HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第40話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 ――私は、この全てを賭けてでもパルサス・オメガを守らねばならない。場合によっては、《大地の巨人》の覚醒の《鍵》である私自身の命を絶ってでも、悪の手には渡さない。

 3.

 地平線の彼方が白み始め、徐々に薄赤く染まりつつあっても、まだ朝日が昇るまでには少し時間がある。春とはいえ氷点下に達する朝の寒さの中、通り過ぎる風を切り裂くように、灰白色の断崖が麓の森からそびえている。
 ここはガノリス王国と隣国のアディーエ公国との間に位置する山脈である。屏風のごとく林立する切り立った岩山は、芸術を志す者にとっては格好の題材となっている。反面、旅人にとっては難所である。だが現状では、ガノリス王国に南から陸路で入ろうとする者は、眼前に広がる奇岩地帯を越えて行くしかない(*1)。
 それでもガノリスとの貿易のため、この山脈を通る旅人は後を絶たない。そこで峠越えの前に装備を調え、英気を養うための宿場として、山間の小国にすぎないアディーエも、それなりに豊かな発展を遂げてくることができたのである。

 連なる岩山のひとつの影に隠れるようにして、巨大な鋼の異物が夜明けを待っていた。それは飛空艦……だろうか? 規模からすると、飛空戦艦クラスであり、クレドールよりも一回り大きい。艦橋のそびえる本体は、左右にある短い翼も含めて見ると、三角形に近い形状である。その裏面には橇(そり)を思わせる脚部があり、大地の上でしっかりと艦体を支えている。さらに本体から前方に向け、砲台を備えた首のような部分が伸びている。その底面にも、艦を支える脚上の構造物がみられる。巨体を彩るのは主に二つの色合い――黄土の大地の色と、濃い木々を思わせる色。
 首の長い鳥が地表すれすれで羽ばたいているかのような、独特の形状をもつ船。その艦橋の窓辺に二人の男が立ち、朝焼けの外を眺めていた。
 一方は四十代、中背だが筋肉質、いかにも闘士という体格だ。おそらく無精髭であろう、あまり手入れのされていない口元と顎の髭。大雑把に後ろで括った赤茶色の髪。帝国軍の制服の着こなし方も、何やらいい加減である。男の面構えは精悍で眼光も鋭い。数々の戦いをくぐり抜けてきた、海千山千のやり手なのであろう。帝国の士官というには野暮ったく、荒々しく、むしろ山賊や海賊のボスといった風貌である。
 懐から、へこみだらけの使い古したピューターを取り出し、彼は朝っぱらから火酒をあおった。そして、耳ざわり良く響く低い声で、呆れたふうにつぶやく。
「しかしさぁ、カノン君よ。こんなんでいいのかねぇ。まだお仲間同士の顔見せすら、ろくに済んでいない状態で、いや、まだ艦に来てねぇ奴だっているってのに、いきなり実戦とはよ……。俺らって何なんだろうなぁ」
「はい、我々にそれだけ期待が寄せられているのであると、私は考えます。失礼ですが、艦長、作戦中に酒は控えていただかないと困ります。軍紀が……。なお、私はカイノンであります」
 隣に立つ長身の男が、いささか真面目くさった口調で答える。もうすぐ三十代に手が届く年代であろうが、彼の表情には、いまだ少年を思わせる初々しさが時折見て取れた。控えめながらも強い精神力をうかがわせる、鋭い目つき。多少、つり目気味だ。ひょっとすると新調したのであろうか、黒いコートの生地には仕立てたばかりのような張りがあり、襟もきっちりと立っている。剣帯の白の色も、本当に真白い。
「お堅いねぇー、カノン君は。これは酒じゃねぇ、命の水、目覚めの良くなる霊薬さ」
 艦長と呼ばれた髭の男は、取り澄ました青年の背中を親しげに叩いた。そして、不意に真面目な表情に代わり、青年の顔を見上げるようにのぞき込む。
「この仕事は手強い。頼むぜ? 我が片腕のカイノン・デミアーノ副長」
 整った顔つきだが、あまり表情豊かでないクールな副長は、声を抑え気味にうなずいた。サラサラとした金色の髪を額で二つに分けている。
「勿論です、カトローン艦長。《荒鷲》と勇猛を轟かせる艦長のもとで、こうして初めての副長の職務を果たせるとは、光栄の極みであります」
「俺と同じ船に乗ってみて、光栄というより、呆れたんじゃねぇか。噂のライ・ド・ランツェローといい、俺といい、この艦はヤクザもんが多いぜ? 君のようなヤツが、しっかりと手綱を握ってくれねぇと困る」
 酒臭い顔をすり寄せ、艦長はデミアーノ副長と肩を組んで豪傑笑いをした。ただの酔っぱらいの親爺のようだが、この男、エスカリア帝国の飛空艦隊の中でも、常勝不敗といわれるほどの勇将であった。そんな彼、アルトリオ・ド・カトローンが主力艦隊から外され、新たに一特務部隊の長とされたときには、帝国軍人の中でもちょっとしたニュースになるほどであった。カトローンは優秀だが、服務態度にあまりに問題があったためではないか、と。だが実際には、勿論、左遷ではない。彼は――帝国軍の今後の新兵器開発の鍵を握る大いなる野望のため――そう、《プロジェクト・ゼーレム》の最終的な実地試験のために抜擢されたのである。
 そして、帝国軍の最新技術を惜しみなくつぎ込んだ新造艦《アプゾルス》が、彼らの任務のために投入されたのであった。

