HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第39話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 ファルマスは相変わらず無邪気に微笑んだまま表情を変えない。むしろ今まで以上に心底楽しそうに笑っているようだ。
「おやぁ? やっと団長もお喋りになったね。そうそう、楽しくやろうよ。でも残念! せっかくの楽しいひとときも、これで終わりみたい……」
「あぁ、終わるのは貴様だがな」
 ヨシュアンの目が光った。


 4.

 剣に宿らせた風の精霊たちの力をファルマスが解き放ったとき、ヨシュアンも己の闘気のすべてを込めた剣をその豪腕で振り下ろした。二つの激流がぶつかり、あるいは二匹の竜が身をくねらせ咬み合うかのように、両者の放った攻撃が真正面から衝突する。周囲の地形が変わってしまうのではないかと思わせるほど、地を裂き、木々をなぎ倒し、夜の大気を振るわせる。
 次の瞬間、森は再び静まりかえったかと思うと――なおも、いくつかの大木がメリメリと音を立てて倒れた。土煙や草の葉の破片が暗闇に舞っている。
 やがて月明かりのもと、剣を手に立つ二人の姿が浮かび上がった。双方とも凍り付いたかのごとく、身じろぎもしない。
 しばし睨み合いの続いた後、ファルマスが口を開いた。よく見ると彼の額には血が流れている。
「さすが王国一の剣士、だね。剣圧によって、離れた敵を斬るなんて、英雄物語に出てくる作り話だと思ってたけど。本当にできるんだ……」
 先ほどまでとは違い、今度はファルマスの方が苦しげな様子だった。息も絶え絶えという話しぶりである。
「僕の放った疾風の刃が団長の技で打ち消されたばかりか、逆に僕まで斬られちゃったかな? 避けたつもりだったんだけど、さすがに、完全にかわすのは不可能だったみたいだね。あ、あれぇ……?」
 突然、ファルマスは吐血した。彼の胸部にも傷が開いているのか、裂けた服の生地が、じわりと赤に染まる。自分でも意外だと言わんばかりの顔で、ファルマスは珍しそうに自身の血を眺めていた。
 ヨシュアンの足元からファルマスの方に向かって、地割れのようなものが生じていた。それがヨシュアンの放った攻撃の跡だ――卓越した剣士が全身の気を剣に込め、振り下ろすことで生まれる究極の一撃。離れたところにいる敵でさえも、その剣圧によって、かまいたちのように切り裂くことができるという。
 油断無く、再び剣を構えるヨシュアン。彼は低い声でつぶやいた。
「どんなに無敵の剣士であっても、魔道士の魔法に正面から立ち向かってはかなわない。それゆえ昔から剣士たちの間では、魔法使いと戦うための奥義が編み出され、密かに伝承されてきているのだ。今の斬撃のように。俺が魔法を使えないことに油断して、下手に魔法を使ったのが命取りになったな、ファルマス。剣での戦いを続けていたならば、剣と同時に拳や蹴りを自在に使いこなせる貴様にも、勝機があったかもしれんのに……」
 白いシャツに滲む血。胸を押さえつつ、引きつった荒い吐息を混じえながらも、ファルマスは不敵な口調で答える。
「なるほどね。僕が技におぼれたって言いたいのかな? 凄かったよ、今の攻撃は」
 この期に及んでファルマスはニヤリと微笑んだ。
「――ちょっと、痛かったじゃない」
 彼は声を震わせ、不気味に笑っている。感情の壊れている狂気の天才も、さすがに若干の怒りや動揺を覚えているのだろうか。
「でもヨシュアン団長。技に、いや、奥義におぼれたのは貴方の方だよ」
「何だと? 深手を負って、とうとう負け惜しみか」
「まぁ、聞いてよ……。もし問題の奥義というのが通常の斬り合いの状況で使える技だったなら、団長の性格から考えると、今までの戦いの中でとっくに使われていたはず。僕は今頃、奥義で斬られてあの世行きだっただろうね。そう、だから僕は予想していた。団長のいう奥義とは、もっと特殊な技だとね」
