HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第39話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 力自体に善悪はなく、使う者しだいで善にも悪にもなる。
 そんなことは私にだって分かります。
 分からないのは……
 それなのになぜ神様が、悪い人にまで
 力をお与えになるのかってことです。
 (リーン・ルー・エルウェン)


「こういうの、知ってる? 元々はナパーニアの古い剣術なんだけど」
 意味ありげにニヤニヤ笑いながら、ファルマスは手にしたサーベルを鞘に戻した。
 ――戦いの最中、抜いた剣を収めた? そして再び斬り込む姿勢……。
 少し意表を突かれたヨシュアンだが、顔色ひとつ変えず剣を構える。
 ――おそらく一撃必殺を狙った抜刀の技。初撃の速さで勝負する気か。
 剣の柄を握ったまま、ファルマスは相変わらず憎らしげに笑っている。目を細め、緩む口元。満面の笑みが完成したと同時に、一陣の風のごとくファルマスの姿が消えた。
 激しく鋼のぶつかり合う音。大柄なヨシュアンの懐に、ひとまわり小さいファルマスが踏み込んでいる。つばぜり合いの中、ファルマスがおどけた声でささやく。
「あれぇ? 今のも防がれちゃった。僕の切り札だったのに……」
 彼は残念そうな顔で言ったかと思うと、何の気配もなしに次の一撃に移った。
「なぁんて、嘘だけど」
 目を爛々と輝かせ、ファルマスはヨシュアンの方を見る。先ほどまで互いの剣を交えていた二人だが、ヨシュアンは瞬時に退いていた。
「へぇ、今のもかわしたの。すごぉい。正直、あり得ないよ」
 わざとらしく、極端に緩慢な口調でファルマスが言う。彼は右手に剣を携え、もう片方の手を、左の拳を眺めて首をかしげた。
 ヨシュアンは対照的に無表情に剣を構えている。相手を凍り付かせるような鋭い眼差しで、彼はファルマスを見やった。
「なるほど、今の打撃、ただの格闘慣れした剣士というレベルではあるまい。小細工というには過ぎた技だな……。拳法の修行でも積んだのか」
 ファルマスは大げさに拍手した。
「さすが団長! あんなに密着した状態で拳の技が来るとは、予想してなかったでしょ? でも結局、かわしちゃうんだもんな」
 その言葉が終わらぬうちに、いつの間にかヨシュアンの目の前でファルマスが笑っていた。空間を飛び越えたかのように、息のかかりそうな距離まで近づいている。
「何!?」
 ヨシュアンの剣が空を切る。ファルマスは再び間合いの外に立っていた。
「こういう特殊な足運びの技も、僕は知ってる。あ、そうそう、魔法じゃないよ。瞬間移動だって思った? で、魔法っていうのはね……」
 だが言葉の途中で、ファルマスの無駄口を剣の閃きが遮った。ヨシュアンもさるもの、同様に一瞬でファルマスとの間合いを詰め、十分な防御の余裕も与えぬまま、怒濤のごとき斬撃を次々と打ち込む。目で追いきれぬほどの速さで、豪雨のように襲いかかるヨシュアンの剣。ファルマスは一方的に守勢に追い込まれ、一歩、また一歩と退いている。
 剣技にキレがあるのは勿論、ヨシュアンは腕力も半端ではない。彼の一撃は重く、その力をかろうじて受け流しているファルマスの剣は、いつ弾き飛ばされてもおかしくないように見える。ファルマスもさすがに大きな傷は負っていないが、服の所々を切り裂かれ、かすり傷程度はあちこちに生じている。勝負が付くのも時間の問題だと思われたとき……。
「だから、団長さん。話を聞いてよ」
 目映い閃光が二人の間に走り、周囲の森を突き抜けた。両剣士の激しい闘気がぶつかり合う中、異質な気が――ほとばしる魔力が――辺りに満ちた。
 漂う煙、何かが焦げた臭い。
 足元の下草は焼き払われ、その間から顔を出す建物跡の礎石にも、表面に黒い焦げ跡が付いている。
 ヨシュアンは胸元を押さえ、微かに身体をふらつかせた。周囲のものと同じく、彼のマントにも生々しい焼け跡がある。
 彼の様子を見て、ファルマスは呆れるように笑った。
「ほらね。せっかく教えてあげようと思って、《魔法》というのは、と、親切な僕が言いかけていたのに。人の話を途中で邪魔するから……」
 ファルマスの表情から笑みが消える。
「そう、魔法というのはこんなふうに使うんだって」
 狂気の美青年は、剣を手にした右手を高くかかげた。それに呼応し、森の精気がざわめいたように思える。木々が揺れ、風が満ちる。ファルマスの刃に向かって膨大な魔力がそこかしこから集まっている。
「魔法を使う……だと? しかも剣で打ち合いながら、いつの間にか呪文の詠唱を完成させていた。いや、呪文を唱えた気配さえなかった」
 剣を握るヨシュアンの手に、さらに力が加わる。表には現れないにせよ、彼の胸の内には少なからず動揺が走っている。
「ヨシュアン団長は剣一筋だから分からないかもしれないけど、今のは、まぁ、魔道士が一般的に使う……そうだなぁ、要するに普通の炎の魔法。普通っていうのも、変な表現なんだけど。で、これから見せてあげるのが、普通じゃない魔法? この手の魔法を使うことは、魔道士よりもむしろ精霊使いの領分だからね」
 ファルマスが天空に向けて突き上げた剣を、風が取り巻く。最初はそよ風のようであったが、次第に肌を刺すような魔力をみなぎらせ、強まる気流は辺りの草や枯れ葉を舞い上がらせ始めた。
「風の精霊って、何だか僕にちょっと似てる感じがする。相性が結構いいんだよね」
 気楽そうな口調だが、時折、言葉の端々に血も凍るような恐ろしさが漂う。無邪気な残酷さを存分に発揮し、ファルマスは言った。
「ね、口で説明するより実際に見てもらった方が、やっぱり、よく分かるでしょ? 僕は天才《騎士》でもなければ《剣》の天才でもないってさ。ましてや、天才格闘家でもなければ、魔法の天才でもないよ」
 うつむきながら、彼は陰惨な声で付け加える。
「僕は、普通の人より少し物覚えがいいだけ……。何て言うのかな、物事の《コツ》を掴むのが、子供の頃から人一倍早くて。目と頭がちょっと良くできてるのかも」
 その間にも、ファルマスの剣を中心に、二人の周りに物凄い勢いで魔力が集まってくる。姿は見えないにせよ、呼び出された多数の精霊たちが、ファルマスの剣を媒介として現実世界に巨大な力を作用させようとしているのだ。
「どういうわけか僕には、どんなに速い動作もどんな複雑な技も、この目でひと通り把握できちゃうんだ。そして、この頭は、一度でも見聞きしたことは確実に覚えてしまう。それは武術に限らない。例えば一回聴いた曲なら、すぐに弾けるよ。そういえば、さっきも新しい曲を弾いていたせいで、この《決闘》に遅刻しちゃった。あはは、ごめんなさい!」
 ヨシュアンの目に戦慄が走る。修羅場をくぐり抜けてきた練達の剣士であっても、ついに感情の揺らめきが、微かだが明らかに表情に出た。
 ――そうか。ファルマスの《天才》というのは、剣や魔法など、何か特定の事柄に天性の素質を持っているという意味ではない。あらゆる技能や知識を後天的に《習得する能力》に、こいつは異常に優れている!?
「そう、その顔、いいね! やっと分かったみたいだね。でも、僕の能力の本質、ヨシュアン団長は知っちゃった。困ったなぁ。そんな大事なこと、知られたからには……」
 人を食ったような声が、ヨシュアンの脳裏に反響した。
「ごめん、消えてもらっていいよね?」
 何らの罪悪感も、憎悪や敵意の欠片も浮かべないまま、彼は、己の剣に凝縮された魔力を一気に解き放とうとする。

