HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第34話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 愛する者のためになら、誰だって戦士になれる。
   大切な人を守りたいのも、人間の当然の心だ。

 だから戦いはなくならない。
   互いの愛する者を守るために、
 本来は望まなかったはずの争いを、
   いつの間にかそれが絶対に正しいと思い込んで……。

 (レーイ・ヴァルハート)



 アルフェリオンを威嚇する低いうなり声。地響きを伴って、敵のティグラーが体を揺さぶる。鋼の虎が身にまとう甲冑の表面では、魔法合金の盾をも貫く角状の突起が、その姿を誇示するかのように陽の光を生々しく反射している。同じく両脚に備えられた分厚いブレードも、獣が微動する度にきらめく。
 ルキアンは動かないのではない。不用意には踏み出せないのだ。敵の数も力量もこちらを上回る。そして何より、彼には攻撃を躊躇する理由があった。
 ――ここで戦ったら、沢山の市民を巻き込んでしまう。それどころじゃない、早くあの人たちを止めなきゃ! でもどうやって……。
 市庁舎を占拠し、市長らを拘束した抗戦派に対し、反対する市民たちは武装して押し寄せた。ルキアンはアルフェリオンを盾にして彼らを守りつつ、だが同時にその守るべき市民たちが、次の瞬間にも再び暴徒化しかねないということをも、気遣わねばならない状況に陥っていた。
 目の前の敵・シェリルとの戦いにも、ルキアンは乗り気ではなかった。交わした《念信》から感じ取ることのできた、ある種の威厳と気品。ルキアンはそれに一定の感銘を覚えていた。そして無駄な争いを必ずしも望んでいない、相手の姿勢。この点はルキアン自身と共通している。
 ――僕は、この人とは戦いたくない。
 当初から衝突を回避しようと努めているルキアン。ここに至って、彼の戦う意志にはますます陰りがみえてくる。

 ◇ ◇

 だが、そうして睨み合っている間にも、ナッソス家の地上部隊はミトーニアに迫っている。敵方の城とミトーニアはさほど離れていない。足の速い陸戦型はおろか、重装騎士さながらに武装した汎用型でさえも、このままではじきに街へと到着するだろう。
 ナッソス四人衆の精鋭2人の操る、あの恐るべき相手も市門へと向かっていた。荒野を駆け抜け、疾風のごとく走り去る漆黒の機体。旧世界の超速の魔獣《レプトリア》2体だ。

 ◇ ◇

 ミトーニア市の城門付近では、街を包囲するエクター・ギルドの陸上部隊と市民軍との戦いが続いていた。ミトーニア側は、堅固な市壁とそこに据え付けた強力な砲列を頼みに、徹底的な防戦の構えである。いかに荒くれの腕自慢が揃ったギルドの繰士たちといえども、予想以上の抵抗に攻めあぐねていた。
 膠着状態の戦場。その上空に向かって三つの巨大な影が近づいてくる。ギルドの飛空艦3隻――陽の光を覆い隠さんばかりに長大な、白き翼を羽ばたかせ、悠然と浮遊するクレドールの姿もあった。
「あれじゃ、市壁は手つかずも同然だ。壁の外側の陣地を、あそこと、こちらと、他にも若干押さえた程度か……。俺たちもナッソス家の空中竜騎兵の奇襲で足止めを食らったけど、ギルドの地上部隊もかなり手こずってるな」
 《鏡手》のヴェンデイルが、《複眼鏡》で地上の戦況を確認する。
「クレヴィー、この状況のままだと、じきにギルドの部隊はナッソス軍に背後からも攻められて、挟み撃ちになる」
 冷静な観察者、クレドールの《眼》の役割に徹しようとしながらながらも、ヴェンデイルの声には苛立ちが現れている。
 だが、対するクレヴィスの表情には、特に目立った感情の色は見られない。カルダイン艦長と視線で何か合図を交わしたかと思うと、クレヴィスはセシエルに《念信》を送るよう指示を出した。
「《アクス》は、敵飛行型に対する警戒を続けつつ、艦砲でラプサーを支援。セシー、連絡を。ただし市内に被害が及ばぬよう、極力、市壁への直接攻撃は避け、周辺の敵陣地を狙って妨害せよと。バーラー艦長は荒っぽいですからね。ふふ」
「了解。《ラプサー》の方も準備はできてるって」
 昨晩、若干の休息を取ったせいか、セシエルの集中力は日頃以上に高まっているようにみえた。凛と背筋を伸ばし、念信の水晶球に手を添え、別の手でも複雑な制御板を意のままに操作している。
 クレヴィスは目を細めて頷いた。
「ラプサーに搭載のアルマ・ヴィオも、打ち合わせ通りの体制ができていますね? この状況なら、さほどの困難はなく地上に降ろせるでしょう。降ろすだけなら……容易ですがね」
 窓外からの日差しを受け、ツーポイントの眼鏡が光る。
「クレドールもラプサーの支援にあたります。セシー、さっそくサモンに出撃を指示。《ファノミウル》を出して敵の対空放火を牽制。ラプサーからレーイが切り込んだら、こちらもすぐに《リュコス》を降ろして、続くカインの降下を支援。カインの機体は、今回、色々お荷物を抱えてますから」
「えぇ、分かったわ」
「お願いします。で、《アトレイオス》は《攻城刀》装備で待機。それでよいですね。カル?」
 クレヴィスは背後の艦長席に座っているカルダインを見上げて言った。
「ナッソス軍の陣容によっては、アトレイオスの武装を変える必要もなくはないですが……。レーイがいますから、彼が何とか対応するでしょう」