 血まみれになりながらも、へらへらと笑っているファルマスの表情は、異様を通り越して壮絶でさえある。
「で、僕が強力な風の精霊魔法を使おうとしたら、予想通り団長は、同様の威力のある奥義で応える構えを見せた。でも、それって、釣られたんだよ?」
「ほう。あれは誘いの隙だったとでも言いたげだな。そんな深手を負っておきながら、よくも言えるものだが」
 呆れた口調で言い放ち、わざとらしく鼻で笑ったヨシュアン。だがファルマスの次の言葉を聞いた途端、ヨシュアンの顔から血の気が引いた。
「アタマ堅いなぁ、団長さーん。正直に言っちゃうとさ、僕の風の魔法はとどめの一撃ではなくて、単なる《おとり》だったんだよね……。団長ほどの使い手に隙なんてあり得ない。でも隙を作ってもらう必要があった。そう、奥義に集中すれば、どんな剣士でも、さすがに他のことにまで完全に注意は行き届かない」
 いつもの無邪気な残虐さが、ファルマスの表情に戻った。
「要するに、あの瞬間に注意をそらしたんだよ。だってこんな低いレベルの魔法、普通だったら、鍛えられた剣士にかかりっこないもん!」
 彼がそう言ったとき、ヨシュアンの身体に異常が現れ始めた。
 剣を手にした腕の感覚がおかしい――血や神経が通っていないような気がする。足も重い。痺れたような、あるいは石のごとき、自分の身体の一部でない感さえある。
「体が、う、動かない? 何をした、ファルマス!?」
 ヨシュアンは両手で剣を握り、相手に向かって構えたまま微動だにしない。いや、動きたくても身動きが取れないのだ。
 ファルマスは嬉しそうに目を細めて近寄ってくる。
「ただの《麻痺》の呪文だよ。普通の人でも精神力が強ければ、この魔法をかけられたときに抵抗して、無効化することができてしまう。《眠り》の呪文なんかの場合もそうだけど、便利な反面、精神を鍛え抜いた相手には全く通用しない困った呪文だよ。でも悔しいよね? 素人どころか名剣士なのに、全く気のつかない間に魔法をかけられれば、こんな安っぽい術に引っかかっちゃうんだもん!」
「卑怯な! 風の精霊魔法がおとりだったとは、こういうことか……」
「卑怯? 頭を使ったと言ってよ。あぁぁ、そうか、魔道士が同時に二つの魔法を使うなんて、あり得ないと思ってた? だから僕、わざわざ精霊を呼び出したんだよ。精霊魔法の場合、いったん精霊を呼び出しちゃえば、あとは術の完成をいくらか任せておけるからね。そうやってできた余裕を使えば、《麻痺》のように簡単な呪文なら平行して準備することぐらいできるよ? さすがに高度な呪文は無理だけど」
 悔しさが顔中ににじみ出ているヨシュアンだが、もはや喋ることすらできなくなっている。全身を細かく振るわせ、今まで以上の憎しみのこもった目でファルマスを睨み付ける。
 ――こんなところで終わってしまうのか? 俺がいなければ、王子やジェローム内大臣はどうなる。この国はメリギオスの思うがままだ!
 平然とヨシュアンの隣まで来ると、ファルマスはにっこり笑って肩を叩いた。
「それに、風の魔法で団長を倒しちゃったら、魔法の使える者がやったという証拠を残すようなものじゃない。その点、麻痺の呪文は便利。団長が死んじゃえば、自然に効果も消えて、魔法自体の形跡は残らない……。でもそうなると、暗殺者が団長を剣で殺害したように見えちゃうね。団長に剣で勝てる人なんているわけないのに。何だかウソっぽいかな? ははは」
 無垢な子供を思わせるファルマスの顔つきが、突然、凄惨な殺人鬼のそれのように一転する。彼はヨシュアンの耳元でささやき、彼の首筋に剣を突きつけた。
「楽しかったよ。バイバイ、これで貴方は伝説になれるね」