 ◇ ◇

 突然に行動不能となり、夜空から森に落下していったエクシリオス。地面に激突するかと思われたとき、激しい目まいに襲われるような感覚と共に、グレイルの目の前が真っ暗になった。
 今の一瞬の記憶が欠落している。その直後、彼はどことも分からぬ闇の中にいた。
「ここは? 異世界に飛ばされたとか、そういうとんでもないオチになってないだろうな。しかし、このふわふわした、足元に何も無い感じ……」
 相変わらず呑気なマスターに、フラメアが慌てて突っ込む。
「だから浮いてるんだって! 宙に浮いてる!」
「俺たち、とうとう天国行き? 冗談……。いや、本当に宙を漂ってるぞ」
 我に返ったグレイルは、エクシリオスの機体を通じ、自分の置かれた状況をようやく理解した。アルマ・ヴィオの手足を動かしてみても、周囲に何も触れるものはない。
 一転してフラメアが真面目な口調になる。
「この場所の主は何らかの方法で重力を操っているみたいね。旧世界につながる者なら、そんなの簡単か……。ほら、お出ましだよ、マスター」
 一心同体。何も説明されなくとも、今のグレイルにはフラメアの指示する場所が分かる。彼はエクシリオスの魔法眼の暗視力を上げて確認した。
 下の方に灯りがひとつ。ランタンのようだ。光が揺れる。こちらに向かって何か合図をしているように見えた。それと同時に、徐々に沈んでゆくような感じで、この空間の底に向かって機体が引き寄せられ始める。
「降りてこいってか。拉致まがいの強引なお誘いに続いて、これまた強引な口説き方をするんだな、正体不明のお嬢様たち」
 グレイルの《目》に、女性らしきふたつの影が映っていた。だが、彼の言葉をフラメアがすかさず訂正する。
「マスター、よく見てみ。クロークを羽織っている方は男だよ。でも、あのサラサラの長髪はうらやましい。いや、あれは反則!」
「あ、あぁ。暗くて分かりにくかった。ずいぶん華奢な体型だな。で、あちらは本当に女だが……それにしても背が高い。おまけに頭は小さいときてる。いったい、何頭身あるんだよ」

