HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第39話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

「去るがよい。そう、貴様たち帝国の兵は、この地に居てはならないのだ」
 ロスクルスは音もなく立ち上がり、背後に姿を消した。風の中に、彼の声だけが残された。
「行くぞ。我らが母なる森の祝福を……」
 彼と同じ言葉が整然と復唱された――《我らが母なる森の祝福を》と。


 3.

 日没後しばらく経ち、オーリウムにも夜が訪れた。王城の丘の向こうに広々と続く森、そのただ中に開けた小さな草原も、木々の作り出すいっそう濃い闇に取り囲まれていた。
 所々に立つ黒い影は、かつてこの場所にあった建物の名残である。崩れた壁の一部が石碑のように立ち、草むらから顔を出す。穏やかに降り注ぐ月の光が、それらの石造りの遺構をおぼろげに浮かび上がらせていた。
 夜の森の光景は、眼前で続いている激しい戦いには不似合いなほど静謐であった。暗がりに煌々と輝くのは、ファルマスが天空を指してかかげた剣だ。いま、この瞬間も風の精霊の力が刃に次々と集まり、火花のごとき霊気の閃きを放つ。
「何か言い残すことはないかな? ヨシュアン団長」
 輝きを増してゆく魔法の光に照らされ、ファルマスの緩んだ口元が見えた。
 返事はない。ヨシュアンの影は多少ふらついているようにも見える。先ほどの炎の魔法で受けたダメージが意外に大きかったのだろうか。うねった長い髪が正面に垂れ下がり、彼の表情は分からない。
「本物の剣士をなめるなよ、ファルマス……」
 ヨシュアンが頭を振った。夜風に吹かれ、顔にかかっていた髪が脇に流れる。不敵な笑みが見えた。なぜか彼は背後に下がる。これでは、剣の届かない間合いに自分から出て行くようなものだ。かといって魔法を避けるにしては、この程度の距離を取ったところで意味がない。
「あらゆる武術において一流である反面、超一流の域に達したものは何もない。それが貴様の弱点だ。要するに、何でもできるが《奥義》をひとつも持たない。それは達人同士の戦いでは致命的となる」
 ヨシュアンは腰を落とし、剣を担ぐような不思議な姿勢で構えた。
「問題は技の数ではなく、技の質なのだ。剣にせよ魔法にせよ、《奥義》というのは通常の技とは次元が違う。普通の技をどれほど集めたところで、真の奥義には通用しない」
 だが彼の言葉を受けても、ファルマスは相変わらず無邪気に微笑んだまま表情を変えない。むしろ今まで以上に心底楽しそうに笑っているようだ。
「おやぁ? やっと団長もお喋りになったね。そうそう、楽しくやろうよ。でも残念! せっかくの楽しいひとときも、これで終わりみたい……」
「あぁ、終わるのは貴様だがな」
 ヨシュアンの目が光った。野獣さながらの雄叫びを上げ、彼は今まで以上の巨大な闘気を解放する。近づけば弾き飛ばされそうな勢いで、渦巻くように、体中から底知れぬ強さで戦いのオーラが立ち昇っている。相当の大技、いや、奥義を繰り出すつもりなのだろう。
 対するファルマスは、何の動揺も際だった反応もみせず、単に目を細めただけだった。

 そして――かすかな笑い声と共に振り下ろされる剣。

 閃光が周囲の森を飲み込む。爆風のごとき気流によって木々は倒れ、あるいは折れて吹き飛ばされてゆく。竜巻が通り過ぎたかのように、あたりは一瞬で破壊の渦に巻き込まれた。