 クレドールの艦橋から指示が出るが早いか、残りの2隻も行動に移った。
 いち早く前に出た飛空艦ラプサー。その形状は、やや扁平な船体に鋭角的な甲冑が幾重にも重なったような、カブトガニや三葉虫を想起させる奇異なものだ。強襲降下艦――この特別な船は、今回のような攻城戦において威力を発揮する。アクスやクレドールの火力に支えられつつ、ラプサーが徐々に高度を下げてゆく。
「このタイミングだと、ナッソス家の先鋒隊と鉢合わせか。《鏡手》は、敵軍の侵攻状況を報告! 下部《接舷塔》の全砲門開け、《カヴァリアン》と《ハンティング・レクサー》の降下を支援する」
 謹厳なわりに、どことなく頼りなく聞こえるノックス艦長の口ぶり。ラプサーの艦橋を見渡すと、やはり賞金稼ぎや野武士のような風体の男どもが多い中、彼一人の雰囲気だけが変にいかめしく、規律を絵に描いた軍人のような態度で浮いている。実際、以前は議会軍の士官だったのだが。
「しかしこれは、ミトーニアからの対空放火も半端じゃないな。さすがに王国最大級の自由都市、市壁の防衛線も並みの要塞以上か……」
「何よその格好。艦長殿、肩に力が入り過ぎじゃないの!」
 シソーラは、やれやれと笑いながら、ノックスの背中を勢いよくはたいた。艦長の隣の席で、彼女は脚を組んでふんぞり返っている。これではどちらが艦長なのか分かったものではない。
「いざとなれば下手に回避せずに、この艦を《壁》にぶつけちゃいなさいな。にわか軍隊なんぞにギルドをなめてもらっちゃ困るワケよ、ヴェルナード」
 相変わらず過激なことをいうシソーラ――だが、強襲降下艦は、実際にそういう使われ方をすることがあるのだ。いわば船体のあちこちが衝角のような構造だから、敵方の城壁に艦を接触させてアルマ・ヴィオを突入させたり、地上から対空砲火を放つ塔を体当たりで破壊することもある。甲殻類を思わせる強固な鎧に身を包んだ姿は、元々そういった運用の仕方に由来する。
 おそらくこの船の《鏡手》であろう、クルーの1人が緊迫した声で告げる。
「ナッソス家のアルマ・ヴィオ、いよいよお出ましだ。敵の第一陣、ティグラーとリュコスを中心に陸戦型が約30、ミトーニアに高速で接近中。あと2、3分もあればギルドの陸戦隊と接触するぞ!!」
「さて、と。来たわね……」
 呑気そうに聞こえるシソーラの声にも、彼女なりに緊張感が増す。念信係の肩をぽんとたたいて、彼女は叫ぶ。
「プレアーの《フルファー》は出撃せよ! 後は《ファノミウル》のサモンに従うようにと。それから念信手、降りるタイミングは任せると、レーイの方にも伝えて」

 ◇

 シソーラがアルマ・ヴィオの出撃を指示すると同時に、ラプサーも速度を増し、ミトーニアに急接近した。激しい砲火にもひるまず、頑強な装甲と大きな図体には似合わない俊敏な動きで、さらに高度を落とす。
 地上、複雑な多角形型の市壁を堀が取り巻き、その外側に相手方の陣地が転々と築かれているのが見える。ギルドの部隊と市民軍が一進一退の衝突を繰り返す中、はるか上空のクレドールとアクスから敵陣めがけて多数の魔法弾が打ち込まれる。堀のあちこちで水柱が立ち上り、水蒸気が立ちのぼった。風の精霊魔法が小規模な嵐を起こし、突風が敵のアルマ・ヴィオを翻弄する。主として威嚇のための砲撃であり、過度の爆発や炎上を伴う魔法弾の使用は控えられているようだ。
 味方の飛空艦2隻に後方から援護され、ラプサーはさらに高度を下げる――いや、地上へと突撃する。船腹の装甲も非常に厚く、そこから地面に向かって強固な角のようにもみえる《接舷塔》が大きく突き出している。強襲降下艦独特の構造だ。飛空艦同士の戦いにはあまり向いている船だとは言えないが、その分、地上の敵を掃討する際に本領を発揮する。味方のアルマ・ヴィオを降下させる間隙を開くため、大地に雨のごとく魔法弾を降らせながら、敵に有無を言わさずラプサーが接近していく。

 ――プレアー・クレメント、《フルファー》、行くよ!
 開かれたハッチの奥、見事な枝振りの《牡鹿の角》が、暗がりから姿を見せた。それに続いて鎧をまとった巨人の身体、旧世界の異形のアルマ・ヴィオだ。金属的な高い鳴き声とともに、その背でコウモリを思わせる黒い翼が開く。
 ――《鳥》になれ!
 船から飛び出した機体が、乗り手の少女の声とともに瞬時に姿を変える。飛行形態に変形したフルファーは、螺旋の如き複雑な軌道を描きながら、地上からの攻撃を見事に回避し、雲の下へと降りていく。
 ――俺がしっかり場所を作ってやるから、気をつけて降りてこい。間違ってもプレアーを泣かすなよ。
 カインに念信を発すると、レーイも出撃した。
 ――レーイ・ヴァルハート、《カヴァリアン》、只今より降下を開始する。
 小銃型の手持ちのマギオ・スクロープ、《MgS・ドラグーン》を構えて、一本角の兜を身につけた汎用型アルマ・ヴィオが飛び降りた。次の瞬間、機体の背後に輝く光の翼が伸び、風にあおられて落下しつつ、ふわりと気流をとらえる。
 《翼》で制御しているとはいえ、やはり凄まじい速度で落下しているため、瞬時に変化していく大地との距離。だがその条件をものともせず、カヴァリアンの《銃》が地上に向けて精確に火を噴き、敵方のアルマ・ヴィオを次々と撃ち倒してゆく。
 ――な、何だあいつは!? 人間業じゃない!
 繰士の心の動揺を鏡に映すかのように、ミトーニア側の《リュコス》の一体が不意に足を止めた。
 ――はっ!?
 刹那、目の前に影が舞い降りる。リュコスは身動き一つとれぬまま、上空から走った光の白刃に脚を破壊され、地に崩れ落ちた。土煙を巻き上げて着地するカヴァリアン。
 間髪入れずに、レーイはMgS・ドラグーンを背に固定し、二本目の光の剣を抜き放つ。なおも敵方のアルマ・ヴィオが激しく殺到するも、もはや姿勢と足元の安定したレーイの敵ではなかった。二刀を手にしたその《剣》さばき、MTサーベルを振るわせたらギルドのエクター中、最強。
 が、そのとき……。

