HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第40話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

今までいい加減に話を聞いていたライ。だが、にわかに彼の目に鋭い光が浮かぶ。
「アプゾルスって、あの……。まさかもう完成していたのですか。そりゃ面白い。で、任務は?」
「現時点では極秘の任務だとしか言えない。ともかく艦に到着してから詳細を聞きたまえ。貴殿の新しいアルマ・ヴィオもあちらに配備済みだ」


 2.

 昼間の騒ぎは幻だったのではあるまいか。そう疑ってみたくなるほど、ただ静かに、ランプの炎だけが音もなく揺れる部屋の中――イリスはアレスたちの帰りを待っていた。
 夕食の準備までの仮眠のつもりが、病弱なミーナは、すっかり眠り込んでしまっている。賑やかな来客に半日振り回されたせいだろう。
 窓辺から宵の闇を眺めるイリス。
 地平線まで続くかのような広大な畑、また畑。点々と農家の明かりが見える以外、視界すべてを早くも漆黒が塗りつぶしていた。この郊外の集落の背後にある、賑やかなエルハイン市街とは、似ても似つかない侘びしい夜景だ。
 遠い目をしたイリスは、囚われた姉チエルのことを心配しているのだろうか。見知らぬ現世界にその身をひとり置いた自分の状況が、急に不安に思えてきたのだろうか。あるいは、旧世界のことを思い返しているのであろうか。無表情な彼女から、その内面を読み取ることは難しい。
 外の暗がりから、おぼろげな灯りに照らされた室内へとイリスは目を転じる。彼女が振り返ったとき、長い髪が揺れ、薄闇に黄金色の粉を撒くように、キラキラと輝きを浮かべた。見る者を幻想の世界に誘う、霊妙な光。

「うふふ。本当に綺麗な髪だねぇ」
 女の囁き声。突然、誰かがイリスの耳元で言った。
 ほぼ同時に、低いうなり声が聞こえた。イリスよりも先に異変に気づいたのは、テーブルの下で丸くなって寝ていたレッケである。《彼》は純白の毛を逆立て、牙を剥く。だが無闇に飛び掛かったり動いたりしないのは、目の前のイリスの身を案じてのことなのだろう。何かを威嚇しつつ、状況を冷静に読んでいる……。カールフは、犬や猿よりもずっと賢いのだ。
 ――誰!? どうやって入ってきたの? 気配さえしなかった。
 イリスは恐る恐る振り向こうとした。
 だが、反抗を許さぬ鋭い声とともに、首筋に短剣が突きつけられる。
「おっと。下手に動くんじゃないよ。いや、あんたにも分かるように言ってあげようか、旧世界のかわいいお嬢ちゃん」
 そして、意外にも流暢な古典語で女は告げる。祈祷や呪文の詠唱を想起させる重々しい雅語の響きは、それゆえにいっそう、脅迫の言葉を真に迫ったものにしている。
「声ヲ上ゲテハナラヌ。私ノ言ウ通リニセヨ。サモナクバ、汝ノ命ハ勿論、ソコノ女ト獣ノ命モナイ」
 革の手袋をした白い腕が、その見た目とは裏腹に、荒々しくイリスの口を押さえる。
「いいかい、言うことを聞かないと、外で剣を振り回しているお馬鹿さんたちも無事じゃ済まなくなるよ? 勘違いしてもらっちゃ困るね。あたしは、奴らがいなくなった隙を狙って来たわけじゃない。アレス君だったかしら。あの子も、あたしにかかれば、三秒であの世行きさ」
 再び現世界の言葉がそう告げる。黒いマントをまとった真っ赤な髪の女が、イリスの背後に立っている。それが誰かを知り、普段は感情を表さないイリスも恐怖に襲われた。指先が微かに震え始めた。そう、忘れもしない、ラプルスの地下遺跡で彼女たち姉妹を捕らえようとした張本人、パラス騎士団のエーマがそこに居るのである。
「不思議かい? こんなドア、何の役にも立たないよ。他ならぬパラス騎士団に追われてるんだ、せめて腕の良い魔道士を呼んで、家の周りを結界で何重にも囲んでおくべきだったろうに。それにあたしは、気配を消すことにかけてはパラス騎士団でも随一なのさ」
 イリスは悲しげな想いを、一瞬、目に浮かべた。
 ――アレス、ごめんね。お別れよ……。
 あまりにも諦めが早すぎるかもしれない。
 だが彼女の天性の直感は、自分が足掻いても無駄なことを――無駄どころか、いたずらに犠牲を増やすだけにすぎないことを――確実に把握していた。やはりパラス・ナイトは他の戦士とは次元が違いすぎる。仮に、今ここにアレスやフォーロックがいたところで、為すすべもなくエーマに倒されてしまうだけだろう。
 ――本来、私は現在の世界に居てはならない者。使命のために時を超えて生かされた命。そんな私のために、いま生きている誰かを犠牲にしてはいけない。
 ほんの最近のことにも思える遠い過去、あの日の光景がイリスの脳裏をよぎる。

