HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第40話

Copyright (C) 1998-2007. Hayato KAGAMI

 ――ギルドの者たち、どこからでもかかって来なさい。ナッソス家の力を見せてやる。
 その美しきアルマ・ヴィオ、イーヴァを操るエクターが言った。
 ――パリスの命を奪った白銀のアルマ・ヴィオ、私が必ず倒す!
 ナッソス家の勇ましき姫君、戦乙女の化身ことカセリナが、いまルキアンたちの前に立ちはだかるのだった。


 5.

 空陸両用艦《アプゾルス》は、もちろんエスカリア帝国にて、つまり現世界において建造された船に他ならない。そのわりに同艦の内部の雰囲気は、いわゆる《旧世界風》の淡泊な様相である。
 旧世界風――装飾過剰の傾向のある現世界の様式に比べ、ひとことで言えば、色合いも装飾もシンプルなのだ。いま目の前に伸びている廊下にしても、床から天井まで一様に白っぽく、飾り気もなく、平板な箱の中に居るような気分になる場所だった。鮮やかな色つきの壁紙が貼られているわけでもなければ、緻密な寄せ木細工の床板が敷き詰められているわけでもない。現世界の建物や艦船の内部であれば、例えば金色の化粧漆喰のツタが壁を這っていたり、得体の知れない獣や小天使の彫刻が天井の片隅でしかめっ面をしていたり、といった風景のひとつぐらいあってもよさそうなものだが。
 旧世界の技術に入れ込むあまり、エスカリアの人々の美的感覚までもが、いまや旧世界人のそれに近づきつつあるのだろうか。
 そんな殺風景な廊下に、ジーラの甘ったるい声が響いた。
「さぁ、ランツェロー殿。ここですよ」
 彼女より何歩か後ろの方に、ライ・ド・ランツェローが、半分寝ているような顔つきで突っ立っている。あまりに返事が遅いため、ジーラは思わず振り向いた。
 話半分で生あくびしているライ。エスカリア人の男性としては、彼の背丈は平均的だ。それに対して背の高いジーラ。ちょうど二人の目線が同じ高さでぶつかった。
 ジーラの鳶色の瞳を面倒くさそうに見つめた後、ライは鼻メガネを指で少し押し上げた。わざとらしく、黒いレンズで目を隠そうとするかのように。
「はいはい。ガキじゃないんだから、いちいち返事がなくても聞いてますって……。別に任務は明日なんでしょ? もう少し寝かせてくださいよ。それに、俺のことはライでいいです。ランツェローって呼ばれるの、あんま好きじゃないんで」
「あら。実は、名門ランツェロー家という響きが、お気に召さないとでも?」
 ジーラもジーラで、遠慮というものを知らない大胆不敵な性格のようだ。ほとんど初対面かつ名家の誉れ高き機装騎士に対し、高飛車な目線でからかうように皮肉を言っている。
「……さぁね」
 ライは小声で吐き捨てるように言った。名門や御曹司という言葉は、本人としては癇に障るようだ。
「早くしてくださいよね。俺、もう少し寝たいし」
「まぁまぁ。眠気も吹き飛ぶような可愛い娘を、これから紹介してあげようって言ってるんだから」
 呪文鍵で何重にも封印された分厚い金属の扉を前にして、ジーラはライに向かって余裕げに笑っている。その様子は、年下の子供を軽々とあやしているかのようだ。彼女も相当の曲者である。
 ジーラが素早く何節かの呪文をつぶやき、指を中空に走らせて図形を描く。軋むような音とともに、扉はおもむろに開いた。