 ◇

 輝く靄のごとき球体がカヴァリアンの周囲を覆ったのと、ほぼ同時だった。
 視線の彼方から強力な雷撃弾が飛来し、球状の結界と衝突して空気を揺るがす。カヴァリアンは《結界型MTシールド》を発動して無事であったが、近くにいた他のアルマ・ヴィオは、混戦状態の敵味方のいずれをも問わず、相当の被害を被ったようだ。
 ――どこから? 長射程のマギオ・スクロープか、何!?
 レーイが地平の向こうを見たとき、新たな衝撃が襲いかかる。今度は機体の正面。黒い影が鋭利な爪をかざしてカヴァリアンに肉薄する。さながら瞬間移動のように。
 ――あの距離を一瞬だと!? 飛行、型か……?
 腕を突き出し、結界を前面に集中して見えない敵を防ぎながらも、カヴァリアンの機体はみるみるうちに背後に押されていく。飛び散る火花。光の刃と牙がぶつかり合う。

 ――正直、君には驚いたよ。ギルドにも良い乗り手がいたものだ。
 降ってわいたかのような敵から、出し抜けにレーイに念信が届く。だがその間も、両者は激しい戦闘を続けていた。念信から感じられる雰囲気からして、相手は初老の男のようだとレーイは思った。
 ――未知の敵の、しかも加速した《レプトリア》の不意打ちを何とか避けたとはな。反射神経だけでは今の回避は間に合うまい。魔道士か。いや、普通の繰士のようだが、ならば旧世界人の言う《超能力》か何かだと?
 いかに強化されたカヴァリアンの《目》をもってしても、敵の黒い獣の動きを十分に追うことはできなかった。剣を構えた瞬間、敵はもう手の届く範囲にはいない。同じく目にもとまらぬカヴァリアンのMTサーベルが、空を切った。剣の間合いで敵に攻撃をかわされることなど、レーイにとっては本来あり得ないはず。
 敵は余裕をみせ、レーイを翻弄でもするかのように呼びかけてくる。レプトリアの速さのおかげとはいえ、人の感覚を越えたその動きを自由に操るナッソス家のエクターも、尋常な腕前ではなかった。
 ――レプトリアの加速を真正面から受け止めず、剣で爪を巧みに受け流しつつ、背後に飛び退く。瞬時の判断力もたいしたものだが、やはりその機体の並外れた機動力もあってこそ。それも旧世界のアルマ・ヴィオのようだな。
 ――どうかな? いずれにせよ、どんなアルマ・ヴィオであろうと、そちらの速さには追いつけないと言いたげだが。姿を見せろ!
 レーイがそう言うが早いか、カヴァリアンは、即座に剣を背中のMgS・ドラグーンに持ち替えて発射した。
 ――魔法弾の軌道が曲がった!?
 得意の早撃ちを交わされた瞬間、レーイは次弾を放っていたが、再びあっけなく方向を反らされてしまう。
 ――それがMgSの軌道をねじ曲げる件の兵器……。やはり、クレドールの少年が今朝戦ったという、旧世界の超高速の陸戦型か。どんな魔法か手品かは知らないが、こちらの飛び道具も通用しないというわけだ。
 MgS・ドラグーンに変えて、再び剣を右手に構えたカヴァリアン。同時に左腕が目映く輝き、魔法力の盾、MTシールドが形成される。
 敵はその間に悠然と間合いを取り、恐るべき姿を現した。全身漆黒の機体は、爬虫類、いや、四つ足のほっそりした恐竜を思わせる体つき。あたかも大地を滑空するかのように、超速で駆けるための翼。
 ――ほぅ、こちらのことを少しは知っていたようだな。私は、ナッソス家の四人衆が一人、ザックス・アインホルス。いや、かつて四人衆であった者だと言うべきか。君の名を聞こう。
 ――俺はレーイ・ヴァルハート。ギルドの戦士。それ以上でも以下でもない。
 その名を聞けば、ザックスも知らないはずはなかった。
 ――ギルド随一の繰士と呼び声の高い、あのヴァルハート。確かにな……。本来ならば、もっと別な形で手合わせ願いたかったが……。これもナッソスの殿とカセリナ姫の御ため、参る!!
 レプトリアがバネのような動きで大地を一蹴、轟音と共に、その姿はレーイの視界から瞬時に消失する。
 いったんは戦いの場を退き、剣を鍬に持ち替え、妻や子供たちと静かに暮らしていたザックス。だが今や彼は、再び勇猛なる戦場の鬼神に戻っていた。

 ◇

 ――あれは、いったい何? レーイは何と戦ってるのよ!? 
 ミトーニア上空、深紅の翼を羽ばたかせ、ラピオ・アヴィスが接近してくる。一足先に出撃し、ナッソス軍の動きを追跡してきたメイ。彼女は、市の城門を目前にしたところで、未確認の敵、謎の影と戦うレーイの姿を発見した。
 光の剣と盾を自在に操り、レーイのカヴァリアンが前後左右に激しい打ち合いを続けている。だが彼と交戦中の相手の動きはあまりにも俊敏で、上空からはただの黒い物体としてしか把握できない。
 強いて言うなら、あの速さは――アルマ・ヴィオというより、もはや砲弾だ。それをカヴァリアンが剣で必死になぎ払っているようにも見える。
 敵の正体を確認する間もなく、メイの念信に連絡が飛び込んでくる。
 この感じは、セシエルの心の声だ。
 ――こちらクレドール。いま、リュコスが降下した。ラプサーみたいに街に接近するのは無理だから、少し離れたところにしか降ろせなかったわ。場所を伝える、援護して!!
 ――了解。それからレーイが敵に押されてるようだけど、まさかね。どっちみち、あたしはベルセアの援護に向かって問題ないでしょ? だって、あいつはレーイだからね。
 メイはわざとふざけてみせた。そして、途中から深刻な声に変わる。
 ――レーイのくせに、苦戦なんかしてんじゃないわよ、まったく、さ。悔しいけど、あんな凄い速さの剣さばきで戦っているところに、あたしが出て行ったって……足手まといにしかならない。
 ラピオ・アヴィスは急速に方向転換し、ベルセアの乗ったリュコスの支援に駆けつける。