 妙に威勢の良い艦長と、対照的に冷めた副長の姿とを背後から観察しつつ、艦橋の奥から、白衣の女が溜息混じりに言った。
「艦長、ご機嫌ですね、この朝早くから。私も個人的には嫌いじゃありませんが、副長も指摘されたとおり、このお酒臭いのはちょっと……。艦長が率先して風紀を乱すというのは、示しがつかないのでは?」
 《ゼーレム》開発主任の魔道士、ジーラ・ド・エンドゥヴィアだ。
「ま、朝から煙草臭いアタシが言っても、説得力ゼロか…。ところで艦長、ランツェロー殿は、まだ到着されませんか? 作戦の実施前に、最低限の打ち合わせはしておきたいと思いますし」
 ジーラの言葉にも全く遠慮を見せず、カトローン艦長は敢えてもう一杯、錫製のピューターから喉に酒を流し込んだ。それを見てデミアーノ副長が、隣で固まっている。
「あぁ、なんせ、あのひねくれ者のお坊ちゃんだからな。腕は確かだが、念には念を入れて打ち合わせしておかないと、何をしでかすか分かったもんじゃない」
 艦長は口元でニヤニヤ笑いながら、切り立った山脈の彼方を見つめた。
「だがよ、ジーラ博士。帝国軍きっての厄介者、面白いじゃないか。早く会ってみてぇと思わないか?」
 わざとらしく、ジーラが咳払いする。彼女は話題を変えた。
「それで、艦長。単刀直入にお尋ねしますが、早々にアプゾルスが《ブレニエル・パス》に向かわされたのは、本当はどういう裏があるんです?」
 ブレニエル・パスというのは、アディーエ公国から山脈を越えてガノリスに至る峠道のことだ。ジーラの問いにしばらく黙っていた艦長は、デミアーノ副長と顔を見合わせ、やがて声を落として語り始める。
「ま、いずれ分かることだ。極秘事項だがよ、一蓮托生の博士には話してもいいだろう。実は、明日に峠を通る輸送部隊の荷には、《あれ》が紛れ込ませてあるってことだ。アルマ・ヴィオ担当ではないにせよ、軍の研究者のあんたなら知ってるだろ? 《パ・シヴァー》のことは」
 《パ・シヴァー》という言葉を聞いた途端、ジーラの表情が真剣味を帯びる。いや、彼女の後ろに遠慮がちに立っていたマテュース・ド・ラムリッツの方が、いっそう表情を変化させた。細い黒縁の眼鏡を光らせ、半ば反射的に口を突いて言葉が出た。
「パ・シヴァー。PT兵器を装備した次世代の汎用型のプロトタイプ。あれは《ルガ》タイプのアルマ・ヴィオとも、互角に戦える性能だと聞いています」
 アルマ・ヴィオ開発の専門家・ラムリッツには、よほど思うところがあったようだ。指先が微かに震えてさえいる。武者震いの類であろうが。
 何とも言えぬ表情の研究者二人。彼らを前に、艦長は語り続ける。
「最近、ほら、軍でも噂になってるだろ? 帝国軍、それも上層部に、ガノリス連合と通ずる裏切り者がいるんじゃねぇかって話……。《パ・シヴァー》の件も、ガノリスのレジスタンスに筒抜けになってる可能性がある。奴ら、パ・シヴァーを前線配備させないために、いや、あわよくば強奪しようと、奇襲を掛けてくるかもしれん。もし俺がレジスタンスだったら、必ず狙うね」
 デミアーノ副長が、説明口調で艦長の言葉を継いだ。
「その場合、最も奇襲に適している場所が、ブレニエル峠というわけです。ガノリス本土への攻撃の際にも、ブレニエル越えで進軍した部隊は、複雑な地形を知り抜いたガノリス軍の攻撃に攪乱され、結局、突破自体には成功しませんでした。王キが落ち、背後から包囲され、ようやくブレニエルの守備隊も降伏したものの」
 眠そうな薄目の表情のジーラ。彼女も仕方なさそうに肯いた。もともとクセの強い黒髪が、寝ぐせのせいか、さらに乱れている。
「そうね。あの細い街道、両側の崖から待ち伏せされれば、厄介だわね。何かあった場合には近隣の部隊から援軍は来るのでしょうけど、不測の事態ということもある。そのために、アプゾルスが遊撃隊として臨機応変に備える……か。まぁ私としては、かわいい《ゼーレム》の、ヴィアちゃんの実戦データがさっそく取れそうで好都合なんだけど」
「ガノリスのレジスタンスは、見た目よりずっと手強いぜ? なんせ、あいつが健在なんだから。《デツァクロン》の中でも屈指の機装騎士、レオン・ヴァン・ロスクルスがよ」
 敵ながらも天晴れとでも言いたげに、ある種の敬意を込めて艦長がつぶやく。
 それに対し、しばらく静まりかえった艦橋。やはりロスクルスの実力は、帝国軍といえども皆、認めるところのなのであろうか。朝の静寂も手伝い、張り詰めた空気。