 ◇

「とにかく暗くて何も見えない。どうにかしてくれ、フラメア」
 手探りでハッチを開け、グレイルがアルマ・ヴィオから降りてくる。
「明かり? 光の玉でも鬼火でも、自分で出せるだろうに。魔道士殿」
「その、何だ、面倒くさい……。そう言わずに頼む」
「やれやれ、フラメア様がいないと何もできないんだから」
 グレイルの声に応え、彼女は姿を現した。いや、実体化の度合いを高めたといった方がよいだろう。少女のかたちを借りたパラディーヴァが、グレイルの背後に浮かんでいる。うねる真っ赤な髪は炎のごとく。揺らめく火焔を思わせる、ひらひらとしたフリルのついた紅色の衣装。
「あいよ、マスター」
 彼女が指をぱちんと鳴らすと、暗闇の一点に火柱が立ちのぼり、周囲の外壁に沿って炎が走る。気がついたときには、見上げるような紅蓮の壁によって辺りは完全に囲まれていた。明かりどころの騒ぎではない。暗黒の広間は、もはや隅々に至るまでその姿を照らし出されたが……。
「あ、熱っ! やり過ぎだろ、殺す気かー!!」
 両手で火の粉を払いつつ、グレイルは足元に迫る猛火を避けて跳び回っている。
「ごめんごめん。長いこと魔法なんて使ってなかったから、調子狂っちゃったよ。かなり加減したつもりだったのに」
 フラメアが指をもう一度鳴らすと、炎の壁はみるみるうちに低くなり、火勢も弱まった。
 落ち着いて見ると、ここは思ったより遥かに広い。アルマ・ヴィオ数体が自由に動き回れるほどだ。しかも頭上に向かっては、天上が見えないほどに高く伸びている。壮大な地下空間を前に、グレイルは今更のように驚嘆している。

 赤いカーテンさながらに、空洞を壁沿いに取り囲む炎。その輝きに照らされ、前方に例の二人の姿が浮かび上がる。その一方、ウーシオンが拍手と共に言った。
「ククク。素晴らしい。あのような巨大な炎の壁を作り出すことさえ、火のパラディーヴァにとっては、まばたきする程度のことらしいですね。それに、私たちは一瞬で炎によって包囲されてしまっている。こちらが少しでも妙なそぶりをみせれば、逃げ場のないまま猛火に焼き尽くされるというわけですか。嫌いじゃないですよ、そういう容赦のなさは……」
 クロークの裾を揺らめかせ、彼は続いてグレイルを見つめる。ウーシオンの薄い水色の瞳が鋭い眼光を帯びると、時折、銀色にもみえた。
 彼の視線に反射したかのように、グレイルの肩や首がぴくりと動いた。身体に不自然に力が入っている。
 ――魔道士? しかも、俺なんかとは比べ物にならないレベルの術者だ。視線を向けられただけでも、突き刺すみたいな力が腹の底まで伝わってくる。
 一見、どこを見ているのか分からないような、無表情でぼんやりとしたウーシオンの眼差し。それでいて、グレイルは心の深層までも見通されている気分になってしまう。
 立ち止まったグレイルの前に、今度は、すらりとした長身の美女が現れた。その背丈もさることながら、まず目に付いたのは、彼女の神秘的な色の髪だった――白銀に淡い青磁色を溶かしたような不思議な色合いの髪は、肩口まで豊かに流れ、そこで外向きに跳ねている。
「非礼をお詫び申し上げます。やむを得ぬ事情があったとはいえ、我らの《御子》をお招きするにはあまりにも不躾な真似をしてしまったことを、どうかお許しください」
 彼女は深々と頭を下げた。そして再び顔を上げると、品の良い微笑を浮かべ、右手をさしのべる。
「私はシディア・デュ・ネペントと申します。《鍵の守人》を束ねるネペント家、その長女です」
 グレイルも妙に改まって握手する。
「ガキのお守り? いや、鍵の……守人って言ったか? 何だそりゃ。ともかく、俺、いや、私はグレイル。その、グレイル・ホリゾードだ。よろしく」
「グレイル様、火のパラディーヴァ・マスター。そして、そちらがパラディーヴァ……。初めて見ました」
 シディアと目の合ったフラメアは、皮肉っぽく告げた。
「フラメアだよ。随分と一方的な招待じゃないか、ネペントのお嬢さんとやら」
「申し訳ありません。広範囲に念信を発して呼びかけては、この場所が帝国軍に探知されてしまいます。交信するあなた方も見つかってしまう可能性がありました。そこでパラディーヴァにだけ直接気づいてもらえるような、ある特定の思念波を送り続けていたのです。しかし、その方法では具体的なメッセージまでは送れませんでした」
「ほぅ。そこにいる悪そうなお兄さんを使って、あたしたちに《電波》をしつこく飛ばしていたのは、そういうわけ」
 傍らで涼しげに聞いている魔道士に向け、フラメアが舌を出すような仕草をした。
「悪そうに見えるなどというのは、とんだ誤解ですよ。私は善良なウーシオン・バルトロメア。《鍵の守人》に所属する魔道士です。よろしく。クククク」
「だから、そのクククっていう笑い声が、いかにも悪者っぽいんだってば……。ねぇ、マスター?」
 グレイルの耳元でフラメアがささやいた。わざわざ言葉にするまでもなく、しかも小声で話すという面倒なことをせずとも、パラディーヴァとマスターは心で語り合うことができるはずなのだが。当のグレイルは、つかみどころのない現状を呆れて傍観しているような様子だ。
 そんな彼に対し、シディアが真剣な表情で訴える。
「グレイル様、急かせてしまって恐縮なのですが、父があなた方にお会いしたいと申しております。一緒に来てくださいませんか? すべてはそこでご説明いたしましょう」