 ◇

 同じ頃、地上では、硝煙に霞んで見えるミトーニアに向かい、持ち前の俊足を生かしてリュコスが走る。駆け出して間もなく、火系の魔法弾が機体の周囲に何発か着弾し、次々と爆炎を呼び起こす。
 ――狙ってんのか流れ弾かは知らないが、俺のリュコスがこんなトロい砲撃くらうかっつーの!
 軽口をたたきながら、ベルセアは愛機を巧みに操る。金属の輝く肌をまとった狼は、火の海と煙の壁の中を突っ切って、軽快なフットワークで敵弾をかいくぐっていく。
 ――こんな調子なら、城門まであとひとっ飛びだぜ。このへんじゃ、お仲間さんも善戦してるようだしな。
 進路前方にギルドのアルマ・ヴィオ数機を確認し、余裕のベルセア。彼が口笛でも吹きたくなったそのとき――突然、それらのアルマ・ヴィオの群れが何者かに襲われ、瞬時になぎ倒された。
 ――おいおい、褒めた途端にこれか……。だが気をつけろ、相棒よ。何か見えたが、敵だな。今のは何なんだよ!?
 自らと一体化しているリュコスに、ベルセアが思念を送る。
 ――残念だ。確認できなかった。あまりに動きが速く……。
 必要最低限、機械的な声が帰ってきた。普通のアルマ・ヴィオの返事は大体似たり寄ったり、そんなものだ。
 ――せいぜい前はよく見て走れってか。何!?
 目で理解する前に、機体=身体に激震が伝わる。一瞬、ベルセアの目の前が真っ暗になり、ほとんど跳ね上げられるような姿勢でリュコスが空中に舞った。半分は回避し、半分は敵からの打撃を受けた結果だ。
 相手の接近の気配すらなかった。攻撃前、攻撃後、敵は己の位置を全くさとらせていない。姿無きアルマ・ヴィオ。
 だがベルセアも腕は確かだ。吹き飛ばされたリュコスは宙で一回転して姿勢を戻し、見事に着地する。
 ――そこか!?
 いま着いたばかりの地面を蹴って、リュコスが果敢に飛び出す。しかし手応えは空しかった。今度は確かに気配も察知しての反撃だったはずだ。それにもかかわらず、敵は戦いの間合いから離脱し、とうに近くにはいない。
 ――なんて速さだ、ほんとに相手はアルマ・ヴィオなんだろうな?
 急に寒気を感じ、ベルセアは慎重に周囲を警戒する。昼間の日差しのもと、しかも視界を遮る背の高い木々は生えていない。それでも敵の姿をはっきりと捉えることができないとは……。
 ベルセアには動揺する余裕すらなかった。敵の第二、第三の攻撃、それ以上の攻撃が息つく間もなく飛んでくる。かわし続けるのは不可能だ。致命傷は避けたものの、ついに直撃を受けてしまい、リュコスの動きが重くなった。
 ――ちっ! 後ろ脚をやられた。これはさすがに冗談じゃ済まねぇぞ……。
 音もなく迫る伝説の影の魔物のごとく、敵は反撃の機会も与えぬまま、ベルセアを圧倒する。

 ◇

 リュコスの位置を確認したメイが、ラピオ・アヴィスの翼を駆る。その速さは陸戦型とは比べ物にならない。鉤爪を開いた赤い怪鳥が、地上めがけて猛然と滑空する。
 ――動かないでベルセア、あんたも当たっちゃうわよ!!
 空から急降下して襲いかかると同時に、ラピオ・アヴィスは氷結弾を放ち、敵の動きを少しでも封じようとする。
 リュコスの周囲の地面を白い凍気が覆うが、肝心の敵には冷気の魔法弾は避けられてしまった。一瞬見えた敵の姿。だが続いてラピオ・アヴィスの鋭い爪が掴みかかったのは、空っぽの地面に対してだった。そこに、もう何も見あたらない。
 ――凍結の呪文をMgSに込めたのは、賢明な選択だったな。だが上空から狙ったところで、魔法弾が地上に届いたときには、俺はもうそこにいない。
 見知らぬ繰士からの念信。敵のエクターだとメイが思ったときには、下から雷撃弾に狙い撃ちにされていた。
 翼に被弾し、ラピオ・アヴィスの姿勢が崩れる。
 ――くそ! これってルキアンが今朝戦った旧世界の……。さっきレーイが戦っていたのも、こいつと同じ?
 根性だと言わんばかりに、メイは必死に上空に舞い上がろうとする。ラピオ・アヴィスも、傷ついた翼を力の限り羽ばたかせ、彼女に応えた。鋭い鳴き声が辺りに響き渡る。
 ――動け、ラピオ・アヴィス! ルキアンが互角に戦った相手だったら、あたしは、まだ負けられないんだ!!
 しかし彼女の意気込みも及ばなかった。続く敵弾にラピオ・アヴィスは尾を貫かれ、もはや飛行困難な状態に陥ってしまう。
 ――馬鹿にするんじゃないわよ。いま、一撃であたしを殺れたくせに、わざわざ翼や尾に当てただろ!?
 強がってみせたものの、メイには次の手がない。
 ――飛行型でも、いや、ラピオ・アヴイスでさえスピード負けするなんて。不覚。これじゃ、レーイだって苦戦するわね……。
 墜落は免れそうだが、動きの自由がまだ利く間に不時着した方が良いのは確かだ。白煙を上げてふらふらと地上に向かうラピオ・アヴィス。敵の飛行型が周囲にいなかったのが、せめてもの幸いだった。
 ――俺はレディーに手を上げるのが何より嫌いなんでな。そこでおとなしく休んでるがいい、お嬢さん。ついでに教えとくが、俺はパリス・ブローヌだ。ナッソス四人衆のパリス、覚えておきな……。
 何故か心地よい響きの、しかし多分にキザな感じの中年男の声。大地に足音だけを残して、黒い機体は城門の方へと消えた。

