HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第41話

Copyright (C) 1998-2008. Hayato KAGAMI

 リーンは目に涙を溜めて起き上がり、片方のレンズがすでに割れている眼鏡を掛け直した。そしてルヴィーナの姿を見た途端、ただ事ではない様子で叫んだ。
「ル、ルヴィーナ様! 大変です、団長が、ヨシュアン団長が!!」


 2.

「あ、あの……」
 うつむいたままのリーンが、ルヴィーナの衣の裾をぶっきらぼうに引っ張った。
「ルヴィーナ様、お気を確かに」
 レグナ騎士団の詰め所、その堅固な石壁に弾かれてしまったかのごとく、か細いリーンの声があたりに漂った。団員たちが集まった広間の中央、白い布を掛けられたヨシュアンの遺体が横たわっている。
「そんな……」
 ルヴィーナは、まだ信じられないという顔つきで立ちすくむ。言葉を失い、指先や肩が震えていた。
 二人に続き、数人の近衛隊士と共にセレナが入ってきた。瞬間、広間に険悪な空気が走る。重く沈んでいたレグナ騎士団員たちから、突き刺さるような厳しい視線が次々とセレナに向けられる。あたかも、神聖な団長の遺体に近づくなとでも言わんばかりに。現状では、ヨシュアンの死はパラス騎士団の陰謀だとささやく者も少なくない。石でも飛んでこないだけ、まだましだった。
「パラス騎士団の機装騎士であろうと、私は私です。尊敬すべき名剣士であるブラントシュトーム殿が殺害されたと聞けば、一人の騎士として、人間として駆けつけるのは当然のことではありませんか?」
 セレナは真顔で語りかけた。彼女の生真面目な言動と、愁いを帯びた優美な面差しに、 団員たちも微妙な表情を浮かべている。小さく溜息をつくと、セレナは張り詰めた雰囲気をものともせず、堂々と進んでいった。その気品と威圧感に、団員たちもただ見つめるばかりである。
「これはこれは、パラス騎士団のゾナンブルーム殿ですか」
 団長の代理を務める若き副団長のジェイドが歩み出てきた。日頃は鷹揚で人好きのする性格の彼であったが、この状況では顔つきも暗くならざるを得ない。青い髪を爽やかに刈り上げた横顔にも、嘆きと不安、そして怒りが充ち満ちている。
 握手する二人。
 ――いかに病に冒されていたとはいえ、あのヨシュアン・ディ・ブラントシュトームが、何者かに殺害されるなどとは考えにくい…。
 不審そうな表情で遺体を一瞥するセレナ。彼女の気持ちを察したのか、ジェイドが苦しげに答える。
「背後から首を一突き、頸椎に深手を受けて即死です」
「まさか? 団長ほどの剣士を一撃で、しかも背後を取るとは……」
 セレナの言葉が終わるか終わらないかのうちに、ジェイドは語気を荒らげて断言する。
「騙し討ちとしか考えられません! だが、いかに不意打ちであっても、ヨシュアン団長に手傷を負わせるのは、いや、体に触れることさえ不可能に近い」
 セレナの気高い顔立ちを、真正面から見つめるジェイド。そして忌々しげに問いかける。
「例えば、貴女にそれができますか?」
「――言いにくいことを、はっきりと口になさるのですね」
 横目でジェイドを睨んだ後、セレナは長い睫毛を伏せた。硬い靴音を、ひとつ、またひとつと響かせながら、彼女はヨシュアンの遺体の傍らを通り過ぎる。
「私たちパラス騎士団のことを、あなたが快く思われていないのは仕方がないでしょう。とはいえ副団長ともあろう方が、このような事態において私情を交えた物言いをするのは、感心できません」
 物静かな美貌から一転、想像もできなかったセレナの鋭い視線に、ジェイドも気後れしているのだろうか。彼は、しどろもどろに答える。
「いや、それは……。ご無礼を。私は、ただ。そういう意味に解されてしまったのなら、お許し願いたい」
 よせばよいのに、口べたなリーンがおずおずと助け船を出す。
「え、えっと。ゾナンブルーム様は、優れた剣士であるだけでなく、そのぅ……魔道士も一目ほどの、すごい魔法の使い手と聞いてます。だから、今の話の例としては、適切ではないんじゃないかと…思うのであります」
「口を慎め、そういう問題ではない」
 ジェイドが小声で言い、慌ててリーンの口を塞ぐようなそぶりをする。リーンとしてはセレナを持ち上げたつもりなのだろうが、実際には、話の文脈をまったく弁えていない発言だ。
 セレナの表情がさらに険しくなったのを見て、ジェイドとリーンは青くなっている。しかしセレナは別のことを考えているようだった。二人の様子など眼中にない様子で、彼女は自問した。
 ――魔法。いや、魔法? まさか!?

