HYBRID-FANTASY A L P H E L I O N アルフェリオン

 

 第41話

Copyright (C) 1998-2008. Hayato KAGAMI

「たしかに異常ね。しかし、状況自体が異常な今の世界では、まともなものに頼っていては生き延びられない。たとえ神に祈るのであろうと悪魔に魂を売るのであろうと、肝心なのは、それが役に立ってくれるかどうか。化け物頼みも、この際、まぁ仕方が無いんじゃない?」

 4.

 《パルサス・オメガ》の眠る巨大な縦穴。その縁から中心へと、空中を橋のような一本の通廊が伸びる。先端部分は、宙にぽっかりと浮いた円形の舞台状になっている。
 そこでは魔道士アゾートが瞑想を続けていた。肌を突き刺さんばかりの、神々しくも鬼気迫る独特のオーラを漂わせ、内に満ちる金剛の如き不壊の精神は、その外貌までにも現れ出ている。マントラを思わせる不可思議な言葉が、彼の口から、地鳴りの如く重々しく発せられている。周囲の空気をすべて己に従えているかのような、近寄り難いほどの威厳を身にまとっている。
 橋を渡り、二人の女性が近づいてくる。すらりとした長身の方はエーマだ。彼女に背中を押され、追い立てられているのはイリス。エーマと比べると子供のように小柄に見える。
 座禅を組み、背を向けたまま、アゾートは旧世界の少女に言った。
「今さら、あなたがた姉妹に対する我々の非礼を詫びたところで、誠意など感じてもらえるわけもないでしょう……。それでも私個人としては、詫びておきたい」
 世人が魔道士に対して抱きがちな虚弱なイメージとは異なり、大柄で逞しい体格。年齢不詳ながらも、とうに中年の域には達しているのであろうが、引き締まった背中と、真っ直ぐに伸びた姿勢。床に置かれた一体の像のごとく、彼は座したまま微動だにしない。
「そして、これだけは伝えたい。この世界すべてを支配しようとするエスカリア帝国によって、オーリウムは存亡の危機に瀕しています。どうしても力を貸してほしいのです。たとえ遠き時代の見も知らぬ世界の出来事であろうと、何の罪もない多数の民たちが戦火の犠牲になるのは、あなたも望まないでしょう?」
 圧倒的な存在感をもって迫ってくるアゾートの言葉。にもかかわらず、イリスは上の空で聞いていた。何か別のことに気を取られている様子である。足元をふと見やった途端、自分たちの下に居る巨大な何かから目を離せなくなったのだ。これまでずっと、心を持たない人形さながらに無表情を貫いていたイリス。だが、彼女の目に微かな動揺が浮かぶ。
 《それ》が何であるかは確実に理解できる。けれども、イリスの瞳に映るものは、彼女の知っていた頃の《それ》の姿とは大きく異なっていた。
「旧世界の少女よ。自分の見ている《巨人》の姿が、悪い夢だとでも言いたそうですね。意外なことです。パルサス・オメガの《自己進化機能》について知っているあなたなら、この機体がいずれこうした異形の姿に成り果てるということも、多かれ少なかれ理解できていたはず。……いや、違うようですね。すべてを知っていたわけではないか」
 イリスの心を完全に読み取っているかのような、アゾートの言葉であった。たとえ背を向けていても、イリスの霊気の揺らめきや、体温の変化、もしかすると心音や脈動のひとつひとつさえも、この大魔道士は把握しているのかもしれない。
 沈黙するイリスに、もともと言葉を口に出すことのできないイリスに、アゾートは語り続ける。
「この姿は、いわば、人の持つ歪んだ思いが形を取って現れたものです。己の内なる醜さと向き合っているのだと本当は気づいているからこそ、人は、この《巨人》の醜悪さを余計に忌み嫌うのでしょう」
 アゾートの言葉をイリスは否定も肯定もしない。だが、人の次元を超えて宇宙と合一するかのごとき、悟りの境地に至った魔道士にとっては、心を閉ざした娘の意識の内奥すらも、手に取るように明らかだった。
「分かっています。あなたの驚きの最大の理由は、もっと別のところにあるのだと。つまり、《大地の巨人》は休眠状態にあったはずなのに、なぜ自己進化機能が作動していたのか……。自然界の神秘の根源に関わる《第五元素誘導》(*1)の魔法技術と、旧世界の科学の産物である《マキーナ・パルティクス》とを組み合わせた、自己進化システム(*2)。誠に怖ろしいものです」
 自分の考えをアゾートに確実に言い当てられていることに、さすがのイリスも当惑する。そんなイリスの様子を見るのが、エーマには楽しくてたまらないようだ。
「残念。悔しいかい? 気の遠くなるような長い時間、こんな化け物を守るために眠り続けていたなんて。いや、悔やむ余裕もないか。頭の中が真っ白になってしまったかねぇ」
 エーマの口調に異様な高ぶりが加わる。歪んだ喜びをたたえた目。
「これが現実というものさ! 受け入れるか受け入れないか、あんたの気持ちなんて関係なく、目の前の事実は今ここに存在しているんだよ!!」
 異様な興奮を浮かべつつ、彼女はイリスの美しい金髪をいきなり鷲づかみにし、絡め取るように指で弄んでいる。
 本来は伝説の雄々しき人馬の姿であったパルサス・オメガが、今や得体の知れない化け物に、ただ敵を破壊し尽くすことだけに特化した奇怪な《兵器》に変わり果ててしまったことに、イリスは目まいすら覚えた。
 そして、少しずつ事態を把握するにつれ、イリスの脳裏に浮かんだのは――忘れもしない狂気の天才科学者、ダイディオス・ルウム教授のことであった。