 ◇ ◆ ◇

「チエル、イリス、後は頼む。我ら《地上人》の末裔のため、時が来たら、後の世で《パルサス・オメガ》を目覚めさせるのだ。相応しくない者の手に渡る事なきよう、それまで《巨人》を守り抜け。任せたぞ。お前たちは私の誇り、きっとやり遂げると信じているよ……」
 天井が崩れ、折れ曲がっていく柱。燃え盛る炎の向こう、なぜか彼女たちの父は笑っていた。
「《さよなら》とは言わないからな。お前たちは遠い未来に再び目覚める。そのとき、私の魂もきっと側で見守っている。だからまた会う日まで、《おやすみ》と言おう」
 日頃はずっと気難しかった彼が、皮肉なことに、最後の別れの瞬間に最高の笑顔を見せた。
 ――パパ! 嫌だ、こんなの嫌だ!!
 煙に巻かれながらも引き返そうとするイリス。そんな彼女の手をチエルが引っ張った。
「駄目よ、イリス! 私たちが生き延びなくてどうするの? そのために、みんなも、お父様も……」
 何度もぐずり、決して言うことを聞こうとしない妹の頬を、チエルが泣きながら張り飛ばす。だがチエル自身も混乱してわめき、叫んでいた。姉としての責任も感じ、かろうじて正気を保っている状況だ。
「来なさい! いいから、行くわよ! 生きるのよ、早く!!」
 もはや手のつけようもないほど、火はますます燃え広がる。充満する煙の向こう、二人の娘の、長い黒髪と同じく金の髪が揺れ、やがて見えなくなった。

 ◇ ◆ ◇

 ――再び目覚めてから、ほんのわずかだったけれど、楽しいこともあった。アレス、会えて良かった……。
 イリスは悲しい決意をする。その身を犠牲にすることによって、彼女はアレスたちを守ろうとしているのだ。恐怖に震えかけていたその表情から、いつものように感情が消失する。
 ――私は、この全てを賭けてでもパルサス・オメガを守らねばならない。場合によっては、《大地の巨人》の覚醒の《鍵》である私自身の命を絶ってでも、悪の手には渡さない。
 イリスはレッケに向け、無言で首を振る。その目が訴えかけていることを、白い魔物は正しく受け止めたようである。《彼》は寂しそうに鼻を鳴らした。
 奥のベッドでは、このやりとりに気づかず、ミーナが心地よさそうに寝息を立てている。
 素直に従う様子をみせるイリスに、エーマは言った。
「そう、良い子ね。あたしは別に強盗でも山賊でもない。こっちだって、無意味な血は流したくないからねぇ。黙って着いてくれば、他の者に手出しはしない。それにあんたも、そろそろ姉さんに会いたいだろ、えぇ?」
 急に目を細め、優しげな笑みを浮かべたエーマ。
 姉という言葉を耳にした途端、イリスは過剰に反応し、声の出ない喉を絞って必死に何か叫ぼうとする。
 エーマは、白々しい作り声で穏やかに告げながら、イリスの髪をそっと撫でる。
「さぁ、一緒に来てもらうよ。姉さんも会いたがってる」
 イリスを引き立ててエーマが向かった先、なぜか家の扉が開いたままになっていた。頑丈な扉に、鍵まで掛けてあったはずなのだが。不似合いなほどの静寂と、極度に張り詰めた空気の中、夜風がそよそよと部屋に入り込んでくる。
 にわかに強くなり始めた風に、暗い情念のこもった言葉が流れゆく。
「結構な姉妹愛だこと……。ハァ? 兄弟とか、家族の絆とか、そういうのには反吐が出るんだよ。気に入らないねぇ!」
 憎しみと狂気に満ちたその現世界の言葉は、残念ながら、いや、幸いなのか、旧世界人のイリスには全く聞き取れなかった。
 なおもイリスの髪を不気味に撫でまわし、エーマは口元を歪める。
 ――大事な姉さんの次はあんたの番さ、イリス。チエル同様、涙も枯れ果てるほど可愛がってあげるから。ふふ、楽しみ……。

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