掛けを取り出した。
「冷えてきたな、フォリオム。いや、パラディーヴァには寒暖など関わりないことか……。失礼、ご老体の言いたいことは分かる。《アークの民》や《天空人》の件は、《成り行きの結果》でも《人間の意志の産物》でもなく、《予め定められた必然》だったというのか。しかし《アークの民》というのは、《永遠の青い夜》によって変わり果ててしまった《母なる星あるいは地上界》から、種としての人類が滅びぬように選ばれた者たちなのだろう? つまりは《永遠の青い夜》という降ってわいた災厄がなければ、《アークの民》など選ばれる必要はなかった。それでもやはり《必然》なのか、違うのか」
 彼女の口元が微かに緩んだのを、フォリオムは見逃さなかった。
「こらこら、《年寄り》を試すものではないぞ、アマリア。お主も分かっているだろうに。まさに《偶然》を装い、《あれ》はこの世に一定の《契機》を与える。そうやって蒔かれた《種》とも知らずに、人間たちは物事の流れを受け取り、さらなる現実へと展開させてゆく。偶然の災害を《天》災と呼ぶことにしたとは、昔の人間は物の本質をよく見抜いておったものよ……」
 ふと、フォリオムの瞳の中で感情らしきものが揺れた。あるいは、外観的にそう見えただけで、目の錯覚かもしれない。部屋の出窓には、簡素な白い野花の鉢植えが置かれている。その向こうの星空をフォリオムは見つめる。
「昔、エインザール博士は、リューヌだけでなく、わしにも時々語っていた。《新たな人の子》を創造すること、言い換えれば《人間》をより《高次》の存在へと《昇華》させるという《目的》が、《何か》によって自分たちの歴史に予め定められているような気がする、と。《解放戦争》の始まる以前から、博士はそう感じていたらしい。直感の鋭い男であったからの」
 しばらくアマリアは無言で話を聞き続けた。淡い黄金色の灯火のもと、彼女の髪もよく似た色の光を浮かべている。
 フォリオムの知識は深い。《地》のパラディーヴァは、同時に《智》のそれでもあるのだろうか。エインザールの戦いの背景にあった本当の事情を、当時の断片的な情報に頼りつつも、彼は的確にとらえていた。
「そして《地上界》の勝利が確実となり、二つに分かたれた《世界》及び《人》がひとつに還ろうとしていた頃、皆が勝利への期待に酔う中で、博士の不安だけはいっそう強まった。仮に、人間の歴史に先ほど言ったような《目的》が定められていたとしたら、自分たちの戦いは、連綿と続いてきた旧世界の歴史をいったん白紙に戻すことを意味するのではないかと。それが現実となったとき、《目的》の実現に向かって因果の輪を着々とつなげてきた《力》の側からの、つまり《あれ》からの、何らかの反作用が必ず生じるのではないかという漠然とした危惧を持っておった。それは、途方もない妄想・杞憂のたぐいであるように思われた。じゃが、たしかに《天上界》の崩壊によって、因果の定めは、もはや修正し難いほどに覆されることになった。《あの存在》の前では塵以下にすぎない一人の《人の子》、リュシオン・エインザールによって、世界の向かうべき方向は大きく変えられたのじゃよ。いま思えば、だから……」
 押し殺したような声でフォリオムは付け加える。