 ◆ ◇ ◆

 機械の仮面を思わせる異様なものを、ルウム教授は常に身に付けていた。頭部の左半分から、左目、左頬の部分までを覆う正体不明の装置である。機械の《半面》とでも表現すればよいのだろうか。銀色の金属製で、大小いくつかのレンズ状のものが埋め込まれている。それは、同じ人間ながらも得体の知れない、《天空人》の空恐ろしさを象徴するかのような道具であった。勿論、この仮面は教授独特の趣味によるものであり、通常の天空人の外見は地上人と特に変わらないのだが。
「初めまして、お嬢さん」
 そう告げた四十代ほどの科学者、彼の声や口調は礼儀正しいものだった。謎の装置に隠れていない部分の顔つきは、やや神経質そうな雰囲気を漂わせているとはいえ、とても理知的・紳士的である。すっきりと整った鼻、切れ長の目、緩やかに波を描きながら首の辺りまで伸びた黄金色の髪。白衣も似合っている。
「あなたには何か特別な力があるようですね」
 教授がそう言ってイリスに顔を近づけたとき。《半面》に備えられた大小複数のレンズが、機械音を立て、せわしく回転した。すべてのレンズが、自分を――顔や身体の隅々だけでなく心の中までも――凝視しているようだと感じ、思わずイリスは背筋が冷たくなった。
 一瞬、教授の口元に微かな笑みが浮かぶ。
 隣にいたチエルの背後に、おずおずと引き下がろうとするイリス。だが姉は、苦笑しながら妹を押し戻した。
「ほら、ご挨拶なさい」
 教授のことは、イリスも話には聞いていた。天上界との戦争が始まった当初、地上界には勝つ望みなど有り得なかった。ところが、一人の天才科学者の協力をきっかけに、地上軍は次第に反撃に転じるようになった。しかもその科学者は、天空植民市群から追放された天空人だというではないか。
 姉に何度も促され、イリスは恐る恐る手を伸ばす。
 握手した教授の手は、不思議と温かく、人間的に感じられた。だが、それと同時に、彼の暖かい体温の裏側に何か冷たい影が潜んでいるように、イリスは直感したのである。