 ◇

「何なんです、この悪趣味な部屋は?」
 昼間の陽光が差し込む廊下に比べ、そこに入ると急に薄暗くなった。足元に横たわる太いコードかパイプらしきもので、ライは爪先を引っかけそうになる。気のせいか、その何かの感触は、ヌメヌメとして生き物のようでもあった。思ったより広い室内、触手のごとき気味の悪い管が床面を縦横に走っている。
 ライは呆れた様子で、目線を足元から徐々に上げていった。と、一瞬、彼の背中がぴくりと微動したかのように見えた。
「こいつ……ですか。もしかして」
 ライは黒眼鏡を再びずり下げ、不可解そうに正面を見つめている。
「そう。これが《ゼーレム》、名前はヴィア。さぁ、マスターにご挨拶なさい」
 天井に届くほどの高さの巨大な硝子製のカプセル。それに向かってジーラが片目を閉じてみせる。
 硝子の中に何か靄のような、影のごときものが漂っていることは、ライにも分かっていた。その影はみるみるうちに濃くなり、淡い光を放ち始める。呆気にとられている間に、影は光へ、さらには人のような姿を取っていた。
「妖精? いや、これがゼーレム、か」
 透き通った青白い輝きを放つその存在には、ある種の幽遠な美しさが感じられた。だが見とれる間もなく、同時に不気味で邪悪そうな印象をも、ライは目の前のゼーレムから受け取った。幻灯に映し出される像さながらに、実態なき体がふわふわと浮いている。白い衣をまとっているようにも見えるが、どこまでが衣なのか肌なのか、区別が付かない。
 その異様な存在は、カプセルをのぞき込むライの方に近寄り、彼と同様に相手を硝子越しに見つめている。血の気のない、のっぺりとして能面を思わせる表情。よく見ると、うら若い娘を模したようにも感じられる容貌だ。だが人間の顔には有るものが、《彼女》には無かった。
 ライの顔つきをニヤニヤと観察しながら、ジーラが言う。
「ゼーレムに口はない。もっとも彼女は物を食べたりするわけじゃないから、口を付けるか付けないかは、見ている方の気分の問題にすぎないけど」
 ジーラは不意にライに背を向け、目の前の机に置かれていた書類を事務的に手に取った。
「本当はね、口がないのは、ゼーレムの設計思想の象徴なのよ。兵器に意思など必要ない、無駄口は叩かなくていいってね。ゼーレム開発の模範とされた旧世界の《パラディーヴァ》のこと、少しぐらいは知ってるでしょ? パラディーヴァが一種の《人格》や《感情》を持っていたことは兵器としての欠陥だったという仮定のもと、ゼーレム計画は出発した……」
 無言のライをよそに、ジーラは淡泊な口調で続けた。
「でも、その仮定が正しいとは言えない可能性も残っている。そうねぇ、もし《心》が無意味なものだったり、生き残るために邪魔になるものだったなら、なぜ私たち人間は心をもっているのかしら……なんてね。だから、最終的な実験体のひとつであるこの子、ヴィアには、敢えて少しだけ《心が与えられている》のよ。勿論、当初の計画通りに心を全く持たない実験体も別に何体かいて、他の場所で今頃はテストが始まっている。比較のためにね」
 ジーラの冷淡な口調と対照的に、なぜかライは複雑な面持ちでヴィアを見つめている。つい先ほどまでは白けたような様子で、いい加減に話を聞いていたにもかかわらず。

 静寂を破り、出し抜けにヴィアが声を立てて飛び回り始めた。
「キャハハハ! ワタシハ、ヴィア。テキハ、カンゼンニマッサツスル。オマエハ、テキカ? イヤ、オマエ、ワタシノマスター。メイレイシロ、メイレイシロ。ヒャハハハハ!!」
 さすがのライも言葉を失っている。いや、この傲慢な若き機装騎士ですら、いくらかの恐怖を本能的に感じ取っているのだ。
「何なんだよ、こいつは……」
「あら、ずいぶんな言い方ね。今日から、この子はライの分身なのに。まだ今はこんな感じだけど、どこまで育つか。それはあなた次第よ、ライ・ド・ランツェローさん」
 ジーラは悠々と椅子に座り、足を組むと、ライを値踏みするかのようにじっと見ている。
「ひとつだけ忠告しておこうかな」
 彼女の声が、いっそう冷たい響きを帯びた。
「矛盾してるような言い方だけど、この子にあんまり思い入れを持ちすぎない方がいいかもね」
 ライは素っ頓狂な声で返答した。
「はい? 何かと思ったら、そんなこと。誰がこんな《化け物》に……」

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