 ――ベルセア……生きてる? 
 ――あぁ。しかし、俺ら揃って、敵に指一本触れられないまま脱落とはね。これじゃ恥ずかしくてバーンに合わせる顔がないぜ。
 ――そうね。ルキアンにも、大きな顔できなくなっちゃうか……。とりあえず、そっちも動けることは動けそう?
 命は取り留めたものの、結局、ベルセアとメイでさえ、パリスの操る《レプトリア》には歯が立たなかった。

 ――こちらパリス。ギルドの戦闘母艦から降下した陸戦型1体と、ついでに飛行型1機を撃破した。《奇跡の船》クレドールなどと世間で騒がれていても、所詮は空の海賊やゴロツキの冒険者の寄せ集め、他愛もない。
 パリスが味方に念信を入れている間、レプトリアは赤い目を爛々と輝かせ、周囲の獲物をうかがっていた。蛇のように細長く伸びた首が、金属で覆われていると思えないほどしなやかにうねっている。
 ――このまま城門まで突破する。俺に続け!
 パリスがそう伝えるが早いか、レプトリアは疾風のごとく飛び出した。背後から彼の戦いを見守っていた陸戦型・高速仕様のリュコスが6体、懸命に後を追う。ナッソス家も一筋縄ではゆかない。主力とは異なる別働隊が、目立たぬよう少数で忍び寄っていたのだ。

 たった1体のパリスのレプトリアのために、彼の進路付近に位置するギルドのアルマ・ヴィオは皆、為すすべもなく撃破されていく。熟達のエクターの手で旧世界の機体が十分に実力を発揮すれば、現実はこうなのだ。もはやパリスを止められる者は誰もいなかった。
 ――あきらめるんだな。現世界の凡庸なアルマ・ヴィオが何体たばになろうと、無駄な悪あがきにすぎん。レプトリアは《レゲンディア》クラスの機体、最初からそちらに勝ち目などない!
 レプトリアのあまりの強さに、乗り手のパリスすら悦に入っている。
 いわゆる《レゲンディア》――元々は、ハンター・ギルドの発掘屋たちが、掘り出した機体のオークションの際に使っていた隠語である、神話上の魔物や聖獣を意味する古典語に由来するという。旧世界のアルマ・ヴィオの中でも特に優れた能力を持ち、なおかつ保存状態も極めて良好で劣化の少ない機体が、別格扱いでそう呼ばれているのだ。

 ◇

 戦いの様子を上空から注視するクレドールの乗組員たち。
 さすがのクレヴィスの唇も、微かにではあったが、苦々しそうに歪んだ。
「ギルドの地上部隊がミトーニアの守備隊と抗戦し、なおかつナッソス家の先鋒隊と衝突していたとき、別の方向から手薄なところを突かれましたね。そういう事態もあり得るとは思っていましたが、まさかたった1体であれほどの働きをするとは。敵ながら、見事だと言わざるを得ませんか……」
 頼みのメイとベルセアがあっけなく倒されてしまったことで、艦橋のクルーたちにも動揺が生じていた。顔には出さないが、これまでに起こったことのない事態に誰もが不安を覚えているに違いない。
 そんな雰囲気を敏感に感じ取ったのか、ずっと無口であったカルダイン艦長が、敢えて荒々しい声で一喝する。
「何をぼんやりしている! 戦いの中じゃ、そうそう運良く敵ばかりが倒れるとは限らない。仲間が倒れたり死んじまったりすることも、当然あり得るってだけの話だ。いいか、ここは戦場だ。山賊や夜盗相手の戦いとはわけが違う。気を抜くと……死ぬぞ」
 後は何事もなかったように、カルダインは上着の胸ポケットから煙草を取り出し、黙って火をつけている。それだけで十分だった――かつてタロスの革命戦争で幾度も死線を乗り越えた艦長の言葉には、理屈では抗しがたい力が漲っていた。
 一瞬、静まりかえったブリッジ。

 すると突然、艦橋の入り口が開き、何者かが中に足を踏み入れた。
 ふわり。音もなく、白いものがゆらゆらと揺らめくように。
「くすっ」
 無邪気でいてどこか薄気味の悪い、かすかな笑い声が聞こえた。
 簡素な純白の衣装と、その色にも見まごうばかりに白い、血の気のない肌。
 長い黒髪の少女が背後に立ったとき、にわかに漂った強い霊気に、艦橋にいた人々はみな寒気を覚える。魔道士でもない普通の人間にさえ感じられるほど、娘の内に秘められた魔力は強大だった。

   銀のいばらの芽は頭をもたげ、
   はがねの刺を持つ蔦は たちまち地を覆う。
   いばらを踏みつけた者は、抜けない刺の痛みに震えるだろう。
   暗闇から芽吹いた あのいばらには、
   弱々しく揺れる花の仮面の裏側に、おそろしい毒があるから。

 謎めいた言葉、あるいは歌。それを口にする、エルヴィンの冷たい声。
 彼女の虚ろな目は、艦橋の硝子を越えてミトーニアの方角に向けられている。
 少女の唇がつり上がり、口元だけが微笑んだ。
「大丈夫。風の力を宿した飛燕の騎士は、すでに一度目覚めているのだから。すべてを写し出す鏡には姿なき敵の影が浮かび、竜を繋ぎとめる鎖は敵をとらえ、空に住まう精霊たちの鍛えた槍は敵を貫く。私には見える」
 エルヴィンはそう告げると、霧が引くように艦橋から出て行く。
「くすくすっ」
 薄暗い廊下の奥から、かすかに笑い声だけが聞こえた。
 それだけを後に残して。