 ◆ ◇ ◆

 遠い過去の記憶を呼び覚まされたイリス。今になって思えば、あのときの不吉な直感は確かであったのかもしれない。
 不意に、遠くで耳障りな金属音が響いた。鎖の鳴る音だ。その方向を見た途端、イリスは息を呑む。
 近衛隊の兵士たちに腕をとられ、橋の向こうから姿を現したのはチエルだった。焦点の定まらない虚ろな瞳、半開きの口。魂の抜け殻のようなチエルは、兵士に手を引かれるまま、ふらふらとおぼつかない足取りでこちらにやってくる。利発で気丈な元の彼女の姿は、そこには無かった。
 橋上で姉妹の視線がぶつかる。
「……イ、リ、ス?」
 ぼんやりとした言葉。すべてに絶望したと言わんばかりに、チエルはそれまで以上に脱力し、崩れ落ちるようにしゃがみ込んでしまう。肩から床へと垂れ下がる黒髪も、本来の見事なツヤを失っている。
 他方、イリスの様子も明らかに変化する。怒り。初めて見せた感情の奔流だ。身体を震わせ、唇を歪め、彼女はうつむいた。
「そんなに怖い顔をしなくてもいいじゃないか……。チエルは、あたしが大事に可愛がってあげただけだよ。でも、あんたも人間だったんだ。そういう表情も可愛いねぇ」
 喉の奥から絞り出すように小声で笑い、エーマは、なおもイリスの頭髪をなで続けていた。
 ――お姉ちゃんに、何をした!?
 周囲の暗がりに火花が走る。いや、そのように感じられた。
 重力を無視し、イリスのしなやかな髪が、花開くようにふわりと宙に浮かぶ。
 ――許せない。
 淡い空色であった彼女の瞳が、濃さと輝きを瞬時に増し、青白く燃える炎の色に煌めいた。この変化に呼応し、爆発的な霊気の迸りが付近を覆い尽くす。
 その場にいた兵士たちは次々と意識を失って倒れてゆく。
「何という凄まじい魔力の解放、それに伴って荒れ狂う思念波。やはり普通の人間ではなかったか」
 泰然と座していたアゾートは、そのまま長衣の袖を翻した。輝く霧状の結界らしきものが彼の身体を包む。
「だが、この力こそ、パルサス・オメガの覚醒に必要なもの」
 イリスは絶叫した表情のまま、立ちすくんでいる。なおも解き放たれる力。自分の意思では制御できないらしい。
 エーマは両手で中空をかきむしるように、苦しげな声でうめいていた。さすがにパラス騎士団の一員だけあって、普通の兵士よりも卓越した精神力や魔法に対する抵抗力を、彼女も持っているようだ。だが魔道士でもない彼女には、イリスの放つ強力な思念波から直接に身を守るすべは無かった。
「あ、頭が、割れそうだ!」
 エーマは立っていることすらできず、床に片膝をついた。間もなく両掌も。そして遂に耐えきれず、白目を剥いて前のめりに倒れかけた、そのとき……。

 ◇

 気を失ったはずのエーマの目が大きく見開かれ、身体の動きが止まった。ふらりと立ち上がり、彼女はイリスの方をじっと見つめる。依然としてイリスの魔力は暴走状態にあるが、先程までとは異なり、エーマは全く影響を受けていないように見える。
 何らかの異変に気づき、アゾートが嘆息混じりにつぶやく。
 「なるほど。何故このような、さしたる力も持たぬ者がパラスナイトであるのかと不思議に思っていたら。そういうことであったか」


【注】

(*1) イリュシオーネの現在の魔法学によれば、自然界のあらゆるものは、火・水・風・土の四つの元素から構成されると考えられている。いわゆる「四大元素」である。だが旧世界の魔法学では、四大元素の他にもうひとつの元素が存在すると考えられていた。すなわち、火・水・風・土のいずれの属性も有さない未分化の元素である。旧世界の魔法学者は、これを「第五元素」と呼んでいた(五番目での元素であるというよりも、より根源的な元素であるということになるが)。第五元素は、特定の霊的操作を加えることにより、火・水・風・土のいずれの元素にも変化する。
 《第五元素誘導》とは、未分化の第五元素に働きかけ、四大元素を思いのままの状態で生じさせる技術をいう。これによって、すべてのもの、自然科学上のあらゆる元素を生み出すことが理論上は可能なはずである。だが実際には、この技術が十分に発展しないうちに旧世界が滅亡したため、特定の元素を作ることしか実現されずに終わった。アルマ・マキーナ(=ロボット)の素材に必要な元素のうち、例えば、水素、酸素、炭素、ケイ素、鉄、銅、チタン、マンガン、モリブデン等々は作り出すことが可能であったという。生成し得ない元素は、霊的に特殊な構造を有する元素、代表的には金や銀である(現在のイリュシオーネにおいても、銀製の武器がバンパイア等の不死の魔物に対して特別な威力を発揮することは、銀に固有の霊的構造と関係があると考えられている)。そのため、高度な魔法と科学を兼ね備えた旧世界においてすら、やはり錬金術(金を創り出すという意味での、狭義の錬金術)は不可能であると主張されていた。

(*2) パルサス・オメガの自己進化および自己再生機能は、第五元素誘導によって生み出された原子・分子をマキーナ・パルティクス(=ナノマシン)で配置することによって行われる。ゆえに、必要な元素が周辺に存在しない場合であっても、それが第五元素誘導により生成しうる種類の元素であれば、再生や進化は可能である。同様の技術は旧世界の一部のアルマ・ヴィオにも転用されている。おそらくアルフェリオンの再生や変形も、その一例であろう。

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