 ◇ ◇

 同じ頃、ガノリス王国のある地方都市にて。市壁の際に始まり、背後の山へと伸びる丘陵の上から、帝国軍に接収された倉庫街が見える。壁のように連なる煉瓦造りの建物。その間を走る通りに、相当大きい人型の影が点々とそびえている。肉眼でも確認できる大きさのそれらは、汎用型のアルマ・ヴィオだ。
 木立に身を潜め、丘の上から帝国軍の様子をつぶさに観察する十数名の人影があった。春とはいえ、寒冷な気候のガノリスでは、夜になると気温は急激に低下する。彼らの服装は、その寒さに十分対応したものとなっている。森の国に似合うダークグリーンの毛織りのコートに、同色の厚手のエクター・ケープ。どことなく烏帽子を思わせる、高く伸びた黒い帽子。この特徴的な服装は、ガノリス王家の近衛隊のものだ。ただし、従来のような華美な装飾部分と、そして階級章は外されている。
 深緑のコートをまとった一群のうち、声を抑えて一人の女が言った。
「冷えてきましたね。ロスクルス様……いや、ロスクルス隊長」
 彼女はそう言ってマフラーを締め直した。赤土を想起させる色の髪は、イリュシオーネの女性にしては珍しく、耳が半分出る程度の短さにまで切り詰められている。こざっぱりとして端正な雰囲気を醸し出しているものの、冷たい夜風の中では寒そうにも感じられる。
 ロスクルスと呼ばれた者――彼女の隣にいる男は、対照的に長い藤色の髪を風になびかせている。精悍な横顔が、雲間に見え隠れする月光に照らし出された。すでに若者という年齢ではなく、30代も後半くらいのようだが、気勢の衰えなど一切感じさせない若々しさだ。
 彼こそ、近衛隊最強の十人の機装騎士《デツァクロン》の一人、レオン・ヴァン・ロスクルスである。帝国軍によって王キが焦土と化し、各地の主要都市や城塞が陥落した現在、事実上崩壊した正規軍に変わり、なおも彼はレジスタンスを組織して抵抗を続けていた。
「そう、冷えてきた。それに見よ、月も厚い雲間に隠される……」
 厳かな口調でロスクルスがつぶやく。感情の匂いの無い、あくまで静かに染み通る、凍てついた夜気を思わせる響き。それでいて、彼の声には圧倒的な力強さがある。
「帝国の者共には、ガノリスの夜の寒さはいささか厳しかろう」
 彼が目を閉じると、長い睫毛がひときわ目立った。切れ長の目を再び開き、彼は射るような眼差しを帝国軍の部隊に向ける。
「去るがよい。そう、貴様たち帝国の兵は、この地に居てはならないのだ」
 ロスクルスは音もなく立ち上がり、背後に姿を消した。風の中に、彼の声だけが残された。
「行くぞ。我らが母なる森の祝福を……」
 彼と同じ言葉が整然と復唱された――《我らが母なる森の祝福を》と。
 丘の木立の背後から、数体の汎用型アルマ・ヴィオが立ち上がる。
 他方、市内に続く道に集まった別の人間の一団もあった。近衛隊とは違う風体の男が先頭に立っている。無精髭が目立つものの、彫りの深い精悍な面構え。使い古しの穴だらけのマントと、縮れた黒髪が風に揺れている。一見、野武士か山賊を思わせる無頼の中年男にして、同業者の間では知らぬ者のない冒険者だ。
「いいな、奪うべき武器と食料の内容は打ち合わせの通りだ。残りの武器・弾薬・食料は、とにかく奴らが二度と利用できないよう、すべて投げ捨てるか焼いてしまえ!」
 そう指図するが早いか、彼は赤茶けたマントを翻し、小銃を手に駆け出す。
「ヨーハン隊長に続け、遅れるな!!」
 残りの者たちも後を追い、夜の闇に紛れていった。