 ◇ ◇

 勢いに乗るレプトリアは、行く手を遮るギルドのアルマ・ヴィオをなおも蹴散らし、疾風のごとく城門前まで駆け抜けた。パリスの配下であろう6体のリュコスは、ただ遅れぬよう後に着いていくだけで精一杯であり、また、それだけこなせば十分であった。
 ――ははは、あっけないものだ! ギルドの力などこの程度か。どうだ諸君、俺はここにいるぞ。遅い遅い。
 勝ち誇って笑うパリス。
 ミトーニアの門の前に立ち、レプトリアの動きが止まって、ようやく人の目にもその姿が完全に露わになった。周囲ではギルドと市民軍の戦いが激しさを増しているが、その戦場をたちまち越し去ったのである。
 ギルドのエクターも市民軍の兵士たちも、あの黒い陸戦型が何かの魔法でも使ったのではないかと、呆然と眺めている。
 城門付近で戦っていたギルドの陸戦型が数体、一斉に飛びかかる。だが、それを全てかわして相手を打ち倒すことは、レプトリアにとって赤子の手をひねるに等しかった。
 尖った舌を出し入れしつつ、レプトリアは、息を――あるいは吸気・排気の音を発する。耳障りな、神経をいらだたせる響きだ。黒き疾風の竜の力の前に、もはや攻めかかろうとする者はいない。パリスはミトーニアに難なくたどり着いたばかりか、城門周辺の敵をも一掃したのだ。
 ――ザックス兄貴、まだ手こずってるのか。俺は予定通り、先にミトーニアに入城して、市庁舎周辺の事態の鎮圧に向かう。そちらの先鋒隊の接近も、俺の部下に手引きさせる。悪ぃな、おいしいところをいただいて。じゃぁ、武運を祈る……。
 パリスは古い兄弟分のザックスに念信を送ると、今度は市壁の守備軍に呼びかけた。
 ――ナッソス四人衆筆頭、パリス・ブローヌ、要請に応えて参上した。さぁ、ミトーニア市民軍の諸君よ、この扉を早く開けたまえ!

 ◇

 ――落ち着け、落ち着くんだ。僕はここで、まず何をすればいい!?
 自分にそう言い聞かせるだけでルキアンは必死である。
 その隙にティグラーの鋭い牙でアルフェリオンの喉笛を狙おうと思えば、いつでもシェリルには可能なはずだった。しかし彼女はそう望まず、3体のティグラーもバリケードの前に立ちふさがったまま動こうとしない。
 ――どうするつもりだ、少年? もし一歩でもこの守りを越えようとするならば、私は君を討つ。
 シェリルが《念信》で伝えてくる。彼女の予想通り、ルキアンはしばらく返答できなかった。呆れたような調子で、シェリルはさらに告げる。
 ――気が散っているようだな。市民たちがまた暴れ出さないかと、そんなに落ち着かないか。敵と向き合っているときに余計なことを考えるのはやめたまえ。それでは命がいくつあっても足りない。
 ――す、すいません……。
 無意識のうちに、つい謝ってしまったルキアン。こうした反応はもう、彼の本能に近い次元にまで刻み込まれているのだろうか。
 ――アルマ・ヴィオの乗り手としては、君のセンスは悪くない。ろくに念信も使えぬ初心者らしいが、それにもかかわらず、機体と見事に一体性を保っているのは少々驚きだ。だが結局、君は戦士には全く向いていないようだな。
 当然のことを指摘されながらも、ルキアンは少し不機嫌そうに答えた。
 ――そんなこと、僕にだって……分かってます。
 ――ならば、なぜ戦う? 正直言って、君のような繰士の相手をするのは初めてだ。他人の流血をひどく怖れる手で震えながら剣を握り、引っ込み思案の心で気迫負けしながら敵と対峙する。そこまでして、なぜ君が戦う必要があるのだ?
 戦う理由。どれだけ迷っても、この場に適当な表現は思い浮かばず、ルキアンは馬鹿正直に答えるしかなかった。
 ――たしかに僕は血を見たくない。争いも大嫌いです。敵と傷つけ合いたくないどころか、ほんとは誰ともぶつからずに、どこか遠いところで、隅の方で静かにいられたらと思っていました。だからなのか、そういう、何ていうのか、僕みたいな……争いごとに向いてない人の気持ち、よく分かるんです。
 語り始めたルキアン。シェリルは黙って聞き続ける。
 ――でも世の中には、《帝国軍》や《反乱軍》のように何でも《力》を基準にして判断し、《力》によって物事を進めようとする人たちがいます。相手の方が自分より弱いと分かったり、相手が力に訴えることを避けていると分かったら、それにつけ込んで自分の言い分を無理矢理に押し通そうとする人たちがいます。相手の《言葉》に耳を貸そうとはせず、相手の立場を考えず、どうすればもっと今より自分の方だけが得をするか、そればかり考えて一方的に他人を犠牲にする人たちがいます。あの《神帝》ゼノフォスのように。
 ルキアンは残念そうに告げた。単に帝国軍や反乱軍のことだけを言っているのではなく、彼自身がこれまで生きてきた中での体験も、心の中で反芻されているのだろう。言葉の端々に、辛い思いがにじみ出ていた。
 ――そんな人たちがいるから……どんなに穏やかで争いの嫌いな人だって、苦しめられたあげく、本当は争いたくないのに、《戦う》ことを選ばないといけない場合も出てくるんです。だけどやっぱり、決して望まない争いの中で、どれほど心が痛むか、言いようのない苦痛を抱えながら戦うことがどんなに辛いか、僕にはよく分かるんです! 分かってるからこそ、そういう思い、他の人にはさせたくない。
 ――だから僕が戦うことに、決めたんです……。

 シェリルはしばらく言葉を返さなかった。そして意外な問いを投げかける。
 ――君は、なぜ荊(いばら)に刺があると思う?
 唐突な質問に面食らうルキアン。
 ――ミルファーンに、こういうおとぎ話がある。君はオーリウムの人間だから聞いたことはないかもしれないが……。
 入り江にひたひたと打ち寄せる波のように、静かに、淡々と、ルキアンの胸にシェリルの思念が伝わってくる。
 ――世界に人間が現れるよりも昔、生きとし生けるものすべて、草や木にまでも心があったという。そこに《いばら》がいた。その頃のいばらには、まだ刺がなかった。いばらは優しく強い心の持ち主だった。だから自分と同じような他の草木が獣に踏みつけられたり食べられたりして、いつも泣いているのを、黙って見ていられなかった。そこである日、いばらは神に願ったという。