「ところで」
 これまで黙っていたルヴィーナが尋ねる。
「ヨシュアン殿の……ご遺体が発見されたときの状況を、詳しく教えてください」
《遺体》という一言の前で言葉が詰まった。彼女の蒼白な表情に、無念の思いがありありと浮かんでいる。
「日没後まもなく、かつてのお狩り場の離宮跡にて、うつ伏せに倒れている状態で発見されました。ご遺体の様子から考えると、殺害直後だったようです」
 ジェイドの返答に、ルヴィーナは疑わしそうに首をかしげる。
「お狩り場の離宮跡? 森の、かなり奥まったところではないですか。よく見つかりましたね」
「えぇ。私も、むしろその点が不可解です。一体、誰が発見したのですか?」
 セレナも頷いた。
 一瞬、ジェイドが気まずそうにリーンの方に視線を向けた。
 リーンは、いつになく真剣な表情でセレナを見つめる。
「私、です……」
「あなたが? なぜそんな時刻に、あのような場所に居たのです。いや、誤解しないでください。あなたを疑っているわけではありません」
 そう言いつつもセレナは、リーンの一挙一動、一言も見落とすまいと、鋭い眼差しを向けている。
「その……。実は。いつものように、子猫ちゃんたちに餌をあげようと思って、でも近くにいなくて。心配になって、森の方まで探しに出たんです……。狼や野犬に襲われたりすると、いけませんから」
 眼鏡の向こう、今にも泣き出しそうなリーンの目。セレナの疑問をジェイドが即座に否定した。
「リーンは無関係です! こいつは団長のことを兄のように慕っていました。一番悲しんでいるのは、こいつなんですよ。ひどいではありませんか。リーンをレグナ騎士団の見習いに取り立てたのも、ヨシュアン団長本人です。リーンにとって団長は恩人なんです!」
 ジェイドのあまりの剣幕に、セレナも思わず弁解する。
「誤解を与えてしまったようですね。私は、ただ、事実を聞きたかっただけなのです」
 隣で涙目になっているリーンを見おろし、ジェイドは心の中で叫んだ。
 ――可愛そうに。なんてツイてねぇ、間の悪いヤツなんだよ、リーン!

 ◇

 同じ頃、例によってハープシコード風の楽器を華麗に奏でつつ、ファルマスが頬を緩めていた。目を細めながら、いつもよりオーバーな動作で鍵盤に向かう美青年。狂喜っぷりは演奏にも影響し、ひとつひとつの音にも異様なまでの高揚感が漂う。
 最後に両手の指全体で鍵盤を一気に叩いた後、教会のドーム内を思わせる天井を見上げ、ファルマスは高笑いした。
「あははは!! 天は、やっぱり味方すべき相手をよく選んでるよね。この幸運、この偶然!」
 彼も、さきほど近衛隊士から、ヨシュアン殺害事件についての報告を受けていた。ヨシュアンの死は、もとよりファルマス自身の手によるものだ。ファルマスは、ヨシュアンの遺体が発見された経緯を知って狂喜しているのである。
「それにしても、あの見習いの機装騎士……。何て不幸な娘なんだろうね! 僕、ちょっと同情しちゃうなぁ」
 ファルマスは突然に立ち上がると、舞台めいた動作で両手をかかげ、天を仰いだ。勿論、同情の意識など、彼の顔つきには微塵も感じられない。
「よりによって、こんなときにあの現場をうろつくなんて、言い逃れできないな。不幸の星の下に生まれた落伍者は、どこまで運に見放され、惨めなんだろうね。神様ってひどいな! あはははは」
 ファルマスの唇が冷酷な薄笑いを浮かべる。そのくせ、彼の瞳は無邪気に澄み切っている。
 ――ヨシュアン殺害の件はうやむやに終わらせるつもりだったけど、うまい具合にあの娘が出くわしてくれたおかげで、もう完璧。おまけにレグナ騎士団まで一掃できそうだよ。
 有頂天になっているのだろうか、しまいには一人舞台のように、誰もいない部屋の中で天井に問いかけ始めた。あまりの狂気ぶりが、小憎らしいほど上品な仕草や表情と融合し、鬼気迫る様相となっている。
「この緊急時に、王宮を守護すべき大任を負っているレグナ騎士団長は、情けないことに死亡。こともあろうに、殺害者は何と団員! あらら。こんな不名誉続きじゃ、もうレグナ騎士団は解散だよねー?」