 ◇ ◇

 日没後しばらく経ち、オーリウムにも夜が訪れた。王城の丘の向こうに広々と続く森、そのただ中に開けた小さな草原も、木々の作り出すいっそう濃い闇に取り囲まれていた。
 所々に立つ黒い影は、かつてこの場所にあった建物の名残である。崩れた壁の一部が石碑のように立ち、草むらから顔を出す。穏やかに降り注ぐ月の光が、それらの石造りの遺構をおぼろげに浮かび上がらせていた。
 夜の森の光景は、眼前で続いている激しい戦いには不似合いなほど静謐であった。暗がりに煌々と輝くのは、ファルマスが天空を指してかかげた剣だ。いま、この瞬間も風の精霊の力が刃に次々と集まり、火花のごとき霊気の閃きを放つ。
「何か言い残すことはないかな? ヨシュアン団長」
 輝きを増してゆく魔法の光に照らされ、ファルマスの緩んだ口元が見えた。
 返事はない。ヨシュアンの影は多少ふらついているようにも見える。先ほどの炎の魔法で受けたダメージが意外に大きかったのだろうか。うねった長い髪が正面に垂れ下がり、彼の表情は分からない。
「本物の剣士をなめるなよ、ファルマス……」
 ヨシュアンが頭を振った。夜風に吹かれ、顔にかかっていた髪が脇に流れる。不敵な笑みが見えた。なぜか彼は背後に下がる。これでは、剣の届かない間合いに自分から出て行くようなものだ。かといって魔法を避けるにしては、この程度の距離を取ったところで意味がない。
「あらゆる武術において一流である反面、超一流の域に達したものは何もない。それが貴様の弱点だ。要するに、何でもできるが《奥義》をひとつも持たない。それは達人同士の戦いでは致命的となる」
 ヨシュアンは腰を落とし、剣を担ぐような不思議な姿勢で構えた。
「問題は技の数ではなく、技の質なのだ。剣にせよ魔法にせよ、《奥義》というのは通常の技とは次元が違う。普通の技をどれほど集めたところで、真の奥義には通用しない」
 だが彼の言葉を受けても、ファルマスは相変わらず無邪気に微笑んだまま表情を変えない。むしろ今まで以上に心底楽しそうに笑っているようだ。
「おやぁ? やっと団長もお喋りになったね。そうそう、楽しくやろうよ。でも残念! せっかくの楽しいひとときも、これで終わりみたい……」
「あぁ、終わるのは貴様だがな」
 ヨシュアンの目が光った。野獣さながらの雄叫びを上げ、彼は今まで以上の巨大な闘気を解放する。近づけば弾き飛ばされそうな勢いで、渦巻くように、体中から底知れぬ強さで戦いのオーラが立ち昇っている。相当の大技、いや、奥義を繰り出すつもりなのだろう。
 対するファルマスは、何の動揺も際だった反応もみせず、単に目を細めただけだった。

 そして――かすかな笑い声と共に振り下ろされる剣。

 閃光が周囲の森を飲み込む。爆風のごとき気流によって木々は倒れ、あるいは折れて吹き飛ばされてゆく。竜巻が通り過ぎたかのように、あたりは一瞬で破壊の渦に巻き込まれた。

 ◇ ◇

 エルハインの王城は広大である。城の本来の敷地自体も大きいが、その周辺にある森にも、庭園や練兵場、馬場などは勿論、城の別館などが点々と存在する。それらの部分も含めると、都の北にある丘陵一帯がすべて王宮の延長であると言えなくもない。
 王宮の東館の庭に流れる小川の一本を辿って歩いてゆけば、やがて城壁にぶつかる。その城壁の扉を抜け、いったん裏側に回ると、城壁に隣接して建つ古めかしい建物の前に出る。ここが、いわばレグナ騎士団の詰め所である。ツタに覆われた石造りの強固な外観は、鎧兜に身を固めた騎士たちが戦いを繰り広げていた、かつての時代を彷彿とさせる。王城の本館が《城館》あるいは《宮殿》とでも表現すべき、王の住まいとしての華麗な建造物であるのに対し、この建物は文字通りの戦闘用の《城》という様相である。実際ここは、オーリムが王国として統一される以前の戦乱の時代から存在していた、王城の中でも最も古い部分のひとつなのだ。
 その詰め所に向かって、近衛隊の騎士と思われる二人が城門から出てくる。一方は、無駄のない細身ながらも肩幅のある、引き締まった体躯をもつ男。他方は若い女のようだが、月明かりに浮かぶ影は、何か長いもの――大きな弓をもっている。
「見回り、お疲れ様でした。ジェイド隊ちょ……いえ、すいません、副団長」
 弓を持った女性、レグナ騎士団のリーン・ルー・エルウェンは、大儀そうに頭を下げた。
「どうした。声が少しかすれてるぞ。風邪でも引いたか?」
 できの悪い部下ほど可愛いというわけでもなかろうが、副団長はリーンの方を心配そうに眺めている。
「いえ、大丈夫、です。私、ちょっと裏で用事があるので、それでは。お疲れ様でした」
「お、おぅ。また例のヤツらか? 気をつけろよ、もう暗いから。おいおい、そんなに慌てて、転ぶなよ!」
 詰め所に続く道から枝分かれして、奥の林へと伸びる小径。そこを駆けていくリーンの背を目で追いながら、ジェイドは苦笑した。
「しかし、暗いから気をつけろだの、転ぶなだのと、これが機装騎士に対して言わねばならん言葉か。困ったものだ……」