  《御使いたちが、それを見逃すはずはなかった》

 ◇ ◇

「するとリュシオン・エインザールは、二度と戻れないと分かっていながら、最後の戦いに向かった。そういうことなの?」
 娘は甲高く声を上げた。どうも落ち着かないその声色に比べて、彼女の髪は、見る者に神秘的な印象を与えるものであった。険峻な高山の谷間で冷たい水をたたえ、生き物の気配もなく静まりかえる湖――そんな場所の水面はしばしば、こういった白みがかった緑色をしている。ちょうど彼女の髪のように。
 彼女の隣には、同じ色の髪をもち、顔の作りもよく似た年上の女性が立っている。例の《ネペントの一族》の姉妹だ。姿は似ていても、全体的な印象は好対照だった。姉シディアの方が、落ち着いた優雅な雰囲気である。他方、高い声で好き放題にさえずる小鳥のような妹のエイナは、まだ十代で表情にあどけなさが残り、髪型が姉に比べて短いせいもあろうが、とても活発な感じを受ける。
「そうですね。エイナお嬢様……。だが未来に希望がないわけではなかったと思いますよ。むしろ未来に希望をつなげるため、エインザールは最後の戦いに赴いた。クククク、なかなかの英雄ぶりではありませんか。彼も漠然と予感していたのです。《あの存在》の力とは異なる《もうひとつの力》が、因果律にしばしば影響を与えていることを」
 好感の持てる姉妹とは対照的に、お世辞にも近寄りやすいとは言いがたい、魔術師ウーシオンが答える。顔立ちは意外に、いや、相当の美形だと言えるほど整っており、男性にしてはとても美しい流れるような髪をしていた。だが、薄ら笑いを浮かべた冷たい口元や、無表情な目つき、陰湿そうな顔つき等々、見れば見るほど病的な要素にあふれている男だ。しかも話し方には――特に小声で気味悪く笑う声には――背筋が寒くなる。
 そんな彼にも不自然さを感じないのか、あるいは慣れっこになっているのか、ネペントの姉妹たちは普通に話に聞き入っている。案外、ウーシオンも見た目ほど怪しい人間ではないのかもしれない。冷笑的な物言いが気にならなければ、彼の話には豊かな博識も感じられる。
「ククク……きわめて単純化して言えば、この世界のことがらは、歴史の縦糸たる《必然の力》のようなものと、それを揺さぶる《偶然の力》のようなものと、両者の相互の影響のもとで生成し、流転しています。我々の世界は基本的に前者によって因果的に定められています。その《必然の力》自体、またはその力を司る何かが、おそらく《あの存在》と呼ばれているのでしょう。しかし、《あの存在》の因果律の枠内における《特異点または作用点》を通じ、《もう一方の力》も、この世界に影響を及ぼしうるのです。《作用点》は《人の子》のかたちを取ります。特定の人間を媒介とする力の《流出》……。その《作用点》である人間こそが、《御子》と呼ばれる者たちです。かつてエインザールがそうであったように。クックック……」
 彼の話に半信半疑で、しかめっ面をするエイナ。それが目にもとまっていないような表情で、心地の悪いウーシオンの語りは続いた。
「だが《あの存在》の側にも、この《像世界》の現実において、直接的に力を行使するための化身――《御使い》がいます。《御使い》たちは、《あの存在》が世界や人に対して影響力を及ぼすための単なる道具ではなく、自らの明確な意志を持ち、《あれ》の定めにしたがって因果系列を維持・発展させるためには、あらゆる手段を用いるのですよ。フフフ。人間の持つような大儀や道理などとは無縁に、目標の達成のみを最大限に追求する彼らの手段は、我々の価値観からみる限り、往々にして狡猾・非情・卑劣・残忍……もっとも、彼ら自身はそんな意図や感情は持ち合わせていないでしょうが。結果としてそういうものになりがちなのです。ある意味、人間にとってもっとも忌まわしき敵は、この《御使い》たち……」
 退屈そうな顔をしていたエイナが手を打った。
「ねぇ、ウーシオン。だったら、《御使い》なんてご大層な名前をつけられているわりには、そいつらは悪者じゃないの?」
 冷笑――この言葉がこれほど似合う男はいない。ウーシオンは一笑に付した。別に悪気はないのだろうが、それは、慣れているはずのエイナにも決して気持ちよいものではない。
「ククク。お嬢様、《善》や《悪》とは関係ありません。《あれ》の予定調和のシステムの中には、我々の価値に基づいて個別に判断すれば、善悪両方の要素が含まれています。だが、その善悪は《人の子》の基準に過ぎません。《あの存在》や《御使い》にとっては、予め定められた因果律に従ってこの《像世界》における現象を生起させていくことが、我々の概念でいうところの《善》であって、因果律を乱すものはすべて《悪》ということになるのです。ですから《御使い》にしても、場合によっては我々にとって《天使》であり、場合によっては《悪魔》でもあるのです。いや、《神》や《天使》、《悪魔》などという概念によって、《あの存在》と《御使い》を説明しようとするのは筋違いでしょうが」
 二人のやりとりを見ていたシディアがため息をついた。感嘆したのか、呆れたのか、それは分からない。彼女は、静かに、しかし力を言葉に込めてつぶやいた。自らの決意を確認するかのように。
「《あれ》や《御使い》が何であろうと、ただひとつ言えることがあります。もしこの世界の事象が、人の歴史が、一人一人の行いが、すべて因果律によって予め定められた結果なのだとしたら、私たちは《生きた人形》か《駒》でしかなく、《主体としての存在性》を喪失する。未来が決定されることにとって、人間の《意志》が意味を持たないのだとしたら、そんな世界に《人間の尊厳》を求めることは空しい。たとえ何が《敵》であろうと、私たち《鍵の守人》は、《御子》と共に戦わねばなりません。すべての《人の子》のために……」

 ◇

 三人の背後では、《帝国軍》の侵攻に備え、《オンディーヌ》の出航準備が進められている。開かれた船腹から、巨人の兵士――いや、汎用型のアルマ・ヴィオが列をなし、次々と自ら乗り込んでいく様子もうかがえる。それらの統一的なシルエットからして、この艦に搭載される機体は、ほとんどが同じ種類であるようだ。だが搭乗口までの距離がありすぎ、周囲の照明も不十分であるため、どのような形や色のアルマ・ヴィオなのか、いかなる武器を持っているのか、細部までは把握しがたい。
 それほどにオンディーヌは大きいのだ。いったい何百メートルあるのか、あるいは1キロ前後の長さがあるのかもしれなかった。艦首はおろか、船体の大半は、遠く闇の向こうに隠れて見えない。
 ネペント家の姉妹は去り、一人残されたウーシオンはつぶやく。
「よいお覚悟ですね。シディアお嬢様は……。ククク、考えてもみてください。《アルファ・アポリオン》の力は、この世界を七度も灰にすることができると恐れられていました。人間にとって、いや、《人と人との戦い》のために、そんな途方もない力が必要だったとでも? あれは本当は《何のため》の兵器なのか……。そう、あれは……」
 ウーシオンは目を血走らせ、珍しく興奮気味に笑った。
「《人が、人でないものと戦う》ための剣であり鎧なのですよ。それを身にまとうことができるのは、エインザールを継ぐ《闇の御子》のみ。おそらくその者こそ、《ノクティルカの鍵》の力を発現させる《通廊》となりうるかもしれません。クク、ククク……」

 ◇ ◇

 自らの真の役割を未だ知らざるルキアンは、人の世界の成り行きに翻弄されたまま、ミトーニアにいた。市庁舎前に続く大通りをバリケードが遮り、さらにその手前には、黄金色に縁取られた甲冑をまとう重装型のティグラー3体が立ちふさがっている。
 それらと対峙する白銀の天使、アルフェリオン・ノヴィーア。

戻る | 目次 | 次へ