 ◇ ◇

 ランプの淡い光に照らされた空間。フラスコやビーカーに似た多数の実験器具や、山と積まれている書類を背景に、高さ2メートルほどの硝子作りのカプセルが部屋の中央に立っている。硝子の表面には、呪文の文字列や幾何学模様などがびっしりと刻み込まれていた。床や壁には、不気味に脈打つ触手のごときものが、おそらく儀式魔術用のパイプか何かが、縦横に張り巡らされている。
 カプセルの中には、黒い霧、あるいは影のような《何か》が封じ込められている。魔法で強化された特殊な硝子の向こう、その何かが不自然にうごめく。さながら生きているかのように――いや、本当に生きているのではないかと思われる。
 白い長衣をまとった魔道士らしき女が、不思議なカプセルの様子を観察していた。彼女は《影》の様子を目で追いつつ、手にした分厚い書類の束をめくっている。二十代後半から三十代程度であろうか、肩口でうねるようなクセの強い黒髪と、妙な色気のある厚めの唇が特徴的だった。
 彼女の後ろには、同様に白い長衣をまとった魔道士風の男が立っている。金髪をオールバックにし、細い黒縁の眼鏡をかけたその姿は、端正ながらもいささか堅苦しそうな雰囲気である。女性の方よりもいくらか年下に見える。二人は、おそらくルキアンの師のカルバのように、机上の実験やアルマ・ヴィオの開発等を主に手がける技術者的な魔道士なのだろう。
「調子は上々ね。細かい調整の余地も残っているけど、それはまぁ、これから実戦データを取りながら手を加えても遅くないわ」
 女はそうつぶやくと、眠そうな目をこすった後、大きく伸びをした。
「あとは《ゼーレム》のマスターの到着を待つのみですね、ジーラ博士」
 オールバックの眼鏡男が尋ねる。ジーラと呼ばれた女魔道士は、何か含みの有りそうな言い方で答えた。
「えぇ。《この子》のマスターになる、ライ・ド・ランツェロー君――腕だけは超一流のエクターだということは、あなたも聞いているでしょう?」
「勿論です。軍の本陣の《コルプ・レガロス》の中でも、屈指の機装騎士であったとか」
「でも、今はもうクビよ、クビ」
 側にあった椅子に座ると、ジーラは気だるそうな様子で足を組んだ。
「彼、バンネスク攻めのときに重大な命令違反をしたそうよ。知ってた、マテュース? なんでも《天帝の火》の発射を妨害しかねないようなことをしたのだとか。それって、命令違反どころか、下手すれば反逆じゃないの」
「しかしそんなことをして、ランツェロー殿は、よく無事でいられましたね」
「そこは事情があるのよ。本来なら重罰に値するけれど、なんせあの名門の生まれだし、畏れ多くも、皇帝陛下の弟君や妹君の親しい御学友様だったんだそうで。裏で色々と取引があったんでしょうね。何より、戦時のまっただ中、あれだけの技量を生かさないのは勿体なすぎる。処置に困った軍のお偉いさんは、やんちゃの過ぎる厄介坊ちゃんを、あたしたちに体よく押しつけた。そういうことかも」
 二人の魔道士は、ジーラ・ド・エンドゥヴィアと、マテュース・ド・ラムリッツである。ジーラは軍の《ネビュラ》つまり人工精霊兵器の開発に主に携わっていた研究者であり、同じく軍の研究者であるマテュースは、若いながらもアルマ・ヴィオ創造の俊才と言われていた。

 ふと訪れた沈黙。
 すると突然、声が聞こえた。二人とも喋っていないにもかかわらず、である。

 ワタシハ、ヴィア。
 テイコクノテキハ、マッサツ、マッサツ。
 ヒャヒャヒャヒャヒャ!!

 例の黒い影が、人のような姿を取り――いや、厳密に言うと少女のような姿を取り、感情の匂いのしない、乾いた不気味な声で高笑いしていた。
 カプセルの中で硝子を突き破らんばかりに跳び回る影。赤い目のようなものが二つ、薄暗い室内で光った。

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