 ◇

 その晩、レグナ騎士団の詰め所を、武装した近衛隊が取り巻いた。
 黒ずくめの剣士ダリオルと、長髪を夜風になびかせた音魂使いエルシャルト、そしてセレナを伴い、建物の中にファルマスが入ってくる。
「やぁ、これはどうも。こんばんわぁ。レグナ騎士団の諸君!」
 憎々しげに笑っているファルマスに対し、レグナ騎士団員は皆、殺気立っている。
「ちょっと、そんな怖い顔でにらまないでよ。セレナさんみたいじゃない……」
 そう言ってファルマスは、隣にいるセレナに微笑みかけた。
 セレナは露骨に顔を背けると、申し訳なさそうにリーンを見つめる。
 奥の方で震えているリーンの姿が目にとまると、ファルマスは意地悪く尋ねた。
「おやぁ? そこの眼鏡のお嬢さん。何をそんなに怯えているのかなぁ?」
 リーンをかばうように、ジェイド副団長が間に割って入る。
「こんな夜分に、武装して当騎士団の館に来られるとは、穏やかではないですな」
「いや、僕はね、事態を重く見たメリギオス猊下の命により、ここにやってきただけだよ。ほら!」
 ファルマスはメリギオスの書状を得意げにかかげた。
「リーン・ルー・エルウェン。君に聞きたいことがあるんだ。僕と一緒に、ちょっと来てくれないかな?」
「わ、私は本当に、野良猫の子供たちに餌を……」
 リーンが泣きながら告げているにもかかわらず、ファルマスは館全体に響くほどの大声で笑った。
「あははは。子猫? もしかしてリーンちゃん、賢そうな眼鏡っ子なのに、実はお馬鹿さんとか? そんな出任せの嘘を付くなら、もっと上手いウソを付いた方がいいよ」
 ファルマスの目が、一転して冷酷な光を放つ。
「彼女には、レグナ騎士団長殺害に関与した疑いがかかっている。事件直後、普通なら人の通るはずのない現場に居合わせたなんて、一応は調べないとダメでしょ? それに、遺体の状況はレグナ騎士団の皆さんも見たよね。団長と親しい彼女なら、警戒されずに背後から刺すことも可能だし。そうでもしなきゃ、あのヨシュアン団長に手傷を負わせるなんて、絶対できないよ」
 彼はにっこり笑って、こう言った。
「少なくとも、僕なんかの腕じゃ、無理だね」
 彼の指示により、近衛隊士たちがリーンの身柄を確保しに向かう。それを止めようとするレグナ騎士団の人々に対し、ファルマスが手を振った。
「おっと、邪魔しないで。猊下の命は、事実上、国王陛下の命と同じだよ。妨害すれば、皆さんも反逆罪になりかねないかも。それに、ここにはパラスナイトが4人も揃っているんだからさ、まさか力ずくでリーンちゃんを守ろうなんて、夢にでも考えない方がいいと思うね」
 だが、レグナ騎士団員に代わってセレナが立ちはだかった。彼女の怒りに満ちた形相に、近衛隊士は身を凍らせる。そして彼女はファルマスと睨み合う。
 ファルマスは白々しく小首をかしげている。
「あれぇ? セレナさん、何でそんなことするのかなぁ。熱でもある? それともセレナさんは、猊下の命に背くつもり? 今のは冗談だよね」
 セレナは悔しそうに立ち尽くしていたが、ついに諦めて引き下がった。
「ファルマス……。リーンさんに手荒なまねをしたら、たとえ貴方でも許しませんよ」
「やだなぁ。僕がそんなことするはずないじゃない。でも、前にも似たようなセリフを貴女の口から聞いたような気がするけど……。結局、どうだったっけ?」
 ファルマスの挑発に乗らず、セレナは拳を握りしめて耐える。連行されていくリーンが彼女とすれ違う。悲しそうな、恨みがましいような視線を、リーンはセレナに投げかけた。うなだれるリーンの後ろ姿を見つめ、セレナは胸の奥で自嘲する。
 ――いつもそうだ、私は。あの旧世界の姉妹のときだって、何も助けてあげられなかった。悪いと言いながらも、パラス騎士団員としてただ任務を遂行し、見過ごしただけだった!

 ◇

 独房の隅で、冷たい石造りの壁に身を寄せ、うずくまるリーン。手の届かない高いところに開いた小窓から、月の光が漏れてくる。
 彼女が嗚咽し、すすり泣く声が聞こえる。
「……私、何でいつも、こうなるのかな。私、何もしてないよ?」
 リーンはぼろぼろと泣いている。いかに機装騎士見習いとはいえ、ほんの最近まで、普通の村娘だったのだ。
「わたし、ただ、猫ちゃんが可愛かっただけだよ? お腹空かせて、かわいそうと思っただけだよ?」
 次第に泣き声さえも微かになる。
「……どうして私、こんなところに、来ちゃったのかな? 私、ただ、都に出てみたいなって、ちょっと思っただけだよ?」
 かすれた声で団長の名前を口にし、リーンは膝をかかえた。
「弓以外に何の取り柄もない私を、ヨシュアン団長が初めて褒めてくれたから、本当に嬉しかった。でも、どうしていつも上手くいかないの」

「運命なの? でも、そんなのに負けたくないよ……。誰か、助けて」

戻る | 目次 | 次へ