  私に《とげ》をください。
  私を踏みつけ、むしり取ってゆく獣たちが、
  それと引き替えに刺されて痛みを知ることになれば、
  獣は草木にも鋭い爪があるのだと怖れ、
  木々や花たちに簡単には手を出さなくなるでしょう。
  それができるなら、私はどんなに傷ついてもかまいません。
  他の草木がもう辛い思いをしなくて済むのなら。

 シェリルは尋ねる。
 ――こんな夢物語と同じようなことを、現実の中で行おうとでもいうのか。ならば覚悟はあるか? 他の者の痛みを代わりに己の身に受け、自らの血と敵の血にまみれた、孤独で傷だらけの荊の戦士になる覚悟が。
 さらに彼女は念を押すように言う。ルキアンに対して賞賛も呆れも、肯定も否定も感じさせない、とても気持ちの読み取りにくい透明な心の声で。
 ――敵に傷つけられ、敵を傷つけることでますます傷ついてゆくのは君だ。疲れ果てた君が、結局、現実の中では英雄でもなんでもない、ただのお人好しにしかなり得なかったとしても……それでも戦うか?
 ――でも、あの……。
 ルキアンは彼女の話を遠慮がちに遮った。
 ――人のためとか、自己犠牲とか、英雄的な振る舞いだとか、多分そんなんじゃなくって……。単に《自分自身がそうしたいから》なのかもしれません。《いばら》だって本当はそうだったんじゃないでしょうか。平気で他人を力で踏みにじる、身勝手な人や狡い人ばかりが大きな顔をし、穏やかに暮らしている人がどこまでいっても割を食うような……そんな世の中を目の前にして、そういう状況を一番見ていられないのが僕自身だから、というだけかもしれません。
 この間の様々な事件が、ルキアンの脳裏に浮かんでは消える。師のカルバが《神帝》ゼノフォスのバンネスクに対する攻撃によって行方不明になり、ルキアンたちの住んでいた彼の研究所も何者かに破壊され、みんな散り散りになってしまった。ルキアンを暖かく迎えてくれたシャノンやその母・弟も、理不尽にならず者たちの犠牲になった。そしてルキアンが知った旧世界のことも――光に満ちた《天上界》の影で、あの《塔》の残虐な人体実験に送られた人々、衛星軌道上から降り注ぐ破壊の光によって命を奪われていった《地上界》の人たち。
 彼の脳裏に浮かんでは消える生々しい記憶が、言葉にならぬイメージのまま、シェリルの心に突き刺さる。
 嘆きながらも、ルキアンは断固としていった。
 ――そういうの、黙って見ているだけなんて、もう嫌だと思ったんです。もっと、こんなふうに世の中が変わっていけばいいなって、僕にも夢ができた。だから戦うんです。

  《優しい人が優しいままで笑っていられる世界のために。》

 ――そうか。そんな大それた考えが出てくるとは思っていなかったが。夢想ばかりしているようでいて、《拓きたい未来》があるのか、君にも。
 シェリルは仕方なさそうに心の中でつぶやく。
 ――やれやれ。私も甘い。
 ルキアンを過剰に刺激せぬよう、シェリルのティグラーは緩慢に一歩踏み出した。何気ない動作であったが、その間、巨大な鋼の虎の気配は消えていた。達人の域にある動きだ。
 ――そこから少し下がれ、少年。
 さらにもう一歩、性能と釣り合う限界までの甲冑をまとったティグラーが、その超重量に似合わぬ自然な動きで前進する。
 ――いいから君は待ちたまえ。大丈夫だ、市民に攻撃などしない。
 シェリルはルキアンに告げる。
 なぜ彼女の言葉を信じたのかは分からないが、ルキアンは言われる通りにしていた。そう、抗し難い言霊とでもいうのか、無意識のうちに。
 抗戦派側のアルマ・ヴィオが動いたのを見て、市民は口々にわめき始めた。
「敵が向かってくるぞ!」
「は、早く止めないか、何をしてるんだ! こっちのアルマ・ヴィオは?」
「踏みつぶされるぞ、逃げろ!!」
 先ほどまで剣や小銃を手に気勢を上げていた人々も、思わず怖じ気づく。ルキアンが畏敬の念すら感じた重武装のティグラーが、じわじわと向かってくる様相は、とても人間が立ち向かえるものには見えない。あっという間に市民たちは浮き足だち始める。
 獰猛な鋼の虎の巨躯と、その前にさらされた鼠の群れのごとき人間たち。
 にらみ合い。無言の秒間。
 両者の間に火花が散るも、流れは最初から決していた。
 かろうじて成立していた均衡が崩れ去ったのは――シェリルのティグラーが石畳の街路に響き渡る轟音で咆吼し、上半身を猛々しく立ち上がらせたときだった。おそらく攻撃してこないと分かっていても、背後の市庁舎まで揺るがしかねないその迫力に、人々は本能的に恐怖を感じたのだ。

