HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第40話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 自らが心を持って生まれてきたことの
 本当の痛みの意味も知らぬまま、
 なぜ人よ、私を創り、心など与えた?


 1.

 4日前――ガノリスの都バンネスクの近郊に位置する、ある街にて。
 もっとも、この時点では、すでにバンネスク自体は《天帝の火》によって跡形もなく消滅している。同王国特有の広大な森林に覆われた丘陵地帯を背後に従え、侵略者エスカリア帝国の旗のひるがえる建築群があった。煉瓦造りのその館は、これまでガノリス軍が使用していたものだ。
 建物の一室、革張りの表紙のついた仰々しい文書を手に、ひとりの中年紳士が歩き回っていた。壁の時計を何度も確認しながら、渋い顔をして何かを待っているようだ。青地に赤い襟、随所の縁取りに金モールも鮮やかな上着。白のズボンに革の黒いブーツ。彼の服装は、帝国軍の制服に他ならない。立派な肩章や、誇らしげに飾られたいくつかの勲章等からみて、おそらく上級将校クラスの軍人であろう。
 頭髪は薄いが、対照的に髭は豊かであった。見事に刈り込まれ、両端が勇ましく上向きに跳ねている口髭を、彼は落ち着かない様子で撫でる。そうかと思えば今度は背後の窓に歩み寄り、外を覗いては執務用の机にまた戻ってくる。
「遅い! 遅すぎる……。あの男、まさか今回の件で嫌気がさし、軍を辞めたのではあるまいな。謹慎中にもかかわらず、連絡もろくに取れないというではないか。まったくもって信じ難い!」
 彼は忌々しげに呟く。
 そのときドアがノックされ、同じく帝国軍の制服を着た男が入ってきた。ゆっくりとした、重々しい動作での敬礼。そして慇懃ながらも、上官に対して親しみも滲ませた口調で、彼は報告する。
「局長、ド・ランツェロー殿が到着されました」
 こちらは若干若く、三十代くらいに見える。例の青と赤の衣装の上に、彼は黒いコートをまとい、白の剣帯を掛けている。これが帝国軍の正装であった。
 局長と呼ばれた先ほどの男は、面倒そうに席を立つと窓から街路を見下ろした。帝国軍の一台の馬車が、いま着いたばかりのような様子で止まっている。長時間待っていたわりには、局長の表情は、待ち人と会うのが気に入らないとでも言いたげである。
 その微妙な表情から何か察したのであろう、もう一方の男が皮肉っぽく言った。
「《コルプ・レガロス》――白馬に乗った聖騎士様の登場というわけですか。いや、あの方はもう、《元》コルプ・レガロスでしたね」
 溜息とともに、局長はうなづく。
「困ったものだ。合理化された我が軍の階級制度にさえ、まだ《機装騎士(ナイト)》などという過去の遺物が残っておる。あの妙な称号や、それに伴う特別扱いの指揮系統があるために……時には佐官クラスの者でさえ、自分が彼らに対して上官として振る舞うべきか、同輩として接するべきか戸惑っておる。現場の混乱を考えると、百害あって一利なしだ。ライ・ド・ランツェローなど、その害悪の典型ではないか」