 そのとき、背後で大げさに拍手する者があった。
「はぁ? そのロスクルスさんとやらが居たって、何だかんだでガノリスは帝国に負けたわけでしょ」
 帝国軍の制服をまとった茶髪の青年が、白いサーコートを肩に引っかけ、艦橋の奥の方へとゆっくり歩いてくる。彼の後ろには、艦のクルーが困った顔で付き添っていた。
「まさか、あれがランツェロー?」
 ジーラの耳元でマテュースがささやく。同じく艦橋内もざわめいた。
 鼻眼鏡の向こうから上目遣いに睨むように、不敵な表情でライは言う。
「こんな大層な船に、《荒鷲》様を筆頭にご立派な人たちが集まって、何びびってんです? やれやれ。こっちは夜中に馬を飛ばしてきたんで、正直、眠いんですけど……。しばらく仮眠させてもらっていいですか?」
 そう言いつつも、すでにライの足は艦橋の外へと向かっている。
 突然の登場と高慢な言動に、周囲の人々は言葉も出ず、呆然と見つめていた。
 艦長は鼻で笑い、口元を緩めて頷く。なぜか楽しそうな表情である。
 新しい煙草に火をつけ、ジーラ博士が言った。
「私も失礼して、一本だけ。まぁ、お手並み拝見といきましょう? 我らの帝国きっての機装騎士、ライ・ド・ランツェロー様の……」


【注】
(*1) いったんオーリウムを経てガノリスに入国する方が、たとえ距離的にかなり遠回りになるとしても、結果的にずっと安全かつ容易に旅ができる。だが、紛争の絶えない両国の関係は近年ますます悪化しているため、オーリウム当局もガノリスへの国境をそう簡単には開かないのが現状なのである。

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