 ランプをかざしながら、林の中の真っ暗な道を進むリーン。
おそらく植林されたものなのであろう、適度に間隔を空けて立つ木々の間に、満月の明るい光が上から降ってくる。風に木の葉がサラサラと揺れる音が、微かに聞こえる。静かだ。
「こんばんは」
 彼女は急に立ち止まり、親しげに挨拶した。周囲には誰もいない。
 不意に、足元で子猫たちの鳴き声がした。
 武装したリーンは、動きづらそうにしゃがみ込み、話し始める。
「見回りで遅くなってしまいました。ごめんね」
 彼女は子猫の一匹の頭をなでる。おそらく兄弟なのであろう、似たような小さな虎猫が4匹、甘えた声をたてながらリーンの手や足元にじゃれついている。
「今日もまた失敗ばかりで、副団長に怒られてばかりでした。みんなは元気だったかな?」
 あまり抑揚のない、呑気だが明るくもない声で、彼女は子猫たちに声をかけ続ける。
「リーンはですね、大事な眼鏡が割れちゃった。どうしよう……。今月のお休みに、新しい服を買うはずだったのに。お金、無くなった」
 勿論、返事があるはずもない。暗闇で一人、ぶつぶつと話し続けるリーンの姿はかなり奇妙であった。動物に声をかけているわりには、変に丁寧な言葉づかい。そのくせ、ぶっきらぼうな口調。
「いいんだ。支給される騎士団の服があれば、私服はいらない。別に誰に見せるわけでもないし」
 子猫は平和そうな顔つきで、リーンの指を舐めている。
 その一匹を抱き上げると、彼女は不慣れな手つきで頭をなでた。
「みんなのお母さん、今日も迎えにこなかったね」
 リーンは子猫を地面に降ろすと、名残惜しそうに背を向け、城の方に続く道に一歩踏み出した。
「さびしいね……」
 黒髪が夜風になびいた。
 機装騎士、あるいは射手というには、意外にほっそりとした背。
 月光を反射してつやつやと光る黒髪が、一瞬、不思議な金色の輝きを放ったように見えた。いや、目の錯覚だろう。
 髪の間から、少し尖った耳が顔を出している。
 とぼとぼと歩き始め、詰め所に帰って行くリーン。