 ◇ ◇

 エルハインの王城は広大である。城の本来の敷地自体も大きいが、その周辺にある森にも、庭園や練兵場、馬場などは勿論、城の別館などが点々と存在する。それらの部分も含めると、都の北にある丘陵一帯がすべて王宮の延長であると言えなくもない。
 王宮の東館の庭に流れる小川の一本を辿って歩いてゆけば、やがて城壁にぶつかる。その城壁の扉を抜け、いったん裏側に回ると、城壁に隣接して建つ古めかしい建物の前に出る。ここが、いわばレグナ騎士団の詰め所である。ツタに覆われた石造りの強固な外観は、鎧兜に身を固めた騎士たちが戦いを繰り広げていた、かつての時代を彷彿とさせる。王城の本館が《城館》あるいは《宮殿》とでも表現すべき、王の住まいとしての華麗な建造物であるのに対し、この建物は文字通りの戦闘用の《城》という様相である。実際ここは、オーリムが王国として統一される以前の戦乱の時代から存在していた、王城の中でも最も古い部分のひとつなのだ。
 その詰め所に向かって、近衛隊の騎士と思われる二人が城門から出てくる。一方は、無駄のない細身ながらも肩幅のある、引き締まった体躯をもつ男。他方は若い女のようだが、月明かりに浮かぶ影は、何か長いもの――大きな弓をもっている。
「見回り、お疲れ様でした。ジェイド隊ちょ……いえ、すいません、副団長」
 弓を持った女性、レグナ騎士団のリーン・ルー・エルウェンは、大儀そうに頭を下げた。
「どうした。声が少しかすれてるぞ。風邪でも引いたか?」
 できの悪い部下ほど可愛いというわけでもなかろうが、副団長はリーンの方を心配そうに眺めている。
「いえ、大丈夫、です。私、ちょっと裏で用事があるので、それでは。お疲れ様でした」
「お、おぅ。また例のヤツらか? 気をつけろよ、もう暗いから。おいおい、そんなに慌てて、転ぶなよ!」
 詰め所に続く道から枝分かれして、奥の林へと伸びる小径。そこを駆けていくリーンの背を目で追いながら、ジェイドは苦笑した。
「しかし、暗いから気をつけろだの、転ぶなだのと、これが機装騎士に対して言わねばならん言葉か。困ったものだ……」

 ランプをかざしながら、林の中の真っ暗な道を進むリーン。
おそらく植林されたものなのであろう、適度に間隔を空けて立つ木々の間に、満月の明るい光が上から降ってくる。風に木の葉がサラサラと揺れる音が、微かに聞こえる。静かだ。
「こんばんは」
 彼女は急に立ち止まり、親しげに挨拶した。周囲には誰もいない。
 不意に、足元で子猫たちの鳴き声がした。
 武装したリーンは、動きづらそうにしゃがみ込み、話し始める。
「見回りで遅くなってしまいました。ごめんね」
 彼女は子猫の一匹の頭をなでる。おそらく兄弟なのであろう、似たような小さな虎猫が4匹、甘えた声をたてながらリーンの手や足元にじゃれついている。
「今日もまた失敗ばかりで、副団長に怒られてばかりでした。みんなは元気だったかな?」
 あまり抑揚のない、呑気だが明るくもない声で、彼女は子猫たちに声をかけ続ける。
「リーンはですね、大事な眼鏡が割れちゃった。どうしよう……。今月のお休みに、新しい服を買うはずだったのに。お金、無くなった」
 勿論、返事があるはずもない。暗闇で一人、ぶつぶつと話し続けるリーンの姿はかなり奇妙であった。動物に声をかけているわりには、変に丁寧な言葉づかい。そのくせ、ぶっきらぼうな口調。
「いいんだ。支給される騎士団の服があれば、私服はいらない。別に誰に見せるわけでもないし」
 子猫は平和そうな顔つきで、リーンの指を舐めている。
 その一匹を抱き上げると、彼女は不慣れな手つきで頭をなでた。
「みんなのお母さん、今日も迎えにこなかったね」
 リーンは子猫を地面に降ろすと、名残惜しそうに背を向け、城の方に続く道に一歩踏み出した。
「さびしいね……」
 黒髪が夜風になびいた。
 機装騎士、あるいは射手というには、意外にほっそりとした背。
 月光を反射してつやつやと光る黒髪が、一瞬、不思議な金色の輝きを放ったように見えた。いや、目の錯覚だろう。
 髪の間から、少し尖った耳が顔を出している。
 とぼとぼと歩き始め、詰め所に帰って行くリーン。

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