 ◇

 階下の馬車から誰かが降りようとしていた。茶色い髪、若い男のようだ。赤い襟と黒いブーツも見える。彼も帝国軍の制服を着用しているのだが、羽織っているコートは黒ではなく、白地に金という派手なものである。形状も異なっている。他国の機装騎士と同様、擬古的なサーコートを制服の上にまとっているのだ――ブーツの足首付近までが隠れてしまうほどの丈がある。
「どうも」
 素っ気ない声で、彼は御者に礼を言った。
「荷物を部屋までお運びしましょうか?」
「いや、いい。自分で持って行くから。大事な物も入ってるんでね、あまり他人にさわらせたくないんだよ」
 冷たくそう言われ、確認するように何度か相手の顔を見た後、御者は席に戻ろうとする。と、サーコートの男が、どういうわけか少し機嫌を損ねたような目つきになった。
「あ、俺さ、部屋まで運んでくれとは頼んでないけど……荷台から降ろすぐらいは手伝ってもらえると助かる」
 そう言われて渋々戻ってきた御者は、革張りの大きなトランクを慎重に運び出す。
 彼に続き、古典的な白の騎士装束を羽織った例の男が、馬車から降りてくる。二十代半ばかと思われる、短めの茶色の髪に眼鏡の青年だ――いや、彼の《眼鏡》は、旧世界の発掘品をまねて最近作り出された特殊なタイプであった。レンズの部分は透明ではなく真っ黒だ。いにしえの時代、真夏の海岸などに出かける際、目を日差しから守るために使われていたものだという。当時の事情を知らない現世界人にしてみれば、視界が悪くなるだけの目隠しだと思うことだろうが。丸い小さなレンズの付いたそれを、彼は鼻眼鏡風にずり下げて掛けていた。これではあまり日よけの意味を為さない。たぶん、単なるファッションなのだろう。
「では、お気を付けて。ド・ランツェロー様」
 御者からトランクを受け取ると、彼、ライ・ド・ランツェローはぶっきらぼうに答えた。
「はぁ? お払い箱になるヤツに、気をつけて行けも何もないでしょ。でもまぁ、そういうアンタの好意は受け取っとくよ」

 ◇

 来た道を戻ってゆく馬車の音。館内では、軍靴でカツカツと階段を上る足音。ほどなく局長の部屋がノックされ、ライの姿が現れた。
 敬礼した後、姿勢自体は正しつつも、ふてくされた顔で彼は突っ立っている。放っておいたら壁にでも寄りかかり始めかねない雰囲気である。
 そんなライに呆れた眼差しを向けると、局長は諭すように言った。
「若いな、貴殿も……。《コルプ・レガロス》を退団させられたからといって、そういう投げやりな態度はなかろう。気持ちは分からんでもないが、一体、家門にこれ以上の傷をつけて何の得がある?」
「そりゃどうも。別に、昔からこうなんですけどね」
 局長は心の中で忌々しげに言った。
 ――殿下の御学友だと思い、若造が調子に乗りおって。大人しく宮廷にでも上がっておれば良かったものを。ランツェロー家の息子が道楽半分でエクターに居座るなど、傍迷惑にもほどがある。
「それで。俺の処分について結論が出たというわけですか? ガノリス方面統轄人事局長殿……」
 長たらしい役職名をわざわざ全て口にしたところは、何やら皮肉のようにも聞こえる。淡々とした口ぶりながらも、その抑揚のない声が、かえって苦々しく響く。
 彼の挑発的な態度を無視して、局長はそそくさと用件を伝え始める。
「ライ・ド・ランツェロー、貴殿の新たな配置先が決まった。この部隊が本国から到着次第、そこでエクターとして活躍してもらいたい。詳しくは書類に目を通してくれたまえ」
「活躍……ね」
 ライはわざとらしく大きな声で言うと、そこから先の言葉は心の中に収めた。
 ――要するに左遷だろうが。何だこれは? 飛空艦たったの1隻で独立特務部隊とは、危なっかしいったらありゃしない。いくらヘボいガノリス軍の残党が相手だからって、これでは沈めてくださいと言ってるも同然だ。左遷どころか、敵さんに《処分》してもらおうって話かよ?
 咳払いが聞こえた。局長はわざとらしく身振りを交え、大仰に言った。
「ちなみにその飛空艦とは、先頃建造されたばかりの飛空戦艦、いや、空地両用艦《アプゾルス》だ。話には聞いたこともあるかと思うが。《絶対の》という言葉(エスカリア語)に由来する名前の通り、たった一隻でひとつの艦隊にも匹敵する力をもつ、わが軍でも最強クラスの新鋭艦だ」
 今までいい加減に話を聞いていたライ。だが、にわかに彼の目に鋭い光が浮かぶ。
「アプゾルスって、あの……。まさかもう完成していたのですか。そりゃ面白い。で、任務は?」
「現時点では極秘の任務だとしか言えない。ともかく艦に到着してから詳細を聞きたまえ。貴殿の新しいアルマ・ヴィオもあちらに配備済みだ」
少しでも早く厄介払いをしたいといわんばかりに、局長は告げた。
「では。貴殿の立派な後ろ盾にはせいぜい感謝するのだな……」

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