 ――こういうものだ。人は、頭では死を忘れて情熱に浮かされたとしても、本能の次元では死への恐怖を決して拭い去れない。体は無意識に反応し、それは意識をもすぐに支配する。少なくとも生きていて、壊れていない限り。
 そう言いながらシェリルは、散り散りになって後退していく市民たちの様子を見つめていた。
 激昂から恐慌へと一転した人々をなだめるかのごとく、リュッツ主任神官とシュワーズ市長秘書が再び群衆の前に進み出てくる。事態を荒立てず、抗戦派兵士に対して改めて説得を試みようとしているのだろう。手を合わせ、祈るような仕草を見せながら、リュッツがバリケードの方に懸命に呼びかける。その背後では、反対側の市民たちに向け、シュワーズが大きな身振りで何か叫んでいる。
 二人の様子を見て、ルキアンは少し安心する。
 ――少年、これで余計な心配はしばらく必要なかろう。今のは貸しておく。
 シェリルはルキアンにそう言ってから、別の者との念信に切り替えた。
 ――レイシア、ナッソス家とミトーニアの動向は把握しているな?
 ――はい、シェリル様。城門が開きます。
 いずこからともなく念信の返答があった。感情の匂いのしない、旧世界に存在したという機械の人形を思わせる、年齢不詳の女の声である。答えの中身も極めて素っ気なかった。だが、言外に含まれるものを、シェリルは非常に信頼しているようだった。
 ――そうか。守備隊があっさり入城を許したということは、ギルドではなくナッソス側のアルマ・ヴィオか。しかし予定より早いな。今の時点でギルドの囲みを突破できたと? ただ者ではあるまい。
 ――記録に無い例の機体だと思われます。識別不可能です。動きが速すぎて、ロストさせないように追うのが精一杯でした。その機体に率いられていたリュコスが6体、ミトーニア側のアルマ・ヴィオと共に城門前の支配を確立しようと動いています。ナッソス家の先鋒隊を城内に誘導するため、その進路の確保を進めている模様です。
 ――分かった。レイシア、気づかれないように監視を続行せよ。私の迎えの用意も頼む。ギルドとナッソス家、いずれがミトーニアを押さえるにせよ、この街の現状は長くは続くまい。
 シェリルは再びルキアンに念信を送る。
 ――さて、おしゃべりは終わりだ。幸か不幸か、もはや私と戦う暇など君にはなくなった。ナッソス家のアルマ・ヴィオの一部がギルドの囲みを突破し、ミトーニアもそれを受け入れたのだよ。混乱がなかったところをみると、市民軍の指揮系統は、アール副市長の息のかかった者たちが事前にほぼ掌握していたようだが。
 ――そんな……。じゃぁミトーニアは本当に、ナッソス家の兵力を市内に呼び込み始めたっていうんですか。クレドールやラプサーの力でも……止められなかった? みんな大丈夫なんだろうか!?
 ――今は自分の戦いのことを考えるべきだ。城門から入ったナッソスのアルマ・ヴィオは、もうこちらに向かっている。まず市庁舎周辺を完全に統制下に置こうとしているのだろう。おそらく君のことも、すでに相手に感づかれてしまっているに違いない。
 だが、それにしても奇妙なのはシェリルだ。ミトーニア方に雇われていると言いつつルキアンに攻撃を仕掛けず、ここにいながらにして、ミトーニアやナッソス家の動きを把握しているかのようでもある。傭兵らしき者だとはいえ、アルマ・ヴィオの扱いも常人離れしている。
 ――あ、あの、あなたは一体、何者なんですか? シェリルさん。
 ――ただのシェリルだ。もっともそれは、誰かさんが適当に付けた、ここでの私の名前にすぎないが……。君が知る必要はない。それより来るぞ!
 ミトーニアの城門からルキアンのいる場所までは一直線である。門から大通りが伸び、その先に広場、そして市庁舎が位置している。あの信じがたい速さを誇るレプトリアにとっては、距離とさえ言えない程度の距離だ。
 ――来た!
 ルキアンも異変に気づく。アルフェリオンの強化された《目》や《耳》が何か巨大な物体の動きををとらえ、機体が地面の震動を感じ取る。
 思い出したかのように、彼は慌ててクレドールに念信を送った。
 ――そうだ! セシエルさん、聞こえますか? セシエルさん!
 向こうも今か今かと待ち受けていたのか、ほぼ間髪入れずに返事があった。
 ――ルキアン君!! それで……そう、もう気づいているのね? ナッソス家のアルマ・ヴィオが1体、城門から市庁舎の方に向かっているわ。今朝、ルキアン君が戦ったあの機体よ。
 ――はい。艦長やクレヴィスさんの指示は?
 ――指示も何も、そのアルマ・ヴィオを撃破せよと! 今はあなたに全てがかかってるって、クレヴィーが言ってるわ。
 一瞬、ルキアンは躊躇したが、気持ちは定まっていたようだ。
 ――分かりました。でも、その、ここでは狭すぎて、家々や市民を巻き込んでしまいます。どこかできるだけ広い場所……なるべく大きめの広場か何か、いや、もっと、とにかく広いところです! 市街にありませんか?
 彼は昨晩の広場での戦いを思い出す。周囲の建物を破壊したり火災を起こしたりせぬようにと、細心の注意を払いながら戦ったにもかかわらず、結局は、思うようにいかなかった。街の人々を巻き込むという最悪の結果だけは避けられたにせよ。
 わずかな沈黙の後、セシエルが答えを見つけたようだ。
 ――そうね、そこから市門に向かって戻り、大通りと最初に交差している道を東へ真っすぐ、ただ真っ直ぐ。今は公園のようになっているのかしら、よく分からないけれど、もう長らく放置されている遺跡があるわ。
 ――遺跡? そういえばミトーニアには、僕たちの時代の《古代》の遺構が沢山残ってましたね。広さは十分そうですか?
 ――他の場所よりはね。《複眼鏡》でヴェンに見てもらったところ、あれは《前新陽暦時代》の闘技場のようだと言ってるわ。アルマ・ヴィオ同士の格闘を当時の人々が眺めて楽しんでいたって、物語に時々出てくるでしょう? それ以上のことは分からないわ。

 セシエルに礼を言い、クレドールとの念信を終えたルキアン。
 ――もしここで僕が戦いを避けてしまったら、ナッソス家と抗戦派がミトーニアを完全に押さえてしまうかもしれない。そうなれば戦いは長引くだろう。長引けば長引くほど、その間に帝国軍はオーリウムに近づき、ギルドや議会軍にとって状況はどんどん不利に……。
 彼は何度も繰り返して念じた。自分自身に言い聞かせるかのように。

 ――そう、僕は《いばら》になる。荊になるんだ。

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