HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第41話

Copyright (C) 1998-2008. Hayato KAGAMI

 ――いつもそうだ、私は。あの旧世界の姉妹のときだって、何も助けてあげられなかった。悪いと言いながらも、パラス騎士団員としてただ任務を遂行し、見過ごしただけだった!

 3.

 王キエルハインを出て、辺境の東部丘陵の方に向かって進んでゆく。旅人が一日歩きづめに歩き続けると、次第に家々はまばらとなり、やがては牧草地や田畑さえも姿を消してしまう。そして気がつくと、周囲の風景は、赤茶けた地面に石ころだらけの乾いた平原に入れ替わっていることだろう。荒涼とした大地を申し訳程度に覆う草も、生きているのか枯れているのかよく分からない様子だ。丈の短い雑草以外には、灌木が地にへばりつくように生えているのみである。
 一説によると、現世界の古の時代、つまり前新陽暦の時代が始まったばかりの頃には、このあたりは豊かな森だったという。乱伐が進み、植林などの手当も何も施されず、しまいには周辺にあった町と共に放棄された結果、このような荒れ野だけがぽつんと残ることになったのだと。あるいは、旧世界の頃に付近一帯に何らかの《汚染》が生じ、以後、まともに植物が育たない土地になってしまったのではないかと、うがった見方をする学者もいる。
 この荒野には、かつては木々に覆われていたのかもしれぬ、変わり果てた岩山が所々にそびえている。岩山のいくつかには、砂と石に半ば埋もれるようにして、前新陽暦時代のものと推測される非常に古い都市の跡が点在する。
 周囲に目をこらしてみると、ひときわ大きいテーブル状の岩山が遠くに見いだされよう。そこには、何か大きな建築群らしきものが、岩山と一体化するような形で連なっている。それが、オーリウム王家の所有する《ケールシュテン要塞》である。《レンゲイルの壁》がまだ存在しなかった時代、隣国ガノリスの軍が国境を突破し、オーリウム領内深くにまで攻め込んでくることがしばしばあった。当時、エルハインすらガノリス軍に脅かされかねない状況であったため、万一の場合に王家が難を逃れる場所として、キに比較的近い要害の地にケールシュテンの要塞が作られた。
 だがその後、オーリウムの軍事力が強化され、レンゲイルの要塞線も完成した結果、ガノリス軍が領内にまで侵入することは希となった。時代の流れの中で、いつしか放置されつつあったケールシュテン要塞であったが、近年、なぜか国王軍によって大幅に改築されていたのである。それも、メリギオス大師の命によって……。