 ◇ ◇

 剣に宿らせた風の精霊たちの力をファルマスが解き放ったとき、ヨシュアンも己の闘気のすべてを込めた剣をその豪腕で振り下ろした。二つの激流がぶつかり、あるいは二匹の竜が身をくねらせ咬み合うかのように、両者の放った攻撃が真正面から衝突する。周囲の地形が変わってしまうのではないかと思わせるほど、地を裂き、木々をなぎ倒し、夜の大気を振るわせる。
 次の瞬間、森は再び静まりかえったかと思うと――なおも、いくつかの大木がメリメリと音を立てて倒れた。土煙や草の葉の破片が暗闇に舞っている。
 やがて月明かりのもと、剣を手に立つ二人の姿が浮かび上がった。双方とも凍り付いたかのごとく、身じろぎもしない。
 しばし睨み合いの続いた後、ファルマスが口を開いた。よく見ると彼の額には血が流れている。
「さすが王国一の剣士、だね。剣圧によって、離れた敵を斬るなんて、英雄物語に出てくる作り話だと思ってたけど。本当にできるんだ……」
 先ほどまでとは違い、今度はファルマスの方が苦しげな様子だった。息も絶え絶えという話しぶりである。
「僕の放った疾風の刃が団長の技で打ち消されたばかりか、逆に僕まで斬られちゃったかな? 避けたつもりだったんだけど、さすがに、完全にかわすのは不可能だったみたいだね。あ、あれぇ……?」
 突然、ファルマスは吐血した。彼の胸部にも傷が開いているのか、裂けた服の生地が、じわりと赤に染まる。自分でも意外だと言わんばかりの顔で、ファルマスは珍しそうに自身の血を眺めていた。
 ヨシュアンの足元からファルマスの方に向かって、地割れのようなものが生じていた。それがヨシュアンの放った攻撃の跡だ――卓越した剣士が全身の気を剣に込め、振り下ろすことで生まれる究極の一撃。離れたところにいる敵でさえも、その剣圧によって、かまいたちのように切り裂くことができるという。
 油断無く、再び剣を構えるヨシュアン。彼は低い声でつぶやいた。
「どんなに無敵の剣士であっても、魔道士の魔法に正面から立ち向かってはかなわない。それゆえ昔から剣士たちの間では、魔法使いと戦うための奥義が編み出され、密かに伝承されてきているのだ。今の斬撃のように。俺が魔法を使えないことに油断して、下手に魔法を使ったのが命取りになったな、ファルマス。剣での戦いを続けていたならば、剣と同時に拳や蹴りを自在に使いこなせる貴様にも、勝機があったかもしれんのに……」
 白いシャツに滲む血。胸を押さえつつ、引きつった荒い吐息を混じえながらも、ファルマスは不敵な口調で答える。
「なるほどね。僕が技におぼれたって言いたいのかな? 凄かったよ、今の攻撃は」
 この期に及んでファルマスはニヤリと微笑んだ。
「――ちょっと、痛かったじゃない」
 彼は声を震わせ、不気味に笑っている。感情の壊れている狂気の天才も、さすがに若干の怒りや動揺を覚えているのだろうか。
「でもヨシュアン団長。技に、いや、奥義におぼれたのは貴方の方だよ」
「何だと? 深手を負って、とうとう負け惜しみか」
「まぁ、聞いてよ……。もし問題の奥義というのが通常の斬り合いの状況で使える技だったなら、団長の性格から考えると、今までの戦いの中でとっくに使われていたはず。僕は今頃、奥義で斬られてあの世行きだっただろうね。そう、だから僕は予想していた。団長のいう奥義とは、もっと特殊な技だとね」
 血まみれになりながらも、へらへらと笑っているファルマスの表情は、異様を通り越して壮絶でさえある。
「で、僕が強力な風の精霊魔法を使おうとしたら、予想通り団長は、同様の威力のある奥義で応える構えを見せた。でも、それって、釣られたんだよ?」
「ほう。あれは誘いの隙だったとでも言いたげだな。そんな深手を負っておきながら、よくも言えるものだが」
 呆れた口調で言い放ち、わざとらしく鼻で笑ったヨシュアン。だがファルマスの次の言葉を聞いた途端、ヨシュアンの顔から血の気が引いた。
「アタマ堅いなぁ、団長さーん。正直に言っちゃうとさ、僕の風の魔法はとどめの一撃ではなくて、単なる《おとり》だったんだよね……。団長ほどの使い手に隙なんてあり得ない。でも隙を作ってもらう必要があった。そう、奥義に集中すれば、どんな剣士でも、さすがに他のことにまで完全に注意は行き届かない」
 いつもの無邪気な残虐さが、ファルマスの表情に戻った。
「要するに、あの瞬間に注意をそらしたんだよ。だってこんな低いレベルの魔法、普通だったら、鍛えられた剣士にかかりっこないもん!」
 彼がそう言ったとき、ヨシュアンの身体に異常が現れ始めた。
 剣を手にした腕の感覚がおかしい――血や神経が通っていないような気がする。足も重い。痺れたような、あるいは石のごとき、自分の身体の一部でない感さえある。
「体が、う、動かない? 何をした、ファルマス!?」
 ヨシュアンは両手で剣を握り、相手に向かって構えたまま微動だにしない。いや、動きたくても身動きが取れないのだ。
 ファルマスは嬉しそうに目を細めて近寄ってくる。
「ただの《麻痺》の呪文だよ。普通の人でも精神力が強ければ、この魔法をかけられたときに抵抗して、無効化することができてしまう。《眠り》の呪文なんかの場合もそうだけど、便利な反面、精神を鍛え抜いた相手には全く通用しない困った呪文だよ。でも悔しいよね? 素人どころか名剣士なのに、全く気のつかない間に魔法をかけられれば、こんな安っぽい術に引っかかっちゃうんだもん!」
「卑怯な! 風の精霊魔法がおとりだったとは、こういうことか……」
「卑怯? 頭を使ったと言ってよ。あぁぁ、そうか、魔道士が同時に二つの魔法を使うなんて、あり得ないと思ってた? だから僕、わざわざ精霊を呼び出したんだよ。精霊魔法の場合、いったん精霊を呼び出しちゃえば、あとは術の完成をいくらか任せておけるからね。そうやってできた余裕を使えば、《麻痺》のように簡単な呪文なら平行して準備することぐらいできるよ? さすがに高度な呪文は無理だけど」
 悔しさが顔中ににじみ出ているヨシュアンだが、もはや喋ることすらできなくなっている。全身を細かく振るわせ、今まで以上の憎しみのこもった目でファルマスを睨み付ける。
 ――こんなところで終わってしまうのか? 俺がいなければ、王子やジェローム内大臣はどうなる。この国はメリギオスの思うがままだ!
 平然とヨシュアンの隣まで来ると、ファルマスはにっこり笑って肩を叩いた。
「それに、風の魔法で団長を倒しちゃったら、魔法の使える者がやったという証拠を残すようなものじゃない。その点、麻痺の呪文は便利。団長が死んじゃえば、自然に効果も消えて、魔法自体の形跡は残らない……。でもそうなると、暗殺者が団長を剣で殺害したように見えちゃうね。団長に剣で勝てる人なんているわけないのに。何だかウソっぽいかな? ははは」
 無垢な子供を思わせるファルマスの顔つきが、突然、凄惨な殺人鬼のそれのように一転する。彼はヨシュアンの耳元でささやき、彼の首筋に剣を突きつけた。
「楽しかったよ。バイバイ、これで貴方は伝説になれるね」