 町はおろか一軒の人家さえもない夜の荒野は、完全な闇の世界だ。月が比較的明るい今夜でさえも、岩山とケールシュテン要塞は、闇の空間にさらに濃い漆黒色の固まりとしてそびえ立っていた。と、何か小さく光るものが見える。岩棚状の場所に開けた見晴台のようなところに明かりがぽつんと浮かんでいる。誰か人が居るのだろう。
 静寂に包まれた空間に、素朴な感じの若者の声が不意に生じた。
「こんな時間に、人っ子一人来そうにない荒野で見張りとは、イマイチ気合いが入らないぜ。近衛隊に任せて、ちょっと休憩に来た」
 夜空を背景に浮かび上がるシルエットは、上半身に鎧をまとっているようだった。白いマントが月の光を受けながら揺れている。マントにはパラス騎士団の竜の紋章が誇らしげに描かれていた。手持ちのランタンの作り出す明かりの中、若さに満ちた、引き締まった顔が見え隠れする。短く刈り上げられた黒髪、本当は黒色ではないのかもしれないが、夜の世界ではいずれにせよ真っ黒にしか見えなかった。まだ少年の面影を色濃く残す、爽やかで元気良さそうな好青年、ダン・シュテュルマーである。
「ちょっと、いいか?」
 ダンは、遠慮でもしているのか、少し声を落として誰かに尋ねている。
 その視線の先、城壁の際に、荒野を見おろすようにして別の若者が立っていた。ダンと同様、彼もパラス騎士団の装束をまとっている。だが、ダンのように胸甲だけを付けているのではなく、大きな肩当てや籠手等々、完全武装した昔日の騎士のごとく、黄金色の甲冑で全身を固めている。その姿から、この男が誰なのかは明らかだ。目映いばかりの華麗な出で立ちの奥に、パラス騎士団でも最強クラスの実力を秘めた機装騎士――人は畏敬の念を込めてこう呼ぶ、黄金の騎士・ラファール、と。
 鎧と同じく見事な黄金色の髪を風になびかせ、ラファールは、フッと鼻で笑ってダンに反応したのみである。自分だけがこの世の存在ではないとでも言わんばかりに、他人から超然としているのがラファールの常だった。人間らしい暖かさなどとは無縁の、凍てついた眼光。城塞の壁際から特にどこを眺めるとでもなく、漂う夜風さながらに、眼下に広がる大地へと目線を流している。
 そんなラファールの姿に苦笑すると、ダンは伸びをするようにして両手を頭の後ろで組み、大きな音でわざとらしく溜息をついた。
「はぁ。退屈だ!」
 予想通り、ラファールからの返事は帰ってこない。二人の間を、岩山の麓から舞い上がるように、一陣の風が吹き抜けた。ダンは大声で語り続ける。
「ラファールってさ……何と言えばいいのか、その、凄いなと俺は思うよ。何でいつも、そんなに平然としてられるんだ?」
 あいかわらず無言のままのラファール。真冬の月のごとく、美しくもそれ以上に冷ややかな、ある種の極北的な美を横顔に浮かべ、彼は身じろぎもしない。竜の紋章の描かれた白いマントだけが、さわさわと風に揺れていた。
 ダンはいたずらっぽく笑い、鼻先を指でこすった。何か企んでいるようだ。そんなときの彼は、普段よりも余計にあどけなく見える。少年のよう、いや、その面差しは子供っぽいとすら形容できるだろう。
 突然、ダンは軽業師のように素早く何度か側転すると、逆立ち状態で動きを止めた。そして今度は逆立ちのまま進み、ラファールの隣まで近寄ってゆく。
「なぁってば? ラファール……」
 それでも静かに眼前の闇を見つめている黄金の騎士に、ダンは、なおも頭と足が反対になった姿で話しかける。
「俺は、こういう単純明快!な人間だからさ、自分で言うのも何だが、普段からあまり悩まない。でも、そんな俺でも不安なんだよ。おいおい、無視すんなって。なぁ?」
 何とも珍妙な光景だが、ラファールはダンの姿を気にすることもなく、やっと口を開いた。それも必要最低限に。
「大地の巨人……。パルサス・オメガのことか?」
「あぁ、そうそう。あの化けもんのこと。よっ、と!」
 ダンは逆立ちをやめ、次の瞬間には元通りに立っていた。急に真剣な目つきに変わり、彼はラフアールに問いかける。
「上手く言えないんだが、あれはダメだ。ダメだダメだ! ぶっちゃけた話、あんな怪物に頼って戦おうなんて、どこか間違ってるだろ。根拠はないんだが、あの《巨人》に邪悪なものを感じる。あんなものを甦らせようと、なぜ猊下がお考えになっているのか、俺には分からない。大丈夫なのか?」
 ダンがまだ語り終えないうちに、ラファールは呟いた。あまり抑揚のない物静かな声だが、その響きには、聞く者の身体を凍り付かせるような得体の知れぬ迫力がある。
「それは、俺たちが考えるべきことではない」
 間髪入れずに否定され、ダンは、文字通り、豆鉄砲を喰らった鳩のようにきょとんとしている。そんな彼に一歩近づくと、ラファールはダンの肩に右手をぽんと置いた。動作や気配をまるで感じさせないような、不思議な身のこなしだった。
「い、いきなり何だよ?」
 人の肩に親しげに手を置くなどと、日頃は人間的な匂いを感じさせないラファールのキャラクターからは、考えにくい。ダンは正直驚いている。
「これが俺の手ではなく剣だったなら、お前の首は今ごろ飛んでいたぞ……。長生きしたければもう少し言葉を選んで話すがいい、ダン・シュテュルマー。今のは聞かなかったことにしておく」
 一瞬、ラファールの口元が、微かに、本当に微かに緩んだように見えた。目の錯覚だろうかと、ダンは慌ててラファールの方を見直している。
 そのときには、ラファールはすでに背を向け、要塞の内部へと戻りつつあった。
「パラス騎士団は王家の剣だ。《剣》が感情に流される必要はない。剣をどう使うかは、それを手にする持ち主が考えること」
 春の月光が、黄金の鎧に降り注ぐ。同性のダンであっても、思わず息を呑むほどの美しさ――去りゆくラファールの姿は、まるで金色の蝶が暗闇に舞っているかのように、神秘的な輝きに彩られていた。何か言いたげな表情をしながらも、ダンは黙って見送るのだった。