 ◇ ◇

 ランプの淡い光に照らされた空間。フラスコやビーカーに似た多数の実験器具や、山と積まれている書類を背景に、高さ2メートルほどの硝子作りのカプセルが部屋の中央に立っている。硝子の表面には、呪文の文字列や幾何学模様などがびっしりと刻み込まれていた。床や壁には、不気味に脈打つ触手のごときものが、おそらく儀式魔術用のパイプか何かが、縦横に張り巡らされている。
 カプセルの中には、黒い霧、あるいは影のような《何か》が封じ込められている。魔法で強化された特殊な硝子の向こう、その何かが不自然にうごめく。さながら生きているかのように――いや、本当に生きているのではないかと思われる。
 白い長衣をまとった魔道士らしき女が、不思議なカプセルの様子を観察していた。彼女は《影》の様子を目で追いつつ、手にした分厚い書類の束をめくっている。二十代後半から三十代程度であろうか、肩口でうねるようなクセの強い黒髪と、妙な色気のある厚めの唇が特徴的だった。
 彼女の後ろには、同様に白い長衣をまとった魔道士風の男が立っている。金髪をオールバックにし、細い黒縁の眼鏡をかけたその姿は、端正ながらもいささか堅苦しそうな雰囲気である。女性の方よりもいくらか年下に見える。二人は、おそらくルキアンの師のカルバのように、机上の実験やアルマ・ヴィオの開発等を主に手がける技術者的な魔道士なのだろう。
「調子は上々ね。細かい調整の余地も残っているけど、それはまぁ、これから実戦データを取りながら手を加えても遅くないわ」
 女はそうつぶやくと、眠そうな目をこすった後、大きく伸びをした。
「あとは《ゼーレム》のマスターの到着を待つのみですね、ジーラ博士」
 オールバックの眼鏡男が尋ねる。ジーラと呼ばれた女魔道士は、何か含みの有りそうな言い方で答えた。
「えぇ。《この子》のマスターになる、ライ・ド・ランツェロー君――腕だけは超一流のエクターだということは、あなたも聞いているでしょう?」
「勿論です。軍の本陣の《コルプ・レガロス》の中でも、屈指の機装騎士であったとか」
「でも、今はもうクビよ、クビ」
 側にあった椅子に座ると、ジーラは気だるそうな様子で足を組んだ。
「彼、バンネスク攻めのときに重大な命令違反をしたそうよ。知ってた、マテュース? なんでも《天帝の火》の発射を妨害しかねないようなことをしたのだとか。それって、命令違反どころか、下手すれば反逆じゃないの」
「しかしそんなことをして、ランツェロー殿は、よく無事でいられましたね」
「そこは事情があるのよ。本来なら重罰に値するけれど、なんせあの名門の生まれだし、畏れ多くも、皇帝陛下の弟君や妹君の親しい御学友様だったんだそうで。裏で色々と取引があったんでしょうね。何より、戦時のまっただ中、あれだけの技量を生かさないのは勿体なすぎる。処置に困った軍のお偉いさんは、やんちゃの過ぎる厄介坊ちゃんを、あたしたちに体よく押しつけた。そういうことかも」
 二人の魔道士は、ジーラ・ド・エンドゥヴィアと、マテュース・ド・ラムリッツである。ジーラは軍の《ネビュラ》つまり人工精霊兵器の開発に主に携わっていた研究者であり、同じく軍の研究者であるマテュースは、若いながらもアルマ・ヴィオ創造の俊才と言われていた。

 ふと訪れた沈黙。
 すると突然、声が聞こえた。二人とも喋っていないにもかかわらず、である。

 ワタシハ、ヴィア。
 テイコクノテキハ、マッサツ、マッサツ。
 ヒャヒャヒャヒャヒャ!!

 例の黒い影が、人のような姿を取り――いや、厳密に言うと少女のような姿を取り、感情の匂いのしない、乾いた不気味な声で高笑いしていた。
 カプセルの中で硝子を突き破らんばかりに跳び回る影。赤い目のようなものが二つ、薄暗い室内で光った。

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