 同じ頃、月明かりに照らされた地上とは対照的に、夜の外界よりもさらに暗い闇に塗りつぶされた、ケールシュテン要塞の地下。一切の光を拒否するかのごとき、その闇のもつ暗さには、何か邪悪な意思の力のようなものが感じられる。地下に掘り抜かれた広大なドーム、漆喰塗の壁には、魔方陣を連想させる奇妙な記号や文字がびっしりと描かれている。
 不意に、暗黒の地下大聖堂に、ぼんやりと浮かぶ青白い光があった。続いて別の場所に同様の光がひとつ、そしてまたひとつ……。次々と明滅している。それらの気味の悪い光を放っているのは、透明な物質でできた高さ数メートルの柱であった。底知れぬ闇の空間に、角錐状の水晶柱が無数に立ち並ぶ。
 発光を繰り返す水晶柱に囲まれている空間の中心部には、どうやら巨大な穴が開いているようであった。地の底深くに口を開けた、地獄へと続く通廊さながらに。目をこらすと、穴の縁から中心の方に向かって、一本の橋を思わせる構造物が突き出しているのが見えた。それは穴の真ん中に当たる場所まで伸び、そこで途絶えている。その先端部は少し広くなっており、10人近い人間が集まれるほどの円形の舞台のような形状になっている。底なしの穴の真上、仮にここから落ちたらひとたまりもないだろう。
 だが、先ほどからその先端部で座禅と同様に足を組み、瞑想を続けている者がいた。濃紺色の簡素なローブをまとい、ターバンに似たものを頭に巻いている。パラスナイツの一人にして大魔道士として名高い、アゾート・ディ・ニコデイモンである。
 しばらくすると、彼の背後で、穴の中心部へと橋を渡ってくる者があった。振り向きもせず、アゾートは気配だけですべてを理解したようだ。
「その様子だと、旧世界の少女を連れてくることができたようですね」
「もちろん、手はず通りさ。あの子たち姉妹も感動の再会……というわけ。しかし相変わらず怖い人だねぇ。《神の目・神の耳》の境地に目覚めた魔道士様には、こちらが何も言わなくてもすべて分かってしまうんだから」
 そう言って皮肉っぽく笑ったのは、エーマだった。
「しかし、不思議なもんだね。この《大地の巨人》が動いているところは、いまだに想像できないよ」
 足元に広がる別世界のような大空洞を、彼女は訝しげにのぞき込んだ。

 あまりの巨体のため、すぐには全体の形を把握あるいは想像することのかなわぬ何かが、この闇の底にいる。暗黒の空間にうっすらと浮かぶのは、白の色?――白く塗られた城塞が眼下に存在している、そういう錯覚にとらわれそうだった。
 大地の《巨人》と呼ばれるだけあって、一見、その白き機体は人間に似た姿をしているように思われる。ぼんやりと確認できる上半身の輪郭は、その巨大さをのぞけば、姿自体の点では人間に似ている。影の形状から察するに、人と同様の頭部があり、おそらくは腕も二本であろう。
 だが、予想される《巨人》全体の大きさとの兼ね合いから言えば、この上半身は釣り合いを欠いている。かなり小さすぎるのだ。人の似姿をもつ上体の遥か下に、何か巨大なものが――もしかすると《本体》が――明らかに存在しているのである。

 心地よく響く声で、アゾートが語り始めた。
「ダイディオス・ルウム教授。狂気の天才科学者と恐れられ、天上界から地上界へと追放された男。彼がパルサス・オメガの生みの親です。開発者が異常であればこそ、この機体の前提にある……そうですね、旧世界の言葉で言えば《設計思想》というのでしょうか、それも明らかに狂っています」
「ほんと。この趣味の悪さじゃ、狂っていると言われても仕方がないわね」
 エーマは大魔道士の言葉に肯き、真っ赤な髪をかき上げた。
「《大地の巨人》という名前は、この機体の当初の姿に対して付けられたものです。かつて天空人が《滅びの人馬》と恐れた姿に。伝説のケンタウロスを思わせる、逞しい荒馬の体と、人型の上半身。地を駆ける無敵の覇者というに、確かに相応しい勇姿であったことでしょう」
 彼の言葉が信じられないとでも言いたげに、エーマは肩をすくめ、声を立てて笑う。
「本当? それが今や、この始末。似ても似つかない化け物、もう何の生き物をまねたのか分からない、醜悪な魔物になってしまった」
 立ち去ろうとするエーマに、アゾートは語り続ける。
「そこが《異常》なのです。《アルマ・マキーナ》を作り出したとき、旧世界の人間たちは忘れるべきではなかった。自分たちよりも遥かに強い力をもつ人形、あるいは機械の下僕たちが、創造者である人間の手綱から離れてしまったときの恐ろしさを。この機体は自ら考え、自ら進化する……。もはやそれは独立した意思、ひとつの主体。そこが、この機体のもつ《異常さ》に他なりません」
 黒革の衣装が、わずかな明かりのもとで妖美な艶を見せる。すらりとした長身のエーマの姿が次第に遠ざかってゆく。彼女はふと歩みを止めた。
「たしかに異常ね。しかし、状況自体が異常な今の世界では、まともなものに頼っていては生き延びられない。たとえ神に祈るのであろうと悪魔に魂を売るのであろうと、肝心なのは、それが役に立ってくれるかどうか。化け物頼みも、この際、まぁ仕方が無いんじゃない?」
 毒々しい含み笑いを浮かべ、エーマは姿を消した。

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